17:事情と救援と慟哭と
大橋の下の薄暗い通路を進み、三人が広けた空間へと辿り着くと、そこには老若男女問わずげっそりとした表情の人々が身を寄せ合っていた。
「あらぁ?いらっしゃぁい」
緊張感のない間伸びしたな声を上げたのは、柔和な笑みを浮かべた、軍服を派手なレース付きに改造してあるウェーブがかった金髪の女性騎士だった。
彼女に、クロは小さく会釈をして口を開いた。
「えっと、ネフィルさんはいらっしゃいますか?」
「わたしのことですねぇ。どうかしましたぁ?」
「先程ラスティさんからこの街の状況を聞くように、と忠言を頂きまして⋯⋯」
「ネフィル様、そういう事でしたら私にお任せ頂きたく」
よろよろと覚束ない足取りで近寄り、口を開いたのは燕尾服を着込んだ初老の男性だった。
「私はお嬢様に仕える執事をしております、ロウ、と申します。以後、お見知り置きを」
「じゃあ、後は頼みますねぇ」
ネフィルに肩をポンと叩かれ、恭しく頭を下げたロウに思わず、クロも深々と頭を下げた。
「私はクロです。こっちの青髪の子がイリスで、桃色の髪の子がレミです」
ロウは己の記憶を探るように目を細め、クロに倣って頭を下げた二人を眺めて首を傾げた。
「はて、お二人方、どこかでお会いしたことがありますかな?」
二人がブンブンと首を横に振ると、再びロウが口を開く。
「左様でございましたか。これは大変失礼致しました。立ち話もなんですので、どうぞお掛けください」
彼の促す通りに地へ腰を下ろす。
「クロ?」
「んえ?⋯⋯あっ」
胡座を組んで座るクロは自身の右側へ目を向けると、イリスとレミのぺたんと地面へ座る姿を見て、慌ててその姿勢を真似た。
「楽にしていただいて結構でございますよ。さて、私共の置かれた状況でございますが、それは一昨日の事でございました」
ごくりと固唾を飲んだ三人に頷くと、ロウは白髪混じりの銀髪を掻き上げて続ける。
「御三方もご覧になられました通り、水の都と謳われたこの街は今や、未曾有の危機に瀕しております」
「あの大きな蛇に占拠されてる⋯⋯っていうのが原因ですよね?」
情報を擦り合わせるべく口を開いたクロ、深くロウが頷き返した。
「左様でございます。奴は無数の小さな蛇を操り、口と長い尾の先から毒を吐き散らし、その強靭な肉体で水の壁すら突破してしまったのです」
「迎撃はできなかったんですか?」
クロの素朴な問いに、ロウは肩を落として俯いた。
「それが⋯⋯運の悪いことに、つい一週間ほど前、南方より襲来したオークの群れに迎撃を行うため、夢幻機兵隊が出払っている隙を突かれての出来事でございました」
ロウの手が白くなるほど強く握り込まれた拳に、一同は押し黙って話を聞く。
「これが偶然なのか、策謀なのかは分かりかねます。それは今論じても答えは出ませぬからな」
彼は気分を変えましょう、と言って手に持った水瓶を傾けて小さなガラスの器へ水を注いでクロ達の前に置く。
その水は透き通っており、周囲の魔石から放射される光を受けて、キラキラと反射している。
「よろしければお召し上がりください。あまり備蓄が心もとないのが悩みの種ではございますが」
「そんな! 頂けませんよ!」
器を返そうとする三人を手で制して、ロウは朗らかに笑いかける。
「長い道のりを越えていらしたのでしょう。遠慮なさらないでください。この水はすぐに尽きるという訳ではございませんのでご安心を」
そう言われた手前、クロ達は喉の渇きを誤魔化すことができず、喉をコクッと鳴らして飲み干した。
「ぷぁ。ご馳走様でした。美味しかったです」
「喜んで頂けたようで何よりでございます」
さて、とロウが一息つくと、再び口を開いた。
「ラスティお嬢様の事なのですが⋯⋯あのお方が一番お辛いでしょう。と言いますのも、お嬢様の父上、レクス・アーランド様があやつの巻き付いている安寧の塔の内で一人、眠りの魔法を使い続けておられるのです」
唐突な情報にクロ達の表情が強張るが、ロウは気に留める余裕もなく言葉を紡いだ。
「ですが、すべき事はレクス様の事では無い、とお嬢様は懸命に民の救助に徹しておられるのです。私は止める事もできず、ここでただ避難して来た方々の手当てをするのみ。それが悔しくて堪らないのです」
歯を食いしばって拳を握り締め、目尻に悔し涙を浮かべるロウに、クロ達三人は顔を見合わせると、すくっと立ち上がり固めた拳を地に叩きつける彼を宥めるように小さく頷いた。
「お水、ご馳走様でした。私達は少し、行くところができたみたいです」
「行く⋯⋯? まさか外でございますか!? なりません!ここの外は今や、魔物の住処となっております! お考え直しを!」
唾を飛ばして吠えるロウに、首を横に振って、クロとイリスが止まる気は無い、とばかりに答える。
「だからこそ、ですよ」
「わたしたちも、つよいよ?」
最後尾のレミがペコリとお辞儀を返し、彼に魔力を注ぎ込み二人の後を追って走り去ると、ロウは壁にもたれ掛かって三人を見送った。
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クロ達がロウの話を聞いている頃、ラスティは街の西部、商業区まで足を伸ばし避難が遅れた人々を探すべく水路の上に水球を浮かべ、その上を駆けていた。
ふと、ラスティが足を止めて安寧の塔を見やると、大蛇が大きく首を振り回して瘴気を吐き出し、その先から小さな蛇の魔物が生まれ出る。
「ふん、雑兵がいくら湧いて出ようと!」
しゃらんと音を立てて鞘から青い細身の剣を抜き放ち、ラスティは眼前に迫る体長一メートル程の蛇に一閃を放つ。
的確に魔石を斬られた七体の白い蛇はその身体を赤く染めながら、地に伏した。
「ふむ。こんな所か。⋯⋯誰か! 誰かおらぬか!?」
ラスティの張り上げた声は閑散とした店の立ち並ぶ通りで反響し、一際大きなギルドの建物から武装した人々がぞろぞろと出て来た。
「ラスティさま!?」
軍服を着込んだ一人の男性が声を上げて目を見開くと、慌てて駆け寄った。
「ここは危険です! 退避を!」
「それはこちらのセリフだ愚か者め! 避難勧告はとうに出ていただろう!」
「しかし⋯⋯!」
「ここからは我が先陣を切って魔物を蹴散らす! お主らは退け!」
ぴしゃりと強い口調で退避を促すラスティに、彼は拳を握り締め、顔を真っ赤に染めた。
「我々にも⋯⋯譲れないものがあるのです! 守るべきものがあるのです! 私の⋯⋯いえ、私達の覚悟を侮らないで頂きたい!」
彼の目に宿る覚悟の熱気に充てられたように、彼女の心が揺らぐ。
「お主ら⋯⋯」
全員の顔を見渡すと、ラスティは綻ぶ顔を隠すように踵を返し、足を踏み出した。
「お待ちください!」
「付いて来れぬ者は即刻避難所送りにする! 命の補償はせんからな!」
言葉の意味を察した三十人の武装した者達が目を輝かせ、彼女へ続く。
各々が橋を飛び移り、水の上を駆けてなんとかラスティへ着いて走り回り、商業区画の店をしらみ潰しに訪ねて歩き、取り残されていた次々と人々を避難所へ放り込んで行く。
「ラスティ様! 足元注意ですよっ! と!」
槌を振り下ろし、避難所の鍵へと意識を向けていたラスティの足元から迫り来る小さな蛇の魔物を潰し、衛兵の一人が肩にそれを担いでニヤリと笑いかける、尻餅をついた彼女に手を伸ばした。
「た、助かった。礼を言う」
「なぁに、礼には及びませんて」
引き起こされたラスティはパンパンとお尻についた埃を払い、コホンと小さく咳払いをする。
「これでこの区画は終わりだな。皆、ご苦労であった!」
日がとっぷりと暮れる頃には、蛇に咬まれた者や体力の限界が訪れた者は容赦なく避難所へ叩き込まれ、その数は半数に減っていたが、辛くも西部の商業区画を周り終えた。
「さて、今日はここまでだな。残りは北と東を回り切るぞ!」
応ッ!と勢い良く答えた騎士に背を向けて歩き出す彼女の視界はぐらりと歪み、ラスティは頭を押さえながら膝を地につけた。
「くっ! 瘴気を吸いすぎたか⋯⋯。お主らは先に南部の避難所へ戻っていろ。あそこには浄化石を通った、瘴気を軽減する効果のある水の備蓄が一番多い。アテにしてもいいだろう」
「イヤです! ここで貴女を失うわけにはいかないのです!」
「そんな事を言っている場合か! 夜になれば瘴気の濃度も増す。早く戻れ!」
「⋯⋯はぁ。分かりました」
ため息を吐いた彼はゆっくりと跪くラスティに向かって歩く。
その姿を見て、彼女は焦った様子で唾を吐きながら叫ぶ。
「何をしている!? 理解したのなら早く行け!」
「俺が、貴女を背負って行きます」
「バ、バカを言うな! 我を気にする必要はないと言っただろう!」
「ラスティ様が傷つく必要なんて無いんですよ。皆! さっさと帰るぞ!」
彼が大槌を握り締めて天高く掲げると、後に続く人々もまた、己のの武器を空へ掲げて応えた。
「バカ共が⋯⋯本当に命の補償はできんぞ!」
「もちろん。そんなのは百も承知です」
槌を持った男性に背負われながら言う姿に迫力は無く、むしろ微笑ましいものを見るような視線に晒され、ラスティはその背中に顔を埋めて誤魔化した。
寄って来る蛇を蹴散らしながら猛進を続けていた彼等は、瘴気の濃度も更に増し、ゲホゲホと咽せる者が出始めた頃、街の中でも頭一つ飛び抜けて大きな橋の前にたどり着いた。
「ラスティ様! あそこを抜ければ南の大橋はすぐそこです! 今しばらく辛抱を!」
「分かっている⋯⋯。あまり大きな声を出すな」
青い顔をした彼女はゼェゼェと息を切らして額の汗を彼の背中で擦り、肩越しに正面を見据えた。
「なんだと⋯⋯?」
彼女の視界には、橋を覆い尽くすほどの白い蛇が無数に広がり、更に橋の手すりの下からも無数の蛇が湧き出ていた。
「待ち伏せ⋯⋯と言うわけか⋯⋯小癪な」
「ここは⋯⋯引き返しましょう! 迂回すれば道はまだありま⋯⋯す⋯⋯?」
ラスティを背負う彼が後ろを向くと、通って来たはずの道は白い蛇が覆い尽くし無くなっていた。
「正面突破⋯⋯と言うわけにも行きませんね。咬まれたら瘴気を打ち込まれて俺たちはイチコロですよ」
「かと言って後方にはどれだけの戦力が集っているか分からぬ。それに既に足手まといが一名⋯⋯か。ふふ、はは、はーっはっはっはっはっはっは!」
肩を震わせた後、大口を空へ向けて高笑いをするラスティに人々はぎょっとめを見開いて彼女を見つめる。
「面白い! この局面、我が正面を切って血路、とやらを切り拓いて見せようではないか! お主らは我の後に続くが良い!」
「お待ちください! もうラスティ様のお体は⋯⋯」
「とうにあの場で果てる筈だった死に損ないだ。少し生き延びただけで、蛇に咬まれようと瘴気に侵されるようと、我はもう長くは持たんだろう」
はぁ、はぁ、と荒れる息を深く吸い込み呼吸を整えた後で、彼女は更に続ける。
「それよりも、まだ懸命に生きようと、人を守ろうと足掻いているお主らの方がよっぽど未来があるだろう! なればこそ、我はこの身に代えてもお主らを生かす価値があるという物よ」
言い終えると、ラスティは男性騎士の背からピョンと軽々と飛び降り橋の木目に足を掛けて己の全て出し尽くす、とばかりに練り上げた魔力で生成した水の球を自身の周囲に展開して白い蛇を睨めつける。
「散々我が領地を踏み躙ってくれた報いは受けてもらうぞ! いざ、ラスティ・アーランド! 推して参る!」
止めようと伸ばした彼の腕をすり抜けて、腰の剣を抜き放ち、まるで鬼神の如き表情をした幼き少女を食い散らかさんと、牙を剥き出しにして迎え撃つ白い蛇が衝突する。
先に声を上げたのは蛇達の方だった。
「遅いッ!」
全身に水の膜を張ったラスティの突撃に押しのけられ、次々と魔物達が橋の脇から落下していく。
しかしながら、一万を超える蛇を叩き落とすには威力が足りず、半分ほど進んだところで阻まれる。
「ぐああぁっ!」
ラスティは水の膜を食いちぎられ、腕から血を流して呻き声を上げた。
彼女の腕には赤黒い霧のようなものが纏わりついて侵食を始めていた。
「来るな! まだ道は開けていない!」
にじり寄る彼らを手で制し、ラスティは懸命に正面に左手を向けて水の弾丸を放つ。
正確無比な射撃によって頭を貫かれた蛇の魔物達が次々と橋の下へと落ちていくが、それは全体から見れば微々たる物でしかない。
「くそっ! キリが無いではないか!」
「退いてください! 我々も一緒に戦いますから!」
「お主らも瘴気を吸いすぎて限界であろう! 足が震えてあるではないか!」
言われた彼は自身の足に目を向けると、確かにその足は震え、呼吸も非常に困難となっていた。
「⋯⋯これで終わりにしてくれよう」
ラスティが全身全霊を持って正面に手を向け、集中すると、彼女の肩を引っ掴んで前線へと躍り出る姿があった。
「そんな事、させられませんって」
槌を持った彼が横薙ぎに払い、まとめて蛇を橋から叩き落とす。
「ば、ばかもの!」
「バカで結構! けれど、覚えておいてください。そんなバカがこの街には沢山いるって事を。そんで、たまには思い出してもらえるとめちゃくちゃ嬉しいですね」
ニヤリと笑いかける彼に続いて剣や斧、槍を持ち決死の突撃をする彼らをラスティは必死に止めようと手を伸ばすが、全霊で行っていた魔力の放出を止められたうえ、更に瘴気を吸ってしまった為にもはやその足を動かすことすらままならない程に達していた。
「や、やだよ!みんな! 死んじゃ嫌だ!お願い! 誰でも良い! 誰か助けてよぉぉおおおお!!」
勇ましさの仮面が剥がれた年相応の幼い少女が天へと声を上げて、涙をこぼして慟哭する。
その声が聞き届いたかのように、水上を走る三人一組の人影が橋に向かって猛スピードでやって来た。
「イリス! こっちで合ってるんだろうなぁ!?」
「まかせて。かんがつげてる」
「あぁ。そろそろ信じるぞ、それ!」
「ほらね。あそこ、なんか、へん」
「うわ、気持ち悪っ!? あのど真ん中に跳ぶからなぁ! 舌噛むなよ! せぇぇぇえのぉぉぉおおっ!」
レミとイリスを両手に抱えたクロが、イリスの作る氷の道の上を滑るように駆け、一歩大きく踏み締めて足元の氷に大きなヒビを作り、特大の跳躍を見せて泣き叫ぶラスティの前へと到着する。
二人を腕から降ろしたクロはきょろきょろと辺りを見回した後、ラスティの頭を優しく撫でた。
「よく頑張ったね。後はお姉ちゃん達に任せてくれ」




