3.
貴族生活、そして、騎士学校での生活を重ね。ティカは、文献や見聞で、この世界の事を少しずつ知っていく。
無論、公爵邸でも充分な量の情報があった。しかし、学校というものは学び舎。よって、そこに納められた知識――特に、世界に関するものは、家とは比べものになら無い。
そして今日も、ティカは騎士学校の大図書館にて。世界の歴史やら、経済やらの本を塔のように積み重ね、一心に読みふける。
その姿は、ただ勉強熱心の女学生にしか見えないだろう。
「(なるほど、こりゃあこの状態で膠着するわけやなぁ)」
人間は、魔族、なる怪異とはまた異なる種族と敵対している。状況は圧倒的な人間の優勢。世界はほぼ人類の支配下にあると言る事を、ティカは確認する。
しかしこの圧倒的優位な状況において、人類は魔族の領域への侵攻を渋らせている状態であった。その理由を、彼女は自身の考察も合わせて解を導いていく。
「(今魔族が陣取っとる領域に行くとしても、リスクの方がデカいねんな)」
確かに、魔族は世界の端に追いやられている。攻め込めば、あるいは駆逐しきる事ができるかもしれない。
だが、彼らが潜んでいる区域は、人間の住まう土地よりも過酷であった。それこそ灼熱の炎に覆われていたり、濃度の濃い毒に覆われていたり。そして、最後の砦とあっては、魔族側も死に物狂いで反撃してくる事が予想される。
そうなった時、人類側はどれだけの損害を被るかが想定しきれなかった。損失を恐れ、リソースを小出しにすれば、結局じわじわと失うだけ。開き直って戦力を注ぎ込んでも、失敗して大損害を被る可能性を無視できないのだ。
そして、それを今では各国押しつけあっている。まるで、誰もやりたがらないクラス委員のようだと泰雅は思った。
「(しかも、問題はそれだけやないねんな)」
泰雅から見て一見、この国は豊かだった。人民は飢える事なく、その状態も維持できている。他の国は知るよしもないが、少なくとも大国と呼ばれるような国は、概ね同じだろう。
豊かであるが故に、必要性を見いだせない。つまり人間は魔族攻めにわざわざリソースを割くことに、それだけならメリットを見いだせないのだ。
――しかし、人間社会を取り巻く今の状況を合わせると、話が変わってくる。
「(魔力鉱石の枯渇、か)」
この世界の文明は、魔法、というものによって支えられている。魔力という、泰雅の世界にあったものとは別のエネルギー源が世界には溢れ、それを活用して今の豊かさがある。
だが、人間は基本的に、その身体に魔力をほとんど蓄えられない。魔族と異なり、そういった器官を持たず、そのため大半の人間は魔法を扱えないのだ。
それを解決するのが、魔力鉱石だった。その名の通り、魔力をふんだんに蓄え込んだ石であり、そこから魔力を抽出する技術によって、今の人間社会が成り立たせている。今の人間の生活が豊かなのは、そうして抽出した魔力で、様々な道具を扱えているからなのだ。
「(石油みたいなもんやな。僕のおった世界も、そういうものにあらゆるものが頼り切りや。いや、材料まで依存しきっとらん分、こっちのがマシか?)」
ところが、その魔力鉱石というものが、近年枯渇の噂が流れつつあった。噂ではどこかの炭鉱が、鉱石がとれなくなって閉鎖になっただとか。海中から鉱石を掬い上げる技術はできたものの、その肝心の海がリスクだらけだとか。
「(そして、そう遠くない未来には、互いの国からただでさえ残量の危うなっとる魔力鉱石の奪い合いが予想されとる。魔族攻めて、その間に他の国が横やり入れてきたらオシマイや。やから、その隙を突かれんためにも魔族攻めはできん)」
一応、朗報もある。その魔力鉱石が、短期的に自然発生する地の存在だ。
一般的には、ただの岩石が抽出できるほどに魔力を蓄えるのには、膨大な時間を要するという。しかしそんな魔力鉱石の出来上がる時間が、短時間で済む場所が存在する。
「(それが、魔族の根城にしとる領域、と。僕やったら、その辺の魔族捕まえてきて“発電”させるんやけど。――ああ、一応試みられとるみたいやな。うまくいっとらんみたいやけど)」
生前泰雅のしていた業務が、怪異を利用したエネルギー抽出を中心としたものだった。余談ではあるが、それによって人為的に怪異を発生させ、他の人間を巻き込むという事態を引き起こし続けた結果、退魔師集団・春の天に彼は倒されたのだ。
「(何れにせよ、魔族から土地を奪えば鉱石問題は解決するとふんどるようやけど――先の世界情勢を、魔族の脅威が減って人間同士が敵になるかもしれん現在が助長しとる。その結果が、この膠着や。異世界でも人間は変わらんなぁ)」
人は、争わずには居られないと、泰雅は思っている。手元に無いから、即時的な解決として他者から奪う。それを解決するために自分はかつて奔走したというのに、今、あの世界はどうなっているだろうかと、彼は皮肉な笑いと共に元の世界に思いを馳せた。
そんな、本に書かれた情報から。今日も今日とて滲み出る人間のしょうもなさに、泰雅が辟易しきっている――そんな時だった。
「お・ね・え・さまぁああああああああああああああああああああああああああああッッ♡」
「ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」
突如、ティカは背後から衝撃に襲われる。――否、潰される。まるで、いきなり身体に2倍の重力がかかったかのように、彼女はテーブルに顔面を押しつけられた。
「っ、なにさら――いや、何をなさるんです!?」
「だ~れだぁ!」
背中に覆い被さる少女。この、ドラゴンの襲撃もかくやと思う程の重量感。ティカはなんとか首を動かし、艶やかな長い黒髪の横顔を見る。
「こんなことする方など、リディムくらいしか知りませんわ……ッ」
集中をぶっちぎられ、僅かな苛立ちと共にティカが嫌味をぶつけると。リディムと呼ばれた少女は、『えへへ~』と嬉しそうに笑う。退く気は無いようだ。
「ええい、お退きになりなさい! 重いですわ!」
ティカが無理矢理払い飛ばすと、少女は『あぁん、お姉様ぁ~♡』と、まるで反省していない声を上げる。
艶やかな黒髪を編んで一本にし、後ろへと垂らす少女。くりりとした黒く丸い瞳が印象的な、可愛らしい眼差し。それだけならば、単に愛らしい女生徒に留まっていただろう。
ところが、である。その背格好は2m程もあった。その体躯から、まるで飛びつき癖のある大型犬のような仕草をかまされたのも、ティカは一度や二度ではない。
その名を、リディム・ミーゲンス。ティカの同級生で、それこそまるで犬のように、普段から彼女の後ろを追いかけてくる少女である。
――ちなみに彼女はティカを、このようにお姉様と呼ぶ。しかし別に姉妹ではないし、なんならこの騎士学校で初めて知り合った間柄である。嫌がらせを受けていたところを、ティカが助けたのが二人の関係の始まりで、以来、一方的な捕まえてご覧なさいな関係が続いている。
「ところでぇ……何をなさってぇ? お姉様ぁ?」
普段通りの、ややおっとりした口調。リディムはティカを重力から解放しながらそう尋ねる。体格相応以上の胸部も、ここまで来ると物理的な意味で驚異である。
「経済や社会情勢のお勉強ですわ。これでも、リグリス公爵家の女ですので」
嘘ではない。しかし厳密には、さっさとこの世界を救う方法探しである。
ちゃちゃっと死んでラクになるどころか、女に転生させられて、世界を救えとまで言われて。ティカ、もとい泰雅としては、さっさと問題を解決して解放されたいのである。
じゃあ拒否の意を示すためにも首でも括ろうか。そう彼女は思ったのだが、そういった事を考えた時、泰雅の頭に浮かぶのは、ティカとしての両親や召使いの顔。少なくとも、自分にとって近しい人間に、そういった気持ちを覚えたのは割と初めてである。
なので女神の指令を無視というのは、問屋が卸さなくなりつつあった。なぜなら、『世界を救え』を無視するという事は、この先世界に良くない事が起こるという事であり、先の人物らを、これまた不幸に陥らせかねないからである。
「(ムネ揉んでも楽しないし……僕自身のやと思って虚しなるし、女にされるってこう、割とマジで喪失感の方が凄いねん。そしてこれを誰に言うとるんや僕は)」
兎にも角にも、やることはさっさと事態の解決以外に無いだろう。そうすれば、後はこちらがその後どうしようと勝手にできる筈。そう思い、とりあえずヒントでも探すか、となっているのが今の彼女である。
問題は、救うといってもどう救えばいいのかというところである。
この手の世界のお決まりそのままならば、人類に仇成す魔王を倒せばいい、というのが黄金パターンなのはティカにも分かっている。
しかし、実際のところこの世界が、そういった類いの世界なのか、彼女には分からない。読み外して苦労して魔王を倒したものの、全く違いますでは困るのだ。
「(依頼するなら、情報はもう少し開示すべきやろ。ガキでも分かるわ)」
一応、魔王や魔族側は劣勢状態にあるとは言うが――実はとんでもない切り札を隠し持っていて、世界がヤバい、などという可能性も無くはだろうがと、彼女は思う。
「それにしてもぉ、魔族に関する本までなんてぇ……ああいえ、お姉様のなされることに文句を付けたいわけではないのですがぁ」
パラパラと、隣に腰掛けたリディムが、ティカの積み上げた本を流し見する。
それは、魔族領域の見聞録。といっても、そこそこに古く、羊皮紙は僅かに劣化して黄ばみが濃くなっている。ここ近年で、魔族領域の探索をした者など居ないのだ。
「もう少し、新しい情報が欲しいのですけれどね。見ればその本、50年も前だそうではありませんか」
「そもそもぉ、人がおいそれと足を踏み入れられる場所じゃぁないですからぁ。むしろ、そんな本自体があることに驚きですよぅ」
それはそうだと、ティカは嘆息する。むしろ、50年前のその本の著者は、どう調べたのだろうか。魔族と比較しても遜色ない程の魔力を蓄えられる、特異体質の人間だったようだが。
「もしかしてお姉様ぁ、魔族領域へ行ってみたいとか、思われていたりしますかぁ?」
「――まあ、そういう気持ちはありますけれども」
しかし、難しいだろうと彼女は思った。
何せ本によると、毒と瘴気に塗れ、ところによっては溶岩が吹き出してくるらしいではないか。聞くからに、命がいくつあっても足りなさそうだ。怪異アイテムを多数所有する生前ならばともかく、ケチな女神に何も持たせて貰えなかった身としては御免被りたいとティカは思う。
「それでしたら、いい方法がありますよぉ!」
リディムが、ばたばたと立ち上がり、図書館の何処かへ消えていく。何だ何だとティカは思ってしばらく待っていると、戻って来た彼女はとある本のページを開いて見せた。
「創世神の杖……?」
黴臭い本に、挿絵付きで書かれている、伝説の剣。杖という名前なのに、剣。そんないかにもありがちなファンタジック的アイテムに、ティカは怪訝な顔をした。
「ナニナニ? 魔を払い打ち破る、女神の加護が与えられし剣……ありがちですわね」
創世記より存在する剣だそうで。しかし、一度もその台座から抜かれたことがないとされるそれ。ここまで西洋ファンタジーらしいモノが来ると、ティカとしても思わず笑いがこみ上げてきそうになる。
「この剣、使っちゃいましょうよぉ」
「使っちゃいましょうってったって。どこにあるんですの、そんなすごぉい剣が」
「え? あるじゃないですか、この学園に」
「へ?」
生まれてより――まあ、本等を読めるようになってより、様々な情報を収集し続けていたティカであったが。初めて聞いたその情報に困惑する。
「この騎士学校の創設された場所がぁ、その剣と台座の場所じゃないですかぁ。誰にも抜く事が出来ず、創世神様が来たるべき英雄のためにそうして封印されているという」
「――さも常識のように話されてますけれど、リディム。それは……」
「え?」
「ん……?」
何か、話が噛み合わないと、ティカは思った。
「――わたくし、その話は今初めて聞いたのですけれども」
「えぇ? あの何でも知ってるお姉様が、意外ですねぇ……?」
リディムの口ぶりは、それこそ誰でもその情報は知っている、といったものである。
あり得なかった。無論、流石のティカでも、全知と言えるほど全てを知っているとは口が裂けても言えなかったが。幾ら何でも皆の常識レベルの話を知らない、というのは天地がひっくり返ってもあり得ない。手の届く範囲の情報を、可能な限りたぐり寄せてきたのだから。
何か、奇妙な気配が漂っていると、ティカは思った。
「――まああいいですわ。それで、この剣がなんだと?」
「伝説によるとぉ、世界は最初ぉ、毒と瘴気に覆われていたそうですぅ。そこで創世神様がこの杖をお使いになりぃ、それを払ったと言われているようですぅ。その後杖は、剣に姿を変じ、来るべき使い手を待っているのだとぉ」
「ふぅん……? なんというか、いかにも神話、というものですの、ね……?」
がしっと、ティカはリディムに、手を握られた。
「それを抜きましょうお姉様!」
「――いや、何を仰っているんですの」
創世記以来、一度も、誰も抜いたことのない剣。どこかに誇張が入っていたとしても、少なくとも直近で誰も抜かなかったか抜けなかったかするシロモノである。
「警備が厳重でしょうし、そもそもそれをくぐり抜けたところで、抜けなきゃ使えませんわ」
「何を仰いますかお姉様ぁ!」
リディムの手に、力がこもる。そして、彼女は力説し始めた。
「お姉様は英雄ですぅ! 勇者ですぅ! だから、抜けるに決まっていますぅ!」
「何を根拠に……?」
「お姉様だからですぅ!」
全く裏のない賞賛というのは、何ともくすぐったいものだと泰雅は思う。リディムは、社交辞令や煽てのできる少女ではないと知っているため、それがすぐに分かる。
泰雅は生前、生まれて社長にまで上り詰める間。人間の闇の部分ばかりしか見てこなかった。そのために、そんな彼女の謎の盲信は目も眩むほど眩しい。
無論、悪い気はしていないのだが。反応に困るから、程々にしてほしいと彼は思う。
「――わかりました、わかりましたから。で、その創世神の……杖? というのはどこに安置してありますの?」
「え? いや、そんなのどこって――」
そうして、ティカはリディムの案内の元――というか、パワフルな腕力の彼女に半ば引きずられるようにしながら、“創世神の杖”が納められている場所へと向かう。
「いやそうはならんやろ」
学園の、正面玄関。そのホールのど真ん中に。
「(いや、おかしいて! 昨日どころか、今朝通りかかった時もこんなんなかったやんけ!?)」
もはや、見逃すのが難しいような、そんな安置場所。しかも、何のケージにも囲われている様子なく。というか、誰でも抜いてみて結構ですよ、とでも言わんばかりのオープンな様子で、件の剣は台座に刺さっていた。
デザインは比較的シンプルな両刃の直剣。鍔に光のうねりを表すかのような装飾が施されており、奇抜さのない素直な形をしている。
まるで5秒で考えました、とでも言わんばかりだと言いたいのは――きっと、この場においては泰雅だけだろう。
「今日も元気に刺さってますねぇ」
「今日も? 元気に??」
ティカは、自分が夢でも見ているのかと、目元を抑える。しかし、これはどう足掻いても現実である。
「学校創設数百年の歴史上、様々な生徒が抜いてみようと試みましたがぁ、ただの一人も抜いたことがない、伝説の剣ぃ。丁度、今は挑戦者もいないみたいですねぇ」
「いや、一億歩譲って昨日からあったとして。なんで何も守られてませんの?」
「来るべき勇者が、いつ現れるか分からないからだそうですよぉ」
「悪戯で傷つけたりするヤツいるでしょう絶対!?」
「台座含めて、誰も、何を使っても、傷一つ付かないらしいですぅ。――お姉様ぁ、ひょっとして今日は調子悪いですかぁ……?」
「ええ、今ものすっごく頭が痛いですわ……」
ティカは頭を抱える。きな臭い、を通り越してなんだこれは。異世界転生先で、さらにパラレル世界にでも迷い込んでしまったのだろうか。
「とりあえず抜いちゃいましょうよぉ。きっとあの剣は、お姉様を待っていたんですよぉ」
「そんな筈は――」
ティカは、まるで自分を待っていたかのように光を反射している白刃を見る。
そうして、リディムに手を引かれ。いやいやまさか、そんな筈はと。彼女は、とりあえず試しに、大して力も入れずに、創世神の杖を引いてみる事にした。
――ぬけちゃった。
するりと。まるで羽でも扱うかのように。畑の大根を引き抜く事の方がよっぽど大変だろう。本来なら、大きな株より人数を集めてみても抜く事は敵わないであろう、伝説の剣。
誰も抜いたことが無いといわれているのが嘘に思える程。あっさりと、抜けちゃった。
「なんッ、で、やねんッッ!!」
――その日。ティカ・リグリスは。もとい、四十万 泰雅は。異世界の勇者となった。
その日から、国中はお祭り騒ぎになった。
◆
それは、正体を隠している辰昭が、画面の向こうで魔族の城に潜入を試みている時だった。
「――さて、カミサマもそろそろ退屈なさっているようですし、ワタシも動き始めることにしましょうか」
「動く……?」
「そんじゃまあ、カミサマTVの隣に、アクマTVを召喚致しまして、と」
アクマがパチンと指を鳴らすと、全くその通りに新たなテレビが現れる。画面の大きさは同じ。デザインは――無駄に禍々しい。なお、またブラウン管風。
「何をする気だ……?」
「言ったじゃないですか。こちらが何かする時は、公開致しますよ、と」
ハンディキャップも含めた公平性に関する話で、確かにそんな事も言っていたような気がする。その場のノリやでまかせではなかったらしい。
「さて、カミサマや――その意思のかかった辰昭君は、この世界を護りきることができるのでしょうか」
アクマは、こちらに背を向けたままそう口にする。明るい口調である筈なのに、何故だかぞっとする程に感情を感じない声色で。
そして、それは開始のゴングでもあった。
カミサマ対アクマ。上位から見下ろす者達の代理戦争。その、本番が始まる――……。




