5.
時間の流れが、一瞬止まったような気持ちを辰昭は感じた。その言葉が、どういった意味を紡いでいるのか。すぐに頭には入ってこなかった。
「ま、ま、魔王様……!? わたし、魔族ですよ……? しかも、50年と生きていないような、そ、そんな小娘ですよ……?」
「創世神の心臓は、この世界全ての流れが帰結する場所であるらしい。言い換えれば、世界の一部である事に変わりはないのだそうだ。恐らく、時代とともに姿を変えて存在し続けてきたのだろう。そして今は、魔族の少女という姿をとっている」
シィは、魔法を扱う事が不得手であった。他の魔族よりもその点で劣っており、それが故にいたたまれず、一人で暮らしていた。
魔族が人間と違い杖無しで魔法を扱えるのは、魔力を改変する器官が備わっているからである。その器官は、魔族を生み出した邪神により与えられたもの。シィ本人にもその器官は存在するものの、彼女はそれを扱う事ができなかった。
それは、創世神の心臓という、邪神とは対になるものによって、機能を相殺されていたからだった。
シィは、自らに関する事実を理解していく。すると、不思議な事が起こった。
今まで、全く無かったはずの創世神の心臓への知識。それが、彼女自身の自覚と共に、まるで水門が解放されたかのように溢れてくる。
その自覚が無ければ、誰も創世神の心臓に触れる事はできなかっただろう。なぜならそれは、物質的なものではなく、どこまで行っても概念的なものであるからだ。認知というスイッチにより、その概念は世界の上に今、表出した。
シィが、溢れだす情報に酔い、眩暈を起こす。
――倒れかけた彼女を、辰昭は慌てて支える。
「っ、姉さん!」
「だ、大丈夫――うん……」
「所在を知っていて、使う事ができなかったもう一つの理由。それは、一人の魔族の少女に、それこそ人生を狂わせる重圧を背負わせてしまうからだ」
魔族全体を思えば、それは重要度が下がる一項目である。1をとるか、100をとるか。為政者であれば、選び取る選択は本来明確である。
「だが、今の時代は、例え魔族が崖端の状況であっても、情勢そのものは安定していた。それこそ、動乱の最中であれば選択肢は無かったであろう。その決定には、幾らか協議を重ね、準備も可能だ」
何も知らぬ一市民に、不必要に重圧を背負わせる必要はない。同時に、為政者として民を想う気持ちが、ドラグリファを創世神の心臓の使用を実行に移させなかった。それが、踏み切るのに時間のかかった理由だった。
「だから、あの大爆発の後、すぐにここへ来たんですのね」
「そうだ。魔族領域がこのようになってしまった以上、他に立て直す手段が思いつかなかった」
「そりゃあ――わたくし達のような人間が傍に居ては、警戒もしますわね」
一連の流れに納得したティカが、ふっと嘆息する。ただ偶然遭遇した、という様子には見えなかったのだ。
「――わ、わたしは、創世神の心臓……なんですね」
「姉さん……?」
「だ、大丈夫、です。弟君。自覚した時、全てを“理解”しました」
「理解……?」
「わ、わたしという存在が、何なのか。わたしは……こ、この世界の根幹そのものである――ようです」
創世神の心臓に、意思はない。従って、その心は他ならぬシィのものである。彼女は、どこか不安げな様子を滲ませながらも、はっきりとした口調でそう告げる。
「魔王様――いえ、皆さんは“わたし”に、何を望みますか?」
それは、本能的なものなのだろうか。問われた瞬間、全員の心臓がドクリと跳ねる。
「わたしには――一つ、確かな望みがあります」
「望み、ですの……?」
皆に問うた上で、シィは。――普段、劣等感により引っ込み思案で、あまり意見を言い出すことのない彼女は、“望み”があると述べる。
「魔族だけではない。人間も合わせた、全てのヒト達の平穏。争う事無く、互いを慈しみ合う、そんな世界を――わたしは、望みます」
「!」
「わたしは……誰かが悲しむのを、見たくないです。苦しむのも、死ぬのも、見たくない」
「それは――自分が、世界の根幹であるから、ですかぁ……?」
リディムの問いに、シィは首を横に振る。
「わたしは、わたしがそういった存在であるというのを今自覚できただけで、それ以外の事はほとんど何も分かりません。どうすれば世界を作り替えられるのかすらも、分かりません。他に分かるのは――わたしが“受け入れ”さえすれば、その誰かがその権利を得られる事。それのみです」
それは、生きとし生ける者が、自らの身体の機能を意識的にコントロールできないことと似ている。しかし一方で、その操作は他の意識に委ねる事ができる。
それは言うなれば制御室。シィはその機能に過ぎず、故に、その先の事は別の者に任せる以外にない。
「弟君」
シィは、彼女自身が最も信頼する人物を呼ぶ。
「――わたしは、今のこの場所の惨状を、見ていられません」
「姉さん……」
大災害により、魔族領域のその文明は何世代も後退する程の被害を受けた。この事が、人間達に知られれば、どうなるか分からない。
魔族撲滅のために、手をこまねいていた国々が一斉に攻撃を始めるかもしれない。中途半端な情報から、我先にと、残って居るのかもわからない魔力鉱石を求め占領作戦を実行するかもしれない。
ことごとくが破壊された今、その衣食住でさえ安定しない。生き残った魔族同士で奪い合い、自滅の道を行くことになるかもしれない。
人間達だって同様だろう。先に魔力鉱石を手に入れようとした者達同士が、この場所で奪い合う。もはやそれは、混沌の時代の幕開けにも等しい。
「弟君。わたしは、あなたに託したい」
「ぼく、に……?」
辰昭は、周りの人物を見る。叩き伏せたとはいえ、魔族のことを第一に考えているドラグリファ。わざわざ魔族と人間の和解のためにやってきたティカ。――少なくとも、ただ姉の平穏の事しか考えられなかった自分より、彼らの方が適任に思える。
しかし、それでもなお、シィは辰昭を指名した。――不安げな彼に、ドラグリファは声をかける。
「我からすれば、人間は敵だ。それが誰であろうと、変わる事は無い」
「…………」
「――だが、辰昭よ。汝は、姉のためであるとはいえ、魔族の社会がどうすれば良くなるかと考えて来た事実がある。その手腕は……ここでは言うまいが、心根そのものは信頼できる」
「……言えるような手際じゃなかったでごぜぇますか?」
「百年単位で統治する我と、比べるものでもないだろうがな」
しみじみと語るドラグリファに、辰昭は苦笑いする。実際、政策を組むにあたり、指摘されて原型がなくなる事も多々あった。
「――分かった。ぼくがやるであります」
「ああ」
「でも、あまり期待しないでほしいであります。変にいじったら、余計に酷い事になるかもしれないんでありましょう?」
少し考え。辰昭は、創世神の心臓でやることを、最小範囲内に収める事を決意する。
「元の状態に戻すくらいで、終わると思うでごぜぇます」
「それで構わぬ」
それにドラグリファが頷くのを見て、辰昭はシィに向き直る。
「姉さん。ぼく、やるであります」
「うん。よろしくおねがいします、弟君」
そう言って、シィは右手を差し出した。辰昭は、それに応えるように、自らの右手を出す。
細く、白魚のように美しい、姉の手。彼女の手に纏わる記憶が、蘇る。
食事を食べさせてくれた手。着替えさせてくれた手。頭を撫でてくれた手。姉の手は、いつも自分に優しく触れてくれた。
そんな彼女の手に、今、自分から辰昭は触れに行く。
他ならぬ、姉の願いのために――……、
「あかん。やめときや」
その手と手の間に、一本の剣が割って入った。




