3.
突如として起こった爆発。その衝撃は、まるで濁流のようだったとティカは感じた。
前触れは、地面から感じた正体不明の怖気。動物的な直感とでもいうのだろうか。それは蟻が雨を予知するような。ネズミが地震を察知するかのような。そういったものに近いのかもしれないと、ティカは思う。
ともかく。そう言った類いの危険予知に導かれ、ティカは後ろの二人を庇うようにして、聖剣・創世神の杖を盾にした。
その結果。突然生えてきた筈の伝説の剣は、ティカのみならず真後ろに居たリディム、シィをもその身を守ったのだった。
「二人とも……無事か……!?」
極限的な状況故に、お嬢様言葉を忘れながらティカは、すぐ傍で仰向けに倒れている二人に問いかける。すると、リディム、シィ、両名とも呻き声と共に身をよじる様子を見せた。
双方共に、少々の怪我はあるものの、何ら命に別状がある様子は無い。
「うぇ~ん、お姉様ぁ~……何が起こったんですかぁ……?」
「――わかりませんわ。とりあえず、自然現象とは似ても似つかぬ何かかと」
「ま、街が……」
上体を起こしたシィが、ショックを受けた様子でそう言った。それに釣られ、ティカも周囲を見渡す。
粉塵に塗れ、景色は到底明瞭とは言えないが――ゾンビ騒ぎで混沌を極めていた魔族の街は、ほとんど跡形もなく吹き飛んでいた。
「(よく僕ら無事やったな……? この剣のおかげか……?)」
出所不明のアヤシゲな剣をちらりとティカは見下ろす。ただのハリボテかと思って居たが、(半ば無理矢理持たされたとはいえ)持ってきて良かったかもしれない。
「(しかし、何が起こったんや……?)」
ここは魔族領の端だ。何処かの人間の国が、先んじて攻撃を仕掛けたのかと、ティカは思った。当たり前だが、それぞれの国どころか、自国の軍隊の行動など、把握している筈がない。
しかし、ここまで破壊力を有する兵器を、こんな端っこの街に対して使うだろうか。あるいは、魔族に対し、戦力差を見せつけ降伏を求めるための攻撃だろうか。
「(――いや、その線は薄いやろ。降伏なんぞしたら最後、それこそ自分たちの身の安全の保証はないと魔族は考える。人間もそれは分かる筈や)」
少なくとも、論理的な回答は出せるとは思えないと、ティカは早々に思考を切り上げる。もしこれが何者かの攻撃だったとして、人間にせよ、魔族にせよ、真っ当に考えるのが馬鹿らしいと思ったからだ。
それよりも、だ。
「――リディム。ここから離脱しますわよ。シィさんお達者で」
「……!?」
「え、えぇ!? いや確かにこのままここに居たらぁ、何が起こるか分かりませんけどぉ……」
突然のお別れに、シィは目を見開き、リディムは困惑する。しかし、これが今の自分にできる最適解だとティカは確信する。
この状況の詳細は不明だが、人間である自分がここに居ては要らない疑いを持たれる可能性があると、ティカは考えた。人間隠しをしているものの、所詮は付け焼き刃の一時しのぎのようなものに過ぎず、厄介な事になりかねないと思ったのだ。
「シ、シィさんはどうするんですかぁ……?」
「この状況で、動けるゾンビが残っているとは思えませんわ。少なくとも、今すぐ何かに襲われるという事はないでしょう」
「え、え、ティカさん!? そ、そんな、置いてかないでくださいよ!?」
そりゃあ、こんな地獄のような場所に一人置いて行かれる側のシィはたまったものではないだろう。しかし、ティカとしてはこじれる前にトンズラしたい。
「大丈夫ですわシィさん! あなたなら、どんな場所でも元気にやって行けます!」
「やぁっていけないですぅ! ここ、こんな所に放っていかれたら野たれ死んでしまいます!」
今まさにその場から走り去ってしまいそうなティカ。シィはそんな彼女の足下に必死に縋り付く。
「ええい、お離しになって!?」
「わ、わ、わたしを殺さないでくださぁい!」
そんな、すったもんだの声を聞きつけたのだろう。
「そこに誰ぞ居るのか!?」
粉塵満ちる景色に、背の高い影が差す。
誰だか知らないが見つかったと、ティカは剣を構える。
「――っ、何者ですの!?」
粉塵が、一迅の魔法の風により、捌けた。
「我はドラグリファ。かつては魔王の座に君臨していた者なり」
そうして姿を現わしたのは、黒衣の魔族。威風堂々たる偉容をその身に纏い。黒く、塗りつぶすほどの濃い魔力を内包する存在感を放っている。
「魔王やと……?」
「え、ええええええ!? 魔王様!? ドラグリファ様!?」
「今の我は魔王ではない。どのみち、民を守れなかった我に、その資格ももはや無いがな」
ティカは身構える。まさか、魔族の端の街に、魔王がいきなり現れるなど予想だにして居なかったためだ。
「(いや、今こいつ、自分は既に魔王やない言うたな? 世代交代でもしたんかいな。でも、シィは辞めた事は知らんようやし。情報網がカスなんか、それとも周知しとらへんだけか……)」
「そこな娘よ」
「え、あ、は、はい、なんでしょうか?」
「汝、人間だな?」
人間隠しが通用しない。ティカは創世神の杖を構え、臨戦態勢を取る。
「え、えええええええ!? 人間!? ティカさんが!?」
「お、おおお、お姉様ぁ!? バレちゃってますよぉ!?」
魔王。元とは言え、それほどの肩書きを持つ者が相手。
ドラグリファが纏う気配は、まさに強者と言えるほどのプレッシャーだった。そんな者を相手に、戦えるのか――あるいは、リディムを連れて離脱できるのか。ティカは緊張に、ひやりと汗を垂らす。
「汝、そこな娘をどうするつもりだ?」
ドラグリファは、ちらりとシィを見る。その視線にびくりとする彼女だったが、危機感を覚えるのはむしろティカとリディムであることだろう。
「どうするも何も、ただの行きずりの関係、というだけですわ。それ以上でも、それ以下でも」
「一連の騒動は汝らの仕業か?」
「はい?? 一連とは――もしや、ゾンビや爆発の事を言っておられます? むしろあなたの仕業ではなくって?」
とんでもない濡れ衣であると、ティカは思った。まあ、人間が正体を隠してこんな所を歩いている時点で、怪しい意外の何物でもないのは確かだが。
「我が何故、自らの民を苦しめねばならぬ」
「魔王とは、冷酷無比で他者の命をちり紙程度にしか思って居ないお方なのではないでしょうか? だからてっきり、わたくし達を屠るために一連の事を仕出かしたのかと思いまして。――ああ、“元”であらせられましたね? これは失礼を」
「…………」
一触即発。今まさに、ここで決戦が始まってもおかしくない、そんな様相。ティカの後ろのリディムは杖を抱えながら固唾を呑んでおり、シィはまた一歩離れた位置でどうしたものかとオロオロしている。
――先にドラグリファが臨戦態勢を解いた。
「構えを解け、人間よ。少なくとも我は今、ここで汝と争うつもりなどない」
「――はい?」
魔族からしてみれば、人間は敵である。しかも、かつては魔王と呼ばれた者。実力は充分で、争いを躊躇するような要素は見当たらない。当然、ティカは訝しむ。
「そこな娘の様子からしても、汝らが悪意を持ってここに居るというわけではないのは分かる」
「正体を隠して忍び込んでるヤツ、ですわよ。わたくし達」
「それでも、わざわざ救おうとはすまい。今の爆発から庇ったのだろう?」
「もののついで、ですわ」
助けられたのだから、助け返すのは当然だっただけだと、ティカは嘆息する。実際、礼には礼をが彼女のポリシーだ。
「少なくとも今は、汝と争っている時ではない。無論、汝に争う意思がなければ、だが」
「――油断させておいてどーんは無しですわよ」
「我が矜持にかけて、そのような愚行は犯さぬ」
「そういう曖昧なものに信頼をあまりかけたくはありませんが……ここは信用すると致しましょう。リディム。構えをお解きになって」
仕方ないと、剣を収めるティカ。そんな様子に、リディムは当然ながら狼狽える。何せ、目の前には元とはいえ魔王が居るのだ。魔族を取り纏める、その頭目が。
「い、いいんですかぁお姉様ぁ!?」
「大丈夫ですわ。矜持というものが大特価でなければ」
そう宥めつつも、ティカは僅かに動揺を残していた。先ほどから状況があまりにも急転しすぎていて、把握しきるのが難しい。
「その代わり、幾らか尋問させて貰おう」
「暇は無いのではなかったんですの?」
ティカは前世からの癖でちゃちゃを入れるが、ドラグリファはそれには応えず続ける。
「――汝らはここで何をしている? 何をしに来た?」
当然と言えば当然の質問だろうと、ティカは思った。そして、遠回しながらその質問は、今のこの状況に何か心当たりがあるのかと聞いているようにも思える。
――解答を間違えれば、争う必要あり、となるかもしれない。ある程度、腹をくくって話すほかないだろうと、ティカは考える。
「簡単に言えば、観光――ですわ」
「観光だと?」
あまり納得した様子のないドラグリファに、それはそうだろうとティカは内心思う。しかし、相手を自分の話を引き込みたいのであれば、敢えて不可解であろうところから始めるのは常套手段だ。
「ええ。わたくしは人間領から来ました。図書館にて、魔族領に関する本を読みあさっていたのですが、何分大昔の資料しかなく。それで、実際に足を運んでみようか、と」
「思い立ったからと言って、容易に魔族領に足を踏み入れられるとも思えんが」
「でしょうね。かなり厳重な警備を敷かれているようでしたから。しかし、人間隠しを用いて、警備の難しい、険しい山岳ルートを通って参りました。その方法であれば、軍隊は無理でも、一人二人程度ならば入り込む事ができますわ」
妙な疑いをかけられぬよう、ティカは侵入のための手札はあっさりと開示する。交渉は、少なくとも外面上は誠実でなければならない。
「汝はスパイなのか?」
「いいえ、しがない女学生ですわ。しかし一方で、人間と魔族の停戦を望む者でもあります」
その発言を受け、相手がどう出てくるか。ティカはドラグリファを、その微細な目線や眉の動き、息づかいまで、注意深く観察する。
四十万 泰雅時代から。あらゆる相手に対し、交渉を行ってきた。無論、失敗、決裂した事もあったが。それでも、歴戦の猛者との戦いで磨かれた観察眼を、一部の油断も無くフル活用していく。
「停戦だと?」
「個人的には和解がベストではありますが。しかし、人間と魔族は長く、長く――それこそ神話の時代から相争っておりますわ。ですから、まずは段階を踏むべきかと思いまして」
「人間側が優位であろう? 拮抗状態ならまだしも、汝らに利などない筈だが?」
「確かに、表面的な情勢を見ればそうでしょう。しかし――そうではない状況に、刻々となりつつあるのですわ」
そう言ってティカは、人間側の魔力鉱石に関する事情を簡潔に説明する。ぶっちゃけ、人間領域の内部事情の敵側への漏洩は、普通に考えて利敵行為。しかし、自身の身の回りの人間にはそれなりにプラスの感情を持っていても、人間に対する不信感は元より変わっていない。
ぶっちゃけ、自分達が生きている間さえ平穏無事なら。天寿を全うするまで魔族達が息を潜め、人間側の内乱を待っていたとてどうでもいいくらいだった。大事なのは、今、世界を破滅へと向かわせないことだ。
そんな彼女自身の本心は隠されつつ、人間の状況を一通りティカから聞いたドラグリファ。まるで今にも頭を抱えたそうな様子で、嘆息する。
「人間というのは――どうにも、こう、妙なところで思い切りのよい者ばかりなのか?」
「? どういう事です?」
「いや、こちらの話だ。他の人間共がどう思って居るかはさておき、汝が双方の未来に求めている両者の停戦については、頭に止めておこう」
正直、鼻で笑われると思って居たティカは拍子抜けした。それとも、この状況ではそんな暇もないということなのか。
「――それはそれとして、現魔王である人間を見かけなかったか?」
「現魔王? 人間……? 何、え、人間が魔王やっとんの……?」
突然ワケの分からないワードが飛び出し、ティカは思わず素が出てしまう。
「元魔王って――え、そういう事なんですの? いや、え、え、何で人間が? もしマジだったとしたら、今の対立構造はどうなりますの……?」
「――情けない話だが、不意打ちとはいえ、三人の幹部共々纏めて敗れてしまった。そうしたらヤツは、自分を魔王にしろなどと要求し……」
「いや、とりかえしなさったらいいじゃないですの」
「正面からやり合っても我が負ける。戦闘経験こそ浅いが、それを埋めるほどの強大な魔力を、ヤツは人間にして持っているのだ」
どういうこっちゃと、ティカは頭をこんがらがせる。突然変異の魔法使いでも現れたのだろうか、と。
「ともかく、そういう方をわたくし達は見かけませんでしたけど――」
「アンデッド騒動の最中、街へ行くと告げて突っ走っていってしまった」
「それ、魔王としてはどうなんですの……?」
「最悪だ。指揮現場から勝手に居なくなるなど」
今の短い数言だけでも、ドラグリファがどれだけ苦労しているかがわかり、ティカは同情したくなった。魔族と言っても、その実あまり人間と変わらないのかもしれない。
――と、そんな時だった。
「お、おおお姉様! あそこ!」
会話を交わすティカの代わりに、周りを見ていたリディムが。更地となっている街の果てに、人影を見つけて指し示す。
「――生きていたか。ヤツが、現在の魔王だ」
真っ先に反応したのは、シィだった。
「お、弟くん!?」
「何?」
「へ? 魔王??」
シィの言葉に、彼女へとその場の全員の視線が注目する。
「お、弟……? 辰昭が、汝の弟?」
「弟君が、魔王……?」
「なんて?? たつあき?? にほんじん??」
「ニホンジン……? 何だその種族は……?」
「いや、種族っちゅうか、人種っちゅうか……いや、人種といいますか……」
ティカは混乱しながら、一方で噂の“辰昭”という存在について考える。
この世界でも、元の世界と似たような国や地域が存在しないとも限らないが、少なくとも自分の知る限りではそんな場所は無い。故に、彼の存在は自分と同じく、転生者ではないか、と。
「(女神――創世神、ちゅうた方がええやろか。何れにせよ、一種の上位存在に、僕同様送り込まれてきたんかもしれん)」
しかし、ティカ、もとい泰雅は女神からそんな話は聞いていない。言わなかったか、知らなかったか。何れにせよ、話を聞いてみる必要があると思った。
「姉さん……!?」
「弟君っ!」
シィが、辰昭に飛びつくような勢いで抱きついた。対し、辰昭はそんな彼女の様子にばつの悪そうな顔をする。
「しし、心配したんですよ!? 突然居なくなって、ずっと帰ってこなくて!」
「そいつは……」
圧倒的に力の劣る筈の姉に、何も言い返せずに口を噤ませる辰昭。そこに、魔王を直接ぶちのめしたという豪傑感は一切無い。
そして――家族の再会もそこそこ、といったところで。前魔王のドラグリファが、何とも疲れたような声で話に介入する。
「よもや、汝が姉と呼ぶ者が、その娘だとはな」
「ドラグリファ……」
「魔王が指揮現場を離れたところで、できる事は限られる。一人で行える事など、たかが知れているからだ。一人飛び出して行って何ができた?」
「……悪かったでごぜぇます」
どうやら、この辰昭という少年は、あまり深く考えずその場の思いつきで行動するタイプなのではと、ティカはプロファイリングする。
人生経験の浅い、精神的に未熟な人格にありがちな無鉄砲さで、自分には青すぎて眩しい相手である。――自分と違い、中身は子供なのかもしれない。
――放っておくと説教が始まりそうなので、そろそろ話に入るかと、ティカは口を開く。
「わたくしの魔族、というものの見方が、一気に変わりましたわ」
「――あんたは?」
外見上はほぼ同年代な、ティカと辰昭。しかし、実際の年齢は離れた転生・転移者二人が、邂逅する。
「わたくしはティカ・リグリス。この見てくれの通り、人間ですわ」




