第25話 霊に容赦は必要なし
ココアを飲んでしばらくして、ようやく涙は収まったけれど、問題はまだあった。
「す、すごい。まだ言い合いしてる」
「響さんたち、ああなると長いんだよね……」
キッチンからこっそり覗いたリビングでは、白熱の戦いが繰り広げられていた。
ニコお姉さんはぎゃんぎゃん文句を言っているし、響さんは困った顔ではあるけど淡々と何かを言い返している。その態度にまたニコお姉さんが怒る。その繰り返しで、まだまだヒートアップが収まらないみたいだ。
多分、私たちがココアを飲みに行ったことにも気づいていないんじゃないかな。
ずっと二人をなだめていたイサーンお兄さんだけが私たちに気づいて、困ったような顔で笑った。お兄さんが手元で何かを操作したかと思うと、古海くんが私の腕を引く。
「神崎さん、イサーン兄からメールだ。ニコ姉たち、多分夜中までこの調子だろうから先に寝ててって」
「夜中までこれなの……?」
「まあよくあることだよ。キリのいいところでイサーン兄が二人を寝かしつけてくれると思う」
「いつも寝かしつけられてるの……?」
それはそれでどうなんだろう。まあ、今回は私たちのことを思っての言い争いなわけだけど……
「神崎さんが気にすることじゃないよ。お互いの教育方針のぶつかり合いだからね」
「そういうものなんだ……」
「神崎さんも眠いでしょ。お母さんのところに行くにしろ、今日はもう無理だと思うし、ちゃんと寝て、明日の朝一番に家を出られるようにしよう」
古海くんの言うことは最もだった。正直、今日は色々なことがありすぎて疲れているのも本当なのだ。できれば今すぐにだってお母さんのところに行きたいけれど、私の体は夜ふかしに全然慣れていない。
でも、そういえば、私はどこで寝たらいいんだろう?
「神崎さん、こっち」
古海くんに手を引かれて二階に上がる。一階とは違って、二階には部屋がたくさんあるみたいだった。
そのまま入ったとある部屋には、一つのやや大きめなベッドがあった。机や本棚なんかもあるし、綺麗に整頓されている。ただ、ベッドや机は割と古いものみたいで、ところどころに変な傷がついていたり、色あせていたりした。
「ここ、僕の部屋だから、自由に使っていいよ。元は響さんが子供のころに使ってた部屋だからちょっと古いけど」
「へえ、そうなんだ……」
「響さんは体が大きい子供だったみたいで、ベッドが広いんだよね。多分これなら二人で寝られると思う」
「えっ?」
突然ものすごいことを言われた気がする。固まった私に、古海くんが不思議そうな顔をする。
「あ、もしかして、枕変わると寝られないタイプ?」
「ぜ、全然違うよ!?」
私は喉の奥で悲鳴を上げた。まずい。この感覚にはものすごく覚えがある。古海くんが初めて幽霊を殴っていたときと同じだ。
「え、ええと、古海くん、その、お布団とかって、あったりする……?」
「ベッドあるよ」
「や、うん、そうなんだけど、そうじゃなくてね……」
お客さん用の布団が余分にあるんじゃないかなと思ったけど、多分この感じだと、ない。だって古海くんにその発想がないわけだし。
「い、一応確認するけど、古海くんと私、同じベッドで寝るってことで合ってる……?」
「合ってるよ」
「合ってるんだ……」
「毛布は結構あるから、一人一枚使えるよ」
「ありがとう……」
「あ、そうだ。パジャマ代わりの服も貸すね。僕のスウェットで良ければだけど」
「それも、ありがとう……」
全然そういうことじゃないんだけど、否定する暇すらなかった。あれよあれよという間に、私たちは交互に着替えすら済ませることになった。なってしまった。
どうしよう。古海くんを説得できるだけの材料と気力がない。
でも困る。本当に困る。なぜなら私は、古海くんが好きなのだ。好きな人が隣で寝ている状況でちゃんと眠れる自信なんてない。
でも、それ以外に選べる何か、ある?
「どうしたの、神崎さん」
言いながら、古海くんはさっさと寝る準備をしていた。既にベッドに入っているし、灰色の毛布を自分にかけつつ、白い毛布を私に手渡してくる。
私は空中を見上げ、腹をくくった。
何とかして寝よう。無理な場合は気絶しよう。
ものすごく険しい顔のまま毛布を受け取り、そのままベッドに入る。掛け布団がもう何枚かベッドに敷かれていて、古海くんは既にその中に足をもぐりこませていた。
私はあんまり古海くんの方を意識しないようにしながら、体を毛布で包む。えいや! と心の中で叫んでベッドに入り、既にあった掛け布団の中に足を入れる。
その瞬間、ぐに、と何かを踏みつけた。
「へ?」
なんか、肌みたいな感触が……待ってこれ、古海くんの足じゃない!?
私はざっと青くなって、思わず掛け布団をひっ掴む。
人様のベッドに入らせていただいた上に、足を踏み付ける!? 最低すぎる!
びっくりして掛け布団の中を覗きこんだ私と、そいつの目がばっちりと合った。
「え」
顔が生えていた。
ちょうど、私の足の先だ。表情は見えない。私の足が、その顔を踏みつけにしていたからだ。足の裏の感触で、それが表情を動かしたのが分かった。
にた、と笑った口が、私の足の指のすき間からのぞいていて、そして。
「消えろ、変態」
掛け布団の上から繰り出された古海くんのかかと落としが、見事にその顔を押しつぶした。
「こ、古海くん!?」
ヤバい、判断が早すぎて何が起こったのか全然わかんなかった。今、何した!?
唖然とする私の前で、古海くんはかかとをぐりぐりと掛け布団の上からこすりつける。
「神崎さん、ちょっと下がって。この変態幽霊、絶対に神崎さんのこと狙ってる。見なくても分かるよ」
「い、嫌すぎる信頼と実績……!」
「いつもは家に入ってくることなんてないんだけど……さっき、僕が不安定になったから入ってきちゃったのかな……ごめんね。すぐ潰しきるから」
「潰しきるって何!?」
言いながらも、私は咄嗟に古海くんにしがみついていた。だって、ここまでゼロ距離で幽霊に触ることなんて、古海くんが幽霊を殴ってからはほとんどなかったのだ。しかもなんか、なんか、ものすごく気持ちの悪い触れ合いだった! 何あれ!?
古海くんが隣にいたのに出てきたってだけでも怖い。この幽霊、メンタルが強すぎる。全裸でこちらに全力疾走してくるおじさんだって、古海くんに殴られてからは物陰から様子を見るくらいはしてたのに。
掛け布団の中から潰れたような音が続いてる。いや、多分だけどこれ、潰れてる音じゃなくてうめき声だ。よけいに嫌かも!
「神崎さん、見ない方がいいよ。こいつは見られることに興奮するタイプだと思う」
「目を! 閉じます!」
「そうして」
響さんが見ていたら「どういう騒ぎだ……?」とでも言いそうなやり取りだった。古海くんはちょっと冷静すぎるし、私はちょっと冷静じゃなさすぎる。
ていうか、古海くんは見える人だから慣れているにしたって、あまりに落ち着きすぎじゃないだろうか。普通、布団の中から人の顔が出てきたら叫ぶくらいはしない? 古海くんが叫んでるとこ、想像できないけど……
「終わったよ、神崎さん」
ハッと目を開く。咄嗟にめくった掛け布団の中には、もう何もいない。
「次に来たら存在ごと消すって言っておいたし、多分しばらくは来ないよ」
「その脅しで『しばらく』なんだ……」
「あいつら、あんまり頭は良くないからね。そもそも聞いてないかも。僕が神に近くなれば、本能的に避けるだろうけど」
私は目をまたたかせた。何か嫌な予感がして、古海くんの顔を見つめる。




