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第九話 カイル、調査隊に合流する

この作品は生成AIを利用しています。

毎週月曜日更新予定です。

 翌朝、まだ空の色が淡い頃に目が覚めた。


 窓の外は白み始めたばかりで、通りの音も昨日よりいくらか遠い。とはいえ静かというほどでもない。荷車の車輪が石を鳴らし、どこかで店を開ける戸板の音がした。ベルノアの朝は村より早いらしい。


 カイルは寝台から起き上がり、足元にまとめておいた荷を見た。水袋、干し肉、硬いパン、火打ち石、包帯、投げナイフ。必要なものは昨夜のうちにシリルから聞いて揃えてある。食料は多すぎず、だが数日は持つ量。探査隊の足を止めないこと。道具は荷車に積むが、自分の荷は自分で持てる重さにしておけ。そういう説明を受けた時、思っていたよりずっと具体的だったので少しだけ感心した。


 顔を洗って下へ降りると、ローラはもう食堂の隅にいた。卓に肘をついて、湯気の立つスープを前に窓の外を見ている。


「おはよう」


「遅い」


「まだ朝だろ」


「探査隊は待ってくれないわよ」


「お前、こういう時だけ妙に厳しいな」


「こういう時だからよ」


 言いながら、ローラは向かいの皿を顎で示した。黒パンと薄い卵焼き、それに湯気の立つ豆のスープだ。腰を下ろして食べ始めると、ローラが当然みたいに言った。


「荷、見せて」


「何で」


「足りないものがないか確認するから」


「お前は探査隊の何なんだ」


「遺跡に詳しい旅人」


「その肩書き便利だな」


 食べ終わってから袋を開くと、ローラは本当に一つずつ目を走らせた。


「水よし。食料よし。包帯よし。余計なものなし」


「余計なもの入れてないし」


「お守りとか持ってきてない?」


「何で知ってる」


「やっぱりあるの?」


「紐が一つ」


「それくらいならいい」


 呆れたように言われて、カイルは黙って紐を袋へ戻した。マルタ婆さんが無理やり持たせたものだ。効くかどうかは知らないが、捨てる気にもなれない。


 宿の表へ出ると、通りの端で腕を組んでいたシリルがこちらに気づいて手を上げた。


「遅い」


「お前まで言うのか」


「集合時間ぴったりだよ。むしろ俺が早い」


「それは知ってる」


 シリルの後ろには、小ぶりの荷車が二台止まっていた。片方には測定具や杭、巻かれた縄。もう片方には食料と天幕。街の外までは人が引き、その先で馬をつけるらしい。


「行くぞ。隊の方はもう集まってる」


 案内された先は、ベルノアの外壁近くにある作業用の広場だった。木箱や縄束の置かれた一角に十人ほどの集団がいて、近づくと何人かが顔を上げる。


 思っていたより、いかにも兵士という顔ぶれではなかった。剣を下げた者が二人、短槍持ちが一人、軽鎧の女が一人。杖を持つ術者が三人に、記録係らしい若者が二人。さらに、荷の管理を兼ねる年嵩の男が一人。装備も揃いすぎておらず、兵の一隊というより、必要な人間をかき集めた調査用の集まりに見える。


 その中から一人、背の高い男が前へ出た。肩幅が広く、日に焼けた顔に一本だけ古い傷がある。腰の剣は飾り気がなく、いかにも実用品だ。


「シリル様」


「ああ。連れてきた」


 男の視線がカイルとローラへ向く。露骨に嫌そうではないが、歓迎一色というわけでもない。


「聞いてはいます」


「父上の許可は出てる。文句ある?」


「いえ。ただ、現場で困るのはこちらですから」


 言い方は固いが、筋は通っている。シリルもそこに怒るでもなく、肩をすくめた。


「分かってる。だから顔合わせだ」


 男はそれで頷き、こちらへ向き直った。


「探査隊のまとめ役をしているガレスだ。剣と先導が仕事だ」


「カイルです」


「ローラ」


「聞いている。エルサ村と外の遺跡の件だな」


 その後、術者、記録係、治療担当、荷の管理役が順に紹介された。名前は一度で覚えきれなかったが、役割は分かった。探査魔法の術者は二人で、一人は測定、もう一人は結界や遮断を担当するらしい。治療担当の女術者は三十前後で、柔らかい顔をしているが、荷を確かめる手つきは無駄がなかった。


「鎧、ほとんどないのね」


 その女術者がローラを見て言う。


「動ける方が大事だから」


「死なない程度にしてよ」


「努力する」


 さらりと返すので、術者の方が少し笑った。


 一方、カイルは若い剣士に荷を見られていた。二十代半ばくらいだろうか。背に短弓も背負っている。


「村の剣にしちゃ長いな」


「親父の遺したやつで」


「振れるのか」


「振れますよ」


「へえ」


 試すような言い方だが、喧嘩を売っているわけではなさそうだった。


 出発前の確認は短い。今日から七日ほどかけて北東の丘陵地帯へ向かうこと。最初の二日は街道沿いを進み、三日目から脇道へ入り、そこから先は野営が増えること。危険があれば勝手に触らず、必ず声を上げること。


「特に初見の二人」


 ガレスがそこでこちらを見る。


「遺跡の周りでは、開けるな、踏むな、抜くな。気になるなら呼べ」


「子ども扱いだな」


 カイルが小さく言うと、ローラが横で肘を入れてきた。


「あなた向けの注意でしょ」


「お前にもだろ」


「私は呼ぶわよ」


「呼ばなそうだな」


「呼ぶって言ってるでしょ」


 それを聞いていたガレスが、わずかに口元を緩めた。


 ベルノアの門を出ると、街の音はすぐ背中側へ遠ざかった。整えられた街道がしばらく続き、左右には畑と牧草地が広がる。最初の二日は大きな移動だけで終わった。荷車に歩調を合わせ、昼に短く休み、日が傾く前に街道沿いの宿場か小村へ入る。隊としての動きは無駄がなく、誰も余計なことを喋りすぎない。


 その代わり、魔法の使い方は道中で自然と目についた。日差しが強くなれば、術者の一人が掌を上げて荷車の上へ薄い光の膜を張り、積み荷だけ直射を避ける。ぬかるみに入れば、別の術者が地面を短く固める。小川の水を汲む時も、器の中で魔法の光が一度走って泥が沈んだ。


「街の外でも普通に使うんだな」


 カイルが呟くと、隣を歩いていたシリルが頷く。


「探査隊だからな。むしろ使えないと困る」


「村だと火を起こすくらいしか見ない」


「それは村だろ」


「それはそうか」


 ローラは会話にはあまり入らず、街道の脇に見える岩肌や崖の断面ばかりを見ていた。石の色が変わるたびに目を止めるので、何を見ているのかと聞くと、


「層」


 とだけ返される。


「分かるのか」


「少しは」


「その“少し”信用しづらいんだよな」


「失礼ね」


 そんなやり取りをしながら、日数だけが過ぎていく。三日目からは街道を外れ、道幅がぐっと狭くなった。荷車に馬をつけ、森と丘陵のあいだを進む。四日目の夜には天幕を張って野営した。火を囲んでいると、調査隊の連中も少しずつ口が軽くなる。ガレスは無口なままだが、若い剣士はそこそこ話したし、記録係の一人は夜番が怖いとあっさり漏らして治療術者に笑われていた。


 その頃には、カイルも隊の歩き方に少し慣れていた。誰が先に危険へ気づくか、誰が荷を守るか、術者が魔法を使う時に周囲はどう動くか。戦う集団というより、役目を噛み合わせて進む集まりだと分かってくる。


 五日目の昼過ぎ、森の縁をかすめる道でそれは起きた。


 最初に異変へ気づいたのは、誰だったのか分からない。カイルは何となく、空気が薄く張った気がした。ガレスは前を歩いたまま片手を上げ、隊が止まる。鳥の声はある。風もある。だが地面の気配が薄い。エルサ村の近くで異変が出た時に似ていた。


「何か来る」


 思わず口にすると、数人が振り向いた。ガレスは一瞬だけこちらを見たが、否定はしない。


 次の瞬間、右の藪が大きく揺れた。


 飛び出してきたのは、痩せた狼だった。だが一頭ではない。二、三、四。さらに奥にもう二頭の気配。目の色が落ち着いておらず、空腹というより追い立てられたような荒れ方をしていた。


「来るぞ!」


 ガレスの声と同時に、隊が散る。


 前衛の剣持ちが荷車の前に出て、術者が後ろへ寄る。記録係が慌てて下がる中、カイルも腰の剣に手をかけた。ローラはすでに半歩前へ出ている。


 一頭目はまっすぐ荷車を狙った。だがその前に、シリルが抜いた剣が横から弾く。鋭い金属音。体勢を崩した狼へ、カイルが踏み込む。長い剣をそのまま振るには狭い。だから半歩身体を入れて肩口へ叩き込む。悲鳴を上げて獣が転がった。


 左からもう一頭。ローラがそれを迎える。飛び込みをぎりぎりまで引きつけ、身を捻って避け、ショートソードを喉元へ走らせる。浅いが十分に怯ませた。


 その時、記録係の一人が足をもつれさせて倒れた。


 荷車の脇だ。起き上がるには半拍遅い。そこへ藪の陰から、大きめの狼が一頭、低く身を沈めて飛びかかる。


「危ない!」


 誰かが叫ぶより先に、ローラが動いた。


 横から記録係を突き飛ばし、自分がその間へ入る。狼の牙がまともに食い込めば、腕か肩が持っていかれてもおかしくない角度だった。だが次の瞬間、ぶつかった音は妙だった。肉を裂くより、厚い革でも噛んだような鈍い衝撃音。ローラはよろめきはしたが、倒れない。そのまま近すぎる間合いで剣を逆手に持ち直し、獣の脇腹へ短く突き入れた。


 狼が悲鳴を上げて離れる。


「ローラ!」


 カイルがそちらへ駆けるのと同時に、後方で術者の声が重なった。


「展開!」


 足元から薄い光が立ち上がり、荷車の周囲へ半円形の膜が張られる。そこへ別の狼がぶつかって青白い火花を散らした。弾かれた個体へ、攻撃担当の術者が短く杖を振る。見えない刃のような風が走り、獣の脚を薙ぐ。


 もう一頭が横を抜けようとしたところを、シリルが追う。その動きを読んでカイルも位置を変えた。狼が進路を変えた先へ、投げナイフを抜いて振る。銀の軌跡が木漏れ日の中を走り、耳の後ろをかすめた。動きが止まった一瞬で、ガレスの剣が落ちる。


 残る個体は、仲間が倒れたことでようやく正気に戻ったようだった。低く唸りながら距離を取り、森の奥へ退いていく。追撃はしない。ガレスが短く手を上げると、それで戦いは終わった。


 静けさが戻る。


 治療術者がすぐに前衛へ寄る。若い剣士の腕が少し裂けていたが、光を当てると血はすぐに止まった。記録係は青い顔で起き上がり、助けられたことに気づいてローラを見る。


「す、すみません」


「気にしないで」


 ローラはそう言って、服の肩口を払った。


 カイルはその時、言葉を失った。


 ローラの上着の肩は、牙で裂けていた。布の下の肌も赤く擦れている。だが、それだけだ。本来なら肉が抉れていてもおかしくない当たり方だった。少なくとも軽く済む噛みつき方ではなかった。


「お前……」


 カイルが言いかけると、ローラはちらりとだけこちらを見た。


「大丈夫」


「大丈夫じゃなくて」


「これくらいなら平気」


 言い方が妙に早い。そこで追及する空気ではなかったし、ガレスも森の方を睨んでいる。結局その場は、それ以上言えなかった。


 隊は短く態勢を立て直し、再び進み始めた。狼が出たことで周囲への警戒は一段強くなったが、その後は大きな襲撃もない。日が傾く前に水場のある平地へ着き、その夜は野営になった。


 火が安定すると、隊の空気も少し緩む。記録係は命拾いした反動で静かになっていたし、シリルは剣の手入れをしながら無言だった。カイルは火から少し離れた場所で水袋を確かめていたローラの背中を見つけ、そこへ歩いていく。


「肩」


「何」


「見せろ」


 ローラが面倒そうな顔をした。


「何で」


「昼のあれ、絶対もっとひどかっただろ」


「大げさよ」


「大げさな噛まれ方だったんだよ」


 しばらく視線がぶつかる。やがてローラは、小さく息を吐いて肩口の布を少しずらした。


 カイルはそこでまた黙った。


 赤くなっているのは確かだ。けれど、昼に見えた生々しさがほとんどない。傷というより、強くぶつけた痣に近い。あれだけの勢いで食いつかれて、この程度で済むのはおかしい。しかも半日も経っていないのに、もう治りかけているように見える。


「……お前、治るの早くないか」


 ローラは肩を戻した。


「昔からこんな感じ」


「こんな感じって」


「軽い傷ならすぐ塞がるの」


 言葉はあっさりしているが、どこかこれ以上は聞くなという響きもある。


「そんな体質あるのか」


「知らない。でもあるんだから仕方ないでしょ」


 カイルはそれ以上すぐに返せなかった。傷の治りが早いなんて、村で聞いたこともない。だがローラ本人は、それを大して気にしている様子もない。慣れすぎているのかもしれなかった。


「だから大丈夫だったのか」


「大丈夫じゃなかったらやってない」


「それはそうだけど」


「あなた、変な顔してる」


「そりゃするだろ」


 ローラはそこで少しだけ視線を逸らした。


「死にたくないから、無茶はしてないつもり」


 その一言だけは、昼間より静かだった。


 カイルは短く息を吐いた。


「……次からは、せめて言え」


「何を」


「庇うなら庇うって」


「言う暇なかったでしょ」


「それもそうか」


 それで話は終わった。終わったが、カイルの中には引っかかりが残ったままだった。


 翌日からも移動は続いた。森を抜け、岩の多い地帯に入り、六日目には人家もほとんど見えなくなった。隊の会話は減り、代わりに測定具を覗く術者の回数が増える。七日目の昼前、ようやく先頭を歩くシリルが振り返らずに言った。


「もうすぐだ」


「見えるのか?」


「見える」


 カイルが視線を上げると、丘陵の先、土と石の色が不自然に切り替わっている場所があった。近づくにつれて、それがただの崩れた地面ではないと分かってくる。


 斜面の一角が大きく抉れ、その奥から灰色の壁が露出していた。自然の岩と違い、面がやけに平らだ。さらに下へ回り込むと、土に半ば埋もれた階段と、暗い口を開けた通路の一部まで見える。


 遺跡だ。


 しかも、エルサ村近くで見たものよりずっと大きい。


「……おいおい」


 思わず声が漏れた。ローラは何も言わない。だが、その金色の目がじっと壁面を舐めるように見ていた。


 調査隊は遺跡から少し離れた平地で足を止めた。荷車が下ろされ、測定具が運ばれる。術者たちが手際よく結界杭を打ち込み、記録係が紙を広げる。


 ガレスが振り返った。


「ここからは本番だ。勝手に前へ出るな」


 その声は、街を出る前より一段低かった。


 カイルは目の前の遺跡を見上げる。

 石壁は沈黙したまま、そこにある。

 けれど、その沈黙の奥に、何かが潜んでいるのが分かった。

 ここから先は、村の外れで見つけた露出遺跡とは話が違う。

 ベルノアの探査隊が、一週間もかけてわざわざ来る理由が、ようやく肌で分かり始めていた。

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