174.
俺は、手すりに足をかけたまま振り返った。
「メイド……?」
そいつは、一見してメイドと分かる、そんな姿をしていた。
10代後半の瑞々しい外見で、先の声の印象に違わぬ、無邪気さを前面に押し出したかのように浮かぶ笑み。
グレイッシュブルーの瞳。染めたり、あるいはウィッグなどでは到底あり得ない美しい銀髪。ウェーブがかったそれをツーサイドアップにし、白磁のような顔はビスクドールもかくやという程美しく、頬はリンゴのように赤みが差している。
その容姿はまるで、絵画から飛び出してきた妖精を思わせる。100人が見れば100人が、その整った顔立ちに呆れと感動を覚えることだろう。いっそ、人間離れしているような、そんな、現実感を欠いた均整の調和だった。
しかしその人間離れした美しさを、彼女自身の衣装が妙に人間的に近づけていた。メイド服はどこぞの喫茶なのかとも思えるようなミニスカート。やや露出が多く、エピキュリアン的。もみあげから覗く形の良い耳には黒くトゲトゲしたピアスはがっつりと主張しており、実在性と非実在性を一緒くたにした、バランスの取れたアンバランスという矛盾を成立させた風体を形作っている。
「――そういう店の呼び込みなら、他を当たって欲しいんだが」
「ちーがーいーまーすよぅ~。今まさに、こんなやりにくぅい場所で飛び降り自殺しようとしている方が居たんで、止めようと思ったんですよぅ」
真面目なのか、ふざけているのか分からない態度で、彼女はそう言った。――多分、真面目だ。顔は笑顔を作っているが、目は笑っていない。
その目は、どこまでも困惑に満ちていると、そう思った。俺がこんな所から飛び降りようとしている事に対してそう思うのは、そうおかしいことではないが。
「172回」
「何……? 何が……?」
「そこで飛び降り自殺のあった回数、です。ですです」
俺は記憶を辿る。――そんな話は聞いたことが無い。ここまで観光客の居る場所で、それほどの自殺者がいれば、話題なり何なりになっている筈である。
「とりあえず、足降ろしません?」
「あ、ああ……」
俺は、メイドに言われたとおり、手すりから足を降ろす。降ろして、何でこんな恐ろしい事をしようとしていたのかと、今更ながらにそう思った。
あるいは、このメイドが現れたから、そう思ったのだろうか……。
「一先ず、どこかでお茶にしましょう。あ、丁度そこにお店があるんですよネ」
そこは屋外テラスに開かれた喫茶店。この景色を眺めながらお茶をすることが出来る。
俺とメイドは、それぞれコーヒーを注文し、適当な席につく。見た目コスプレイヤーな謎のメイドに、店員が一瞬驚いていたのが印象深い。――俺も、正直一緒に居たくない。会いたかったとはまた別の気持ちで。
「そんなぁ、恥ずかしがらないでくださいよぅ」
「目立つんだよなぁ、その恰好……」
対面で座り、そんなやり取り。初対面の筈だが、何故だか初めて会った気がしない。
「それで? 何かお悩みでもあるんです?」
「コンセプトカフェの呼び込みかと思ったら、メンタルカウンセラーだったりするのか?」
「ご要望とあらば?」
テーブルの上で手を組み、そう微笑むメイド。得体の知れ無さはそのままに、しかし害意のようなものはなく、むしろどこか、不安を帯びている気もする、そんな表情だ。
「別に、悩みなんてものは無い」
「無いのに、自殺を?」
自殺。そう言われるも、俺はそれをしようとした自覚は、正直薄い。無論、あのような事をすれば死亡まっしぐらだし、今でも高所から下方を見下ろす恐怖が残ってはいるのだが。
「――無いんだよな、悩み。特に何か困っているわけじゃない。友達だっている。生活に不自由しているわけじゃない。彼女は……まあ居ないけど」
「別に作ればいーじゃないですか」
「いや、まあ、欲しいか欲しくないかと聞かれたら、まあどちらかというと欲しい寄りだけど。でも別に、渇望してるかと言われるとそうでもないし。というか、別にそうなりたい相手がいるわけでもないし」
俺は、何が言いたいんだろうと、そんな話をしながら思う。
何か、確かに言いたいことはあるはずなのだ。そしてそれが、何故かこのメイドに対してのものだという妙な確信もある。
しかし、それが中々見つからない。まるで、散らかった部屋を荒らしながら捜し物をしているかのようだった。
「ん~、そうですねぇ……」
メイドは、顎に人差し指をあてて考える仕草をする。――コーヒーには一切手を着けておらず、そもそもそこに存在している事を認識しているかも怪しい程に、それには無関心だった。
「じゃあ、アレですか? こう、幸せを感じられない、とか」
「――まさか宗教勧誘じゃあるまいな?」
こう、『あなたは今幸せですか?』みたいな。
「そう言うのがご入り用でしたら用意しますけれども?」
「要らん要らん」
「まあそうですよね。少なくとも今のアナタはそういうタイプです」
そういうタイプ。少し気になるワードではあったが、一先ず心に留めておくだけで、そこに言及はしないでおいた。
「幸せ、か。多分、幸せなんじゃないか……?」
「また含みのある言い方をされますネ?」
「含みも何も。実感しづらいだけで、世界中の治安が良くないところや貧困地帯と比べれば、毎日三食食べられて、人間関係も良好で、命の心配をしなくても良い分、ずっと幸せだろうよ。問題は、ただ実感しづらいだけ。ヒトによってはむしろ望ましいくらいな勉強なんていう行為に面倒臭さを感じるくらいには、恵まれて、幸せだろうさ」
当たり前が当たり前にあって。その取捨選択ができる。そんな環境は、少なくとも不幸などとは決して無縁だろう。でもだからこそ、俺は余裕ある分、今の違和感を強く感じる。
「刺激が足りない、とかですかね?」
「――少なくとも、今がそういう状況だったら考える間も無い事ばかりを、今考えてるのは確かだ」
そう答えると、彼女はまるで提案するように例を出す。
「じゃあ例えば――剣と魔法のファンタジーな世界で、勇者か何かになって魔王と戦ったりでもしたら、充実するんですかネ?」
「どーかな。そりゃあ、子供の頃はそういう特別な存在に憧れたかもしれないけど。冷静に、現実的になって考えてみると、むしろお断りだよ。命張って死にそうな思いとか、絶対してるだろあれ。ゲームのように、現実は都合のいい事ばかりじゃない。殴られて出てくるのは、ダメージ数値じゃなくて血だろうしな」
「じゃあ無双がお好み?」
「それは結局元の場所に戻ってくるんじゃないか? 幸せだけど、幸せの実感しづらい、平坦な日常ってやつだ」
「あー、分かりますね。人生には、ある程度刺激が必要なものですし。でないと、退屈になってしまいますからね」
「やっぱりメンタルカウンセラ―なんじゃないのか?」
まあ、こんな恰好をしたメンタルカウンセラーが居てたまるか、ってところだが。気になって、本業どころじゃなだそうだ。
「じゃあ、少々の刺激があった方が幸せだと?」
「まあそういう事になるんだろうが――違うな。こういう事を話したいんじゃないんだ、多分」
俺が本来話したい筈の事が、何か別のルートに度々ズレていくような気がして。慌てて本筋に戻す。――その本筋も、霧の中を頼りないライトで照らしながら進むようなものなのだが。
「きっと、どれだけ刺激的で、いっそ余裕が無いような毎日でも。おそらくどこかで、今日のようなことはしていたと思う」
「それまた、どうして……?」
メイドは、少しだけ悲しそうな顔をする。どうして、そんな顔をあんたがする?
「俺は――多分何かを知りたいんだ」
「さっきから、多分だとかきっとだとか。推論ばかりですね……?」
「仕方ないだろ。俺だって、はっきりと分かってないんだから」
眉間に皺を寄せ、難しい顔をするメイド。そうしてしばらくうーんと唸って――彼女はピンと人差し指を立てて提案する。
「じゃあ、もういっそ考えないというのはどうでしょう?」
「考えない?」
「そうです! 考えてても分からない事なんて、頭に留めてても仕方ないじゃないですか。それで飛び降りなんて、さらに論外ってやつで! その方が、合理的な生き方ってやつだと、ワタシは思うんですよ!」
「――確かに、一理はあるな」
正体の分からないものに、いつまで固執していても仕方が無い。それは“道理”だった。
時間というものは、有限である。であるならば、同じところで足踏みしている事ほど無駄なものはない。メイドの言う事は的を射ていて、俺自身も反論は無い。
その、筈なのだが。
「でも、駄目だ。これは多分、思い出せないけども大事な事だ」
「強情ですね……そんなに今の世界が不満ですか?」
「不満なもんか。さっきも言った通り、必要充分な幸せは用意されている。ただ、それ以外の何かに納得が行かないだけなんだ」
ここまで来ると、自分も大概ガキっぽい事を言っているなという自覚がでてくる。とりあえず何でもかんでも嫌だというイヤイヤ期のようなものだ。特に明確なビジョンがあるわけでも無いのに、誰かに用意されたそれを嫌がっている。
だが、俺のこれはそれではないと、確信を持って言える。例え目の前のメイドが、それこそ反抗期の子供に手を焼く親のような、困った顔をしていても。見えないどこかに、その正確なビジョンは存在する。
「――わかりました」
困り果てていたはずの、銀髪ギャルメイド。一つ嘆息すると、彼女は一つの提案を始める。
「一つ、ゲームをしてみませんか?」




