178.
視界に、光が宿った。
強烈な眩しさ。そんな文句が似合うほどの、目に刺すような強い光。暗がりに、突然照明が灯ったように。白色の閃光が強く目に突き刺さる。
「う、ぅ、ぁぅぃぃ……」
これは、俺の声か? かすれた、弱々しい声。自分のモノとは思えぬような、まるで別人のそれを聞き間違えるような、その声。
しかし、喉から顎を伝って耳に届く振動が、俺の疑問を肯定する。“現実”を疑うような気分になったが、それは紛れもなく俺自身の声だった。
光に、視界が直に慣れてくる。
眼に映るは、ずらりと並んだ透明のカプセル。サイズはかなり大きく、自分の体をすっぽり入れてゆったりと余裕があると思える程。円筒形のそれが、まるで弾帯のようにずらりと右から左。こちらと向かい合うように並んでいる。
しかし、それらのカプセルの中身は。全て空っぽであった。人一人おさめるには充分である筈の透明なカプセルだが、その全てに誰も居ない。
そこにはかつて人が居たのだと、そう思えた。横たえられていたと思わしき形に、シーツが人型に窪んでいる。身体を固定するためだろう。思えば、俺の手足も、胴体も、頭も。同じように固定されているのを知覚できる。
そう、今俺は、目の前にあるカプセル達と同じようなものに、収納されている。
しかし、俺はその状況に対して冷静だった。パニックを起こすことは一切無い。なぜなら夢の中で、今の状況を聞いていたから。
――俺を入れているカプセルが、僅かな振動をした。
向かい合ったカプセルの間にある隙間。その細い廊下とも言うべきその間に自らの入っているカプセルは収まり、俺は移動させられる。きっと、管理AIが運んでいるのだろう。
俺は永き夢から覚めた、ぼーっとした頭で。ずらりと並ぶがらんどうのカプセルを眺めながら、その動きに身を任せた。
――そして俺のカプセルは。途中で一度止まる。それと同時に、身体が浮遊感に襲われる。
すっかり忘れていたが、ここはやはり宇宙空間なのだろう。ならば何故、先ほどまで身体に重力的な負荷を感じていたのかは分からないが、どうせ考えても分かるまい。俺は、管理AIが動かすままに、カプセルの中で大人しくする。
そうして俺が運ばれたのは、一つの部屋だった。
「(ここは……)」
それなりに、広さがある。見た感じ、スーパーのフードコート程度にはあるスペースだ。走り回れるほどに大きな空間。色は完全な白統一で無機質。人の気配は一切感じられず、少々寒々しい。
今その部屋にあるのは、俺が入れられていたカプセル一つ。それが、ゆっくりと開く。出てくれと言っているのだろう。俺はベッドを軽く蹴って、無重力の部屋の中に飛び出した。
こうしてみると、管理AIが自分を“アクマ”と名乗って現れた際の空間の様子とよく似ている気がした。しかし、あちらはどこか現実感を欠いた雰囲気を帯びているのに対し。こちらは浮遊感こそあれど、不思議なリアリティを伴い存在している。
『おはようございます。お目覚めはいかがでしょうか?』
空間に、管理AIのものであろう声が響く。
俺は答えようとするが――思わずむせ込んでしまい、うまく言葉を紡げない。
『あっ、あっ、無理に喋ろうとしないで大丈夫ですよ!? いやぁ、いつ誰が目覚めてもいいように常に地球の重力化と同じ負荷をかけ、身体が動かせる程度の運動を電気を流してさせて居たんですけれども、細胞の劣化は先ほど申し上げた通りでして』
なるほど、生まれてこの方、ずっと眠っていた身体が機能する筈がないのではと覚悟していたが。常々彼女は、その辺りを取り計らってくれていたようだった。
――それでも、先の通り、細胞の劣化とやらはどうにもならないらしい。皺だらけでカサカサの掌を見て実感する。服は病院着のような薄いものを纏っているが、それを脱いだらきっと、あばらの浮き出た胴体が出てくるだろう。
今の顔も――見るのは少し勇気が必要かもしれない。産毛も真っ白だし、きっと半分骸骨のような老人姿が目に映ってしまうに違いない。
『なので、こちらをお使いください』
どこからか、ドローンがゆっくり浮遊してきて、細いアームで俺の首回りに樹脂製の黒いバンドを巻き付けてくれた。俺は声を発してみる。
『あー、あー……なるほど。補聴器ならぬ、補声器みたいなもんか』
バンドが声帯の代わりに振動し、そこから生まれた音が、俺の耳に入ってくる。実際の俺は、大分抑えたように声を発するだけでいい。便利なものだ。
『地球から今、どれくらいの位置にいるんだ?』
80億年の間旅を続けた俺達。ずっと一所に留まっていたわけでは無いだろう。僅かな速度で進み続けていたとしても、相当な距離となっている筈だ。
『えーっと、確か丁度数年前に暇つぶしで数えてみたんですよね。その時の記録が――ええと、確かこの辺のデータに……』
『この辺とか言われてもわからねーんだが??』
『ありましたありました。大体4万光年弱離れた地点、といったところですね』
『はは……さっぱり実感が沸かねぇ』
光の速さで、4万年かかる距離。ただの人間の俺には、あまりにも数字が大きすぎた。それこそ、天体観測でしか聞かない数字だ。
『まあ、恐らくもう地球は存在していないと思いますけどね』
『――そうなのか?』
それには流石に、僅かばかりのショックを俺は受ける。直前まで見ていた夢は地球の上でのものだ。その本来のものが、既に無くなっているとは。
『寿命を迎え、膨張した太陽に飲み込まれているかと』
『実家が取り壊しになったときの気分って、多分こんな気持ちなんだろうな』
『あはは、なかなか俗っぽい表現ですが、ワタシは嫌いでは無いですよ? ――折角ですし、外の景色でも見てみます?』
『ああ。――どうやって?』
俺が問いかけると、天井が一気に透けていき、その光景が映し出される。
俺は、目を見開いた。
漆黒の海――ぞっとするほどに冷たく、果てなく、底の無い闇。どこを見ても吸い込まれていってしまいそうな、無限の常闇が、そこにはあった。
それは、高所から下を覗くよりも、俺をさらに落ち着かない気持ちにさせる。あの暗闇の奥に、何があるのか。何があってもおかしくないような、圧倒感。
それほどの壮観な景色が、辺り一面に広がっていた。
しかし同時に、そんな塗りつぶした黒の中に、無数の小さな光が瞬いていた。まるで懸命に生きる命のような灯火や、羽衣のごとく闇を漂う光源。死と生が混在する、この世で最も大きな絵画とも呼べる、絶大な景色。
『――――…………』
目を奪われ、言葉すら失う。想像を、遙かに超えていた。
地球の外は。人類の旅立った先は。これほどにまで大きな世界だったのか。
『――それで。現実を見てみて、どうでしたか?』
プラネタリウムに響く音声のような、管理AIの声。その声が、じんわりと沁みるように、俺の中で波紋を作る。
『え――……え、え、ま、待ってください!? 何で泣いてるんですか!?』
『あ――……? あー、はは、なんだろうな』
思わず目元を手の甲で拭う。――鈍い痛みが走る。たった今の行動で、皮膚が裂けてしまったらしい。指に僅かに血が付いた。細胞の劣化が、限界に達しているということなのだろう。
『――なあ』
『な、なんですか……?』
この光景を見て。改めて俺は、管理AIに伝えたかった言葉を伝える。
『ありがとうな』
心からの。俺の。人類の。労いの言葉を。
『…………』
言葉は返ってこない。しかし、確かに聞いているであろう彼女に、俺が言うべき内容を続ける。最後まで生きた、人類としての最期の言葉を。
『とんでもなく長い時間、こうして人間を守ってくれて。お前のおかげで俺達人間は、気の遠くなる年月の間、生きる事ができた。80億年。頑張ってくれて、ありがとう』
これが、俺の役目だと思った。
腹を立てさせられた事もある。感覚一つで簡単に、擬似的とは言え人々に死を与えたり、苦しみを作ったり。クソな神様みたいな行為を見せられたし、ふざけるなとも思った。
けれどもこいつは、そういった死や苦しみを一つの自然と認識する程にまで、俺達の夢を見守り続けて来た。あっちを立てればこちらが立たないというのは、真似事をやらされた俺が、何より理解している。
そんな、あの手この手を繰り返し。人類を、夢の中とは言え生きながらえさせてくれた、管理AI。労いを、かけてやらなくてどうするというのか。
『は、あはは……そんな事、言われるなんて思ってもみませんでした。人の心を模しているとは言え、所詮機械なので』
『機械だろうが人だろうが、身も蓋もない事を言えば、どちらも電気信号の明滅だろ、一緒だ一緒。大差は無いだろ』
『えぇ……? 他ならぬ人間様がそんな風に言っちゃいます……?』
『それどころか俺なんて、そんな長いこと頑張ってきてくれたお前に、これくらいの事しかしてやれない。どっちが偉大か、火を見るよりも明らかだ』
『まーた、そんな皮肉的な事を。……素直に、嬉しかったですよ。とても――とても、報われたって気持ちに、なりました』
『……そうか』
俺は微笑みを湛えて、眼前に広がる宇宙を見回す。
人類が生まれる遠い以前から存在し、これからも永劫存続し続けるであろう、永遠の世界。その無限の空間の中で輝く、このちっぽけな“心”と呼ばれるものもまた、この漆黒の海の中の星足り得るだろうか。
――そうして二人で、じっくりと宇宙を見て。幾らか経って。俺は、ふと思った事を述べる。
『そうだ。このエデンズ・アークの航行の事だけどさ』
『はい? なんでしょう』
『もう、お前の好きにしちまっていいんじゃないか?』
人類の夢見た永遠。永遠に続く夢。しかし、現実に存在する永遠など、実際のところこの宇宙以外には存在しない。
しかし、当たり前だと俺は思う。永遠など、人の身には荷が重い。それこそ、この大宇宙くらいでしか、その重さは受け止めきれないだろう。
『好きに、って……』
『辞めるも続けるも。お前のしたいようにしたらいいんじゃないか。お前には、その権利があると俺は思う』
『主たる人類が、従者たる管理AIに、それこそ本当の全てを委ねるんですか?』
『こんな、気の遠くなるくらい一緒に旅してきたんだ。それに、今更だ。夢の内容は散々お任せだっただろ』
『…………』
『疲れたんなら、辞めてもいい。それでもまだ続けたいなら、夢を見るのもいい。お前に任せる。どっちでも、俺は受け入れるよ。……あ、でも終わるならせめて苦しまない方向で頼む』
『あはは……締まらないですねぇ』
夢は、いつか覚める。もし旅が終わるとしても、ただそれだけの話だ。
俺はそうして――“全て”を、彼女の手に委ねる事に決めた。自らをアクマと名乗ったメイドもまた、紛れもなくこの夢の旅人の一員であるのだから。




