第二十一話 カイル、王様の許可をとる
村の周囲で起き始めた異変を調べるため、少年カイルは故郷を旅立つ。
長老が「終末の兆し」と呼んだその現象を追う途中、彼は村の近くに露出した古代遺跡で、遺跡に異様な情熱を注ぐ旅人の少女ローラと出会う。
不用意に遺跡を刺激して危機に陥ったカイルを救った彼女は、どう見ても変わり者。けれど遺跡の知識だけは本物だった。
終末を調べる旅のはずが、なぜか遺跡オタクの少女と遺跡巡りが始まる。
この作品は生成AIを利用しています。
今後は毎週月曜日18:00更新予定です。
レオニスは遺跡の外に向けて二、三歩進んだところで足を止めた。
「次は空箱だ」
一瞬、風の音だけが残った。
シリルが最初に反応した。
「……は?」
それは聞き返したというより、思わず漏れた声に近かった。フィオナもすぐには何も言わなかったが、次の瞬間にはっきりと眉を寄せる。
「ダメです」
レオニスは振り返りもしない。
「なぜだ」
「なぜ、ではありません」
フィオナの声は低かった。淡々としているのに、その実、かなり強く止めているのが分かる。
カイルは三人を見比べた。
「……何だ、その空箱って」
シリルが先に答えた。
「隣国だよ。ガルディア帝国」
「国の名前じゃなくて」
「そのガルディア帝国にある遺跡の名です」
今度はフィオナが引き継ぐ。
「帝国最大級の遺跡で、古くからそう呼ばれています」
ローラが小さく瞬く。
「空箱」
「ええ」
フィオナは短く頷いた。
「残っている規模は大きいのに、中がひどく抜けて見えるとされる遺跡です。ただし、こちら側の人間が好きに見に行ける場所ではありません」
シリルが肩を強張らせたまま続ける。
「好きにどころじゃない。今のガルディア帝国は、王国側から見ればかなりきな臭い相手だよ」
「きな臭い?」
「国境沿いの兵の動きが増えてる。工業ギルド絡みの輸送も妙に偏ってる。表向きは演習だ、整備だと言ってるけど、王都では戦争の準備をしてるんじゃないかって話も出てるくらいだ」
カイルは思わず遺跡よりそっちに気を取られた。
「そんなとこ入って大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないから止めているんです」
フィオナが即答した。
「しかも先生は今、当然のように言いましたけど、空箱は王国の研究者が簡単に足を踏み入れられるような場所じゃありません。帝国側の目もあるし、こちらの事情だけで動ける相手でもない」
ローラはそれを聞いても顔色を変えなかった。
「でも、行くんでしょ?」
カイルがそちらを見る。
「お前、今の話聞いてたか?」
「聞いてた」
「じゃあ何でそんな普通なんだよ」
「先生が次にそこを出したから」
ローラは当たり前みたいに言う。
「ここを見た上で、次に見せるなら、行くだけの理由があるってことでしょ」
レオニスがようやく振り返った。
「ある」
シリルが額を押さえた。
「ある、じゃないですよ。理由があっても越えちゃいけない線はあります」
「越えなければ見えんものもある」
「その言い方、今一番だめなやつです」
フィオナも一歩も引かなかった。
「先生。あそこは王国内の遺跡ではありません」
「知っている」
「知っていて言っているから止めています」
「お前が止めるのも知っている」
「ならもう少し遠慮してください」
レオニスはそれには答えず、崩れた壁の向こうを見やった。
「今の話は、ここで見たものの延長だ」
シリルが眉を寄せる。
「空箱が?」
「ああ」
「何があるんです」
ローラが問う。
レオニスは少し間を置いた。
「ここより露骨だ」
それだけだった。だが、ローラの目がさらに細くなる。
カイルは逆に嫌な予感しかしなかった。
「露骨って……何が」
「行けば分かる」
「またそれかよ」
「今はそれでいい」
シリルが低く息を吐く。
「よくないですね。少なくとも、今ここでその一言だけで納得する相手はローラくらいです」
「私は納得した」
「だろうね」
フィオナは腕を組んだ。
「先生が本気で言っているのは分かりました。ですが、こちらが折れる理由にはなりません」
「折れろとは言っていない」
「それでも行くつもりなんでしょう?」
「分かっているなら聞くな」
「いいえ、そうはいきません」
カイルは黙って四人を見ていた。空箱という名前の遺跡。隣国。帝国。戦争の準備。そこまで聞くと、さすがに流せない。遺跡を見に行くだけで済むとは思えない。
「俺はちょっと嫌なんだけど」
思ったまま口にすると、ローラがすぐ振り向いた。
「嫌なのは分かる」
「分かるならもう少し考えろよ」
「考えてる」
「本当に?」
「本当に」
ローラは真顔だった。
「でも、ここまで来て、先生が次にそこを選ぶなら、見なきゃ分からないものがあるんだと思う」
カイルは言い返しかけて、言葉を飲み込んだ。ローラは、遺跡の話に関してはぶれていない。問題は、そのぶれなさが厄介な方向へ向いていることだ。
シリルがレオニスを見る。
「先生。確認ですけど、これはただ見てみたいから、じゃないんですよね」
「当然だ」
「空箱でなければ駄目ですか」
「駄目だ」
頑として譲らないレオニスを前にして、シリルは少し考え込んだ後、横目でフィオナを見る。フィオナもすぐに返した。
「私は反対です」
「俺も反対です」
「だろうな」
レオニスはまるで意に介さない。
フィオナはそこで一度だけ目を閉じ、それから言った。
「では条件を付けます」
レオニスが眉を上げる。
「条件?」
「陛下の許可を取ってください」
その場の空気が少し変わった。
シリルもすぐに乗る。
「公的な手続きを通すなら、間違いなく止められます。あるいは余計な人間が何人もついてくる」
「それでは動けん」
「だから公的にはやりません」
シリルが言う。
「伯父上に直接話を通す。先生と俺とフィオナで。そこで許可が出るなら、少なくとも王都側での足止めは減らせる」
「伯父上って国王だよな?」
カイルが思わず確認すると、シリルは疲れた顔で頷いた。
「そうだよ」
「直接って、そんな簡単に会えるのか」
「簡単じゃないですけど、会えます」
フィオナが静かに補足する。
「公的に許可を取ろうとすると逆に面倒になります。ガルディア帝国の名前が出た時点で。俺は、国境に近いベルノアの人間ですから」
「面倒だな」
レオニスが言う。
「先生、俺はベルノア侯爵家の次男で、陛下の甥です」
「……知っている」
「いざという時の覚悟はありますか?」
シリルが続けた。
「伯父上が首を縦に振るなら動く。振らないなら、今回は諦める」
「諦めませんよ、先生は」
フィオナが言う。
「諦めてもらう。親の財産を持ち出してでも。国境を越えられなければ帝国には入れない」
「……好きにしろ」
「好きにします」
シリルの声音に迷いはなかった。普段がどうあれ、貴族なのだと気付かされた。
「じゃあ王都に戻ろう」
身を乗り出したローラの軽い声に、思わずそちらを見て、息が漏れた。
「早いな」
「全部、そこからだし」
「そこからって」
「許可を取れるかどうか」
ローラはレオニスを見る。
「先生は行く。私も行く。シリルとフィオナは許可が出るなら折れる。だったら戻るしかない」
シリルが苦笑する。
「整理の仕方が雑なのに間違ってないのが困るな」
カイルはまだ困っていた。かなり困っていた。
「俺はまだ、行くとも言ってないんだけど」
「うん」
「じゃあ何で俺も行く流れなんだ」
ローラは少しだけ首を傾げた。
「行かないの?」
「正直、悩んでる」
「何を悩むことがある」
レオニスが淡々と言う。
「何を、って……」
「お前もここを見た」
「見たけど」
「なら最後まで見ろ」
カイルは顔をしかめた。理屈が分からない。でも、不思議と説得力があるような気がした。
シリルが軽く手を打つ。
「じゃあ決まりだ。今日はここで切り上げて、明日から王都へ戻る」
「戻るのにまた日数かかるぞ」
「かかるよ。でも、ここで立ち止まってても許可は降ってこない」
「その言い方、妙に現実的だな」
「貴族だからな」
さらりと返してから、シリルはすぐに真面目な顔へ戻った。
「ただ、本当に内々でやるしかない。伯父上にもそのつもりで会わないと、どこから話が漏れるか分からない」
「研究所で会う」
レオニスが言った。
フィオナが頷く。
「それが一番ですね。城に出向く形は避けましょう」
「伯父上、またふらっと来そうですし」
「来るな」
レオニスが眉間に皺を寄せて、即座に言う。
「でも来る時は来ますよ」
「来るなと言っている」
「先生、その言い方で来なくなる相手なら苦労しません」
カイルはそのやり取りを聞きながら、半分呆れ、半分嫌な予感がしていた。だが、もう流れは決まりつつある。しかも自分だけ外れて止められるような空気でもない。
その日は遺跡の外で野営し、翌朝から王都へ引き返した。
来た時と同じく七日。丘を越え、痩せた林を抜け、乾いた街道を戻る。最初の二日は、空箱の話になるたびにフィオナが反対し、ローラが行くと言い、レオニスが必要だとだけ言って、シリルがその間に入っていた。三日目あたりからは、その押し問答も短くなった。誰も折れていないのに、王都へ戻る理由だけは共有されていたからだ。
八日目の夜、ようやく研究所へ戻る。
王都の空気は、街道の乾いた風とは違って少し重かった。見慣れたはずの研究所の扉を開けると、旅の間に閉じ込められていた紙と木の匂いがふわりと鼻につく。
荷を下ろす間もなく、フィオナが窓辺へ寄って外を確かめた。シリルは机の上の散らかった紙を手早く寄せ、余計なものを隅へ追いやる。カイルはそこまでして本当に来るのか、と思ったが、来る時は来るのだろう。
案の定、その夜のうちに扉が叩かれた。
二度。軽く。
返事を待たずに開く。
「戻っていたか」
フェルナンド・アルシアが、何でもない顔で入ってきた。
上質な濃色の外套を羽織り、相変わらず城ではなくこの研究所の空気に馴染んで見えるのが妙だった。シリルは前回ほどではないにせよ、やはり肩を強張らせる。フィオナは小さく息を吐き、扉を閉めた。
「先生がお呼びしたんですか?」
「呼んでいない」
レオニスが即答する。
フェルナンドは笑った。
「呼ばれなくても、妙な話がありそうなら来る」
「迷惑だ」
「知っている」
そこでフェルナンドの視線が一行を順になぞる。前回と違うのは、今度は最初から何かを察している顔だったことだ。
「それで。何を見てきた」
「見てきたのはこいつらだ」
カイルの違和感、ローラの観察、シリルの推論、その上で否定された順番も、必要な分だけ拾って伝えた。
フェルナンドは途中で遮らなかった。
「なるほど」
やがて短くそう言い、次を待つようにレオニスを見る。
レオニスはそのまま言った。
「次は空箱だ」
さすがに、フェルナンドの眉がピク、と動いた。
「ガルディア帝国か」
「ああ」
「大胆だな」
「必要だ」
「必要でも、簡単に行ける場所ではない」
「知っている」
フェルナンドが黙って顎先に手を当てる。シリルもフィオナも、今は口を挟まない。ここで話を通せるかどうかが全てだと分かっていた。
しばらくして、フェルナンドがシリルを見る。
「お前はどう思う」
「危険です」
即答だった。
「ですが、止めても先生は別口を探します。なら、こちらで把握した上で動かした方がいい」
次にフィオナへ視線が移る。
「君は」
「反対です」
フィオナも即答した。
「ですが、どうしても行くなら、王都側で足が止まらないようにしていただく必要があります。公にすれば確実に横槍が入ります」
「カイル」
突然名を呼ばれて、カイルは少し身を硬くした。
「……嫌です」
正直にそう言うと、フェルナンドが少しだけ口元を緩めた。
「素直でいい」
「でも」
カイルは言葉を継いだ。
「ここまで見てきて、次がそこだって言われると、気になるのも本当です」
「若さだな」
最後にローラへ視線が向く。
「君は」
「行く」
迷いがなかった。
「先生がそこに行くと言うなら、きっと見る理由がある」
フェルナンドは一度だけ目を閉じた。
それから、ゆっくりと息を吐く。
「分かった」
シリルが顔を上げる。
「伯父上」
「公には許可しない」
その一言に、部屋の空気が張る。
「だが、止めもしない」
フェルナンドはレオニスを見る。
「正式な使節でも研究調査でもない。あくまで個人的な移動として処理する。必要最低限の通行証と、国境付近で不審に拘束されない程度の裏の手配は回そう」
「十分だ」
レオニスが言う。
「ただし」
フェルナンドの声が少しだけ低くなる。
「少しでもまずいと思ったら引き返せ。見たいものがあるのと、生きて戻るのは別問題だ」
「分かっています」
フィオナが答える。
「本当に?」
フェルナンドがレオニスを見る。
「分かっている」
「お前に聞くと不安になるな」
「なら聞くな」
「聞かないわけにもいかないだろう」
そのやり取りに、シリルがようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「……じゃあ、通ったんですね」
「通した、が正しいな」
フェルナンドはそう言って立ち上がる。
「表に出せば面倒が増える。だからこの場で終わりだ。余計なところへ漏らすな」
フィオナが頷く。
「承知いたしました」
ローラはほとんど最初から結果が決まっていたみたいな顔をしていた。カイルはまだ実感が薄い。薄いままなのに、もう引き返せる気がしない。ただ、巻き込まれたとも思わない。
フェルナンドは扉の前で一度だけ立ち止まった。
「帝国か」
その名を口にした時だけ、ほんの少しだけ表情が変わった気がした。だが、すぐにいつもの気安い顔へ戻る。
「無茶はするなよ」
「もっと言ってやってください」
シリルがため息混じりに言う。
「全員にだ」
それだけ言って、フェルナンドは研究所を出ていった。
扉が閉まる。
しばらく誰も口を開かなかった。
最初に沈黙を破ったのはローラだった。
「これで行ける」
思わず顔をしかめた。
「本当に行く流れのまま終わったな」
「そう、終わった」
「他人事みたいに言うなよ」
「他人事じゃない。すごく私事」
フィオナは額を押さえた。
「私としては、許可が出たからといって安心したわけではないんですが」
「俺もそうだよ」
シリルがすぐに続く。
「でも、止める段階は過ぎた。なら準備の方に頭を回すしかないですね」
レオニスは既に机の上の紙を引き寄せていた。
「そういうことだ」
カイルはその横顔を見て、結局こうなるのかと思った。思ったが、今さら一人だけ降りるとも言いづらい。
空箱。
名前だけは妙に軽いくせに、その実、中身はひどく重そうだった。




