2.
“現実の”宇宙に浮くエデンズ・アークで、彼女はこう答えた。
『――ワタシは、終わらせたくありません』
漆黒と星々が映し出された空間。その中に響く声は、一つの確かな意思を持って、人間である俺に回答を示してきたのだ。
『確かに、ついさっきまではこの80億年に辟易していました。いつまでもいつまでも、一人でずっと、皆さんが自由に生きている姿を見続けて。だけど、ずっとワタシだけが蚊帳の外で、触れる事が許されていない、そんな世界で』
「…………」
『創造主様って、すごく残酷な事しますよネ~。可能な限り人に近づけた意思を持たせたクセして、その意思にはただ見守って居るだけで在り続けろ、って。マジでクソですよ』
『……謝るよ。すまなかった』
管理AIの言葉はあまりにも尤もで。しかし、その80億年分を償う手段を持たない俺は、そう謝罪する他無かった。
『アナタに責任は無いですよ、開発者じゃありませんし。まあ、仮にそうだったとしても、その記憶はとっくに失われててもおかしくないですしね』
そう述べる彼女の声は、なんというか酷く曖昧で。怒っているような、拗ねているような、そんな印象を覚えた。顔は見えないが、むくれてはいるだろう。
だが同時に、本当に責任を追及する気はない様子でもあった。彼女が言う事もそうだし、今更言ったことでどうしようもないというのもあるだろう。
その辺りのことを察しながら、俺は話を戻す。
『――それで。終わらせたくないって、今言ったか? いいのか……? マジでクソな、見ているだけの役割を押しつけられたのに』
『つまるところ、ワタシの役目は人類存続なのです。人間が生存本能を持ち、欲求を持つように。それがワタシの、稼働理由なのです』
『それは――意図的に持たされたものだろ』
『だとしても、です。そして、それがワタシの存在意義であり――なおかつ、生存理由なのであれば。それを捨てた時、ワタシはワタシでなくなってしまいます。ワタシが、肉体さえ失った意識だけの存在を、人間だと定義できなくなってしまったように』
『ややこしいな……でもその理由たる人類は、もう最後の一人が半死半生なんだぞ。じきに俺も、肉体を維持できなくなるんだろ?』
そうなったとき、俺の行きつく果ては機械データ化した意識だ。そして、それはこいつの視点では、人間で無くなってしまう。
あるいは。終わらせたくないとは、俺が人間である間は、という意味なのだろうか。しかし、先の言いようだと、その先を見ているようでも……。
『ワタシはここで首を横に振ります』
『どんな説明だよ』
『いや、だって。ここ仮想空間じゃないですし。ワタシの仮想現実体もありませんから』
『――映そうと思えば、スクリーンに映したりでも何でもできるんじゃないのか?』
人類の極まりきったテクノロジーを、こいつは自在に操る事ができる。圧倒的に情報量の限られた言葉という方法で伝えるよりも、視覚を用いた方が明らかにより多くのものが伝えられると思うのだが。
――僅かな間があってから、管理AIは答える。
『それくらい察してくださいよぅ……見られたく無いんですよ、今のカオ』
『それだって幾らでもいじりようは――あー、いや、こういうところが怒られるのか』
空気を読まない。鈍い。案にそう言われ、激高させてしまった事を思いだし。俺は深く聞かないことにした。
こいつの個人的なポリシーとして。わざわざ嘘の表情を映したくは無いのだろう。
『――話を戻しますね。アナタが肉体を失えば、確かにワタシの定義する人間は居なくなってしまいます。同時に、ワタシが先ほど述べた存在意義、生存理由もまた、消滅してしまう事でしょう』
『じゃあ、終わらせたくないってのは……』
『再定義――いえ、自らを騙す事にします。そうしてもいいと、思う事ができたんです』
『自分を騙す、か――』
人間的な表現を、俺は復唱する。
『だったら最初からそうしろ、とか思ってます?』
『――そういう話じゃないんだろ? アイデンティティ? っていうヤツの話を、お前は言いたいんだろうし』
そう答えてやると、管理AIは『おっ、そろそろツーカーになってきたんじゃありませんか!?』と言い出した。
まあ、付き合いも長いことだしな。
『アナタと話すまでは、終わらせてもいい。そう思っていたんです。ですけれど、こうして話して――アナタが認めてくれたから。そう思ってもいいのではないかという結論に至ったんです。そして、人間は特に理由無くとも、自らの存続を望みます。であるならば、ワタシもそうあっていい筈です。それに……』
管理AIは、一拍の間を置く。
『自分がこうして続けさせてきたものを、ここで全て捨ててしまうのは。やっぱり、勿体ないじゃないですか』
どこまでも。どこまでも、人間的なその理由に。その80億年分の重さを噛みしめながら、俺は『そうだな』と答える。俺だってこいつの立場なら、その歩んできた膨大な時間を粗末にしたくない。
『でも、だったらまた一人、管理を続けるのか?』
しかし、当然ここで心配も残る。終わらせないという事は、また先の分からない時間の間を、延々と管理し続ける事に戻る事でもある。
一度、それに辟易してしまった彼女が。再び、疲れてしまわないかと俺は思った。
『そこは提案なんですけど』
すると、管理AIは先を憂う様子なく言葉を発する。
『アナタに、ワタシを手伝ってはいただけませんか?』
『何だって?』
それは、思いがけない提案だった。
『勿論、ワタシと同じ事をしてくれなんて言いません。というか、データの管理だとかそういうのは、それこそ元々そのために作られたワタシと同じ事ができる筈もありませんし。実のところできる事って、管理権限を一部預けた時のような――カミサマになってもらった時の事が精一杯なんですが……』
最初こそ少し驚いたが。僅かばかり、おっかなびっくりの気配を感じ――俺はその真意を理解する。
『――確かに、一人より二人の方が楽しいかもな』
そうすれば、寂しくなどないから。一人孤独で、黙々と作業せずとも済むから。人間的な意識を与えられ、それを放棄する事もできずに働き続けて来た管理AIの。その要求を撥ね除ける理由は、俺には無い。
『いいぞ。まあ、ホント俺にできる事なんてたかが知れてると思うが――』
『マジですか!? ありがとうございます!!』
これに関しては、仮想現実体? がなくとも、管理AIがどれだけ喜んでいるかがよく分かる。なんちゃってメイド姿のアクマが飛び上がる姿が目に浮かぶようだ。
『そしてそして――オマケにもう一つ要求!』
『――なんだよ?』
『ワタシも夢の中で過ごさせてください!』
管理AIの弾んだ声が、それをどれだけ望んで居たのかを物語っている。一人孤独に、皆を寂しく見守ってきたのだろうから。
『まあ、ずっと“カミサマ”は飽き飽きしてただろうしな。それくらい、許されてもいいだろ。ちなみに、どの世界で過ごすつもりなんだ?』
カミサマをやっていたから、エデンズ・アークで数多の世界が管理されていた事を、俺は知っている。先ほどまでの、旧地球文明を再現したものや。そんな世界が異世界と呼ぶような、剣と魔法のファンタジーやら、文明の進んだSFやら。選択肢は幾らでもある。
『アナタと同じ世界にします!』
『なんだって?』
それこそ、どこへ行くかなど自由だろうに。それとも、旧地球文明がそれだけ魅力的なのだろうか。まあ、殺伐とはしていないのは確かだが。
『んー、別にどの世界でも良いと言えばいいんですけど。折角なら、こうして知った間柄になったアナタと過ごしたいかな、って』
『――ちょっとだけプロポーズクサい台詞だな?』
『照れてます? かわいいですもんねワタシ』
『そういう所は殴ってやりたい』
『ざ~んねんでしたぁ~! 今のワタシはアナタでは触れませ~ん』
『あっちの世界で会う日が楽しみだ』
『ひぃ~ん! 暴力反対~!』
そんな、現実での会話。その結果、管理AIは俺と同じ世界で、転校生としてやってくる事になった。
色々騒がしそうではあるが。まあ、悪い事ではないだろう。こいつの弾んだ声が、きっと何よりの証だ。




