16:異臭と大蛇と水の都と
それから小一時間程香油を塗っていたが、結局レミの声は戻る事はなく効果は実感できなかったが、彼女は満足そうな顔を浮かべ、メルナを連れてクロ達の部屋を出て司令室へと戻り、大型戦艦フューリーが船体を浮かべて出航した後。
彼女達を見送ったクロはイリスと共に甲板へ出て、フューリーが裂く荒野の風に吹かれながら、前方の小さな黒い粒のように見える街を眺めていた。
「おお、ホントに荒野のど真ん中に街がある!」
叫んだクロに感化されるようにキラキラと目を輝かせたイリスが彼女のそばに寄ると、少しして顔を顰めた。
「すごい!⋯⋯けど、なんかへん。それに、くちゃい」
街の方向から漂う腐臭に、フォゲルナの街のギルドに足を踏み入れた時と同じようにイリスが鼻を摘んでそう言った。
その悪臭の度合いは、あのギルドの酒気を帯びた臭いとは比べ物にならないほどの臭いであった。
「ああ。水の壁が街の象徴って話なんだが⋯⋯アレじゃあ病も悪化しそうだな」
クロが目を凝らして見つめる先には、赤黒い水が湧き上がり、その様相は街の壁というよりも、監獄みたいだ、とさえ思えた。
「なか、はいる?」
「そうだな。この臭いの中には長居したくないな」
げんなりとした表情の二人が再び司令室へと戻ると、頭を抱えるネメアの姿があった。
「どうしたの?」
心配したイリスが彼女へ駆け寄ってネメアの顔を覗き込む。
ネメアはその金色の髪をくしゃりと掻き、クロ達以上に眉尻を下げて溜息を吐いた。
「いや、こうも問題続きだと気力も体力も保たないってものさ。はぁ⋯⋯それじゃあ今回の任務の話をしようか」
クロ達は四人掛け程度の丸テーブルに据え付けられた椅子へ座るようにと促され、レミを交えて講義を聞くこととなった。
「さて、とはいえボクたちの持つ情報は少ないね。まずは先の説明の通り、水の都と呼ばれるほどの潤沢な水が荒野の真ん中で手に入るために、その水を求めて人が集まり街になったという事。そしてその水はやがて街の中を渡る水路になり、それを活用した農業や運送業が発達したわけだ」
腕を組み街の歴史を語るネメアはしかし、と続ける。
「クロ君たちから聞いた話によると街の方角から漂う原因不明の腐臭と、こちらでも確認した通り街を守る水でできた防壁は赤黒く染まっているという異常事態だ。クロ君とイリス君は申し訳ないけれど、この街、ファウンティの現地調査は迅速に行ってもらいたい」
こくっと小さく頷いたクロ達を尻目に、ネメアが目を向けたのは、目を点にしたレミだった。
「レミ様はいかがなさいますか?街は明らかに異常事態に見舞われています。艦内にいる方が安全だと思われますが⋯⋯」
ネメアの問いかけにレミは強張った表情で手元の画帳に筆を走らせると、それをパッとネメアに見せた。
『私も一緒に調査のお手伝いをしたいです!』
力強く書かれた文字に、ネメアは小さく頷いた。
「船の中に籠っているよりは外で活動した方が良いのかもしれませんね。⋯⋯クロ君、イリス君。彼女を改めて頼むよ」
そう言われたクロ達が敬礼を取った次の瞬間、進行方向の少し先の地面が割れ、体長十メートル程はあろうかと思われる大蛇がチロチロと舌を出して威嚇する。
「な、なんだ!?」
ぐらぐらと揺れる船体の中でイリスを抱えて踏みとどまったクロは、シフィのドスの効いた声を拾い上げる。
「真下から襲えば良いものを。わざわざ真正面からなんて、随分と余裕を見せつけてくれますわねぇ?」
『あー、リア。聞こえているよね?砲撃の準備はできているかい?』
『バッチリっすよ!いつでもぶっ放してもらっていいっす!』
シフィの怒声を聞いていたネメアが今後の展開を予見して準備へ取り掛かると、シフィは我慢ならないとばかりに前方を指差して声を張り上げた。
「第一主砲、砲門開けぇ! 外す事は許さん! 撃てぇ!」
凄まじい音と振動を響かせた、クロの頭をゆうに超える大きさの弾丸は空を駆ける中で豪雷へと変貌し、大蛇の眉間を貫いてその身体を微塵も残さず消し去った。
黒く焦げ、赤熱した大地と天へと立ち昇る黒煙を見て、シフィは懐からハンカチを取り出してヒラヒラと振った。
「あらあら。私とした事が張り切りすぎてしまいましたわ」
彼女の勇ましい姿に驚きを隠せずにいたクロとイリスへ、ネメアが声をかけた。
「そのうち慣れるさ。さあ、そろそろ位置へ着くよ。準備しておくと良い」
二人はコクコクと小刻みに首を縦に振って、自室へと戻るのだった。
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「さて、ここからどうするか?」
フューリーから降りて、船体が遥か上空を過ぎて行き、街から少し離れた位置へ停泊する姿を見届けた三人は顔を見合わせて渋い顔をした。
「前回はネメアが居たから学者と助手ってことですんなり通れたけど、今回は⋯⋯」
うーむ⋯⋯と頭を悩ませているうちに三人は、大きな門の前にたどり着いてしまった。
フォゲルナの街では己の住む村から逃げ延びた人々が列を作っていた門前だったが、この街ファウンティの様子は打って変わって、クロ達を除いて人の姿は見当たらなかった。
「流石に異常だよな⋯⋯? 衛兵すら置いてないなんて」
そう呟いたクロの視線の先には見上げる程に大きな荘厳な鉄で出来た門が聳え立っていて、フォゲルナの街と同じく門の右下にはヒト用の通用門が存在していた。
「あ、これ開くわ」
クロがそれに近づいて扉を軽く押すと、ギイっと軋む音を立てて開かれた。
「うわぁ⋯⋯」
開かれた門の先には、一本の巨大な川が無数の水路に分岐しており、その上には幾つもの色とりどりの鮮やかな橋が架けられている。
水路に面した家屋がズラリと並ぶ姿は、まさに芸術といっても過言ではない。
興味津々、といった様子で爛々と目を輝かせたクロは橋の上に立ち、手すりに手をかけて身を乗り出して水路を覗き込むと、
「オロロロロ」
昼に食べたばかりの食事を胃液と共に水の中に吐き出した。
「クロ、どうしたの!?」
「待て、イリス! 来ちゃダメだ!」
「そういわれるとぎゃくに、きになる」
「待て! ホントにこれは⋯⋯」
クロが耐えられなかった、という実績に惹かれ、イリスは静止も聞かず橋の手すりにお腹をつけてよじ登り、真下を流れる水路を覗き込むと⋯⋯
「「オロロロロロ」」
ふさふさの耳ごと、その身を橋からぐったりと乗り出して、二人は水の中へと嘔吐するのだった。
『あの、大丈夫ですか?』
キョトンとした表情のレミが近づいてくると、手の中の画帳に文字を書き、心配そうに眉尻を下げて二人へ見せた。
「レミ様はなんともないんですか!? うっぷ」
ぐったりとしながらも、鼻を摘んでなんとか声を絞り出したクロへ、レミは首を傾げた。
『特になんともありませんよ?』
「クロ、もしかしたら、このにおい、しょうきのせいかも」
「ああそうか。だから浄化の魔力を持つレミ様には⋯⋯」
「うん」
二人の回話を聞いていたレミは物は試し、と彼女達の手をとって己の魔力を流し込む。
先程まで青白かった二人の顔は、みるみるうちに赤みが差し、萎れた尻尾もピンと張られ、その活力が戻った事を示した。
「ふぅ。レミ様、すみません。助かりました」
「ん。ありがと」
二人の感謝の言葉に、レミは逆に申し訳のなさそうな顔でブンブンと両手と銀の髪を横に振った。
手が離れた事により浄化の魔力が遮断され、二人の、人間よりも数倍鋭敏な鼻腔には外に流れるよりも一層強烈になった激臭が⋯⋯。
「「みゃあああああああああ!」」
叫んだ二人に「ご、ごめんなさいぃ!」という幻聴を聴かせるほど申し訳なさそうに眉を下げたレミは、即座に彼女達の手を取って魔力を流し込んだ。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯気絶するかと思った⋯⋯」
「ふふ。クロ、へんなかおしてた」
「そうかい。⋯⋯口の端にブツ、付いてるぜ」
笑みを浮かべる元気が戻って来たイリスに、クロは紺色のスカートのポケットからハンカチを取り出し、くしくしと口元を拭い取った。
「ん」
イリスの口元が綺麗になったのを確認し、クロは頭を掻いてため息を吐いた。
「しっかしなんにんだこの街は? だれも居ないし」
「クロ、たぶん、あれのせい」
あれ、と指差す先にはフォゲルナの街で見たような空にかかる暗雲を貫く安寧の塔が聳え立っていた。
しかし、その塔をよくよく見ると、明らかにクロの知るそれでは無かった。
「うん⋯⋯?え、な、なんじゃありゃあ!?」
ぎょっと目を見開いたクロの視線の先には、人を守る為に、と建造された塔が全長五百メートルはゆうにあろうと思われる巨大な白い蛇に螺旋を描くように、天へ向かって巻き付かれていた。
「色が同化してて分からなかったのか。それに⋯⋯」
その蛇の尻尾の先が水の湧き出す池へ浸けられ、じわりと赤黒いモヤが水の色を変えていた。
「凄いぞイリス! よく分かったな!」
クロはレミに回り込み、空いている左手でイリスの頭を撫でると、彼女は照れ臭そうに細めた目を逸らした。
「ただの、かん、だから」
「まあまあ、そう言うなって! 実際この異変の原因を掴めたんだから凄い事なんだぞ?」
キャッキャと戯れるクロとイリスに、レミは困り顔を浮かべるのみだったが、やがてハッとしたクロが彼女にぺこりと頭を下げる。
「す、すみません」
レミが銀の髪を振って気にしないでくれと示し、それよりも、とレミの何か言いたげな表情を察したクロがイリスに息を止めるように促した。
手を離したレミはさらさらと筆を走らせて画帳を二人へ見せ、すぐに手を繋ぐ。
『それよりも、アレをやっつければ終わるんですよね?』
「ぶはぁ!⋯⋯そうだと思います。何はともあれ、すぐにディピスに乗ってアイツを⋯⋯」
「貴様ら! 何をしておるか!」
声を張り上げてズンズンと近づいて来るのは濃緑色の軍服に身を包んだ、イリスよりも更に一回り小さな少女、と呼ぶよりも幼女と呼ぶ方がふさわしい程度の身長の女の子だった。
彼女は短く黄色味を帯びた白い髪を振り乱して、クロ達を指差した。
「おぬしら、ここらじゃ見ない顔だな? さては他の村から逃げ延びて来たな?」
ここは話を合わせよう、という目配せに一同は頷いて返すと、クロが代表して話を返した。
「私はクロ・リュミナーレと申します。実はここより少し東の、マルーダ村、という所から来まして、なんとか援助を願えないか、人を探していたところなんです」
「ふむ。マルーダ村か。あそことはよく取引をさせてもらっているが、そこまで瘴気の侵食が広がっているとは⋯⋯よかろう。それなら我々の避難所へ来ると良い」
クロ達三人は顔を見合わせると、踵を返した彼女の後へと、とりあえずは着いて行くことにした。
「あっ⋯⋯すまない。申し遅れたな。我はこの街の領主であり、街長を担っている、ラスティ・アーランドという。よろしく頼む」
振り返ることもせずに、前方への警戒を解かない彼女に、イリスが口を開いた。
「わたしはイリス・ガルア。よろしく。こっちのひと、いま、しゃべれないから」
イリスの紹介にレミは小さく頭を下げ、ラスティはふむ、と顎に手を添えてまじまじとレミを観察した。
「⋯⋯病か?療養地としても有名であったからな。確かに、この地を避難場所へ選んだのは間違いは無いと思うぞ。⋯⋯一昨日まではな」
ごくりと喉を鳴らした三人の前には、橋の下にある壁の前で、腰に提げた剣を突き刺すラスティの姿があった。
彼女がそれを時計回りに回すと、解錠の音が響いた後、石造りの壁がジャリジャリと擦れる音を立てて開かれた。
「ここは“もしも”を考えて作られた避難場所でな⋯⋯詳しくは中にいる我の部下、ネフィルという女騎士に聞くといい」
それだけ言ってラスティはクロ達へ背を向けると、元来た道を引き返そうと足を踏み出すが、クロがそれを引き止める。
「ラスティさんはどちらへ?」
「我はまだ街に残っている人を探しに行く。外は小さな毒蛇の魔物が溢れていて危険だ。くれぐれも外に出ないようにな」
今度こそ、とラスティは助走をつけて大きく跳躍し、側を流れる川の上に立った。
よくよく彼女の足元を見てみれば、水面に魔法で作り出したブロック状の水の塊があった。
「ではな、また会おう」
「ありがとうございました。どうかご無事で」
クロ達に見送られながら、ラスティは川の流れに逆らうように次々と水の塊を配置し、その上を飛び渡りながら去って行ってしまった。
「とにかく事情を聞こう」
クロの言葉に頷いた一同はラスティの開け放して行った扉の中へ、慎重に進む。




