3.
それは、辰昭の17歳の誕生日だった。
「姉さん、遅ェですね……」
岸壁地帯の端に位置する、シィの家。その家の窓からは、傾きかけた夕暮れの、オレンジ色の光がよく見える。
辰昭は人間であるため、魔族の領域であるこの地では、あまり出かける事はできない。今日のこの日も、庭の畑や家の掃除などの日課を終え、空き時間を家でのんびり過ごしていた。
その日、シィは今朝早くから外出していた。というのも、それは辰昭の誕生日のため。毎年、彼のその日になると、彼女は街で少しだけ立派な食材とプレゼントを仕入れてきてくれる。
今回も血の繋がらない姉は、辰昭のためにとそう言って出かけていった。しかしいつも、日が傾くまでには帰ってきており、そのため彼は少しだけ心配な気持ちでその帰りを待っていた。
「(ちょっとだけ様子見に行くと致しやしょうか……)」
別に、他の魔族とは馴染めないとは言っても、姉は一応街では特に問題無く物事を片付けてくる。そのため、何かトラブルに巻き込まれると言っても、あまり遅くなる事は考えられない。
だから、今回ちょっと遅くなっていると言っても、大したアクシデントが起こっているわけでは無いと、辰昭は思わなくもなかった。せいぜい、少し買いすぎて手こずっているとか、そんなところだろうと、この時彼は考えていた。
――8歳の頃とは、体格も大きく変わった辰昭。一方、シィの姿は出会った当初と変わらない。魔族は人間よりも緩やかに歳を取っていくらしく。9年の歳月が経っても、姉の外見は人間で言う十代半ばだった。
腕力も、今では辰昭の方が強くなっていた。何年か前から、力仕事は彼の仕事になっており、年々シィの役に立てている事が増える事に、彼は嬉しく思っている。
だから今回も。自分の成長を、道中手こずっているであろう彼女を手伝えば見せる事ができると、外出を決めた。そんな気持ちで、一応フードつきローブを目深に被って、彼は街への街道を辿っていく。
丘を一つ登り切ったところで、遠方に黒煙が見えた。
一瞬、辰昭は状況を飲み込めなかった。
幾ら出歩けないといえど、彼はシィと共に散歩くらいには出る。この丘のてっぺん辺りまでは他の魔族も滅多に来ないため、度々ハイキングコースとして使っていた。
だから、あの黒煙がどこから上がっているものなのかは分かった。分かってしまった。
「姉さん……!」
それは、シィが度々買い出しに出かけている街。丁度、今日もそこへ行っているであろう事は分かっている。
辰昭は走る。立ち上がる黒々とした煙は、夕焼けも相まって、まるで空を焦しているかのようだった。それが、彼の不安をより色濃くさせていく。
勿論、街へそのまま赴くのは、避けるべき行為。爪も牙も翼も尻尾も、そして何より魔力も無いが故に、他の魔族に見られてしまえば、辰昭は自らが人間であるとバレてしまうだろう。
しかし、今彼の頭にあるのは姉・シィの安否のみ。走るのに邪魔になったローブを脱ぎ捨て、一目散に街まで走る。
――そうして無我夢中で走り続け。そして辿り着いた辰昭は、街の惨状を目にした。
「何ですかァ、これは……!?」
だから、燃えさかる家々。倒れている安否不明の魔族達。魔族の街を初めて見る辰昭でも、これが正常な街の様子だとは到底思えなかった。
そんな中。露店の先に、放置された見覚えある一台の荷車を辰昭は目にする。
側面に、切り傷のような跡があるそれ。それはかつて、辰昭がよろけてクワを当てて付けてしまったものだ。
それは、まだシィがこの街に居る証拠だった。そして、その荷車には買ったばかりと思しき食材――。
「姉さん! 姉さんッ!」
火と煙のニオイが充満する街中で、大声で呼びながら辰昭はシィを探しはじめる。だが、返事は無い。そうして数分。その中で、必死に探し続けていた。そんな時だった。
「アダイのォ、立派なドラゴンをォ! 見せつけてやるワよォ!!」
街に反響する、男の声。空気を震わせる、その余波のようなものを辰昭は感じる。
「(嫌な、予感がする……)」
怖気、とでも呼ぶべきものだろうか。妙な寒気を、辰昭は背筋に感じていた。
しかし、だからと言って姉を探すのを止めるワケにはいかず。正体不明の悪寒を背負いながらも、その声の方向を頼りに、引ける腰を無理矢理言う事を聞かせて向かった。
そして――そこに、姉のシィはいた。
「(姉さん……!)」
街の住人達と思われる者共と共に。広場に、一斉に縛られ、纏められ。
そしてそこには住人のみならず、この状況の元凶らしき人物がいた。中央に、魔族らしい禍々しい銅像が立つ広場。しかしその銅像を、まるでお立ち台のように使う一人の男が立っている。
「……!?」
恐ろしく体格の良い男だった。身長2m越え。一見脂肪が多いように見えて、その実盛り盛りな筋肉。それを惜しげも無く見せる服装。頭頂部にちょこんと、ちょび髭のように髪があるのが、最低限のチャームポイントと言うべきか。しかし恐るべきはその服装である。
上半身。ほとんど裸のようなもの。申し訳程度に着ているのは、まるで下着を連想させるような黒い鎧。肩当ては無く、そして両胸部それぞれ先端部分には謎の針がついている。
そして、肝心の下半身なのであるが――……、
「ヲホホホホ! 見て御らんなさァい! これがアダイのォ! 立派なドラゴンよォ!」
なんと! 何も履いていないのである!
「(なんなんですかァこの変態ァ!?)」
それは恐るべき光景であった。街に損害を与えつつ、住民達をかき集めて。そして、デカい男がその自称“立派なドラゴン”を皆に見せつけている!
辰昭は――困惑し、一瞬固まった。一体何なんだこいつと、思考が停止する。しかしすぐにはっとなって、姉の状態を確認。
姉は、目を閉じて必死に顔を逸らしている。そりゃそうだ。だが、そんな姉に、変態の部下らしき痩せたモヒカンが近づいてゆく。
「オラオラ! ナニ顔面逸らしてんだヲォン!? オンレ達の親分、ベニ様のご立派なドラゴンからカオ逸らすなんてェ、シッツレイだと思わねェのかヲォン!?」
モヒカン男は姉の頭を掴み、無理矢理前へと向かせようとする。その瞬間、隠れて様子を伺っていた辰昭は、ハラワタが煮えくり返るような怒りを覚えた。
「(姉さんにテメェのその汚ねェ手で触れてんじゃねェですよォッ!!)」
拳を、指の骨が軋むほどに、辰昭は握りしめる。今すぐにでも飛び出して行って、モヒカンと変態を殴り飛ばしてやりたいところだった。
しかし同時に、姉の危機的状況だからこそ冷静でもあった。モヒカン頭は、その一人だけではない。何人ものモヒカンが住人達を、人質を取り囲むテログループのように見張っており、多勢に無勢。ボスらしき変態だって、あまりにも体格に差がありすぎる。
「なァンですってェ!? アダイのドラゴンをォ、目に焼き付けないヤツが居るですってェ!」
人間ではあり得ないような、ビリビリと響く声量に。辰昭は思わず耳を塞ぐ。
「魔族風情がァ、このベニ様の立派なドラゴンを拝めるすンばらしい千載一遇の機会をォ! フイにしようって言うのォ!? ドコのドイツゥ!?」
「へェ! このオンナァですァ!」
「なァにィ!? このオンナァ!?」
辰昭は、まずい、と思った。姉に、矛先が向いた。
「(他にも顔逸らしてるヤツがいらっしゃりやがりますでしょうがァ!)」
他の女も、一部男も顔を逸らす中。何故かシィが標的になり、辰昭はさらに焦る。
そんな彼の心情など、全く知らぬ変態。像の上から、ズシンという音と共に降り立ち。のっしのっしと、下半身を露出したままシィの元まで歩いて行く。
「(おふざけ遊ばされんなでごぜェます! ぼくの姉さんになんてモンを……!)」
多勢に無勢。体格的にも不利。どう足掻いても、正面からただの人間が乗り込んでいったところで、どうにかなる相手とは思えなかった。
しかし、冷静さというものにも限界がある。臨界点を迎えた時、それは理屈をかなぐり捨て、利口さの欠片もない行動に出させてしまう。
つまるところ、である。辰昭は、我慢の限界だった。
◆
「何なんですかあの変態ァッッ!!?」
アクマが。あの、ふざけ倒して俺をおちょくってばかりいたあのアクマが。とんでもなく驚いた様子で画面を指さし、そう叫んでいた。
「え? いや、え? え? え? 待ってください!?? あんなヒトこの世界に居ませんでしたよね!? 誰ですかアレ!?」
「……作った」
「作った!? え、カミサマああいうのがシュミなんですか!?」
「違う! 断じて!」
俺氏。全力の否定。
「ヒトのごシュミにとやかく言うのもオカシーとは思いますけれども! 流石にごシュミがよろしくないのでは!?」
「だから違うんだっての!」
俺まで変態と思われたらかなわないと、アクマに必死に弁明する。何でアクマに懺悔する形になってるんだ。
「辰昭少年に危機感を覚えさせる必要があったんだって! 俺が予定してる流れにするには、彼や身近で親しい人物に危険が訪れる必要があると思ってだな!」
「いや、確かにお姉ちゃんの危機ですけど! こう、何か他に無かったんですか!?」
「ねぇよ!」
「即答!?」
当たり前だろうがと、俺は返す。
「怪我させたり死ぬような展開にしたくなかったんだよ! だったらもう、こんな変態の人間を作ってあそこに投入する他無いだろうが!?」
「そうですかねぇ!?」
これがもし、人でなしのカミサマであれば。死の危機に瀕するような、あるいは死んでいるような事に、間違い無くなっていただろう。少なくとも、俺が最初に思いついたのはそういう手段だ。
人間が街に侵攻してくる。魔族達は虐殺され、シィも大怪我をする。それにより、辰昭少年は現状を危ぶみ行動する。ぶっちゃけ、危機感を煽るという結果を求めたければ、これが適切だろう。命の危機に勝る危険など、そうはない。
しかし、それは俺自身の倫理観が許さなかった。だから、命ではなく別方向の危機をやむなく発生させる事にした。大丈夫だ。貞操の危機はギリギリない。あの変態は、少なくとも誰かを死なせるタイプではない。死なせたら人前での露出ができないのだから。
「というか、一億歩譲ってアレが必要だったとしても! そこから先、どうなさるおつもりなんです!? なんか、もう、色々サイアクじゃないですか!?」
「最悪なのは分かってる。――だが、まあ、見てろ」
「立派なドラゴンをですか!? セクハラですよ!?」
「そうじゃねーよ! 辰昭少年の方をだよ!」
正直、他にもっとやりようは無かったのか、というのは、俺自身も感じている。羞恥に顔が今滅茶苦茶熱いのが、その証拠だ。
だが、後悔はしないだろう。これが俺の選んだ、やり方だからだ。
――とりあえず、画面にはモザイクかけておくか。




