表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/41

第27話 彼は歪みにさらされている

「――ん、――くん」


 誰かの声が聞こえる。

 同時にゆさゆさと肩を揺さぶられて、私はぎゅっと眉を寄せた。うっすらと瞼を開きながら、目元をこする。


「んむ……誰……」

「俺だ、琥珀こはくくん」


 声が聞こえた瞬間、私はびたりと動きを止めた。

 反射的にがばっと起き上がる。


 まるで表情の変わらないひびきさんが、ベッド脇に膝をついていた。


「うわあっ!?」

「驚かせたか、すまない」


 全くすまないという顔じゃないけれど、響さんはそのまますっと頭を下げる。


「眠っていたところ悪いが、朝だ。起きてくれ」

「す、すごい端的な起こし方……」

「悪いが、れんのことも起こしておいてくれるか。俺が起こすとたまに無言で頭突きしてくるんだ」


 ど、どういうこと……!? と思いかけて、はたと気づく。

 そういえば私、今どうなってる?


 おそるおそる見下ろした先、私の腰にぐるりと巻き付き、そのままがっちりと固定された腕が見えた。誰のものかは明らかだ。


「俺がニコくんと議論しているうちにれんと仲良くなったようで何よりだ。そのまま親交を深めてくれ」

「いえ、昨日のあれはもはや議論とかそういう次元では……じゃなくて!」


 私は慌てて古海こかいくんの腕を掴んだ。好きな人のお父さんに、好きな人と一緒に寝てるとこ見られた! すごい恥ずかしい!


「こっ、古海くん! 古海くん起きて!」

「ん、ん゙ん゙……」


 信じられないくらい低い声で唸ったかと思うと、何故か腕の力がさらに強まる。


「こ、古海くん! 響さんも来てるから!」

「本当に仲良くなったんだな……れんは寝起きが死ぬほど悪いはずなんだが……琥珀こはくくんの位置に俺がいたら、この時点で三回は腹を殴られているぞ」


 それはもはや嫌われているのではないか。

 口から出そうになった本音を飲み込んで、私は懸命に古海くんを揺さぶる。お願いだから早く起きてほしい。冷や汗がすごい。


「んん……何……?」

「朝だってば、古海くん!」


 うっすらと目を開けた彼が、私の肩に手をかけてのっそりと起き上がる。ぎゅっと眉根を寄せていたのに、私を見た瞬間にふっと空気が緩んだ。


「あれ、神崎かんざきさん……おはよう……」

「お、おはよう……! 良かった、あの、ちょっと離れてもらえると嬉しいんだけど……!」

「なんで……?」

「な、なんで!?」


 あなたのことが好きだからですが!? とは流石に言えない。

 すると、古海くんはひびきさんに気づいたみたいで、あからさまに顔をしかめた。再びぐるりと私の腹に手を回し、私ごと引き寄せるようにしてベッドの端に寄る。


「なんでひびきさんがいるの……?」

「ああ、なんだ、いつものれんだな。琥珀こはくくんを殴ったりしていないようだし、寝起きが良くなったのかと思ってな」

「僕だって殴っていいものと良くないものとの区別くらいつくよ……」


 その返しはそれでどうなの、と思ったけれど、古海くんに後ろからぎゅっと抱き寄せられている体勢なので、それどころではない。


「目覚まし時計入りのクッションと、トンチンカンなことを言ってるときの古海さんは軽くなら殴ってもいいよ……」

「クッションも俺も別に殴って構わないが、人間を殴り慣れると他の人間にもやってしまうぞ。遺伝子上の父親みたいにはなりたくないだろう」

「うるさいな……」


 古海くんは相変わらず、響さんには当たりが強い。それは多分、甘えているからなんだって、私も最近分かってきた。

 けど、それはそれとして、私には言っておかなくちゃならないことがあった。


「こ、古海くん、人は殴ったらダメだよ……」


 古海くんがきょとん、とした顔で見上げてくる。そこに映る無垢な感情に、私は胸がざわつくのを感じた。

 殴ることの何がいけないのか、と問われている気がしたからだ。


 分かってる。古海くんは暴力が好きなわけじゃない。けど、暴力を受けて育った人というのは、暴力が自然と人生の選択肢に入ってしまうのだという。殴ったら解決する、という選択肢だったり、殴るしかない、という選択肢だったりさまざまだけれど、殴らなくていい、という選択肢にたどり着くまで、すごく努力が必要なんだそうだ。

 ひどいと、永遠に正しい選択肢にたどり着けないまま、迷路の中で泣いている人もいる。

 これはお母さんが私に教えてくれたことだ。私はお母さんにもお父さんにも殴られたことがないから、あんまりぴんときていなかったけれど……


「そっか。神崎さんが言うならきっと、本当にダメなんだね」


 多分、古海くんが「そう」なのだ。それがはっきり分かってしまうのが、私は悲しかった。

 いや、分かっていたはずだ。私はずっと、それを見ていたじゃないか。


 古海くんは優しい。私に怒鳴ったり、手を上げたりすることはありえない。

 けど、私のために幽霊にかかと落としするし、目覚まし時計を止めるためにクッションを殴るし、響さんへの甘え方が、暴力という形で現れることもある。


 それは歪みだ。暴力を受けたがゆえの、価値観をねじ曲げられたがゆえの歪みだ。

 それをどうにか逆方向にねじ曲げて、この世界になじむように生きていかないといけない。それって、どれだけ辛いだろう。どれだけの努力が必要なんだろう。


 壊されるのも、治すのも、ねじ曲げられていることには代わりがないのに。


琥珀こはくくん」


 ふと、響さんが真面目な声を出した。


「大丈夫だ。れんはまだ子供だろう。いくらだって、ゆるやかに矯正できる機会がある」


 私はぱちぱちっと瞬いた。


「今、私、何か声に出してましたか……?」

「いや? だが、二年前のニコくんと同じような顔をしていたからな。何を心配していたかはおおかた分かる。れんは割と暴力的だろう」

「は? 響さんが言えたことじゃないと思うけど」

「俺とお前のそれは種類が違う。俺は力加減が永遠に理解できないだけで、別に暴力を振るおうとしているわけじゃない。お前は暴力の使いどころを分かってやっているから、ニコくんも琥珀こはくくんも心配するんだ」


 むす、と古海くんが黙りこくる。


琥珀こはくくん。この子は確かに、暴力を手段として使うことがあるが、それ以外の方法を知らないだけだ。普通の生活に戻れてまだ二年しか経っていないからな。それで同年代と暴力沙汰を起こさないだけ、俺は成長が早いと思っている」


 それはそうかもしれない。古海くんは少なくとも、誰かに悪意をもって攻撃されない限りはやり返さないし、やり返すときもちゃんと加減している。


「今は感情を学びながら、その感情を発散する正しい方法を覚える期間だ。だからこそ、俺はれんに学校に行くように言ったんだ。自分に存在しない価値観を学ぶには、他の人間と関わらなければいけない」

「他の、人間と……」

「そうだ。友人でもできれば変わるだろうと……思った通りだったな。君がれんのそばに居て良かった。君のような人間がいるから、世界は今日も美しく回っているわけだ」


 かあっと頬が熱くなって、目の奥が熱くなる。

 浮かびかけた涙を隠すようにうつむいて、ふるふると首を横に振った。私はそんなふうに言ってもらえるような人間じゃない。ごく普通の、ただの小学生だ。特別な才能もなければ、古海くんを導けるような立派な人間でもない。

 私はいつも迷っている。正しいことを選べる自信なんてない。


「そうだよ、神崎さんはすごいんだ」


 でも、古海くんがそう言ってぎゅっと抱きしめてくれるから、どうしても泣きそうになってしまう。


「神崎さんは僕の知らない僕の感情だって分かる。響さんより僕のこと知ってるかもね」

「それは何と張り合っているんだ……?」

「張り合ってない。神崎さんを泣かせないで」

「泣かせていないが……」


 ああ、またなんだかよく分からないことになり始めた。

 止めなきゃと思うんだけれど、お腹に回っている手が気になって気になってしょうがない。古海くんが何を言っているんだかもよく分からなくなってきた。


れん、お前はおそらくまた感情の発露を間違えているぞ。俺は琥珀こはくくんを褒めたのであって、それでお前に怒られるいわれはないだろう」

「だってなんかムカつくから。素直に感情を出せって言ったのは響さんでしょ」

「それはそうだが、ならそれは怒りにるいする何がしかの感情だろう。理由を深掘りしたほうがいい」

「神崎さんが泣きそうになってるから怒ってる」

「いやだから泣かせていないが……」

「ちょっと二人とも、女の子挟んで揉めないで。琥珀こはくちゃんが困ってるでしょう」


 救世主の声に、私はぱっと顔を上げた。

 予想通り、呆れた顔のイサーンお兄さんが、部屋の入口に立っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ