第八話 カイル、面接を受ける
この作品は生成AIを利用しています。
毎週月曜日更新予定です。
案内された先は、街の喧騒から少し離れた石造りの館だった。
ベルノアの中に入ってから、立派な建物はいくつも見た。けれど、ここはそれらとも少し違う。大きいというより、整い方に隙がない。門から玄関までの石畳はよく磨かれ、植え込みは乱れなく刈り込まれ、立っている衛士の姿勢まで揃っている。見張っているというより、そこにいること自体が館の一部みたいだった。
「うわ」
つい声が漏れる。
「今さら?」
横でローラが言う。
「今さらだよ。侯爵だぞ」
「知ってる」
「お前が落ち着きすぎなんだって」
そう言いながらも、ローラもほんの少しだけ歩幅が狭くなっていた。まったく平気というわけではないらしい。
正面の扉をくぐると、空気が変わった。外の匂いが急に薄れ、代わりに磨かれた石と木、それから控えめな香の匂いがする。広い玄関ホールの天井は高く、二階へ続く階段が緩やかに左右へ分かれていた。壁には風景画と古い地図らしい額が掛かっている。
そこで出迎えた使用人は、年配の男だった。目を伏せる角度まで綺麗で、声も低く落ち着いている。
「シリル様」
「ああ。父上は」
「お待ちです」
それだけで話が通るらしい。男は三人を奥へ案内し、途中で一度だけカイルとローラへ目を向けた。値踏みというほど露骨ではないが、旅装の二人がこの館に足を踏み入れていること自体は、やはり珍しいのだろう。
通された部屋は、応接室と呼ぶには少し堅い空気のある場所だった。客をもてなすための部屋でありながら、遊びの少ない造りをしている。大きな机はなく、向かい合う長椅子と低い卓があるだけだが、壁際の棚に並ぶ本の背が、ここがただの客間ではないと物語っていた。
「ここで待ってて」
シリルが言う。
「え、お前は」
「先に入って話してくる」
「まだ話すことあるのか?」
「あるに決まってるだろ」
言うだけ言って、シリルは奥の扉から姿を消した。
残されたカイルは、しばらく立ったまま部屋を見回した。座れと言われていない気がして落ち着かない。ローラはその辺りを迷わず、先に長椅子の端へ腰を下ろす。
「座れば?」
「いいのか」
「立ってても始まらないでしょ」
それもそうだ。カイルも少し離れて座る。卓の上にはすでに茶器が二つ置かれていて、ほどなく別の使用人が湯気の立つ茶を注いでいった。淡い琥珀色の液面に、細かな香草が浮いている。
恐る恐る口をつけると、苦くはないが、村ではまず飲まない味だった。
「何これ」
「ハーブティーじゃない」
「お前、平然と飲むなあ」
「旅の途中で変な薬草茶も飲んでるし」
「基準がまた分からん」
そこで扉が開いた。
入ってきた男を見た瞬間、カイルは思わず背筋を伸ばした。
年は四十代半ばほどだろうか。背は高く、体つきは痩せすぎても太ってもいない。豪奢な服を着ていても、それに着られている感じがまるでない。顔立ちは整っているが、優しげというよりは、まず静かに人を見る顔だった。怒鳴るだけで人を従わせるような男ではない。その代わり、軽い嘘やごまかしが通りそうにも見えない。
その後ろにシリルがいる。
「父上、こちら」
「聞いている」
男――ベルノア侯アルベルトは、部屋の中央まで進んでから二人を見た。
「エルサ村から来たというカイル殿と、旅人のローラ殿だな」
「は、はい」
カイルは慌てて立ち上がった。ローラも続く。
「急な呼び立てになった。座ってくれて構わない」
そう言われて、今度は本当に座る。アルベルトも向かいへ腰を下ろした。使用人が新しい茶器を置いて退がると、部屋には四人だけが残る。
「息子から話は聞いた。資料館で異変と大規模破壊の記録を調べていたそうだな」
「はい」
「君の村で起きている異変についても」
「それも、はい」
アルベルトの視線は、問い詰めるというより確かめるようなものだった。カイルはエルサ村で起きたことを、なるべく順番に話した。獣が寄りつかなくなったこと。川の流れがおかしくなったこと。丘が唸り、石壁と通路が現れたこと。長老がそれを終末の兆しと呼んだこと。
アルベルトは途中で一度も口を挟まない。ただ、シリルのような軽い相槌もないので、話しているこっちが妙に緊張する。
話が終わると、今度はローラへ目が向いた。
「君は遺跡に詳しいそうだな」
「詳しいと言っても、学者ではありません。ただ見てきた数は多いです」
「数を見てきた者の目は侮れない」
そこで初めて、アルベルトの口元がほんの少しだけ和らいだ。
「シリルは、君たちを領内の遺跡探査に加えたいと言っている」
「はい」
答えたのはローラだった。さっきまでと変わらない声で。
「資料だけでは分からないものがあります。実際に見てみたい」
「君らしいな」
アルベルトはその返しに苦笑するでもなく、淡々と受けた。どうやらこういう人間にもそれなりに慣れているらしい。
「カイル殿は」
「俺は……」
正直に言うなら、まだ全部飲み込めてはいない。侯爵家の探査隊に入るとか、村の人間からすれば話が大きすぎる。ただ、ここで引くのは違うとも思う。
「村の異変が何なのか、知りたいです。資料を見るだけじゃ足りないなら、見に行くしかないと思ってます」
「そうか」
アルベルトは短く頷いた。その頷き方だけで、軽い言葉ではなかったのだと分かる。
「シリル」
「うん」
「お前は彼らを連れて行って、何を見たい」
問いを向けられたシリルは、いつもの軽さを少し引っ込めた。
「領内の遺跡だけなら、うちの探査隊でも見られる。でもこの二人は、地方で起きてる異変と、外の露出遺跡を知ってる。特にローラは遺跡の危険の見分けが利く。カイルも現場勘がいい」
「勘、で済ませるにはざっくりしすぎていないか」
「じゃあ、ちゃんと役に立ちそうってこと」
「そう言えばいい」
「父上が意味分かってるなら同じだろ」
そのやり取りに、カイルは少しだけ目を丸くした。侯爵相手にその調子なのかと思ったが、アルベルトは別に怒るでもない。
「分かった」
短く言ってから、アルベルトは改めて二人を見た。
「探査への同行は許可する。ただし、あくまで調査だ。遺跡を前にしての独断行動は認めない。危険が明白な場合は引く。その判断には従ってもらう」
「はい」
ローラの返事が先だった。カイルもすぐ続く。
「ありがとうございます」
「礼はまだ早い。実際に結果を見てからだ」
厳しいと言えば厳しい。けれど、それでこそ自然だった。初対面の流れ者を、何の条件もなく受け入れる領主の方がよほどおかしい。
そこでアルベルトは立ち上がった。
「話は以上だ。シリル、お前は案内してやれ」
「分かった」
「ただし、その前に」
アルベルトは扉の方を見た。合図でもしていたのか、すぐに別の使用人が現れる。
「母上たちも呼ぶの?」
シリルが少しだけ意外そうに言う。
「探査に出る人間の顔を、家の者が見ておくのは悪いことではない」
それはそうか、とシリルが肩をすくめた。
ほどなくして、部屋の外が少しだけ賑やかになる。先に入ってきたのは、小柄な少女だった。年の頃は八つくらいだろう。柔らかな金髪を肩の辺りで揺らし、好奇心を隠す気のない顔で部屋の中を見回している。後ろから穏やかな足取りで入ってきた女性が、その肩に軽く手を置いた。
その女性を見て、カイルはシリルが誰に似ているのか少し分かった。顔立ちの輪郭が、シリルよりもっと整って、年を重ねた形でそこにある。ただし雰囲気は違う。シリルの軽さはなく、代わりに相手をすぐには拒まない柔らかさがあった。
「母上」
「あら、本当にもう話は済んでいたのね」
声も落ち着いている。ベルノア侯爵夫人エレオノーラだと、紹介がなくても分かる気がした。
少女はその後ろから半歩進み、カイルとローラを見上げる。
「この人たちが?」
「そう。シリルの新しいお友達よ、たぶん」
エレオノーラが言うと、シリルがすぐに眉を寄せる。
「言い方がおかしい」
「違うの?」
「違わないけど」
カイルはそこで少しだけ肩の力が抜けた。侯爵家といっても、家の中ではこういうやり取りをするらしい。
「こちらはカイル殿とローラ殿。シリルとともに、探査へ同行してもらうことになった」
アルベルトの言葉に、エレオノーラは二人へ向き直り、軽く一礼した。
「お会いできて嬉しいわ。息子がお世話になります」
「いや、まだ何も」
慌てて返すと、エレオノーラは微笑んだだけだった。変に持ち上げる感じがないので、かえって助かる。
少女の方は遠慮なくローラの旅装を見ていた。
「おねえさん、つるぎ持ってる」
「持ってるわよ」
「つよいの?」
「そこそこ」
「私はセレナ」
名乗ってから、じっとローラを見る。そのまっすぐさにローラが少しだけ目を瞬かせた。
「ローラよ」
「おにいさんは?」
「カイル」
「へえ」
何に納得したのか分からないが、セレナはひとつ頷いた。それから兄の方を見る。
「シリル兄さま、また危ないところ行くの?」
「またって何だよ」
「前も帰ってきたら服きれてた」
「ちょっと引っかかっただけ」
「だめじゃない」
幼いのに妙に言うことがまっとうで、カイルは吹き出しそうになる。シリルはあからさまに嫌そうな顔をした。
「セレナ」
エレオノーラがたしなめるように名前を呼ぶと、少女は素直に黙った。ただ、その目はまだ兄に向いていて、完全に納得している顔ではない。
そこへ、もう一つ足音がした。
背の高い青年が部屋の入口で立ち止まる。年は二十を少し過ぎたくらいだろう。シリルと似たところはあるが、こちらは軽さが削ぎ落ちていて、立ち姿だけで「長男」の空気があった。服装も落ち着いていて、シリルよりずっと館に馴染んで見える。
「兄上」
シリルがそう呼んだので、これがロランだと分かった。
ロランは部屋を見回し、状況を一瞬で飲み込んだようだった。
「話は終わったのか」
「うん。探査同行の許可もらった」
「そうか」
短く答えてから、ロランは二人へ視線を向けた。
「弟が世話になる。よろしく頼む」
言葉は簡潔だが、無礼ではない。むしろ余計なことを言わないぶん、真っ直ぐだ。
「いえ、こちらこそ」
カイルが返すと、ロランは小さく頷いた。それ以上踏み込んだことは言わないが、弟の同行相手として最低限の確認は済ませた、という感じだった。
部屋の空気が少しだけ緩む。シリルはその様子に気づいたのか、わざとらしく息を吐いた。
「何か、家族総出みたいになってるな」
「あなたが急に人を連れてくるからでしょう」
エレオノーラが言う。
「でも、いい子たちじゃない」
「まだ分からないだろ」
「あなたよりは落ち着いて見えるわよ」
「何で俺だけ毎回そうなるんだ」
そのやり取りに、今度こそカイルは少し笑った。ローラも口元だけで笑っている。
アルベルトはその様子を一度見てから、使用人へ目を向けた。
「探査隊には、明日の朝から加わってもらう。必要な通行証と最低限の身分証明を用意しろ」
「かしこまりました」
使用人が下がる。
「シリル。今日は彼らを街へ戻せ。無闇に遅くするな」
「分かってる」
「本当に?」
エレオノーラが言うと、シリルは露骨に嫌そうな顔をした。
「母上」
「冗談よ」
どう見ても半分は本気だった。
面談はそれで終わりだった。館の者たちに見送られながら部屋を出ると、行きとは違って少しだけ足が軽い。探査同行の許可は取れた。思っていたよりずっと急だったが、もう戻れない場所まで来た気がする。
玄関へ向かう途中、シリルが小声で言った。
「どうだった」
「何が」
「父上たち」
「……思ったより普通」
つい口にすると、シリルが吹き出した。
「普通って何だよ」
「いや、もっとこう、近寄っただけで怒られそうな感じかと」
「どんな侯爵だそれ」
「知らんよ。村育ちなんだから」
ローラが横で呆れたように息をつく。
「でも、分かる」
「お前もか」
「少しね」
三人はそのまま館を出た。外の空気は、さっきまでより少しだけ柔らかく感じる。ベルノアの石畳の上に、夕方前の光がまだ白く残っていた。
明日から遺跡探査が始まる。
その事実が、ようやく現実味を帯びてカイルの胸に落ちてきた。




