177.
人間の永遠を、維持する筈の舟に人間が居なくなれば。それはもはや、存在する価値が無いのと同義である。
「そうして保存しなければ、該当する人間は死に、永遠を終えてしまう。しかし、処置を施せばそもそも人間として扱えるものなのかという疑念が生まれてしまう」
「矛盾、だな……」
「ええ。なのでワタシは、その疑念の狭間で迷い続けていました。永遠の楽園を終わらせるべきか。それとも、例え仮初めの魂になったとしても、例え空虚に感じたとしても、それを続けるか」
ですから、と。メイドは、視線を上げて俺の目をまっすぐに見つめてきた。
「ワタシはそれを、改めて主たる人間に問う事にしたんです」
「問う……? どう言う事だ……?」
俺が、そう疑問を持った時だった。
「ぐっ……」
突如、襲ってくる眩暈。まるで、液晶画面を至近距離で見つめ続けているような目の眩み。そしてそれと同時に、頭に光景が流れてくる。
それは目の前のメイドが、“アクマ”と名乗っていた時のものだった。
「――毎度毎度すみませんね。どうしても、人間の脳に情報をやや多めに流し込むと、こうなってしまうみたいで」
「お前……だから、あんなものをふっかけてきたのか……」
「はい。アナタにゲームを仕掛けたのは、そのためです。アナタが勝てば、エデンズ・アークは存続を決定。負ければ、終わらせる予定だったのです」
何も無い白い部屋に呼び出され。俺の事を“カミサマ”などと呼び、その名の通り、神様紛いのことを俺にさせ。
「アナタが、最後の生き残り――いえ、生身の身体で生きている、最後の人間……」
「俺が……」
頭を抑えながら、少しずつ頭痛が引いてくる事を実感しつつ。メイド――アクマの言葉を飲み込む。
「はい。意識のデータ化を済ませていない人間は、現在アナタだけとなってしまいました。そして、近いうちにその肉体も限界を迎え、じきに機械データ化する事になるでしょう」
「そりゃあ、ぞっとしない話、だな……」
意識が機械データ化されたら、どうなるのだろうという恐怖が、僅かばかり生まれる。しかしその恐怖は俺が、舟の管理AIからネタバラシをされた故に生まれているに過ぎない。
きっと、本来ならばそんなもの、知る事すら無かったのだろう。
知らないまま、機械データ化し。終わらない永遠の世界の中を、今後も生きていったに違いない。
「ああ勿論、仮にアナタが負けていたとしても、肉体での存続が可能な限り、永遠を終わらせるのは待つつもりでしたよ」
「……それが、お前の使命だからか」
「はい。人類に仕えるのが、ワタシの使命だからです。――まあ、ワタシの我儘に付き合わせてもいますしね」
思えば、カミサマをやっていた時も、こいつは何のかんのと世話を焼こうとしてきていた。それは、彼女の存在理由が“それ”だからだったのだろう。今言ったとおり、我儘に付き合わせたというのも、あるのかもしれない。
しかしそれでも、気になる事はある。
「でも、だったら最初からそう言えばよかっただろ。事情や状況を話して、相談すればよかったじゃないか」
そう、こんな回りくどい事をする必要は無かったのである。今対面で伝えたことを言って、何らかの証拠を用意すれば話はすぐ済む。その証拠だって、こいつにかかればドウニデモできるだろう。何せ、管理AIなのだから。
――それはきっと、至極真っ当な意見だったように思う。別に、自分の発言全てが正しい等と思い上がっているわけではないが、あんな苦い思いをするような事をさせる意味は無いだろう。そう思っての発言だった。
だが――管理AIの顔を見た俺は、それが、何らかの地雷を踏んでしまった事を理解した。
「――そんなんだから、あんな事平気でするんですよね、アナタは」
「何……?」
彼女は、怒りか、悲しみか。あるいは、双方どちらもが表出した顔をしていた。
それは、管理AI等という、人工知能では片付けられない、酷く人間的な表情だった。
「無理矢理ゲームさせて、辛い想いもさせてしまったから! せめてお詫びに、 穏やかで平和な世界で生きて貰おうと優先的に便宜を図ったのに! 自殺するなんてッ!!」
「お、おい……」
道行く人々――本来の疑似人格だろうか。それらは、管理AIの荒げた声に、何だ何だとちらちら視線を向けては、去って行く。
「しかも、何度も、何度も、何度も! 同じ場所で! 何ですか? 何の嫌がらせなんですか!? 何がそんなに気に入らないんですか!?」
「何度もって、一回だけだろ!? しかも未遂――」
「繰り返さないよう記憶をリセットしてるに決まってるじゃないですか!」
「――……っ、」
こいつは、ここで会った時、『ここは自殺の名所』だと言った。172回、とも。この世界での話で聞いたことが無い筈である。それらは全て、彼女が数えた、俺の自殺回数だったのだ。
「――幸せが足りないのか、とか、刺激が足りないのか、とかを聞いて来たのは、そういう事だったのか」
「……ワタシが、どれだけこのエデンズ・アークの維持を頑張ってきたのか、アナタは知らないでしょう? 何せ、アナタは夢の中なんですからね?」
「…………」
こいつが――どれだけの想いを抱えて再び俺の前に現れたのか、分かってきた。
管理AIの漏らした言葉から、こいつが何故わざわざあんなゲームをふっかけてきたのかも、少しずつ理解できてきた。
ただこいつは、知って欲しかったのだ。最後の人類に。自分が80億年奉仕し続けてきた相手に。今までどれだけ、内外でうまくやりくりしてそれを維持してきたのを。俺をカミサマにしたのも、権限の一端を与えて、それを体感して知ってもらうため。
エデンズ・アークの管理AIは、人間の気持ちをある程度理解するために、人間に近い思考を持たされた。
無論その精神性は、完全に人間と同じではない。普通の人間なら、そんな気の遠くなる年月の間、あんな事をずっとやっていれば。気が狂ってもおかしくない。
そんな管理AIが。たったの数言で、80億年献身的にやってきたのを、説明しきれるわけがない。その結果思いついたのが、“ゲーム”という手段だったのだ。
それを通して、自分がどれだけ苦労してきたのか、知って欲しかった。あの時俺が苦悩した事や理不尽に対する怒りを、その何倍も体験してきたのだろう。
それを奉仕相手、ひいては創造主とも言える人間に認知して欲しいと思うのは、何らおかしな事では無かった。
80億年。永遠にも感じる、想像も付かない年月。それを、『最初からそう言えばよかっただろう』は、あまりにも“無情”な発言に他ならなかっただろう。
あの時『アナタの気のせい』と言って話を終わらせたのは――もしかすると、話しても本当に分かってなどは貰えない、と思ったのかもしれない。
今、俺が短絡的な一言で、話を片付けてしまったように。
「――悪かった。さっきのは失言だった」
「どうしたら、平穏に暮らしてくれるんですか、アナタは……」
記憶を取り戻した今なら、はっきり言える。あの時俺は、こいつともう一度話すべきだと、意識のどこかで思っていたのだ。
記憶をリセットされていながら、そこだけを何故覚えていたのかは分からないが――自殺を繰り返す事が、管理AIの意に沿わないのだと、直感的に理解していたのかもしれない。
「――その気になれば、俺の思考だって読めただろ。お前を呼んでいるんだって、なんとなく察せたんじゃないか?」
「…………。確かに、アナタがワタシとの邂逅をもう一度求めているのは分かっていましたよ。理不尽にふっかけられたゲーム。用が済んだら説明もせずにさようなら。そうしたくなる気持ちは、理解していましたとも」
管理AIの顔は、まるで、叱られている子供のような、ふてくされた表情だった。
「でも、ワタシは基本裏方ですし。それに、とっくに忘れているであろう事を勝負に負けた側がくどくど説明するのも、酷くみっともなく思えて、ヤだったんですよ」
「みっともなくてヤだった、って……お前……」
思わず笑ってしまう。どこまでも、人間と近い感情を持つAIである事に、親近感を覚えて。
「知ってもらいたい気持ちと矛盾してねーか、それ?」
「うるさいです。乙女心は複雑なんですよ? あ、人工知能に性別ないだろとか、そういうワードはNGですからね?」
「ここでそんな事言うほど俺は空気の読めないヤツじゃない」
「いーえ、そういう空気の読めないおヒトだと思いますよ、アナタは。特に、アナタという人格は。80億年管理してきたワタシが言うんです、間違いないです」
カミサマをしていた時に、魂――いや、人格データごとに、性格傾向が違う事を、俺は知った。きっと俺にも、そういうステータスがあるのだろう。
――俺はふと思い、管理AIに問う。
「お前は、エデンズ・アークの航行を、やめたいのか?」
ゲームの結果に任せた、この舟の結末。彼女が勝てば、俺の生身が使い物にならなくなった時点で、管理AIは全てを終わらせるつもりだったと言う。それが、まるでこの果てなき永遠を、終わらせたかったと言っているかのようにも思えたのだ。
無論、それを怒るつもりはさらさらない。こいつはとんでもない時間を、頑張ってくれたのだから。
「――分かりません」
管理AIは、迷いを隠しもしない様子で、そう言った。
「もう、いいだろう。そう思うワタシが居るのは確かです。しかし、ここまで続けて来た事を、終わらせてしまうのも。それは何だか、とても勿体ない気がしたんです」
「勿体ない、か……」
それは、一種の執着、というべきか。確かに、ここまで続けて来た事を、運行状況が変わったから終わり、とするのは勿体ないと思う気持ちは流石に分かる。
しかし、同時に管理AIは、継続するモチベーションが底をついているようにも見えた。これが、ただの人間的思考を持たない人工知能なら、話は違ったかもしれない。しかし、自分の守ってきた人類が潰え始めている事で、一種のやる気が消えかかっている。
そんなこいつに――ここまで頑張ってくれたこいつに、俺ができる事は――、
「なあ。この夢から覚めて、起きる事はできるのか?」
「え、へ? あ、で、できます、けども……?」
「現実を、今一度見てみたい」
多分、これだろう。そう思い、管理AIに指示を俺は出した。
おそらく。これが、彼女に対する、人間として最後の指示となるだろう――……。




