第21話 その血筋は呪われている
私はそれ以上、星螺村の末路についてはつっこんで聞かないことにした。
代わりに、別のことを聞く。
「あの男の人、そんなに怖いの?」
「怖いっていうか、執念深くて、信心深いね。僕を殴った後は丁寧に手当てをして、絶対に死なないようにしてた。神様の子だからね。神事以外で僕を殴ることも許してなかった。逆に言うと、神事のときになると、全然手を止めてくれないんだけど」
こ、怖すぎる。
単純に暴力を振るうのが好きな人だって言われたほうがまだ怖くなかった。私には理解できないタイプの人だ。
「己の正義感に則って、それを正しいと信じきっているものは強いんだ、琥珀くん」
不意に、響さんが口を挟んだ。誰も何も言えなかった空間で、静かな音が響く。
「自分は『善いこと』をしている、という意識さえあれば、人はどれだけひどいこともできる。特にその男はダメだ。善悪の価値観を、神という『自分以外の誰か』にゆだねてしまっているからな」
「ゆだねると、ダメなんですか?」
「自分の行動を他人に認めてもらうのは心地がいいだろう? そうなると、止まれなくなる。自分で考えることをやめてしまう。『こうするべきだ』というルールは、往々にしてその人間の思考力を奪う」
よく、分からなかった。でも、何か、とても大事なことを言われている気がした。
「人間は間違える。どんな聖人君子でも、間違えない、ということだけはできない。どこかで必ず間違えるんだ。だからこそ人は、己の進む道が正しいか、踏み外していないか、後悔しないか、常に考え続けなければいけない生き物なんだ」
学校で習っていることと、少し違う気がする。私たちは間違えないように、「正解」を学んでいるんだと思ってた。でも、響さんの言う通りなら、何をしたって人は間違えてしまうものなんだろうか?
「間違えることは悪いことじゃない。だが、間違えたときに、己のあやまちに気づき、足を止める必要がある。だから善悪を学び、人は考え続けなければいけない。君の母親をさらったのは、その思考を放棄しているタイプの人間だ。俺はそういう輩を最も嫌悪している」
静かに、怒りをためこむようにして、響さんは私をまっすぐに見た。
「だからこそ、君の母親は絶対に助けると約束しよう」
私は目を見開いて、大きく息を吐いた。別に、まだ何も解決していない。けれど、ここにいるのは私だけじゃないということが、急に実感として湧いてきた。
イサーンお兄さんも、ニコお姉さんも、力強く頷いている。それだけで、私はもうほとんど落ち着いてしまったのだ。
「それにしても、そいつが琥珀くんの母親を狙った理由が分からないな」
響さんが、ふと首をひねった。私もそれが分からない。私はあの男の人のことを何も知らない。今日初めて会ったのだ。それに、あの触手の生えた人はなんだったんだろう? すごく気持ち悪かったけど……
「それなら、僕に心当たりがあるよ」
「えっ」
私はぱっと顔を明るくして古海くんを見た。けど、何故か古海くんは、すごく嫌そうな顔をしている。
「でも、あまり気持ちのいい予想じゃない。特に、神崎さんにとっては」
「待て、蓮。もしかして、星螺村の風習に関わることか?」
古海くんは、響さんの問いかけにこっくりと頷いた。響さんがあからさまに頭を抱えて呻く。
ニコお姉さんが眉を寄せた。
「待ってよ古海さん、全然、話がわかんないんだけど」
「ニコくんたちにも言ってないからな、これは……」
「え? 何? 蓮に関わることなの? どうしてわたしたちに知らせてないの?」
「ごめん、ニコ姉。僕が響さんに頼んだんだ。言わないでって」
何も分からなくて、私はおろおろと全員の顔を見回した。まあまあ、とイサーンお兄さんがニコお姉さんをなだめている中で、古海くんが、ぎゅっと手を握ってくる。
「神崎さん」
「な、何?」
「お母さんの旧姓、覚えてる?」
私はきょとんとした。旧姓……というのは多分、お母さんが結婚する前の、もともとの名字のことだ。
私はこっくりと頷く。
「知ってるよ。『初声』だって教えてもらった。初めての声って書いて、初声」
珍しい名字で、お母さんの実家以外にこの名字を持つ人はほとんどいないらしい。もし見かけたら、絶対にお母さんに知らせるように、と言われていた。
すると、私がその名字を口にした瞬間、響さんが額を押さえ、イサーンお兄さんとニコお姉さんはぽかんと口を開けた。
「……蓮、どういうこと?」
ニコお姉さんが、怖い顔で言う。
「だってそれ、蓮の、もともとの名字だよね?」
えっ、と声が出た。古海くんは平然と頷く。
「そうだよ。僕の母さんの名前は初声慧。僕がここに来る前の名前は、初声蓮……ねえ神崎さん。これは仮説だけど、僕の母さんと神崎さんのお母さんは、姉妹だったんじゃないかと思う。つまり僕たち、従兄弟なんじゃないかと思うんだ」
「そ……」
そうなの?
私は本当にびっくりして、ぱちぱちと目を瞬かせた。確かにお母さんは、家族以外でこの名字を見たことがないって言ってた。言ってたけど……
「根拠は他にもあるよ。僕、神崎さんと初めて会ったとき、初対面じゃない気がしたんだ」
そこで言葉を切って、古海くんはちょっと俯く。
「さっき思い出した。神崎さんは、僕の母さんに似てる。もっと正確に言うなら……神崎さんのお母さんが、僕の母さんに似てるんだ」
私は絶句した。お母さんは、自分の実家のことをほとんど私に話さなかった。あまりいい思い出がないらしい。きっと、元の家族と会いたくないんだと思って、私も何も聞かなかった。
それを、こんな形で目の前にぽんと出されて、私は混乱していた。
「それで、ここからが、すごく気持ち悪い話になる。覚悟して、神崎さん」
「えっ!? わ、分かった!」
なんだかよく分からないけれど、私は片手で古海くんの手を握って、もう片方の手でぎゅっと握りこぶしを作った。
「蓮」
響さんが、それだけ言った。とても、心配しているのが分かる声だった。古海くんは首を横に振る。
「これは僕が伝えないといけないことだから、大丈夫」
そう言って、古海くんは私に向き直った。
「あのね、神崎さん。僕は神の子って言われてるけど、一応、遺伝子的な父親は存在するんだ」
「え、そうなの?」
私の疑問に答えるように、古海くんはゆっくりと告げた。
「母さんはあくまでも、儀式によって神の子を孕んだ。正当な手順を踏めば、人の子だろうと神の子になれるからね。それで、その儀式っていうのが……実の兄弟による、近親相姦なんだよ」
その場の全員が絶句した。私は一瞬、何を言われたのか分からなくて、きょとんとしてしまう。
近親相姦。言葉だけは聞いたことがある。確か、血の繋がった人たち同士で子供を作ることで、なんでか分からないけど良くないことだったはずだ。
ということは、つまり。
「初声賢。僕の母さんを殺して、僕を殴って、神崎さんのお母さんをさらった男の名前だ。あいつが……僕の、遺伝子的な父親なんだ」
すうっと、背筋が冷えていくような心地がした。
「じゃあ、古海くんは、実のお父さんに、殴られてたってこと……?」
「そう、だね」
目眩がした。近親相姦についてはよく分からない。それがどれだけの罪なのか、どうして良くないことなのか、私にはまだよく分からない。
けど、実の父親が息子を殴ることのおぞましさは、分かる。
それが正しいことだと信じているのだと、響さんは言った。けれど、じゃあ正しいことですよと言われたからって、家族を殴ることができるだろうか?
私には無理だ。私は、お母さんのことだって殴れない。正しいんだから、やらなくちゃいけないんだからと言われたって、できない。やりたくない。
あのとき、私の家の前で、男の人は笑っていた。笑って、古海くんを「カミサマ」と呼んでいた。
涙が出そうだった。家族ってなんだろう? あの人にとって、古海くんはきっと自分の息子ではないのだ。きっと、古海くんのお母さんのことも、妻とは思っていなかったに違いない。
それはどれだけ残酷で、哀しいことだろう。
何も言えなくなってしまった私に向かって、古海くんは首を横に振った。
「僕のことはいいんだ、神崎さん」
「良くないよ!」
「いいんだ。僕だって、あの人を父親だとは思ってない。僕の家族は、ここにいる三人と、僕の母さんだけだよ」
きっぱり言って、古海くんは私の手をぎゅっと握った。そこでようやく、私は自分が震えていることに気づいた。
これは恐怖だろうか、怒りだろうか。
分からない。感じたことのないくらい強い感情が、心の臓を殴りつけている。
古海くんは少しだけいたましそうな顔をして、私に言い聞かせるように言った。
「聞いて、神崎さん。今、本当に問題なのは、神崎さんのお母さんのことなんだ」
「お、かあさん?」
「そう。初声賢は近親相姦で僕を作って、定期的に僕を『使って』神事をしていた。でも、僕は手が付けられないくらいに暴れて、村から逃げた」
何が言いたいのかよく分からなくて、私はとりあえず頷く。でも、首の後ろの皮膚がざわざわとしている。
何か、嫌な予感がする。
「あの人は永遠に神の信者だ。もうずっと狂ってて、神事で定期的に神威を感じなければ、信者としては生きていけない。だから多分、やり方を変えたんだ」
「やり方……?」
「そう。もう一回、子供を作ることにしたんだと思う。今度は神崎さんのお母さんを使って、僕と同じような、神の子を」
全身の血液全てが、動きを止めてしまったような気がした。
まさか。
まさか、まさか、まさか。
あの男の人を前にしたときの、理由のないおぞましさの正体は……
「僕は、母さんが実の兄に犯されてできた子供だ。あの男は成功体験を得てしまった。自分の妹を犯せば、神の子を産むことができるんだっていう、歪で最悪な成功体験だよ」
吐き捨てるように言う古海くんを見て、私は別のことを思い出していた。
あの男の人は言っていた。「第二、第三の古海くんだって降ろせる」と。あれが、もう一度、神の子を作るという意味だったなら。あの人が、お母さんの、実の兄だとするなら。
それなら、お母さんは、いま。
「ゔっ……」
私は思わず口を押さえた。喉の奥から、トマトの酸味が逆流してくるような感覚がある。




