第20話 少年は■の子である
イサーンお兄さんがたまに補足しながら、古海くんがひととおりのことを話す。説明が終わるころには、響さんはとても険しい顔つきになってしまった。
「そうか……だいぶ厄介なことになっているな……」
「だいぶなんてものじゃないよ!」
向かいに座っていたニコお姉さんが「信じられない」という顔をして、私の頭をぎゅっと抱えた。
「この子のママ、いなくなっちゃったんだよ!? まだこんなに小さいのに!」
その温かさと柔らかさに、じわっとまぶたの奥が熱くなる。堪えようとしたけど、やっぱりダメだった。お母さんは本当にいないんだと思ったら、もう。
目をぐしぐしとこすりながらしゃくりあげる私の頭を撫でて、お姉さんは古海くんのほうを向く。
「この子のママを連れていった奴らのこと、蓮は何も知らないの? 二年前のことに関係あるんだよね?」
「知ってる」
え。
私はまだしょぼつく目を開けて、古海くんを凝視した。知ってるの?
ていうか、二年前のことってなんだろう。そういえば、イサーンお兄さんも似たようなことを言っていた気がする。
ちらっとお兄さんを見ると、彼も食事の手を止めて、古海くんの言葉を待っているみたいだった。
「学ランの人の方は知らないけど、もう一人の男の人のほうは知ってる。僕の、生まれ育った村にいた人だ」
私はぽかんと口を開けた。古海くんの、生まれ故郷?
いつの間にか、私を撫でていた手は止まっていて、お姉さんは複雑そうな顔で古海くんを見ていた。響さんもイサーンお兄さんも、困った顔で黙りこんでいる。
古海くんだけが、なんでもないみたいな顔で続ける。
「あのね、神崎さん。僕がこの家の子供になったのは……つまり、法的に僕の父親が響さんになったのは、実は、二年くらい前のことなんだ」
互い違いの瞳が、私をまっすぐに見た。
二年前。また、二年前だ。
なんだか、首の後ろがざわざわする。ひんやりとした汗が背中に滲んだ。
聞いちゃいけないような気がしたけど、聞かないといけない。お母さんが今どうしているのか、どこにいるのか、少しでもその手がかりになるなら。
「星螺村。それが、あの村の名前だよ」
古海くんは聞き覚えのある言葉を口にした。どこで聞いたんだっけ、と思って、すぐに思い出す。
図書館で響さんが借りてた、あの本に書いてあった村の名前だ。
「ごめん、神崎さん。一つ嘘をついてたことがある。響さんが星螺村のことを調べてたのは、フィールドワークの予習のためなんかじゃない。僕が、その村の出身だからなんだ」
「え……」
「星螺村は、東北の山奥にある、地図にも載ってないような小さな村だよ。僕の故郷だ」
予想外の言葉に、私はぱちぱちと目をまたたかせた。
「古海くんの……」
「そう。僕は生まれてからずっと、その村から出たことがなかった。二年前、響さんに連れ出されるまで」
私は古海くんを見た。
古海くんも、私を見ていた。
「僕は、そこに監禁されていたから」
私は目をはっきり見開いて、思わず古海くんのほうに身を乗り出した。
古海くんは無表情だった。声も淡々としていて、何も感じていないようになめらかだ。
「今日、神崎さんのお母さんを攫ったあの男のこともよく覚えてるよ。監禁されてた僕を、神事だって言ってよく殴ってた。僕の本当の母さんのこともね」
「へっ!?」
いきなりわけの分からない内容が飛び込んできて、私はぎょっとした。
よく殴られてた? あの人に? 古海くんが?
何も頭の中で意味が繋がらなくて、私は呆けてしまった。理解ができなかった。古海くんを村に閉じ込めていたのもそうだけど、殴るのは意味がわからなさすぎる。
「まあ、それはいいんだ。問題は、神崎さんのお母さんが、どうして攫われたのかってことなんだけど……」
「ま、待って待って古海くん!」
「何?」
何? ではない。
「な、殴られてたの? あの人に?」
「うん、だいぶね」
「だ、だいぶって……なんで? 神事、ってどういうこと?」
「そのままの意味だよ。あの村では、僕と僕の母さんを殴るのは神事だった。神様のための必要な儀式ってことになっていたんだ」
「どういうこと!?」
説明を聞いたはずなのに何も分からない。助けを求めて周りを見たけれど、大人たちは全員、何故か何も言わずに頭を抱えていた。ど、どうして。
「まあ、僕が殴られていたことに関しては、今はあんまり関係ないと思うから置いておくよ」
「お、置いとかないで! お願いだから置いとかないで!」
私は必死で声を張り上げる。ここで突っ込んで聞いておかないと、絶対にこの先、自主的には言ってくれないだろうという確信があった。
「い、言いたくないなら言わなくていいんだけど、その、神事っていうのがよく分からなくて……神様がいたの?」
「そう、だね。まあ、神様と言えば神様なのかな?」
首を傾げながらも、古海くんは続きを話してくれた。
「あの村ではある神様を信仰しててね、その神様は、怒ると天災を起こすんだ。嵐とか、大吹雪とか、そういうの。あの村では、空が荒れることが幸運の象徴だった。神様がそこにいる証明だから」
私はどうにか頭を整理しようとした。
神様がいた。そして、その神様は、怒ると嵐を呼んでしまうらしい。それは分かった。でも、古海くんが監禁されて殴られていたことと、そこで信仰されていた神様に、なんの関係があるんだろう?
「僕はそこで、神様の子供として扱われていた。神様と人が交わってできた子供だって言われていたんだ」
信じられないような話がまた出てきて、私はちょっとのけぞった。けれど、古海くんが神様の子だっていうのは、少し、納得できるところもある。
互い違いの瞳や、少しズレた価値観がそうさせるのかもしれないし、人ではないものへの対応が、あまりにも手馴れているからかもしれない。
でも、じゃあ神様の子供を殴るのは、やっぱりおかしいんじゃないの?
私の疑問を感じ取ったのか、古海くんはふるふると首を横に振った。
「だからこそ、僕を殴るのは神事だったんだよ。神様の子供を殴って怒らせることで、天災を呼ぶんだ。それ自体が神の存在証明であり、僕が神の子である証明になる」
「え」
古海くんは少しだけ笑った。
「変だと思う?」
「変……変だよ。そんなの、普通じゃない……」
「そうだね。でも、あの村ではそれが正しいことだったんだ。僕を神の子として崇めて、神事として痛めつけて、天災が起こるのを見て拝むことが、普通だったんだよ」
私は血の気が引いていくのを感じた。それが普通だということ自体が異常だ。
日常的に、意味もなく人を殴ることが、正しいわけない。そんなこと、みんな当たり前に知っているものなんだと思っていた。ましてや、私よりもずっと歳を取っていて、ちゃんとした大人なら。
意味が分からなくて、信じられなくて、信じたくなくて、ぐるぐる、ぐるぐる、考え続ける。
何か言わなきゃ。
私が話し続けないといけない。きっと今は、この会話に誰も口を出せないのだ。
古海くんが言った言葉を思い出して、頭の中に並べていく。何か言わなきゃ、ともう一度思った。
「古海くんは……怒ると、嵐を呼べるの?」
彼は薄く微笑んで頷く。
「むしろ、気づかれてるかと思ってた。神崎さんの前で、僕は何度か怒りの制御を失ったから」
なんのことだろう、と思いかけて、はたと動きを止める。過去のことが、頭の中をさーっと駆け巡っていく。
「もしかして、初めて幽霊、やっつけてくれたとき……?」
「そう。神崎さんが攫われたときも、さっきもそうだよ」
そういえばそうだ。廃工場の中で私はひどい雨の音を聞いたし、さっきは本当に寒かった。まだ秋なのに、私たちの周りだけ真冬みたいだった。
あれが古海くんのやったことだなんて、信じられない。だって、人は天気を操れるようにはできていないはずなのに。
「じゃ、じゃあ古海くんは、本当に神様の子どもなの?」
「多分」
「多分……」
「分からないんだ。信仰されていた神様は男だったから、父親のほうが神様なんだと思うけど、僕はその姿を見たことがないし」
確かに、それはそうだ。私だって急に「あなたは神様の子供で、怒ると嵐を呼べますよ」とか言われても、意味わからないと思うし。
きっと、実際に嵐を呼べたとしても、意味がわからないままだろう。
「結局、二年前に村が壊滅して、僕はここで響さんの家の子として暮らし始めたんだよ。あの村で生き残ってる人なんて、ほとんどいないと思ってたのに……まさか、よりにもよってあの人が生きてるなんて、思わなかったな」
今、村が壊滅したって言った?
なんかとんでもない話になってきている。生き残ってる人がほとんどいないくらいの壊滅状態って、それはもう、ひどいものだったんじゃないだろうか。
けど、私は何も言えなかった。
だってきっと、それをやったのは古海くんだからだ。
村ひとつがまるまる、ただの事故でなくなるわけがない。きっと村の人は、古海くんを怒らせすぎたんだろう。怒ると天災を呼ぶ神様の子どもなら、村ひとつ滅ぼすくらい、できたっておかしくない。
あの男の人も言ってた。『俺たちの村を壊して、ぐちゃぐちゃにしたのはあんただ』って。古海くんはあれに反論しなかった。
古海くんは多分、自分が何を壊したのかを、ちゃんと理解している。自分にどんな力があって、それがどれだけおそろしいものなのかを知っている。
でも、私はそれをひどいとは思えなかった。だって、意味もなく毎日毎日殴られ続けて、神事だなんてわけの分からないことを言われて、おかしくならないほうが無理だから。やられてもやり返しちゃダメだって大人は言うけど、やり返さなかったら必ず助けてもらえるわけじゃない。
私が人に優しくできるのは、人から優しくしてもらえているからで、理由もなく、毎日毎日殴られたことがないからだ。
どこまでも続く理不尽な暴力の中で、誰にも助けを求められなかったとしたら。
壊れてしまえと、願わないほうが難しい。




