2.
三ヶ月後。辰昭が魔王として君臨する事となった魔族の領域は、僅かな変化を見せていた。
人間の領域との境には防壁がある程度築かれ。時間や資材の問題でそれができない場所にも、天魔軍の偵察、獄魔将ゼムリヤの魔法と賢魔将インの魔動科学を合わせた魔法生物による哨戒を配置。さらに有事の際には軍が即座に移動できる仕組みと転移装置を作らせ、気がつけば外敵に対する万全の備えの敷かれる領域になっていた。
無論、それまでの魔王軍が、人間に対してなんの対策も行っていなかったわけではない。しかしながら、現在は追い込まれている状況。見捨てるとまではいかないものの、魔王城や王都から離れる程戦力は薄くなっていた。
当然、この辰昭の采配に、もの申す者は多く居た。前魔王を初めとする、大半の上位魔族だ。
しかし、力で今の辰昭に敵う者は誰一人としておらず。加えて、当然の結果ながら人間側の領域の侵食を受ける事が無くなった事もあり、誰も強くモノを言えない状況にあった。
勢いこそ今は強くないもののゼロではないそれを、確実に減らしたのは一つの結果に他ならなかった。
「できれば、人間側とは今後互いに戦わずという関係に持っていきてぇんですがね」
「人間側が素直に受け入れるわけが無かろう。我々は気の遠くなる年月を相争ってきたのだ」
「それを昨日今日でどうにか、なんてやっぱ無理でごぜぇますよね……うーん」
「辰昭……お前は魔族をどうしたいのだ」
前魔王ドラグリファは、大臣に役職を落とされ、辰昭を補佐する立場へとなった。魔族や、その政治への知識は流石に無い辰昭に対し、渋々ながら助言する立ち位置となり、執務室で仕事をする辰昭の傍に控えている。
「ぼくはただ、姉さんを守りたいだけでごぜぇます」
慣れない事務仕事に頭を痛めつつも、デスクにつきペンを走らせる辰昭。……ちなみに、言語もそうだが、それらの一般知識を彼は転移の際に得ていたりする。
「以前言っていた、汝を拾った女の事か」
ドラグリファの今の心中としては、複雑である。魔族は、ある程度力社会。力無き者に、種を纏める事はできないという考えがある。その上で、魔族の先行きが人間に握られているという屈辱。しかし同時に、その人間は魔族を決して悪いようには扱わず、守ろうとしている。公務もこうして、可能な限り真面目にやっている。出来はともかく。
本来ならば人間を信用することはできない。しかし、人間どころか魔族ですら顔負けの魔力を持ち、一定の成果も上げている。王都周辺の戦力を分散させると聞いた時は終焉を覚悟したが、むしろそれが今のところ、一応のプラスに働いている。
「姉さんは強い魔族じゃねぇです。だから、街にも馴染めず、離れたところ暮らしていやした。そんな姉さんを守るために、まずは敵である人間を、魔族の住む場所に近づけさせたくなかったんでごぜぇますよ」
「――そのために我を倒して魔王の座を奪う、と考えるのも中々だと思うが」
若干恨みがましそうなドラグリファの言葉に、辰昭は皮肉げに笑う。
「というかまず、本当は姉さんの傍にずっといて守りたかったんでごぜぇます。でも、件の事件があって、ぼくは目立っちまった。そのまま姉さんのところに、人間のぼくがいたら色々迷惑がかかるでしょうが」
実際、的を射ているだろうなと、ドラグリファは思う。
今回の魔王の代替わりを魔族全体に伝えるのだって、辰昭が人間という事は伏せてあるし、“世界を流浪中だったドラグリファの弟”という捏造までしている。
魔族が、本来であればたとえ力があっても人間の下につくはずが無い。辰昭の正体を知るドラグリファ達がこうして従っている事も、ほぼ脅された結果である。
「――むしろ、何故脅すで済んでいるかが分からぬがな」
「あん?」
「そればかりか、こうして下に付けもする。我ならば、謀反しかねん相手にそのような処断はせぬであろう。始末、最低でも身動きできぬようにはしていてもおかしくはない」
殴り倒す以上をする気はなさそうな辰昭を、ドラグリファは疑問に思う。あるいは、己の力の強さ故の慢心かもしれないが、それでもこれほど近くには付けないはずだ。
「さっきから言ってんでしょうよ。守りたいだけでごぜぇやす、と。それに、必要以上に暴力を振るいてぇわけじゃねぇでございます。……ウチのクソ母じゃねぇんだから」
辰昭が顔を曇らせる様子を見て、そこにも何かまた別の理由があるのだろうと、ドラグリファは察する。――あまり詮索しない方がよさそうだと、その声色で元魔王は判断した。
「だがそれでも、魔族全体をどうして守ろうとする? 汝の義理の姉だけを守ればよかろう」
「身柄だけ守れば守った、って事にはならねぇでしょうよ」
流石に目が疲れてきたのか、辰昭はペンを置いて背もたれに背中を預ける。やたらと禍々しい装飾の椅子。やや、彼の身体には大きい。
「健やかに、平穏に過ごせるようにして初めて、守ったって言えるでありますよ。ぼくを守ってくれた姉さんは、外は危険だと注意は促しながらも、基本的にはぼくが暮らしたいように暮らさせてくれた。それと同じでごぜぇます」
辰昭はどこか遠くを見るように、天井を仰ぐ。それほど昔では無い筈なのだが、どこか懐かしくも思えてくる。
「……そこの項目、間違えているぞ」
「えぇ……マジでやがりますか」
ドラグリファは辰昭の思い出話には何も言わず、今し方書き込んでいた書類の指摘をする。
しかし、彼の言わんとしている事。その動機には、一定の理解を覚えた。あくまで利害の上での行動だとしても、それが全体の利に繋がれば、それは誰にとってもメリットになる。
ドラグリファとしても、辰昭の全てを信用したわけでは無い。しかし、その心根だけは信じてやってもよいと思った。
――そんな、公務の一幕。その最中だった。
「失礼します! 魔王様、緊急事態です!」
執務室に、一人の魔族が飛び込んで来た。伝令の役割を持つ、天魔軍の一兵士である。
「何事だ」
魔王であった時の癖なのだろう。前魔王ドラグリファが、即座に返事する。すると、その兵士はドラグリファか辰昭、どちらに向かって話すべきか迷いつつも、返事を先にした前魔王へと向けて報告を伝える。
「東、ゴグの街とその周辺にて暴動が発生! 現在、天魔軍と獄魔軍で対応に当たっていますが、異様な力で抵抗されています!」
「暴動……?」
辰昭は、現在の魔王である自分が人間とバレたのかと、顔をしかめる。情報が漏れたのだろうか。もし漏れたのだとすれば、ドラグリファか、三将軍の誰かかだろうが……。
「――汝が言いふらしでもしていなければ、情報が漏れるなどはあり得ぬ。ただでさえ、魔族はギリギリなのだ。そんな状況で暴動など、起こすわけにはいかんからな。それは三将軍や近しい部下達、全員が理解している」
「じゃあ何の暴動――」
辰昭がそう言いかけた時だった。
「失礼します! 魔王様、緊急事態です! フォルの街にて暴動が!」
全く同じように、伝令の兵士が飛び込んでくる。内容も似通っており、まるで映像の焼き直しを見ているかのようだった。
「フォルの街、ですって……!?」
「フォルはゴグの隣の街か……距離も特別遠くなく、交流も多い。理由は不明だが、共謀し、タイミングを合わせ――」
「おい、それはどう言う事でごぜぇますか!?」
辰昭が、声を荒げて立ち上がる。
「落ち着け、どうした」
「姉さんの家がある近くの街じゃねぇですか!?」
辰昭は今にも現場に乗り込んでいきそうな勢いでそう言った。その狼狽えように、ドラグリファは再度落ち着けと言い、伝令兵に問う。
「暴動、という事は、連中に何か要求のようなものはあるか? または原因は分かるか?」
何か事が起こるにしても、何らかの理由はあってしかるべきである。クーデターなり、喧嘩騒ぎが大きくなってしまったなり。それが分からねば、対処も難しいというものだ。
しかし、伝令兵は何とも要領を得ない表情をする。
「それが――なんと言いますか、分からないんです……」
「分からない?」
「要求がある様子はなく、内側のもめ事とか言った様子でも無く、なんといいますか……」
伝令兵は、上がってきた報告が真実なのかどうか、どうにも判断しがたい様子を見せて、そう述べる。
「身体が所々黒ずんでいて、正気を失った様子で、見境無く近くに居る者に襲いかかっている、とのことのようで――」
「あ、それこっちの方もらしいよ!」
先に入ってきた伝令兵が、後から入ってきた伝令兵に同調する。
「妙だな……」
ドラグリファは、顎に手をやり不審を覚える様子を見せる。一方、政治諸々にはまだまだ疎い辰昭も、彼らの様子から、状況に違和感を覚えていた。
「――魔族には、好戦的な者も多く居る。しかし、だからと言ってこれはあまりにも唐突だ。しかも、二つの街でほぼ同時に起こりはしたものの、どこか申し合わせたものとは異なる気配を感じる」
「……うだうだここでやっててもしょうが無ぇでごぜぇます」
辰昭は、迷うこと無く椅子から立ち上がる。
「おい、何を……」
「何がどうなってんのか、この目で確かめに行くに決まってるでごぜぇますでしょうが! あんたもついてきやがれでごぜぇます!」
姉の身近で起こった異変に、落ち着かない様子で辰昭は執務室を出て行く。そんな様子の彼を、ドラグリファはため息をつきつつもすぐに追いかけた。
司令塔がふらふら歩き回ってどうする。ドラグリファは一瞬そう言うべきか惑ったが、状況の奇妙さを考えると、確かに直接確認した方が間違いがないだろうと思い口を噤んだのだ。それに、仮に自分が見てくるにしても、今の新魔王が一人で公務を達成させられるとは思えない。
そうして二人は、まずはフォルの街へと転移魔法で出立した。そして理解する。今起こっている事態が、魔族の存亡、あるいは世界の存亡にさえ関わりかねない出来事である事を。
◆
アクマTVに映るフォル、それからゴグの街は、まさに地獄絵図だった。
正気を失った魔族の人々が。逃げ惑う魔族の人々に襲いかかり、まるで生肉にかぶりつくように歯を立てていく。逃げ切れなかった者はそのまま押し倒され、肩を、腕を、足を、腹をむさぼり食われていく。
狂気に陥った魔族は一人や二人ではない。身体の至る所に謎の黒ずみを表出させた魔族が、芋荒い状態のごとく街路にひしめき、生者に襲いかかっていく。
その様は――まるで、ゾンビパニックものの映画のようだった。
「おいアクマ、お前何をした!?」
「何って、もうおおよそ推測は立っているんではないでしょーか☆」
茶化した言い方で。しかしアクマのその薄い笑みは、あまりにも冷たく、恐ろしく――人間的な情など一切感じられなかった。
「あの時映ったおっさんか……」
「ええ。あの時の彼に、別の世界で人々を脅かしているカビの胞子を少量転移させたんです」
「カビ……?」
「そのカビは、人体に入るとそれを養分にして増殖。その侵食が脳に及ぶと当人の理性やら何やらが破壊されてしまいます。そして、増殖するカビに生命活動に必要なエネルギー源を奪われるがため、極度の飢餓状態になるんです」
「理性を失った、飢餓状態……」
俺は、身体の一部を、血を滲ませつつ黒ずませた魔族の人々を見る。その黒ずみが、今アクマが言った“カビ”なのだろう。見ようによっては壊死した皮膚のようだ。
先ほど俺は、確かにゾンビパニックものの映画と言ったが、まさにそんな状況さながらの光景が、まるで関係のないファンタジー世界に出現したのだ。
「ちなみにですね。侵食と申しましたとおり、この状態になるには僅かばかりの時間がかかるわけです。感染者、とでも呼びましょうか。しかしその間にもカビは増殖し続けていて、吐息などにもその胞子が含まれていたりします。まあ、一つ二つ胞子吸ったくらいではゾンビになりませんが――免疫機能を凌駕する量が侵入すれば……こうなるわけです」
最初に感染させられたと思われるおっさんは、肉屋だった。おっさんから散る微量の胞子は、もしかすると空気だけでなく食肉に付着し、街の中へ拡散してしまった可能性もある。
「――だが待て、あの時おっさんは何かされたわけじゃ……」
「ああ、失礼。彼ではなく、彼の周囲に、ですね。僅かくらいでは感染扱いにならない。けれど、時間経過と共に吸い込んで、許容量を超える程度の胞子を撒いたんですよ」
油断した、と、俺は思った。
あの時何も起こらなかったため、俺はおっさんからそのまま気を逸らしたのだ。あってはならない、痛恨のミスだった。
アクマがあまりにもちゃらんぽらんで妙に人間臭い姿を見せてくるから、高をくくっていた。まさか、こんな悍ましい手段を使ってくるとは。
「くっ……」
俺は即座にこの世界へと介入を試みる。魔族の人々らをゾンビに変えているカビを抹消し、そのカビの侵食部分、あるいは食われてしまった人々の治療を行おうとした。だが――、
「できない!? 何でだよ!?」
カミサマとしての能力は、それを拒む。何をどう念じてみても、自分が思ったとおりの結果にすることが出来ない。
そんな俺に、アクマが“いつもの調子で”笑いかけてくる。
「無理ですよぉ。だって、それは世界そのものを崩壊させるレベルの権限の行使なんですから。最初に言ったでしょう? いかにカミサマ、あるいはワタシでも、セーフティがかかるって」
「何だと……?」
弾かれた原因を、俺は読み取る。すると確かに、俺のしようとしていた事は、この世界の法則を破壊しかねないという理由で無効であった。
「このゾンビ騒動は人々に認識され、その存在はこの世界に刻まれてしまいました。ここまでの騒ぎになる前でしたら、今カミサマがしようとしていた事は可能だったでしょうけれども」
「お前はカビを運んだじゃねぇか!」
「“ごく微量のカビ”を運んだだけですからね。謂わば、カビの異世界転移。世界構造を揺るがす程じゃありません。後はカビが勝手に増えただけなのです♪ 突如発生した奇病、という形でね。アナタの世界でも、稀にある事でしょう?」
煽るようなアクマの態度に、俺は歯がみする。それは逆を言えば、対応が早ければ今の事態は防げたという事であり、一瞬の油断が取り返しのつかない事態を引き起こしてしまった。
そして。この行為は、俺の考えていたプランを瓦解させるものでもある。
「カミサマは、人間である辰昭君を魔王にして、両者が中立になるよう仕向けていましたよね?」
「……気がつかれていたか」
「もっちろんでさぁ! 彼の性格傾向と、お姉さんを守りたい想い。伊達にアクマなんてやってませんよ。そこから導き出される可能性を思えば、自ずと予想は導き出せるというもので」
真田 辰昭は。近しい者に対して愛情深く、そのためなら暴力も辞さない。しかし一方で、一定のラインより向こう側に踏み込む可能性が低いタイプである。
シィを辱めようとしたベニも死んではいないし、謀反される可能性のある筈の元魔王らも始末しようとしなかったのはそのためである。
それはひとえに、過去自分の母親が自分を見捨てようとしたのを反面教師にしているが故であり、生まれながらの共感性のも相まって、手酷い真似ができないのだ。
「辰昭君を魔王にして、人間との和平を実現。ワールドコアに手を出す必要を、半永久的になくさせようとしたんでしょう? ですが残念ながら、これでその計画も――粉みじんになることでしょうね」
俺はアクマの図に乗った解説に苛立ちを覚えながらも、言い返すことができない。彼女の言うことは全て当たっているからだ。
なぜなら。このような事態になってしまえば、彼らは創世神の心臓――つまり、ワールドコアに縋る可能性が高くなるからである。自分達の手で対処できるならばその必要はないだろうが――アクマが、それで解決できるような手を講じたとは思えない。
おそらく、彼らは世界を書き換える力に頼らざるを得ない。
この状況から導き出せるであろう、辰昭の今後の行動。俺は、アクマTVとカミサマTV、双方に移る彼の姿を、固唾を呑んで見守る他無かった。




