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第35話 神が降る


 さっきとは比べ物にならない、尋常じんじょうではないくらいの光が振った。鼓膜が破れそうな音が何度も響いて、私の視界は真っ白なまま戻らない。

 周りからはひっきりなしに悲鳴や怒号が響いている。何かが焼けるような音や、粘着質な何かが這いずる音。音と光の洪水の中で、私は体を縮こまらせるしかなかった。


 けどそのとき、ふと、手の中のドッグタグが震えたような気がした。


「……え?」


 咄嗟に見た左手。ドッグタグを握りしめていた手の中から、光が零れている。


「な、に?」


 白く染まった視界の中で、目もろくに機能していないはずなのに、その金色の光だけはくっきりと鮮明だった。

 どこかに向かって、光の筋が伸びていく。

 ぴんと張った紐のようなそれの隣に、お父さんが立っているような気がした。


 光の先を指さして、お父さんの幻覚が笑う。

 あっちだよ、琥珀こはく、と。

 私は瞬間的に理解した。あの先に、お母さんがいる!


「お母さん!」

「っ! 神崎かんざきさん、手を――」


 気づいたときには、私は古海こかいくんの手を離してしまっていた。

 あ、と思って、振り返ろうとした。


 振り返ろうとしたのだ、本当に。


 私の視界ががくんっと揺れて、私の体が浮いていなければ、私は、古海くんのそばに戻れたはずだった。


「っ、あ?」


 私は浮いていた。正確には、誰かに担ぎあげられていた。

 視界に映ったのは、見覚えのある学ランで。


 ひゅっ、と、喉が鳴った。


 生気のない瞳が、じっと私を見ていた。


「嫌ぁっ!」


 じたばたともがく私を押さえ込んで、学ラン姿の男の人はすさまじい勢いで走り出した。私を肩に担いで、どこかに連れていこうとする。


「やだ! 古海くんっ!」

「神崎さん!」


 古海くんがこちらを向いたのが声で分かった。周りに落雷が降る。けど、私が担がれているからか、この学ランの人に当てることはできないみたいだった。そりゃそうだ、私まで感電してしまうのに、古海くんがそんなことをするわけがない。

 けど、学ランの人は自分の横すれすれに雷が落ちても、全く動揺せずに走り続けた。すぐに古海くんの声が遠くなる。


 どうしよう、どうしよう、どうしよう!


 連れていかれる先がどこかなんて決まっている。賢さんがいるところだ。間違いない。あの二人に比べて何もできない私は、いい人質でしかない。

 嫌だ。古海くんの足を引っ張るのだけは。それだけは。


 お母さんを探したかった。けど、それどころじゃなくなったんだと思って、私の目から涙があふれた。

 どうしていつもこうなんだろう? 誰よりも弱いくせに、強い人の邪魔をせずに縮こまっていることもできない。


「っ、離して、離して!」


 担がれたまま、学ランの人の背中をどんどんっと叩いた。当たり前だけどびくともしない。そりゃそうだ、こんなことで解放してくれるなら、どれだけ……


「あれ?」


 ふと、私は動きを止めた。

 走る音と、風の音だけが鮮やかな空間で、私は言いようのない違和感を覚える。


 これって、もしかして……


 その違和感の先に何があるのかを理解して、私は呆然と口を開けた。


「あなた、まさか……」


 学ランの人は走りながら、一瞬だけ私の方を見た。

 その目が相変わらず、濁った魚のような目をしていて、私は何も言えないまま、その目を見つめるしかなかった。



◇◇◇



 雷鳴が鳴り止んだとき、古海響こかいひびきの周囲にはほとんど何も残っていなかった。

 黒焦げになった大地と、いつの間にかばらばらと降り始めた雨。そして、地面に転がった死体と、焼ききれた触手の数々。


 その中で、息子であるれんが呆然と立っている。その目の前に初声はつせけんがいた。


「蓮!」


 響は瞬間的に叫び、蓮と賢の間に滑り込む。蓮を殴りつけようとしていた賢の腕を蹴り飛ばし、引き倒したところを上から押さえ込む。


「蓮、蓮どうした! しっかりしろ!」

神崎かんざきさんが……」

「え?」

神崎かんざきさんが攫われた……!」


 憎悪ぞうおすら滲む声で、彼は賢を……己の遺伝子上の父親を睨みつける。


「あの学ランの人が神崎さんを担いで……っ!」


 音を立てながら歩いてきた蓮が、賢の頭を掴んで上向かせる。


「神崎さんをどこにやった!」

「は、あ? 何言って……げほっ!」


 動こうとした賢の体をその場に押さえつけ、響は淡々と告げる。


「下手なことを言わないほうがいい。肩の関節を外すのは得意だぞ、俺は」

「知らねえってば! 何言ってんですかカミサマ! あいつならこのどさくさで、アンタが殺しかけたでしょうが!」


 彼の視線の先を見やると、そこにはびくびくと体を震わせた学ラン姿の男が倒れていた。瞳がぐるぐるとおかしな方向を向いていて、生きてはいるようだが、とても無事には見えない。


「は……?」


 蓮が呆然と声を漏らす。


「じゃあ、神崎さんをさらったのは、誰なんだよ……」

「知らねえってば! なあカミサマ、戻ってきてくださいよ! あんな子供一人どうだっていいでしょう!」


 唾を飛ばして、賢が叫ぶ。


れいは出来損ないだった! 村を抜け出して、どこの馬の骨ともしれない男と子を作って……! きちんとした血筋の男と交わっていれば、神の子だって産めたはずなのに!」


 蓮が、ゆるりと賢へ視線を戻す。その顔から表情が抜け落ちているのを見て、響は危機感を覚えた。


「訳の分からない、魔女だかなんだか知らない血統と交わったせいで、れいの血筋はけがれた! その証拠があの子供だ! あんな(いびつ)な子供、放っといたっていいでしょうよ!」

「おい、黙れ!」


 反射的に、響は男の肩を外した。

 ごきり、と音がして、男の口から悲鳴がほとばしる。もがき暴れる男を押さえつけ、響は反射的に蓮へ叫んだ。


「蓮、待て、抑えろ!」

「今、なんて言った……?」


 その瞳が、異様な速度で鮮烈な赤に染まっていく。体中の血を集めたような色が、灰色を侵食していく。

 これは、まずい。


「神崎さんが、穢れているって、言ったのか、お前は……」

「っ、そうでしょう、あんな子供、カミサマに触れることすら許されないっ! あそこまで穢れたら、どうせ神の子だってはらめやしないんです! あんな子供のために怜は俺たちから逃げ回って、旦那だってわざわざ殺してやったのに、それを利用してまた逃げやがった! あの子供のせいで、怜の人生はめちゃくちゃですよ!」


 響は目眩がした。狂信者きょうしんしゃというのはどこまでも軸が自分しかない。自分と異なる考えの存在がいるということが、まるで理解できていないのだ。

 蓮の髪がばちばちと閃光を放つ。いつの間にか雨は止んでいて、だが同時に、身も凍るような冷気が辺りを満たし始めた。


「あんな子供さえいなければ、怜は今ごろ、カミサマの兄弟を産んで、幸せに村で過ごしてたはずなんですよ! それを……」

「やめろ、黙れ!」

「あんな子供、生まれなければ良かったんだ!」


 瞬間、全ての空気が凍りついた。


 凍りついた、としか、言いようがなかった。

 空気全てが息を止めた瞬間を、響はそのとき初めて見た。

 そうして思う。二年前の暴走は、まだ軽いほうだったのだと。

 あの日の蓮は冷静でなかった。目の前で母親を殺され、泣いているのか怒っているのかも分からない顔で、ただただ雷を落とし続け、村を隅々まで焼き尽くした。


 だが、今の古海蓮はひどく冷静で、それ故に、凝縮された殺意は止められない。


「っ、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」


 いつの間にか、賢の腕に、足に、顔に、細かな針のような氷柱つららが突き立てられていた。空中に存在する水分を一気に凍らせ、凍てつかせたものを凶器にしたのだと、響は一瞬で理解する。


 ぱき、ぱき、と音がする。蓮の触れた地面に、霜が降りている。

 彼はくっきりと見開いた両目に殺意をたぎらせて、自分を作った父親を見つめていた。


「やめろ、蓮! 殺すな!」

「嫌だ!」


 はっきりとした拒絶の言葉は初めて聞いた。響は顔を上げ、瞠目どうもくする。

 蓮の互い違いの瞳から、ぼたぼたと涙が零れていた。


「こいつがっ、こいつが、神崎さんのお父さんを殺した! 殺したって、今!」

「そうだ、こいつは今自分で罪を認めた! ここを探せば証拠だって見つかるかもしれない、そうすれば司法が……」

「それじゃあ神崎さんのお父さんは帰ってこない!」


 古海蓮は泣いていた。ここにいない少女の、何年も前に死んだ父親を思って泣いていた。ここにいない少女の、心の痛みを思って泣いていた。ここにいない少女の、無事を願って泣いていた。

 自分と彼女を重ねて、彼女の痛みに怒り狂って、泣いていた。


 ああ、もうお前は誰かのために怒り、泣くことができるようになったのだなと、響は嬉しい気持ちになった。

 こんな状況ではなくて、うららかな春のようなあの少女と手を繋いで、少しずつ学べれば良かったのになと、悲しい気持ちになった。


「帰ってこないんだよ、僕の母さんも、神崎さんのお父さんも……全部こいつが殺したからだ!」


 響は息を呑んで蓮を見つめた。目に浮かんだ涙が、つう、と頬を伝って、地面に落ちる前に凍りつく。

 見たこともないほどの怒りと悲しみが、古海蓮の全身を満たしていた。

 無理だ、と響は本能で悟った。これは無理だ、止められない。大切な人を失い、大切な人を傷つけられ、それら全ての元凶が目の前にいて、何もするなと言うこと自体が酷だ。


 なぜなら古海蓮は子供だからだ。

 古海蓮に、感情を出せと言ったのは、(おのれ)だからだ。


「殺すんだったら、殺される覚悟がなきゃ嘘だ!」


 それは怒りの形をとった悲鳴だった。古海蓮は助けを求めてしまった。手を伸ばしてしまった。


 助けてくれ、という叫びが糸となる。より合わさって縁となり、形を成して依代よりしろとなる。


 があん! とひときわ大きな雷が落ちた。


 彼の怒りに呼応するようにして、何かがその場に降り立ったのを、響は明確に感じ取った。

 それはとても嫌な気配だった。古海響の人生の中で何度か遭遇した、おぞましい気配。


 神の降臨が、その場に成されたのだった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。明日は2話更新です。

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