第七話 カイル、侯爵に会う
この作品は生成AIを利用しています。
毎週月曜日更新予定です。
翌朝、目が覚めた時には、外の通りはもう動き始めていた。人の声と荷車の音が、窓の向こうで切れ目なく続いている。とはいえ昨日ほど気になるほどでもない。顔を洗って下へ降りると、ローラはすでに卓についていた。
「早いな」
「あなたが遅いの」
「まだ朝だろ」
「資料館行くんでしょ?」
「行く」
軽い朝食を済ませ、二人は宿を出た。昨日とは違い、今日は目的がはっきりしている。ローラの足取りも最初から速い。資料館へ向かう道を、今度は迷わず進んでいく。
資料館の扉は開いていた。石造りの館内は朝でもひんやりしていて、昨日とは違って人の出入りが少しだけある。棚の間を歩く者、受付で何かを訊ねる者、奥へ案内される者。カイルはそこを見回しながら、ローデリクの紹介状を取り出した。
受付にいた若い男は、紹介状を見るなり顔を上げた。
「リシュカのローデリク殿から?」
「はい」
「少々お待ちを」
男は奥へ引っ込み、代わりに少し年配の司書が出てきた。眼鏡越しに二人を見て、紹介状の封を確認する。
「エルサ村の異変についての照会、ですか」
「長老に、ここへ行けって言われたんです」
「なるほど」
司書は封を切り、手紙に目を通した。読み終えると、二人を資料閲覧用らしい席へ案内する。
「異変と大規模破壊、それに遺跡関連の記録ですね。すべてが一か所にまとまっているわけではありませんが、いくつか当たれます」
「お願いします」
ローラの返事が早い。司書は軽く頷き、何冊かの本と、筒に入った写本の束を持ってきた。
まず見せられたのは、各地の古い災害記録だった。土地ごとに書き方は違うが、共通しているのは「異変」と「その後に起きた大きな破壊」の記述だ。空が赤く染まった、地が裂けた、光が走った、都市が焼けた。どれも断片的で、何が本当に起きたのかまでは分からない。
「これ、全部本当なのか」
カイルが眉を寄せると、司書は首を横に振った。
「記録の真偽は様々です。伝承に近いものもある。ただ、繰り返し似た形が見られる」
「異変があって、その後に壊れた」
「ええ」
次に出てきたのは、遺跡の危険性に関する記録だった。自動迎撃機構を持つ遺跡、内部に入った調査隊が戻らなかった遺跡、触れた器具が発光し周囲を焼いた遺物。ローラはそこで明らかに身を乗り出した。
「これ、どこの報告ですか」
「ベルノア領外のものも混ざっています。最近まとめられた写しです」
「元の資料は?」
「一部は奥です」
「見たい」
「そこは許可が要ります」
食い気味に返したローラに、司書は少しだけ困った顔をした。カイルが横で小さく肩をすくめる。
その時だった。
「やっぱりその辺りを見るよな」
後ろから、若い声がした。
二人が振り向くと、棚の陰に立っていたのは十代後半の少年だった。上等な服ではあるが、いかにも貴族という派手さはない。明るい茶髪を後ろへ流し気味にし、手には開いた本を持っている。気軽に話しかけてきたくせに、立ち方だけ妙に育ちがいい。
「自動迎撃の報告書、面白いだろ」
ローラが少し警戒した顔で見ると、少年はそれに構わず席の方へ歩いてきた。
「リシュカからの紹介状で来た二人って、君たち?」
「そうだけど」
ローラが答える。
「君、何」
「何はひどくないか。俺はシリル」
「名前だけで分かるわけないでしょ」
「まあそうか」
妙にあっさり引いた。そのまま卓の上の資料へ目を落とす。
「異変と大規模破壊、遺跡の危険性。で、地方から来たってことは、現地で何か見たんだろ」
そこで初めて、カイルが口を開いた。
「何でそう思う」
「ここに来る連中は大体二種類だから。昔話が好きか、現場を見たか」
「で、俺たちは後者?」
「その顔はそう」
「顔で分かるのかよ」
「何となく」
軽い口調なのに、不思議と嫌味がない。ローラはまだ少し探るような目をしていたが、「遺跡の危険性」の記録を勝手知ったる風に覗き込まれたことで、別の意味で気になったらしい。
「あなた、この辺りの資料よく読んでるの?」
「まあ、それなりに」
「迎撃機構の違い、分かる?」
「全部は無理。でも様式差はある。こっちは古い型だし、そっちは後代の模倣が混じってる」
言いながら、指先で報告書の行を示す。ローラの目つきが変わった。
「……分かるの?」
「少しは」
「少し、ね」
どこかで聞いたような言い回しに、カイルは口を挟みたくなったが、やめておいた。二人とも、そこから急に話が速くなったからだ。石材の削り方だの、通路幅だの、魔力導線だの、カイルには半分も分からない言葉が飛び交う。その中で、シリルがふとこちらを見る。
「で、君は?」
「俺?」
「うん。そっちは遺跡好きじゃなさそうだし」
「失礼だな」
「違うのか」
「違わないけど」
カイルは椅子に座り直した。
「俺の村で異変が起きたんだ。獣が寄りつかなくなって、川の流れがおかしくなって、丘が唸って、その下から遺跡が出た」
そこでシリルの顔つきが初めて変わった。軽さが少し引く。
「どこだ」
「エルサ村」
「聞いたことは……あるな。北西の方か」
「多分」
「多分って何だよ、自分の村だろ」
「地図の上だとそうらしい」
そこは呆れたように笑われたが、すぐにまた真顔へ戻る。
「その遺跡、攻撃してきた?」
「道中の別の遺跡がな」
ローラが答える。
「小規模だけど迎撃あり。止めた」
「へえ」
シリルの視線が二人の間を行き来する。
「面白いな」
「面白がるな」
「いや、そういう意味じゃなくて」
言ってから、彼は少しだけ周囲を見た。司書は別の棚へ下がっていて、この卓までは聞いていない。
「俺、ベルノア侯爵家の次男なんだ」
さらりと言われて、カイルは少し黙った。
「……は?」
「だからシリル。ベルノア侯爵家の」
「先に言えよ」
「別に隠してたわけじゃない。聞かれなかったし」
たしかに聞いてはいない。ローラはその辺りの反応が早かった。
「じゃあ資料に顔が利くのも、遺跡の報告書を見てるのも、そのせい?」
「そう。領内の遺跡探査隊にも顔を出してる」
「顔を出すって、趣味で?」
「半分は」
「残り半分は?」
「興味があるから」
「同じじゃない」
「細かいな」
だが、その会話の間にもシリルの頭は回っているらしい。指先で机を軽く叩きながら、何かを考えている。
「エルサ村の異変と、道中で出た攻撃遺跡。しかも君は現場を見てて、そっちは遺跡に詳しい」
そしてぱっと顔を上げた。
「うちの探査に来ない?」
「うちの、って」
「領内の遺跡探査隊。今ちょうど動いてる」
ローラが目を細める。
「簡単に入れるものじゃないでしょ」
「普通はね。でも、話は通せる」
「侯爵家の次男だから?」
「そう」
そこは変に濁さなかった。
カイルは少し眉を寄せた。怪しい話ではない。だが急だ。
「俺たちを連れていく意味あるのか」
「ある。君たちは現場の異変を持ってきた。しかも遺跡の攻撃性も見てる。うちの調査隊には、そういう外の実例が足りない」
そこでシリルはローラを見る。
「それに、君はたぶん普通の調査員より遺跡の見方を知ってる」
「……まあ、否定はしない」
「だろ」
「でも許可は?」
「今から取りに行く」
言い切る声に、変な迷いがなかった。思いつきで喋っているようで、こうと決めた時は早いタイプらしい。
「父上に話す。ベルノア侯アルベルトに」
その名が出ると、さすがにカイルも背筋が伸びる気がした。村の人間がいきなり侯爵と会うことになるとは思わない。
「いや、ちょっと待て」
「待たない」
「待てよ。俺たち、今ここ来たばっかりなんだけど」
「だからいいんだろ。変に街に染まってない」
「どういう理屈だよ」
ローラがそこで口を開いた。
「私は行くわよ」
カイルが振り向くと、ローラは真顔だった。
「探査隊に入れるなら、資料だけじゃ見えないものが見える。断る理由ない」
「お前はそうだろうな」
「あなたは?」
聞かれて、カイルは少し考えた。
村の異変を確かめるためにここまで来た。資料は資料で必要だが、実際に動いている遺跡を見られるなら、それに越したことはない。問題があるとすれば、相手が侯爵家だということくらいだ。
「……年寄りに弱いんだよな、俺」
「何それ」
「いや、多分断れないだろうなって」
ローラが吹き出した。シリルは一瞬きょとんとしてから、つられて笑う。
「じゃあ決まりだな」
「決まるの早いな、お前」
「遅いよりいいだろ」
そう言って、本を閉じる。その仕草だけでも妙に育ちが良かった。
「少し待ってろ。話を通してくる」
「今から?」
「今から」
「侯爵ってそんなすぐ会えるのか」
「そこはまあ、何とかなる」
何とかなると言って本当に何とかしてしまいそうな顔をしている。シリルは卓から離れかけて、ふと思い出したように振り返った。
「ああ、もし父上の前で変に固くなるなら、ローラが先に喋るといい」
「何で私」
「君の方が物怖じしなさそうだから」
「それは否定しない」
「俺は?」
「君は余計なこと言いそう」
「ひどいな」
「図星だろ」
言い返す前に、シリルはもう歩き出していた。棚の間を抜け、奥の扉へ入っていく。
残されたカイルは、しばらくその背中を見送ってから、ゆっくり息を吐いた。
「何か急に話がでかくなったな」
「そうね」
ローラは特に慌てる様子もなく、卓の上の報告書へもう一度目を落としている。
「お前、落ち着いてるな」
「遺跡に近づけるなら落ち着くでしょ」
「基準が分からん」
「分からなくていいの」
言いながらも、口元は少し上がっていた。嬉しいのだろう。カイルはそんな横顔を見て、半ば呆れ、半ば納得する。
資料館の中は相変わらず静かだった。けれどさっきまでと違って、次に何が始まるのか分からないざわつきが胸の内にある。ベルノアへ入った時に感じた「ここから次の話が始まる」という感覚が、今はもっとはっきりしていた。
しばらくして、奥の扉がまた開く。
戻ってきたシリルは、さっきより少しだけ足早だった。
「通った」
「通った?」
「父上が会うってさ。今から来いって」
「今から?」
「今から」
同じ言葉が続く。カイルは思わず天井を見た。
「……本当に何とかしたな」
「だから言っただろ」
シリルは肩をすくめて、それから少しだけ真面目な顔になる。
「行こう。詳しい話はそこでだ」
ローラがすぐに立ち上がる。カイルも椅子を引いて立ち、卓の上に置かれた写本を司書の方へ戻した。
資料館の外へ出ると、昼の光が石畳に白く落ちていた。さっきまで資料の中にいたせいか、街の音が妙に近い。シリルはそのまま表通りとは逆の道へ向かう。
「こっちでいいのか」
「いい。早いから」
「侯爵家の屋敷に近道とかあるのか」
「ある」
「何でそんなに普通に言えるんだ」
「うちだから」
当たり前みたいに返されて、カイルはもう何も言えなかった。
ベルノアの街並みは変わらず賑やかなのに、向かう先が違うだけで見え方が少し変わる。高い石壁、整えられた通り、行き交う人間の服の質。いつの間にか、さっきまでいた資料館よりさらに静かな区画へ入っていた。
カイルは無意識に、腰の剣の位置を確かめた。別に戦うわけではない。ただ、こういう時に手持ち無沙汰になるのだ。
「そんなに緊張してる?」
ローラが小声で言う。
「してない」
「してる顔」
「お前はしてないのかよ」
「少しは。でも遺跡探査の方が気になる」
「お前は本当にぶれないな」
前を歩くシリルが、振り返らずに笑った気配がした。
そうして三人は、ベルノア侯アルベルトとの面談の場へ向かっていった。




