第二十八話 カイル、巨大遺跡を語る
村の周囲で起き始めた異変を調べるため、少年カイルは故郷を旅立つ。
長老が「終末の兆し」と呼んだその現象を追う途中、彼は村の近くに露出した古代遺跡で、遺跡に異様な情熱を注ぐ旅人の少女ローラと出会う。
不用意に遺跡を刺激して危機に陥ったカイルを救った彼女は、どう見ても変わり者。けれど遺跡の知識だけは本物だった。
終末を調べる旅のはずが、なぜか遺跡オタクの少女と遺跡巡りが始まる。
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風が、崩れた壁のあいだを抜けていった。
追いはぎたちの気配が完全に遠ざかると、広場にはまた、さっきまでと同じ静けさだけが残った。人が騒ぎ、武器がぶつかり、声を荒げたはずなのに、空箱の中は最初から何もなかったみたいな顔へ戻っている。
カイルは広場の向こうを見たまま、ロングソードの柄から手を離した。
「……やっぱ嫌だな、ここ」
ローラがそちらを見る。
「追いはぎが?」
「それも嫌だけど、そっちじゃない」
カイルは少し眉を寄せたまま、目の前の建物を顎で示した。
「さっきも思ったけど、ここ、何があるのか分からない。建物はあるのに」
言ってから、自分でもうまく言えていない気がした。だが、シリルがすぐに頷く。
「分かるよ」
「お前も?」
「うん。街の規模では残ってるんだ。でも、街として見ようとすると頭に入ってこない」
シリルは広場の左手を見た。高い壁面が途中で折れ、その奥にまた別の建物の断面が見えている。
「第一文明の遺跡は、危ないし、分からないし、下手をすればこっちを殺しにくる。でも、それでも“何かが残ってる”感じはあるんだよね」
ローラが小さく頷く。
「兵器だとか、記録だとか、仕掛けだとか、そういう話だけじゃなくて?」
カイルが聞くと、シリルは少し考えてから答えた。
「もっと雑に言うと、街の続きがどこかに残ってる感じかな」
「続き?」
「うん。壊れてても、そこで何があったかを辿れる余地がある。ここはそれが薄い。と言うより、何もない」
フィオナが足元の石を見ながら言った。
「建物の用途を推定する材料が、残っていません」
「それだ」
シリルが指を鳴らす。
「壁も、部屋の広さも、窓の位置も残ってるのに、その先の生活や機能が繋がらないんだ」
ローラは少し先の建物へ歩いていき、崩れた入口を手でなぞった。
「ここ、たぶん最初はちゃんとした建物だった。壁の取り方も揃ってるし、部屋割りもおかしくない。街全体もたぶん最初はちゃんと並んでた」
「たぶん、ってのは」
カイルが聞く。
「そう見えるから。見えるんだけど……」
ローラは中を覗き込んだまま、少し言葉を探した。
「そこにあったはずのものが、何も残り方を教えてくれない」
カイルは広場の反対側を見る。高い建物の壁が一枚、そのまま立っていた。窓の跡が縦に並び、途中で欠けている。普通なら、あれを見ればそこが何かの建物だったと分かる。だが、何の建物だったのか、その中で何が続いていたのかがまるで浮かばない。
「部屋なら部屋で、何か分かるもんな」
カイルがぼそりと言う。
「村の納屋なら納屋って分かるし、家なら家って分かる。壊れてても、何してた場所かくらいは残る」
レオニスがちらりとこちらを見た。
「そうだ」
「ここは、それがない」
「ないな」
レオニスは広場の中央へ視線を戻した。
「形だけが残っている」
短い言葉だったが、今まで聞いたどの説明よりしっくりきた。
シリルがそのまま続ける。
「建物はある。街路の幅もある。区画も、たぶん元はあった。でも、文明の痕跡っていうか……」
少し迷ってから、言い直した。
「そこで人が何を積み重ねてたかが見えない」
「文明の痕跡か」
レオニスが繰り返す。
「悪くない」
ローラが建物の中から戻ってきた。
「第一文明の遺跡は、嫌でも分かる。何かが残ってるから」
「攻撃性ですか?」
フィオナが言う。
「そういうのだけじゃないけど、うん」
ローラは頷いた。
「危ない遺跡って、そこに残ってるものがまだこっちへ向いてる感じがある。閉じてないっていうか」
カイルは王都近郊で見た大破壊跡を思い出した。裂けた地面、砕けた壁、吹き飛んだ柱、焼けた石。あれは怖かったが、何が起きたのかは怖いなりに分かった。
「第一文明の方は、壊れてても壊れた感じがするんだよな」
口にすると、全員の視線が少し集まった。
カイルは肩をすくめる。
「何だよ」
「続けて」
ローラが言う。
「……いや、そんな大した話じゃないけど」
それでもカイルは、正面の通りらしいものを見ながら言った。
「王都の近くで見たやつも、ベルノアの時もそうだ。壊れてるなら壊れてるって分かるんだよ。危ないし、近づきたくないし、訳分かんないのもあるけど、でも何かが残ってる。ここは違う」
「違う、って?」
シリルが聞く。
「嫌なんだよ」
カイルは少し顔をしかめた。
「気持ち悪い、っていうか。壊れてるだけならまだ分かるのに、ここは建物が残ってるせいで余計に分かんなくなる。人がいたはずなのに、その感じだけ抜けてる」
フィオナが静かに言う。
「形はあるのに、使われ方の名残が見えません」
「そう、それ」
カイルは頷いた。
「だから嫌なんだと思う」
ローラが小さく息を吐いた。
「空っぽなのが嫌なんじゃなくて、空っぽなのに形が残ってるのが嫌?」
カイルは少しだけ驚いた顔をした。
「……たぶん」
「うん。分かる」
ローラは周囲を見回した。
「これ、ただの廃墟じゃない。廃墟なら、もっと生活の残り方がある」
「空箱、か」
シリルが苦笑した。
「上手く言ったもんだね」
「上手いのが腹が立つ」
ローラが言う。
レオニスはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「第一文明の遺跡は、壊れても中身が残る」
全員がそちらを見る。
「兵器機構、記録、技術断片。形だけでなく、文明を文明たらしめていたものの一部が残る。だから危険でもあるし、だから追える」
彼はそこで広場の周囲を指した。
「ここは逆だ。建物はある。区画の残骸もある。だが、それを街として結び直す材料がひどく乏しい」
「それが終末の跡、ってことですか」
フィオナが尋ねる。
レオニスはすぐには頷かなかった。
「少なくとも、大破壊とは別のものとして見る方が自然だ」
シリルが腕を組む。
「第一文明の大破壊跡は、露骨でしたからね」
「ああ。壊れ方そのものが前に出ている」
「でも、空箱は壊れてるだけじゃ足りない」
ローラが言う。
「壊れてる上に、街の中身が見えない」
カイルは広場の先に続く通りらしいものをもう一度見た。幅はある。石も並んでいる。なのに、その先を辿ろうとすると頭の中で線が切れる。
「地図が描けないって、そういうことか」
「そういうこと」
シリルが答える。
「道をなぞるだけなら描ける。でも、街としての地図にならない。中心がどこかも、区画がどう切れてたかも、そこで何が回ってたかも分からない」
「第一文明の遺跡なら、たとえ分からなくても“何かが残ってて分からない”なんだよね」
ローラが言う。
「ここは“残ってるのに分からない”」
レオニスが、小さく鼻を鳴らした。
「いい差だ」
フィオナが探査の光をもう一度足元へ流す。石の縁を薄くなぞった光は、すぐ消えた。
「危険な反応が薄いのも、帝国が軽く扱う理由にはなっているでしょうね」
「兵器にならないからだろうね」
シリルが言う。
「見る目がそこにしか向いてない」
「だから放っておけるってわけか」
カイルが言うと、ローラが少しだけ眉をひそめた。
「もったいないとか以前に、気持ち悪くならないのかな」
「ならないんじゃないか」
カイルはすぐに答えた。
「少なくとも、俺たちみたいには見てない」
その言葉に、レオニスが一度だけこちらを見た。
「それだ」
「何だよ」
「見ていないものは、見えん」
それだけ言って、彼は広場の奥へ目を向けた。
「空箱がどういうものか、今のでだいぶ見えた」
シリルが小さく息をつく。
「巨大な後代都市の殻、って感じですね」
「殻だけが街の規模で残ってる」
ローラが言う。
「だから余計に嫌だ」
カイルは目を閉じて、小さく頭を振った。
風が吹き抜ける。
高い壁の切れ目から、空だけがやけに広く見えた。その下には、建物がある。通りの跡もある。けれど街はない。
そのことだけが、さっきよりもはっきりしていた。




