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第29話 彼女は彼を愛している



 私がリビングに降りたとき、カーペットの上には既に服が畳まれて置いてあった。広げてみれば、確かに子供用の服だ。動きやすいようにか、長袖のTシャツにジーンズという組み合わせだった。


「でも、なんか、ファンシー……?」


 ところどころにレースがついていたり、可愛いワンポイントがあったりする。これ、なんて言うんだっけ? 甘辛ミックス?

 サイズは結構合うんだけれど、私は着ないタイプの服だった。私もお母さんも、大体はシンプルな服を選んでしまうので、こういうフリルとかがついた服は買わない。


 色味も淡いパステルカラーで、ますます私に似合うか不安だ。こんな可愛い服、借りちゃっていいのかな。


「ニコお姉さん、こういうのが好きなんだ……」

「んー、ニコはどっちかっていうと、スカートとかをよく着てたけどね」

「ひゃあっ!?」


 私は素っ頓狂な声を上げて、急いで長袖Tシャツから顔を出す。

 こわごわ後ろを振り返ると、リビングの入口に仁王立ちしているニコお姉さんとばっちり目が合った。


 お、起きてる……! 起きてますよイサーンお兄さん……!

 心の中で叫んだけれど、もちろんお兄さんに聞こえるはずもない。ニコお姉さんは寝起きだからか髪を下ろしていて、銀とも白ともつかない綺麗な髪がすとんとまっすぐに伸びていた。お姉さんはそのまま足音も立てずに部屋の中に入ってくると、私の着ている服をちょんちょんとつつく。


「これ、まだあったんだ。子供の頃の服なんてもうほとんど出さないから、こんなのもあったな〜くらいしか思い出せないけど、それ丈夫だよ。ちょっと転んだくらいじゃ破けないし」

「あ、あの、ニコお姉さん……起きてたんですか……?」

「起きてたよ。イサーンくんって、本気で気配消そうとするとき、わたしのほうも見なくなっちゃうんだよね。こっそり部屋出ていくときはいつもそう。でもそれって逆に、こっちの寝たフリもバレにくいんだよ」


 私は心の中で「イサーンお兄さん……!」と思った。


「まあ、それでも最初のほうはバレちゃってたけど。でも最近はだいぶ騙せるようになったんだよね〜」

「お、お姉さん、反対しないんですか……? 私たちがお母さんを追っかけること……」

「めちゃくちゃ大反対だけど」


 めちゃくちゃ大反対なんだ……

 ニコお姉さんはつんと顎をそらして、二階に向かって睨みをきかせる。なんだか、動きが全部猫みたいだなと思った。


「だって、危ないでしょ? れんだってまだ子供なのに……! ていうか、古海こかいさんっていっつもそう! ニコの言うことなんか聞かないの! 二年前だって、急にぼろぼろのれんのこと連れてきて、どうしたのか聞いたら『拾ったからうちの子にする』とかって言うんだよ!? 経緯とかを聞いてるの、こっちは!」


 水が流れるようななめらかさでまくし立てられて、私はびっくりして固まってしまった。お姉さんはハッとして、ごめんね、と手を振る。


「とにかく、あの人が言うこと聞かないのなんか、いつものことなの。れんもそう。あの子、古海こかいさんとは血が一ミリも繋がってないのに、本当にそっくり……結婚とかできるのかな……」

「ま、まだ小学生ですよ、古海こかいくんは……」

「小学生なのに古海こかいさんとそっくりなの、まずいでしょ?」


 まずいのかな……? 私にはちょっと分からない。なぜなら、私自身が古海こかいくんのことを好きだからだ。叶うかどうかは別として、私は、古海こかいくんと結婚できますかと言われたら、できそうな気がする。

 私が複雑な顔をしていると、ニコお姉さんは少しだけ柔らかく笑った。


「ああ、でも、琥珀こはくちゃんはれんと友達なんだもんね。そっか、あの子、友達とかできるんだ……良かった……古海こかいさんよりはマシだね……」


 ひびきさんがすごくボロクソに言われている。


「とにかく、わたしは反対だよ。わたしはね。でも、古海こかいさんもれんも、言ったって聞いてくれるような人じゃないし、だからって琥珀こはくちゃんを止めるのは、ニコには無理だもん」

「え……」


 ニコお姉さんは、少しだけ寂しそうに目を細めた。


「ここで行くなって言うのは、お母さんのこと、諦めろって言ってるのと同じだもん。……言えないよ、そんなこと」


 私は何も言えなかった。そうですねとも、そんなことないですよとも、言えるわけがなかった。ニコお姉さんがどれだけ古海こかいくんたちのことを心配しているか分かるから。それはきっと、私がお母さんを心配するのと同じ心のはずなのだ。

 同じ形の傷を怖がっているから、私たちはどちらにも踏み込めないでいる。自分のために、相手に傷を押しつけるのは嫌だ。


古海こかいさんとれんのこと、心配だからそりゃ止めるよ。家族だからね。もっと安全な方法がないかを考えてって言うよ。けど、神様っていうのはひどいから、考える時間なんて与えてくれない。……欲しいときに欲しいものをくれないくせに、欲しくないときにばっかり与えてくる。加減ってのがわかんないんだよね」

「お姉さん……あの、私……」


 何かを言おうとしたけれど、やっぱり何も言えなかった。古海こかいくんもひびきさんも、この人の家族なのだ。その家族を危険にさらそうとしている私に、一体何が言えるだろう?

 私が子供じゃなかったら、もっといい答えを出せただろうか?


 ニコお姉さんは「そんな顔しないの!」と私の頬を挟んで顔をあげさせる。水晶みたいにきらきらとした瞳が、視界に映った。


「あのね、ニコはいいの! 琥珀こはくちゃんは子供なんだから、誰かに助けを求めるのは正しいことだよ。気にしなくていいの。これはどっちかっていうと、ニコがワガママ言ってるって話でもあるし」

「なんで……ニコお姉さんが、ワガママ?」

「だってこんなの、じゃあニコもイサーンくんも含めた全員でそいつのところに乗り込もう、で済む話だもん。でも、それは無理なの。わたし、イサーンくんを傷つけたくないから」


 ニコお姉さんは、まっすぐに私を見ていた。


「わたしね、イサーンくんから、何も奪いたくないの。古海こかいさんとれんのことだって、究極的にはそうだよ。あの二人が傷ついたことで、同じように傷つくイサーンくんを見たくないの」

「イサーンお兄さんを……?」

「そうだよ。だってわたし、イサーンくんを幸せにするんだって誓って、結婚したんだもん」


 はんなりと笑うニコお姉さんは、すごく綺麗で、すごく格好よく見えた。


「イサーンくんはきっとね、誰かが傷ついたとき、自分が傷つくよりも痛く感じるの。その中でも、イサーンくんはきっと、わたしが傷ついたときが一番痛い。だから、できるだけ安全なところにいるんだ」


 だから、一緒には行けないの、とニコお姉さんは言う。

 私は、古海こかいくんが泣いたときのことを思い出していた。私が死ぬかもしれないと思って、知らない恐怖に怯えて泣いていた古海こかいくんを。


「ニコお姉さん」

「なあに? ていうかすごいもちもちだね、ほっぺ」

「私、ニコお姉さんみたいになりたい」


 ぴた、とお姉さんは動きを止めて、何度かその大きな瞳を瞬かせる。そうしてしばらく私のことをじっと見て、ふと、薄く微笑んだ。

 魔性ましょうみたいな微笑みだった。


「わたしみたいにはならなくていいよ」


 すこし自嘲の混ざった言葉が、桜色の唇からこぼれ落ちる。


琥珀こはくちゃんは、琥珀こはくちゃんのままでいたらいいの。そのほうが、れんは絶対嬉しいんだから」


 どこか見透かされたような言葉に、私は頬が熱くなるのを感じた。ニコお姉さんは、私の気持ちをどこまで分かっているんだろう?

 お姉さんは私の頬をもよもよと揉みながら、どこか悲しそうな目で言う。


琥珀こはくちゃんは琥珀こはくちゃんのままで、れんと一緒にいてあげて。誰かになろうとしなくていいし、自分が自分だって理由で諦めなくていいの」

「ニコお姉さん?」


 よく分からない。つまり、どういうことだろう?

 でも、ニコお姉さんはそれ以上、具体的なことは何も言わなかった。


れんの手を、離さないであげてね」


 ただそう言って、はんなりと笑うだけだった。


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