第二十四話 カイル、国境を超える
村の周囲で起き始めた異変を調べるため、少年カイルは故郷を旅立つ。
長老が「終末の兆し」と呼んだその現象を追う途中、彼は村の近くに露出した古代遺跡で、遺跡に異様な情熱を注ぐ旅人の少女ローラと出会う。
不用意に遺跡を刺激して危機に陥ったカイルを救った彼女は、どう見ても変わり者。けれど遺跡の知識だけは本物だった。
終末を調べる旅のはずが、なぜか遺跡オタクの少女と遺跡巡りが始まる。
この作品は生成AIを利用しています。
今後は毎週月曜日18:00更新予定です。
ベルノアを発つ前日の夕方、シリルに連れられて南市場の外れまで来た時、カイルはようやく話の意味を理解した。
「隊商って、これか」
思わず口にすると、シリルが横で笑う。
「これだよ」
広場には荷馬車が十台、横並びではなく少しずつずらして止められていた。荷を積む者、縄を締め直す者、帳面を広げている者、馬の脚を見ている者。誰も彼も忙しそうなのに、全体としては妙にまとまっている。勝手に動いているようで、勝手ではない感じだ。
ベルノア侯家の紋章付きの馬車とは違う。飾り気はないが、そのぶん街道の上で擦れてきた手触りがあった。
「これに混ざるのか?」
「ああ」
「よく入れてくれるな」
「父上が口を利いたからね」
そう言ってから、シリルは少しだけ声を落とした。
「その代わり、こっちも余計なことはしない。向こうにとっても面倒な話だから」
ローラはもう視線を荷の方へ向けていた。積まれている木箱、樽、布で巻かれた細長い荷。そのどれもに遺跡ほどの熱はないが、物珍しさはあるらしい。
「何を売るの?」
「布、薬種、乾物、細工物。行きと帰りでだいぶ変わるけど」
「遺跡の破片とかは?」
「ないよ」
「そう」
「残念そうに言うな」
カイルが言うと、ローラは少しだけ口を尖らせた。
「あったら見たかった」
「見なくていい」
後ろからレオニスの声が飛ぶ。ローラは振り向きもせずに肩を竦めた。
広場の奥から、がっしりした体つきの男が歩いてきた。髭は短く整えられていて、年は四十前後だろうか。商人というより護衛頭にも見えるが、腰の剣より先に帳面を持っているあたり、たぶん両方なのだろう。
「お待たせしました、シリル様」
そう言った声は、思ったより柔らかかった。
「俺が今回のまとめ役をしてる。ダンテって言います」
「こちらこそ。急な話ですまない」
「いや、ベルノア侯からの口利きなら断れませんよ」
言いながら、ダンテの目はもうこちらを見ていた。軽く値踏みしているのが分かる。嫌な感じではないが、甘くは見ていない。
「話は聞いてます。帝国側の交易都市まで同道。そっから先はそちらで離れる」
「はい」
「五人、でしたね」
ダンテの視線がシリルからフィオナへ、フィオナからカイルへ移る。ローラのところで一瞬だけ止まり、最後にレオニスで止まった。
「……ずいぶん面白い顔ぶれだ」
「そうでしょうね」
シリルが苦笑すると、ダンテも肩を揺らした。
「いや、悪い意味じゃない。旅慣れてるのと、慣れてないのが一目で混ざってる」
「どっちがどっちです?」
「聞かない方がいいですよ」
「聞く前に答えが見えてる気がするな」
そう言いながらも、ダンテはすぐに表情を戻した。
「一応確認だけさせてください。帝国側で余計な口は利かない。勝手に別行動しない。揉め事を起こさない。ここまでは絶対です」
ローラがすっと視線を逸らす。
ダンテが見逃すはずもなかった。
「そこの嬢ちゃん」
「なに?」
「今、目を逸らしたよな」
「気のせい」
「気のせいじゃないな」
カイルは思わずローラを見た。フィオナが横から静かに口を挟む。
「私が見ます」
「見てて止まるなら助かります」
「止めます」
レオニスがそこで淡々と言った。
「私が引きずってでも戻す」
「先生」
シリルが小さく言うと、ダンテは少しだけ安心したような顔をした。
「それならまあ」
「面倒はかけないつもりだよ」
「隊商に混ざるってのは、荷より人の方が面倒ですからね」
ダンテはそれだけ言って、帳面を開いた。
「表向きの立場だけ合わせておきます。シリル様はベルノア側の取引見習い。そこの女性二人は補佐と帳付け。あんた」
カイルを見た。
「護衛兼荷運び。これは一番分かりやすい」
「それはいい」
「で、先生」
レオニスを見て、言葉を選ぶように間が空く。
「……古物と素材の目利きで」
「何でもいい」
「頼んますよ」
ダンテは小さくぼやいたが、それ以上は言わなかった。
その夜はベルノアで早めに休み、翌朝まだ空の色が薄いうちに出立した。
街の中もようやく起き始めた頃、門を抜けた。荷馬車の軋む音が石畳に響き、馬の吐く息が白く短く流れる。ベルノアの城壁が後ろへ遠ざかっていくのを見ながら、カイルは無意識に肩を回した。
「何だかんだで、またここに戻ってくる感じはあるな」
「ないと困るよ」
シリルが馬上で言う。
「帰る場所ではあるからね」
「実家だもんな」
「そう。落ち着くかどうかは別として」
横を歩いていたローラがくすりと笑う。
「お父さん、怖かった?」
「怖いっていうか、刺々しくてね」
「先生のこと?」
「うん」
「それは先生が悪いんじゃない?」
「そこは否定しない」
前を行くレオニスは聞こえているのかいないのか、振り返りもしない。フィオナはその少し後ろを歩きながら、隊商全体の流れを見ている。荷の動き、人の歩幅、後ろの馬車との間。そういうものを静かに拾っている感じだった。
街道は広く、ベルノアを離れたばかりの間は人の往来も多かった。行商人、農具を積んだ小さな荷車、反対側から来る旅人。だが二日目の昼を過ぎる頃には、道の空気が少しずつ変わってきた。
人が減るのではない。むしろ荷を運ぶ者は増える。だが、どの顔も前ほど気軽ではなくなる。宿場で隣り合わせた商人たちも、帝国側の話になると声が落ちた。
その日の夕方、野営地で乾いたパンを齧っていた時だった。
「また増えてた」
シリルがぽつりと言う。
「何が?」
カイルが聞くと、シリルは火の向こうを見たまま答えた。
「見張り。昼に橋のところで見たろ。前はあそこには置いてなかった」
カイルは思い返す。浅い川を渡る石橋の脇に、槍を持った兵が四人立っていた。通る荷車を止めるわけではなかったが、全員の顔を見ていた。
「あれ、王国側の兵か?」
「そう」
「増えてるのか」
「増えてる」
ダンテが少し離れたところから答えた。火に手をかざしたまま、こちらを見ずに続ける。
「帝国がきな臭くなると、こっちも増える。増えてほしくない時ほど増える」
「嫌な話だな」
「街道商いなんてそんなもんですよ」
ダンテはそう言ってから、今度はローラを見た。
「ちなみに嬢ちゃん」
「はい」
「明日も道を外れようとしたら、本当に荷馬車に縛るからな」
「どうして私だけ」
「今日だけで三回だからだよ」
カイルは吹き出した。ローラは不服そうにしていたが、反論はできなかった。実際、昼の休憩のたびに、道の脇の石積みや崩れた基礎に吸い寄せられていたのだ。
そのうちの一回は、本当に遺跡らしい遺跡だった。低い丘の裾から白っぽい石の壁が斜めに覗き、半ば草に呑まれていた。ローラは何も言わずにふらふらとそちらへ歩きかけ、次の瞬間には後ろから襟を掴まれていた。
「離して」
「戻れ」
レオニスがそのまま引きずるように街道へ戻す。
「先生、見るだけ」
「必要ない」
「まだ何もしてない」
「これからする顔だ」
「顔で判断しないで」
「する」
ローラは恨めしそうな目で振り返っていたが、レオニスは気にした様子もなく手を放した。
その一部始終を見ていた隊商の若い荷運びが、小さく呟いた。
「仲いいんだか悪いんだか」
カイルは答えに困ったが、シリルが横からさらりと言う。
「遺跡が絡まなければ、だいたい平和だよ」
「絡むと?」
「見ての通り」
四日目の朝から、街道の様子はさらに変わった。
道幅そのものは変わらない。空も地面も昨日と同じだ。なのに、通り過ぎる者たちの目つきだけが違う。荷車を引く男も、馬を連れた旅人も、緊張が顔に出ていた。
昼前、緩やかな坂を上り切った先で、ようやくそれが見えた。
石造りの門というほど大きくはないが、道を絞る柵と、両脇の見張り台、その前に並ぶ兵の姿がはっきり見える。王国側の検分所だった。
ダンテが手を上げると、隊商全体が少し速度を落とした。
「いつも通りで」
小さくそう言う。
「いつも通りって?」
カイルが聞くと、ダンテは前を見たまま言った。
「余計なことを言わない。余計なものを見せない。緊張しすぎない。つまり、いつも通り」
「難しいな」
「だから難しい顔するな」
隊商は一台ずつ止められ、荷の確認と旅券の確認が進んだ。王国側の兵は手際よく、それでいて前より確かに細かかった。荷台の布をめくり、箱の数を確かめ、人の顔を順に見る。
シリルが前に出る。ベルノア侯家の次男であることは出さない。だが、その身のこなしと言葉遣いは、ただの駆け出し商人ではないと十分に分かる程度には整っていた。
「ベルノア発、帝国側交易都市まで。荷は申請通りです」
兵は旅券を見て、シリルの顔を見る。次に一行へ目を走らせた。
「人数が増えているな」
「途中合流です。帳付けと目利きと護衛」
さらりと答える。
兵の目がローラのところで止まり、次にレオニスへ動いた。
「……目利き?」
「腕は確かです」
シリルが言うと、兵は何とも言えない顔をした。信じたわけではないが、面倒な問いを増やすほどでもないと判断したらしい。
「帝国側も前より厳しい。揉めるなよ」
「承知しています」
通行が許され、隊商がまた動き出した時、カイルはようやく息を吐いた。
「今ので終わりか」
「王国側はね」
シリルが言う。
「問題はここから」
その日の夕方には、もう国境の手前の宿場へ着いた。宿場といっても街というほど大きくはなく、街道に張りつくように建物が並び、その向こうに背の低い丘と、木立が続いている。人の数のわりに声が抑えられていて、笑っている者がいても音が広がらない。
夕食の席で、ダンテが木のコップを置いた。
「明日は帝国側だ」
隊商の者たちも自然と耳を向ける。
「変に肩に力入れるな。けど、気は抜くな。聞かれたことだけ答えろ。聞かれてないことは喋るな」
「帝国の兵って、そんなに違うんですか」
フィオナが尋ねると、ダンテは少し考えてから言った。
「違うな。こっちの兵は、止める相手を見てる。向こうは、通す相手を見てる」
カイルは意味を考えて、すぐには分からなかった。
だが翌朝、その違いは嫌というほど分かった。
国境は大河でも山でもなかった。なだらかな丘の間を街道が抜け、その途中に石の柵と低い詰所があるだけだ。地形としては、昨日までの延長にしか見えない。けれど立っている兵が違った。
鎧の形も、槍の持ち方も、見る目も。
帝国側の兵は、一台一台を止めるたびに、荷だけではなく人の立ち方まで見ていた。誰が前に出るか、誰が黙るか、誰が視線を逸らすか。そういうものを見ている。
カイルは無意識に肩へ力が入った。隣でローラが珍しく黙っている。レオニスだけが相変わらずで、その変わらなさが逆に少し怖い。
ダンテが前で旅券を差し出す。
「ベルノア発。交易都市まで」
帝国兵はそれを受け取り、紙と荷と人の顔を順に見た。
「増えているな」
昨日と同じことを言われたのに、響きが違う。
シリルが一歩前へ出る。
「目利きと補佐と護衛です。向こうでの仕入れも兼ねています」
「仕入れ?」
「布、薬種、細工物。古い素材も少し」
帝国兵の視線がレオニスへ寄る。
「その男が目利きか」
「そうです」
「喋るのか」
「必要ならな」
レオニスが言うと、空気が一瞬だけ止まった。
カイルは心の中で頭を抱えたが、帝国兵は逆にわずかに口の端を上げた。
「変わり者だな」
「腕はいい」
シリルがすぐに差し込む。
兵はそれ以上は言わず、今度はローラを見た。
「そっちは」
「補佐です」
フィオナが先に答えた。声は静かで、迷いがなかった。
兵は少しだけ彼女を見た後、旅券を返す。
「交易都市へ入るだけなら問題ない。だが街道を外れるな」
その一言に、カイルは嫌な感じを覚えた。まだ何もしていないのに、先に釘を刺された気がしたからだ。
ダンテは頭を下げ、隊商を進ませた。
柵を越え、緩やかな坂を下りきっても、景色そのものは大きく変わらない。空も、道も、丘も同じだ。なのに、背中に乗る空気だけが違った。
「……入ったな」
カイルが小さく言う。
「入った」
ローラが答える。その声には妙な静けさがあった。怖がっているわけではない。ただ、もう前と同じ道ではないと分かっている声だった。
シリルが後ろを振り返らずに言う。
「ここからは、ほんとに帝国だよ」
ダンテの隊商はそのまま街道を進む。荷馬車の軋み、馬の蹄、乾いた風の音。聞こえるものはさっきまでと大差ないのに、カイルには何もかもが少しずつよそよそしく感じられた。
前方にはまだ、帝国側の大きな交易都市も、空箱も見えていない。
ただ、道だけがまっすぐ、国の奥へ続いていた。




