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37 グローブ

道具についてのお話しです。

 バイクに乗る時、家を出る前にまず手にとる物がある。

 ヘルメットとジャケット、それにグローブだ。

 その三つを持って、玄関でブーツに足を突っ込む。

 ジャケットは夏になるとメッシュに変わり、冬が来ると分厚い物に戻る。

 それ以外の季節には内側に身に着けるもので調節をする。

 ただ、グローブだけは3種類を使い分けていた。

 夏用のメッシュのグローブと真冬用の分厚いグローブ、そしてそれ以外の季節に使うグローブだ。メッシュのグローブを使う期間が一番短いだろうか。

 私のバイクにはナックルガードが付いているので、拳は直接風を受ける訳ではないのだが、それでも長時間運転すると指先が冷たくなってくる。

 なので、普段はスキューバダイビングなどで使うウェットスーツと同じ『ネオプレーン』という素材で出来たグローブが最も使用頻度が高かった。

 今朝も、バイクで出勤するためにジャケットを羽織り、ヘルメットとグローブを持って家を出た。

 スーパーシェルパを駐輪場から引き出し、いつもの始動手順を踏んでエンジンをかける。

 暖機運転をし、ヘルメットを被ってから左手にグローブをはめる。

「あ…」

 手首のマジックテープを留める前に気が付いた。

 左手の親指、ちょうどウィンカースイッチを操作する部分が擦り切れて穴が開いてしまっている。

 使い始めて1年くらいのグローブだ。

 その前も同じものを使っていたが、同じ場所が擦り切れて穴が開いた。

 やはりちょうど1年くらいだったと記憶している。

 ネオプレーンというのは決して頑丈な素材ではないが、脆い素材でもない。

 真夏の暑い時期を除いたほぼ毎日、私の手を守り、バイクに触れてきた1番外側の皮膚。

 擦り切れたというのがなんとも感慨深かった。

 物自体はいくらもしない安物のグローブなので、寿命といえば寿命なのだろう。

 ただ丸洗いも出来るし、柔らかな素材感が気に入っていた。

「また買わなきゃな…」

 呟いて、とりあえずそのまま出勤した。

 …その日の夕方、仕事を終えて帰宅し、グローブをどうしようかと考える。

 今まで使っていたグローブは気に入ってはいたが、やはり少々脆いようだ。

 パソコンを立ち上げて調べ物をしながら、ついでにグローブについても検索してみる。

「…やっぱり革なのかな」

 圧倒的にレザーグローブが多かった。

 競技用ではない普段使いのグローブなので、使い勝手の良さを第一に考えていたが、素材の丈夫さと手に馴染むところから、やはりレザーグローブの人気が高いようだ。

 少し調べてから、手のひら側にレザーを使ったグローブを見つけた。

 手の甲側は布製でプロテクションが付いている。値段も手頃だった。

「試してみるか」

 私はそのままインターネットでグローブを注文した

 届くのは3日後くらいか。

 傍らに置いた穴の開いているグローブを手にとった。

 予備のグローブはあるが、なんとなく穴の開いたグローブを裏返し、針と糸を出す。

 ちまちまと開いた穴を縫って塞いでいった。

 ちょっと不恰好だが、数分で穴が塞がる。

 元通りにひっくり返して左手にはめてみた。

 親指の側面が少しゴロゴロとして違和感がある。

「ま、こんなもんか」

 とりあえずはこれでいいだろう。

 左手にはめたままのグローブをしげしげと眺める。

 人差し指の周りもケバ立ってきていた。親指のつけ根の縫製はほつれそうになっている。

 グローブをはめたままジャケットやレッグウォーマーのマジックテープをいじったりしたせいで擦れてしまったのだろう。親指のつけ根はグリップとの摩擦か?

 それでも、そこにはこの1年余りのバイクに乗ってきた毎日がしっかりと刻み込まれていた。

「次のグローブが来るまでもう少し頑張ってくれよ…」

 私はくたびれた様子の左手を握ったり開いたりしながらすっかり手に馴染んだ感触を確かめる。

 1年間、私の手を守ってきた人工の肌。

 洗っても落ちないシミや剥げかけたプリントがその時間の濃さを思い起こさせる。

 急な雨でびしょ濡れになったこと、草地で転倒して土と雑草の匂いにまみれたこと、寒い朝に両の手のひらを擦り合わせたこと、空気が抜けて外れかけたタイヤを触って途方に暮れたこと、北風の中を走ったこと。

 どれも大切な思い出だ。

 消耗品だと割り切ればいいのだろうが、やはりどこか心に引っかかる、使い慣れた道具。

「もっと大事に使ってやれば良かったかな…」

 ちょっと寂しい気持ちになった。

 私にもっと技術や経験があれば長持ちしたのかもしれない。

 私が過ごした大事な時間と、かけがえのない経験とを守ってくれた道具。

 このグローブをしてバイクに乗るのもあとわずかだろう。

 直接バイクに触れる一番外側の皮膚、グローブ。

 こんな風に道具はいつかその役目を終える時がくる。

 ブーツも、ジャケットも、そしてバイクも。

 みんながそれぞれの、限られた時間の『今』を共に過ごしている。

 私はグローブをしたままの手を部屋の照明にかざした。

「走りに行きたいな」

 ポツリと呟いた。

 黒と赤の拳が、残りわずかとなった時間を、一緒にあの風の中へ行こうと誘っている。

 小さな傷が目立つようになったヘルメットも、先月から私の足下を支えてくれるようになった新しいブーツも、駐輪場でカバーを被っている相棒も、みんなあの風の中で同じ時間を過ごした大切な存在だ。

 明日は金曜日。

 仕事を休む訳にはいかないが、通勤路を少し遠回りしよう。

 このグローブを通して触れるグリップの感触も風も、もうあと僅かだ。

使い慣れた道具って大切ですよね。

新しいモノをおろすドキドキも良いものですが、体に馴染んだ道具はつけているのを忘れるほどです。

新しいグローブも早く手に馴染むと良いなぁ~。

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