第38話 神崎琥珀は叫んだ
寒さも、怖さも、そういうの全部がどうでもいい。私の目にはもう、表情の消えた古海くんしか見えていなかった。
「ひどいよ、そんなの! 古海くんのことなんだと思ってるの! 人形じゃないんだよ!」
賢さんがものすごい形相で私を見て、這いつくばったまま手を伸ばしてきた。でも、その腕をがしっと響さんが掴む。
「やめろ、お前の相手は俺だ」
「この涜神者が……! 神をここまで愚弄するなど!」
「うるさい。子供同士の話し合いにいい大人が口を出すな!」
次いで、何か、殴り合いみたいな音が聞こえてきたけど、それどころじゃなかった。
私が目を向けるべき人は、ここにいる。
古海くんの互い違いの瞳をまっすぐ見上げて、私は告げた。
「古海くんの体、返して、神様」
古海くんは……いや、古海くんの中にいるらしい神様は、ゆったりと首を傾げた。
「ほう……何故?」
古海くんの声とは思えないほど、低く、凝った声だった。何が面白いのか、うっすらと笑みを浮かべている。
「この子供は俺の器だ。そのようにあれと育てられた」
「そうなりたいって古海くんが一言でも言った!?」
すぐに反論した私に、神様はゆっくりと目を見開いた。その仕草がちょっと古海くんみたいで、泣きそうになる。ここにいるのは古海くんじゃないのに。
「俺はこの子供に呼ばれてここにいる。全てを壊してしまいたいとこいつが願った。だから俺はここに降りたし、器を受け取るのは願いの対価だ」
「それは壊したいであって神様になりたいじゃないでしょ!」
これ以上耐えられなくて、私は全身で地団駄を踏みながら叫んだ。だって、古海くんの指がどんどん凍っているのが見えるのに!
「全部壊れちゃえって思うことくらいあるよ、こんなひどいとこにいたら! そのたびに体渡してたらきりがないでしょ!」
「だが、願ったのは事実だ」
「そんなの無視してよ!」
神様がぱちぱちっと目を瞬かせた。困惑してるのが丸わかりだ。
わかってるよ、私だって、だいぶ無茶苦茶なことを言ってるってことくらい。でも、大事なことなんだから仕方がない。
「壊したいは壊したいであって、神様になりたい、じゃないの! そもそもちゃんと対価の相談した!? こうなるよって教えたの!?」
「対価の、相談……?」
「ほら、してない!」
だんだん分かってきた。この神様、多分そんなに口喧嘩に慣れてない。いける。
「古海くんは神様になんかならないって私と約束したの! 神様、古海くんのお父さんなんでしょ! 自分の子供が言ってること、ちゃんと聞いてよ!」
息を吐ききってしまって、ぜえはあと肩で息をする。後ろでなんだかごちゃごちゃ叫んでいる人がいたけど無視した。人生で一番大事な話し合いの最中なのだ、こっちは。
神様はというと、ぽかんと口を開けたかと思うと、一拍置いて、なぜか爆笑した。
「はは、は、はははははははは! まさか、俺をこの子供の父だと言うか!」
「言うよ! あなたがお父さんになんてなっちゃったから、古海くんは本当に頑張って感情押さえつけて生きてるんでしょ!」
「俺のせいだとまで言うか! ははははは!」
神様が大口を開けて笑うのを、私は目を見開いて見つめていた。こんな古海くん見たことない。表情筋、そんなに動いたんだ……
ひとしきり笑ったかと思うと、目じりの涙を拭って、神様は私を見た。
「ああ、なんだこれは、相当な罵倒を受けたはずだが、腹も立たんな」
「罵倒なんかしてないよ。事実しか言ってないもん」
「事実だろうが不敬だ。だが本当に何も思わんな。むしろ……」
神様は何故か少し考えあぐねたような顔をして、急にこちらへ近づいてきたかと思うと、驚く私の顔をしげしげと覗き込んでくる。な、何?
「なるほど。さてはお前、既に俺の巫女の血を引いているな?」
「巫女?」
「知らんか。まあいい。お前、この子供を返してほしいのか?」
唐突な質問に、私の心臓が跳ねた。ここが分岐点だって、私の心が叫んでいる。
まっすぐに神様を見上げる。ああ、すごく偉そうな顔だ。古海くんの顔でそういう表情しないでほしい。
「返して。それは古海くんの体で、古海くんだけのものだよ。誰も奪っちゃいけないの!」
神様は口元だけで笑みを浮かべる。
「実を言うとな、娘。俺の中では今、この体の持ち主が相当に暴れている。このままだと俺を巻き込んで自我が崩壊する勢いだ」
「えっ!?」
「そもそも、俺が表に出ている状態で自我を保てていること自体が驚嘆ものだが……どうやら、お前の言葉が全て聞こえているらしい。さてはお前、魔女の血も引いているな?」
なんのことだか分からなくて、私は眉を下げるしかなかった。さっきから、巫女だの魔女だのって、何の話なんだろう? なんだか、お父さんも似たようなことを言っていたような気がするけど……
「お前の親は何も教えなかったか、それとも教える術がなかったか? どちらにせよ難儀な話だ。神をも傅かせる俺の巫女と、神に囚われた人間にすら手の届く魔女の血だぞ。何も知らぬままでは通せんだろうに」
困った。本格的に何を言っているのか分からない。
でも私はなぜかひどく落ち着いていた。絶対に古海くんを取り返せるっていう、訳の分からない確信がある。
「神様、訳の分からない話は後にして。もう一回言うよ、古海くんを返して」
神様は笑った。吹雪の中で、その笑みだけが嫌に鮮やかだった。
「いいだろう。だが、神に願うなら対価が必要だ」
「私に払える?」
「なるほど、いい度胸だ。まあ、俺も目覚めたばかりで自我が安定せん。このままだといずれは崩壊だ。であれば……」
神様は私の胸ぐらを掴んだ。そのまま異常なほど顔を近づけてくる。
「であれば、お前も俺の器としよう。それで平等だ」
額ががつんと触れ合う。瞬間、何かが勢いよく頭の中に流れ込んで、私の心臓まで届くような感覚があった。
あ、これ、まずい。
「琥珀くん!」
響さんが叫ぶのが聞こえる。何か言わなきゃと思うのに、嘘みたいに体が動かない。
意識が、塗り替えられていくような感覚に包まれる。
頭から胸にかけてが一気に寒くなる。氷の海に頭から飛び込んだみたいに冷たい。
ああこれ、私の中に入ろうとしてるんだ。
気づいて絶句した。すごいことをされている。だって私はこの人の子供じゃないのだ。器になんかなれるわけがない。はまるはずのないピースを、無理やり形の違うパズルの穴にはめ込むみたいな行為だ。ピースが割れるか、穴が壊れるかしかないだろう。
そしてどう考えてもこの場合、ピースのほうが強すぎる。
その恐怖が、私の手を動かした。
咄嗟に、胸にかけたお父さんのドッグタグを握りしめる。
そんなことしたって意味はないかもしれない。けど、だからって諦めるのはおかしな話だ。だってお父さんが言ったんだ。私の言葉には力があるって。
この神様だって言っていた。私の言葉は、どうしてか今の古海くんに届いているんだって。
それがこの神様を苦しめているなら、私がすべきは、恐怖に怯えて口を閉ざすことじゃない。
たとえそれが、どれだけの反撃になるか分からなくても。
それでも、私の口はまだ動く。
『言えるよ、神崎さんなら』
そうだよね、古海くん。
だって、このまま死ぬのは意味がわからない!
「出ていけ!」
瞬間。
ばぢん!! と大きな音を立てて、目の前をするどい稲妻が走った。それはまるでしなやかな腕のように軌跡を描いて、古海くんの体の中心、お腹の部分を鮮やかに殴りつけた。
「っ!?」
小さな体が吹き飛ばされる。はずみで手が離れて、私はいつのまにか止めていたらしい息を思いきり吸い込んだ。頭の中に入り込んでいた何かがすっと消える。同時に、古海くんとの距離が離れたことで、私は強制的に吹雪の中に放り出された。
途端にまとわりつく雪と寒さに、目が覚めるような思いがする。
何が起きたか分からなくて、雪の舞う視界の中で目を白黒させた。今、誰かが、神様を殴った?
思わず隣を見る。そこには当たり前のように誰もいない。雪で真っ白な光景があるだけで、どれだけ目を凝らしても何もない。
でも、私には確かな予感があった。
「……お父さん……?」
かすかに微笑んだような吐息が、確かに聞こえた。
「お、前……」
地面に倒れた神様が、口元から血を流しながら笑う。
「既に死した魂が、己の存在証明全てを対価に、俺に干渉するか!」
古海くんの姿をした神様の感情にシンクロするように、いっそう吹雪が強くなる。
私はようやく、お父さんがどうして私のそばに現れてくれないのかを知った。
違う。ずっといたんだ。多分、私のドッグタグに取り憑くか何かして、どうにかそばにいてくれたんだ。姿が見えないくらいに自分をすり減らして、それでも、今の一撃のためだけに。
全部、私と、お母さんを守るために。
涙がこぼれた。神様はまだ笑っている。古海くんはまだ帰ってきてない。なのに私は、お父さんがしてくれたことで胸がいっぱいになって、どうしようもなくなってしまった。
胸を手で押さえつけて、いまだに笑い続ける神様を見る。
笑うな、と思った。
古海くんの顔で、古海くんの声で、古海くんの感情を、代わりみたいに表現するな。
冷たい吹雪の中で、こぼれる涙だけが熱湯のように熱い。悲しさでも悔しさでもない、純粋な怒りに押し出されて、頬を涙が伝った。
返してよ。
古海くんのこれまでとこれからを、お母さんの苦しみと痛みを、お父さんの献身と、死を。
「返してよ、神様の馬鹿!」
神様はいっそう大きく笑った。愉しそうなそれに、私の声なんかすぐにかき消されて、お父さんの声ももう聞こえなくて、私の目からぼろりと涙がこぼれて。
そして、嗤う神様と、視線が合った。
刹那、
「うるさい」
唐突に、神様の口からえげつないほど低い声がして、古海くんの細い腕が思いっきり、古海くん自身の頬を殴りつけた。
ぎょっとした私の目の前で、古海くんの顔がぐんとねじれる。またしても口の端から血がこぼれた。
しん、と空気が一気に静かになる。
ゆっくりと顔が元の位置に戻って、白い腕が、口からこぼれた血を拭った。
「お前のせいで、神崎さんが泣いてる」
それは確かに、古海くんの声だった。
ヒロインだけに頑張ってもらうのはフェアじゃないので、古海蓮にも全身全霊で頑張ってもらっています。次話は16時頃に更新です!




