7.神々の祝福
朝起きてすぐ、アリーシャの部屋に侯爵がやってきて何事かと身構える。
「今日はお前の洗礼の日だ。神殿で祝福の儀を受けてこい」
侯爵はそれだけ言うと、神殿からの招請状を置いて出て行った。
用事を直前に伝える悪癖はどうにかならんのか。
この世界の貴族の子どもは、六歳になる年に祝福の儀を受けなければならないらしい。
洗礼というと仰々しいが、祈りの間と呼ばれる部屋で五分間神に祈るだけの儀式だ。
その祈りは一人ずつ捧げる必要があるようで、各日に三十人前後の子どもが集められて順番に祈りを捧げていく。
本来はもっと長い間祈る儀式だったらしいが、六歳の子どもが大人しく長時間祈れるわけもなく、次第にその時間が短くなっていったのだとか。
たった五分でも一人で黙って祈り続けるのは苦痛だろう。
それができるこの世界の子どもたちは、やはり自分が思うより大人な存在なのかもしれないと思う。
侯爵令嬢らしく身なりを整えて神殿へ向かうと、神殿の入口からすでにわらわらと子ども達が群れて騒いでいた。
話をするような友人もいないので、さっさと中に入って順番待ちしようと歩を進める。
礼拝堂に入ってすぐ、前からきゃっきゃとはしゃぎながら二人の男の子が走ってきた。
避けきれずぶつかってしまい、前を見ろよと思いながらも「ごめんなさい」と謝った。
こちらを見た二人はぴしっと固まって顔を赤く染めた。
「大丈夫ですか? ぶつかってしまってごめんなさい」
声を掛けても赤面したまま固まっていた二人が、今度は震えはじめた。
病気か? 誰か大人を呼ぶかと考えたその時、突然暴言を吐かれた。
「ばーか! ちゃんと前見ろよ、変な髪!」
「そうだ! 変な髪! 前見ろよ、うんこ!」
驚いて目を丸くするわたしに、ばかばかうんこと喚く二人。
そんな二人を見て、わたしはものすごく――ほっこりしていた。
あぁ、よかった。この世界の子どもにも子どもらしいところがあった。
アリーシャやアルノルトの賢さと落ち着きが異常なだけなのだ。
この世界でもやっていけそうな気がする、と心底安心して自然と笑みが零れる。
赤面達は息を吞んで黙り込んだ。すぐにハッとした一人が叫ぶ。
「な、何笑ってるんだよ!」
「いえ、ご無事のようで安心いたしました。それでは失礼いたします」
是非ともお前達はそのまま元気に育ってくれ。癒しをありがとう。
そんな思いでその場を離れようとしたが、赤面達は道を塞いだまま退いてくれない。
「あの、道を空けていただけますか?」
「あ、いや、お前は――」
その言葉を聞き終える前に、後ろから呼びかけられて振り返る。
「アリーシャ嬢、久しぶりだな」
そこにはアルノルトが立っていた。今となっては胡散臭いとしか感じない外面の笑みを浮かべている。
数日前に会ったばかりだが、とつっこむような真似はせず、大人しく一礼する。
「アルノルト殿下、ごきげんよう。先日はありがとうございました」
後ろから「アルノルト殿下だと……!?」という声が聞こえて振り向くと、赤面達がさっと横に動いて道を空けていた。
「アリーシャ嬢、良ければ私達と一緒に座らないか。こいつはノア、私の側近だ」
アルノルトの一歩後ろにいたノアは、視線が合うとにこりと微笑んだ。
「ノルディヴァルト公爵家長子、ノア・ノルディヴァルトです。どうぞよろしくお願いいたします、美しきご令嬢」
その隙のない所作に、こいつも子どもらしからぬ子どもか、と内心うんざりしながら微笑みを返す。
赤面うんこマン達が恋しくて仕方がない。
「ローゼンベルク侯爵家のアリーシャ・ローゼンベルクと申します。お会いできて光栄ですわ」
アルノルトを先頭に礼拝堂の一番前の席へ移動した。
「何やら絡まれていたようだが大丈夫だったか?」
「ええ、あのお二人の元気な様子にとても癒されました」
「アリーシャ嬢は聞いていた通り、物怖じしない方なのですね」
ノアに笑われた。アルノルトにどんな話を聞いたのやら。深くは聞かないでおこう。
「あの、わたくしの髪が変わっていると言われたのですが、この色はもしかして珍しいのでしょうか?」
先ほどの赤面達を思い返しながら尋ねる。
赤と橙の髪をしているお前達に言われたくはないと思っていた。
「ああ、その色は独特だ。同じ髪を持つ者は二人といないのではないか」
「そうですね。アリーシャ嬢だけの美しい色だと思います。ローゼンベルク侯爵家の色とも少し違っていますよね。とても興味深いです」
聞けば高位の貴族ほどその家系特有の色を持つ者が多いらしい。
黒と金は王家に多く、ノアの家系は青と銀が出やすいのだとか。
なるほど、と二人を見て思う。
アルノルトはその腹黒さに似合わない温かい陽だまりのような金髪だ。
ノアの髪はほのかに青を纏った不思議な銀色をしている。
陛下の紫の瞳は王家の色というわけじゃないらしい。あんなに高貴さを感じる美しい瞳なのに。
そんなことを考えていると、ノアがこちらに顔を寄せてきた。
「私はノルディヴァルト家にたまに出る、夜空の瞳も受け継いだのですよ」
わたしも顔を寄せてノアの瞳を覗き込む。
たしかに、星が瞬く夜空をそのまま閉じ込めたような虹彩だった。
美しいガラス細工のようで、じっと眺めながら吸い込まれそうな感覚を楽しんでいたが、アルノルトがノアの体を押し戻したことでハッと意識を取り戻した。
「近いぞ、ノア。あまりご令嬢と距離を詰めすぎるな」
「ごめんごめん。そんなに怒らないでよ」
アルノルトは微笑んでいて全く怒っているように見えないが、ノアが言うなら怒っているのだろうか。
はしたないことはしないよう極力気をつけようと心に刻んでおく。
しばらくして神官が礼拝堂の前に立った。
簡単に祝福の儀の説明がされ、手順や注意事項を聞かされた。
やはり一番最初に呼ばれたのはアルノルトだ。
「では行ってくる。アリーシャ嬢の儀式が終わるのを待つから、良ければ侯爵家まで送らせてくれ」
わざわざ送ってくれなくても、と言う前にさっさと行ってしまった。
どうしようかと考えていると、ノアがくすくすと笑った。
「アルが強引ですみません。迷惑でなければ送らせてあげてください」
「迷惑なんてそんな……。では、お言葉に甘えさせていただきますね」
「ええ、きっと喜びます」
しばらくしてわたしの名前が呼ばれる。
アルノルトは出てきていないが、帰りは違う出入口から帰されるのだろうか。
ノアに挨拶して離れると、神官が祈りの間へ案内してくれた。
誰もいない部屋で祈るのかと思えば、神官は付き添うらしい。子どもが暴れた時用の抑え要因かもしれない。
神像の前に置かれた椅子に座る。
石造りの床に膝立ちとかだったら辛いなと思っていたので安心だ。
「その像は創造神エーヴィヒカイトです。全ての神々の頂点に立つ創造神へ心で語りかけ、感謝と祈りを捧げてください。そうすれば神々より祝福が授けられます。それでは、祈りを始めてください。五分後にお声掛けいたします」
作法については特に何も言われていないが、なんとなく胸の前で手を組んで目を閉じる。
この世界に神がいるのなら、言いたいことがいっぱいあるのだ。
五分間たっぷり感謝と祈りを捧げさせてもらおう。
『――創造神エーヴィヒカイト。わたしをこの世界の精霊に転生させたのはお前か? すこぶる迷惑なのだがなぜこんなことをした。とりあえず、アリーシャ以外のローゼンベルク家の人間は屑が多いので天罰を与えておいてほしい。でも、今日このあと祈りを捧げに来るうんこマン達は、もし不敬を働いても許してやってくれ。彼らはわたしに癒しをくれたんだ。あと、精霊って何? 調べても大した情報なくてすごい魔術使えることくらいしかわからないんだが。何でわたし人間じゃないの? でもアリーシャに会えたしいろいろ魔術使えるのは楽しいしそこはありがとう』
これはちゃんと創造神とやらに届いているのだろうか。
不安に思いながらも、本当に神がいるのであれば願わずにはいられない。
『エーヴィヒカイト、アリーシャの居場所を知らないか。アリーシャの存在が感じられなくなったんだ。もしお前の仕業だったらぶん殴る。早くアリーシャを返してくれ。アリーシャの心を守ってくれ。あの子を幸せにするためにわたしも努力する。だからお前も少しくらい手伝ってくれ』
心から真剣に祈ってみるが、一人相撲感があってむなしい。
『聞いているのか、エーヴィヒカイト。返事くらいしたらどうなんだ。異世界の神なら人間と話すくらい簡単にしてみせろ。そういえば、今のわたしが人間と結婚したら子どもは作れるのか? アリーシャが戻ってきて王妃を嫌がらない限りは、今のところ国王陛下と結婚する予定なんだ。後継ぎを作れないとまずいだろう。いや、後継ぎもういたわ。でもアリーシャの子どもはほしい。子宝祈願もしておくからよろしく頼む。たぶんアリーシャは子ども好きだから、アリーシャを愛してくれる家族をたくさん作りたい』
子どもは何人作ろうとか、子どもの名前は何にしようとか、アリーシャの笑顔を思い浮かべながら未来予想図を描いていると、ふと脳裏に響く声がした。
《……私……ではない……》
聞いているとぞわぞわする奇妙な感覚に襲われる声。
わけがわからなすぎる。とりあえずもっとはきはき喋ってほしい。
『誰だ。エーヴィヒカイトか?』
《……お前を……精霊にしたのは……ヴェーベン……》
わたしはやっぱり精霊だったらしい。
そして、この声はエーヴィヒカイトなのか。なんか言い訳してるっぽいし。
自分のせいじゃないからここで文句を言うなと? というかヴェーベンって誰だ。
記憶を探って神に関する情報を引っ張り出すと、ヴェーベンは運命の神の名前だった。
運命のいたずらで精霊にされたということか。ヴェーベンはどこに行けば殴れるのだろう。
『それは教えてくれて感謝するが、わたしが一番知りたいのはそれじゃないのだが。アリーシャはどこにいる。頼むから教えてくれ。どうすればアリーシャを取り戻せる』
しかし、いくら問いかけても静寂しか返ってこない。
『おい、おーい。エーヴィヒカイト。聞こえないのか。力尽きたのか。ちょっとしか話せないのなら余計にいらない情報だったぞ。今度からアリーシャに関する情報を一番にくれ。とりあえず、今の腹立たしい思いを祈るから最後まで聞け。これは全てヴェーベンではなくお前に対する文句だ』
気合いを入れて祈りを捧げようとした瞬間、「お、お時間です……」と声が掛かった。
ハッとして神官を見ると、なんだか落ち着きのない様子で震えていた。
「お声がけありがとう存じます。存分に祈りと感謝を捧げることができました」
立ち上がって一礼するが、神官は未だあわあわとしている。
「ア、アリーシャ様……別室にご案内いたします。ご帰宅の前に大神官とお話いただけないでしょうか」
何やら急いでいるようなので、促されるまま案内に従って移動することにした。
道すがら神官へ問いかける。
「何かあったのですか?」
「アリーシャ様に……神々の祝福が授けられたのです……」
「そういう儀式ですよね?」
「そうですが、そうではありません……!」
神官は祝福がーとか、光がーとか、興奮気味に喋っていたがよく理解できない。
とにかく、わたしの体が祈りの最中に光っていたらしいことだけは把握できた。
もしや祈りの内容が聞こえていたのではと少し焦ったが、全くそんなことはなさそうで安心した。




