第十七話 カイル、大破壊を知る
村の周囲で起き始めた異変を調べるため、少年カイルは故郷を旅立つ。
長老が「終末の兆し」と呼んだその現象を追う途中、彼は村の近くに露出した古代遺跡で、遺跡に異様な情熱を注ぐ旅人の少女ローラと出会う。
不用意に遺跡を刺激して危機に陥ったカイルを救った彼女は、どう見ても変わり者。けれど遺跡の知識だけは本物だった。
終末を調べる旅のはずが、なぜか遺跡オタクの少女と遺跡巡りが始まる。
この作品は生成AIを利用しています。
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翌朝、王都アルシオンの空はよく晴れていた。
宿の戸を開けると、朝の通りはもう動いていた。石畳の上を荷車がきしみ、店を開ける音と人の声が重なる。表には馬が二頭つながれ、荷もまとめ終わっていた。昨日は門をくぐって、図書館へ行って、偏屈な学者に会って、一晩寝たらまた遺跡だ。さすがに慌ただしい。
「まだそんな顔してる」
宿の前では、ローラが荷を確かめていた。
「お前は楽しそうだな」
「うん」
返事は早かった。その横でシリルが肩を揺らす。
「まあ、腰が落ち着かないよね」
「ほら見ろ」
「でも行くけど」
「お前もあっち側なの忘れてたよ」
荷を背負い直す。今回はベルノアの探査隊の時ほど大がかりではない。馬は二頭、荷は最低限、人数は五人。カイル、ローラ、シリル、レオニス、フィオナ。それでも、馬の脇に五人揃うと、それなりに隊の形には見えた。
レオニスは朝からもう地図を広げていた。荷の口へ手をかけようとすると、フィオナが先にそれを持ち上げる。別の袋へ手を伸ばせば、今度はそっちを自分の足もとへ寄せた。二度そうなると、レオニスは何も言わず、また地図へ目を戻した。フィオナはその半歩後ろで、持ち物を最後まで確認している。水、食料、治療具、結界杭、測定具。抜けがないか、一つずつ見ていた。
「先生、今日は先に言っておきます」
フィオナが言う。
「何だ」
「現地へ着く前に勝手に道を変えないでください」
「変えん」
「本当に?」
「本当だ」
「ならいいです」
フィオナはそう言って、また荷の方へ手を戻した。レオニスが地図を持ったままそちらへ寄ると、先に袋を抱えて自分の足もとへ引く。どうやら寄り道の前科もあるらしい。他人事に思えなくて、少しだけフィオナに親近感が湧いた。
王都の門を出る頃には、街の音も徐々に遠ざかっていった。アルシオンへ入った時は人の流れに呑まれるようだったが、出る時は拍子抜けするくらいあっさりしている。高い城壁と、白い塔と、川の光が少しずつ遠くなっていく。
「二日って言ってたよな」
街道へ出てしばらくしてから、手綱を引くシリルに並んで、器用に二頭の馬を操るその姿を見上げた。
「そうだね」
シリルが前を向いたまま答える。
「じゃあそんなに遠くはないのか」
「遠くはない」
「その言い方、信用ならないな」
シリルが笑う。
「大丈夫。今回はちゃんと二日だよ」
「今回はって何だ」
「寄り道しなければ平気ってこと」
その一言で、カイルは隣を歩くローラを見た。ローラは何でもない顔をしている。
「何」
「いや、別に」
「今、明らかにこっち見てた」
「見たけど」
「正直ね」
「正直じゃないよりいいだろ」
そういう軽口を叩きながら進んだが、王都近郊の道はベルノア周辺よりずっと整っていた。街道も広く、街道はしっかりと石で固められている。途中の橋も頑丈で、荷車の轍がゴロゴロと音を立てた。行き交う人間も少なくない。商人、巡礼、使者、役人らしき男。昨日も思ったけど、王都の近くであるというだけで、人の流れは絶えないらしい。
しばらく進んだところで、レオニスが馬を止めた。
「昼はあの林で取る」
街道から少し外れた場所に、小さな森というには疎らな木立が見える。日陰もあって、水も近いらしい。
「先生にしてはまともですね」
フィオナが言う。
「私を何だと思っている」
「休憩を忘れる人です」
「忘れん」
「忘れます」
言い切る速度に迷いがない。たぶん、これも前科があるんだろう。
木立の中は思ったより涼しかった。地面は乾いているが、根元の方には柔らかな苔が少しだけ残っていて、腰を下ろすにはちょうどいい。荷を下ろして、水袋を回し、硬いパンと干し肉、それから宿で持たせてもらった焼き菓子を広げた。
「王都の飯より、こういう方が落ち着くな」
カイルが言うと、シリルが苦笑する。
「それ、王都で聞かれたら怒られるよ」
「なんでだよ」
「王都の人間はプライドが高いから」
ローラはもう食べ始めていた。夢中というほどではないが、黙って口を動かしている。
「お前、さっきから食うの早いな」
「食べられる時に食べたいだけ」
「焼き菓子は逃げないぞ」
「気分の問題」
そのやり取りの途中で、馬の耳がぴくりと動いた。次いでフィオナが顔を上げる。レオニスも手を止めた。
「何かいます」
フィオナが低く言う。
カイルもすぐに立ち上がった。木立の奥、灌木の陰が揺れている。風ではない。数も一つではなかった。
「またかよ」
シリルが息を吐きながら剣に手をかける。
飛び出してきたのは、痩せた獣だった。狼より少し小さいが、牙は鋭い。二頭、三頭、さらに奥にも気配がある。食べ物の匂いに釣られたのか、最初からまっすぐこちらを見ていた。
「下がってください」
フィオナが一歩前へ出た。
彼女は腰の短杖を抜き、地面へ軽く打ちつける。乾いた音がして、その瞬間、獣との間に青白い膜が立ち上がった。
薄い、だがはっきりした半円の壁。ちょうど食事を広げていた場所を囲うように展開される。
「うわ」
カイルが思わず声を漏らすと、フィオナは前を見たまま言う。
「感心してる場合ですか」
「いや、悪い」
先頭の獣が膜へぶつかった。青い火花が散り、牙が弾かれる。勢いを殺されて地面へ転がったところへ、シリルが踏み込む。剣で鼻先を払うように斬り、カイルは横から回り込んだ個体へ長剣を叩き込む。ローラは最初に弾かれた一頭へ低く入り、喉元を短く薙いだ。
だが数が多い。後ろから別の個体が結界の脇へ回り込もうとした瞬間、フィオナが杖を上げた。薄い板のような結界が一枚だけ横へ滑り込み、獣の進路を塞ぐ。ぶつかった個体は大きく体勢を崩し、その隙にローラが横から斬り払った。
「結界の外へ出ないでください!」
「言われなくても!」
カイルが返しながら、結界の縁すれすれで剣を振る。前に出るより、今は守るほうが優先だ。木陰の下に、どう見ても役に立たないおっさんが座っている。獣が飛び込もうとする位置を、フィオナが注意深く視線を動かして探っている。
最後の一頭は、正面からではなく木の上を回ってきた。ローラより先にそれへ気づいたのはフィオナだった。
「上!」
声と同時に、頭上へ結界が跳ね上がる。薄い膜が落下してきた獣を正面から受け、鈍い音とともに軌道を逸らす。体勢を崩したそれを、シリルが横から叩き落とした。
そのまま数拍。獣たちはもう一度距離を測るように唸ったが、結局それ以上近づけないと見たらしい。じりじりと後退し、やがて木立の奥へ消えた。
静けさが戻る。
フィオナはすぐに結界を解いた。青白い膜が、風に溶けるように消えていく。
「助かった」
カイルが言うと、フィオナは杖を下ろした。
「昼食を守れたので十分です」
「そこなんだな」
「食料は大事です」
真面目な顔で言われると、たしかにそうだった。シリルが肩で息をしながら笑う。
「ちゃんと中衛がいると違うね」
「今さらですか」
「今さらだよ。今まで前に出る奴ばっかりだったし」
ローラが獣の消えた方を見ながら言う。
「やっぱり便利ね」
「便利とは」
「結界」
「ええ」
「欲しい」
「あなたには必要ないでしょう?バランスが崩れますよ」
「そういうもの?」
「そういうものです」
昼食は少し埃を被ったが、食べられなくなったわけではない。土塊から守るくらいはしてくれたらしい。改めて食事を済ませると、木立を出て、また街道を外れた道へ入った。
ようやく目的の遺跡が見える高台へ出たのは、二日後の昼過ぎだった。
最初は、ただ地面の色が変わっているだけに見えた。だが近づくにつれ、それが自然の窪地ではないと分かる。広く抉れた地形の中心に、崩れた石壁がいくつも頭を出している。石の色は灰色に近いが、そこらの岩とは違い、面が平らすぎた。半ば埋もれた柱の基部、割れた階段、地面へ沈んだ広場らしき跡。たしかにこれは遺跡の残骸だ。
「……でかいな」
思わずカイルが言う。
広場だったらしい場所は、真ん中から大きく裂けている。石畳は割れてめくれ上がり、地面の下にあったはずの黒い層がむき出しになっていた。柱は根元からへし折れているものもあれば、途中で千切れたように消えているものもある。砕けた石は広場の外側へまで飛び散り、壁の残骸は内側ではなく外へ向かって倒れていた。
カイルは思わず足を止めた。
ベルノアで見た遺跡の暴走は、もっと一つの場所にまとまっていた。ここは違う。広い。広い上に、どこを見ても壊れている。目で追う先が全部壊れていて、逆にどこから見ればいいのか分からない。
ローラは迷わず壁際へ歩いていった。シリルは裂け目の縁へ寄る。フィオナは測定具をかざしたまま、広場を囲うように視線を走らせた。
レオニスはその場で言った。
「見ろ」
それだけだった。
カイルは小さく息を吐いて、改めて周囲を見た。
焼けた跡はある。けれど、ただ燃えたのとは少し違う。黒く煤けた石の隣で、別の石は白く乾いたみたいにひび割れている。割れた金属片が地面へ食い込んだまま錆びもせず残っていて、その近くの石畳は妙に滑らかに溶けていた。何かが一度通った、その熱が形を残したみたいだった。
「……うわ」
考えるより先に声が漏れた。
でかいとか、ひどいとか、そういうのは最初に浮かんだ。けれど近くで見ると、それだけでは済まない。壊れた後の静けさまで含めて、妙に生々しかった。
ローラがしゃがみ込んで、崩れた壁の断面へ指を触れた。
「近い」
「何が?」
シリルが訊く。
「前に見た危ない遺跡の壊れ方」
ローラは顔を上げないまま言った。
「石の砕け方とか、焼け方とか」
シリルはそこで少しだけ目を細め、足元の石片を拾い上げた。半分は黒く焼け、半分は銀色のまま残っている。爪で弾くと、乾いた高い音が返った。
「資料で見たより、よっぽど露骨だ」
呟いてから、広場の奥へ目をやる。そこには低い建物の基礎が残っていたが、壁は途中で吹き飛び、屋根は形もない。ただ、入口だったらしいところだけが、妙に広く口を開けていた。
フィオナは測定具を見下ろし、短く言う。
「反応は弱いです。生きた機構はありません」
少し歩いて、別の場所でまた止まる。
「熱変質の残滓は濃いですけど」
レオニスは頷きもせず、広場の中央を見ていた。
カイルは裂けた地面の縁へ近づいた。深い。下まで見えないというほどではないが、落ちたら簡単には上がれなさそうだった。断面には石の層だけでなく、金属の板みたいなものや、何かの管らしきものが混ざっている。けれど形が分かるほど残ってはいない。途中で千切れ、曲がり、焼けている。
何だったのかは分からない。けれど、ただの石の街ではなかったのだろうということだけは分かった。
「カイル」
シリルに呼ばれて振り向く。
壊れた広場の端に、半ば埋もれた台座があった。近づいてみると、縁に刻まれていたらしい線が残っている。だが文字なのか模様なのか、もう判然としない。削れたというより、摩耗したというより、熱と衝撃で崩れたような跡だった。
「こういうの、前の遺跡にもあった?」
「台座?」
「じゃなくて、壊れ方」
カイルは少し考えたが、すぐに首を振った。
「村の近くのはこんな感じだった。まだ形があったけど」
「なるほどね」
シリルは小さく言うと、台座の脇に膝をついた。興奮しているというより、飲み込むように見ている顔だった。
ローラはそれとは別の壁際で、崩れた石をひっくり返していた。壊れた壁の裏側まで見ているらしい。慎重だが、ためらいはない。見たいものが最初から決まっている動きだ。
「これも」
ぽつりと言う。
「何だ」
今度はカイルが訊いた。
「中まで焼けてる」
ローラは石を戻し、指についた粉を払う。
「表だけじゃない」
レオニスがそこでようやく近づいてきた。台座でも裂け目でもなく、ローラがひっくり返した石のそばで足を止める。
「それでいい」
また、それだけだった。
カイルは思わずそちらを見る。
研究所ではあれだけ喋ったくせに、ここへ来てからのレオニスはやけに言葉が少ない。だが、少ないというより、必要なところだけにしている感じだった。
レオニスは広場の端を顎で示した。
「向こうも見ろ」
五人はそのまま東側へ回った。
そこは主通路だったのか、石敷きが長く続いた跡がある。だが今は途中で大きく抉れ、その先は崩れた壁と瓦礫に埋もれていた。通路に沿って並んでいたらしい柱の列も、一本としてまっすぐ残っていない。折れて転がり、地面へ刺さり、あるいは根元だけを残して消えている。
カイルはその消え方に、少しだけ目を止めた。折れたものは折れたと分かる。砕けたものも、そうだ。何もかも吹き飛ばされて、壊れている。なくなっている。
「なあ、シリル」
「何?」
「こうなってたのかな」
「何が?」
「あの遺跡の暴走、止められてなかったら」
シリルの答えはなかった。
元の形なんて、ほとんど残っていない。あの時、異様なほど何かが集まっていたあの遺跡が、あのまま弾けていたら、きっとこれと同じことになったんだろう。
なんとなく、そう思った。
目の端でローラが動き回っていた。通路の真ん中で一度立ち止まり、広場の方を振り返る。それからまた前を見る。
「広い」
「今さらか?」
「今さらよ」
と返ってきた。
「でも、広い。これ全部、街だったんでしょ」
遺跡そのものなのか、壊れた範囲なのか、その両方を言っているのだと分かった。
シリルは通路の先に目を凝らしながら言う。
「資料だと、一行か二行だったんだけどな」
「何が」
「大規模破壊跡、って」
それだけ言って、少しだけ笑った。
「一行で済ませるなって感じだ」
フィオナはその横で、通路の端に残っていた焼け跡へ測定具を向けていた。青い石がぼんやり光る。
「ここ、反応がありますね」
レオニスがそちらへ来る。
「どの程度だ」
「弱いですけど、薄く広く残っています」
「そうか」
短い応答だった。
それきり、レオニスはまた黙った。測定具の値を聞いても、すぐに講釈を始めることはしない。ただ広場と通路を一度見渡し、それから足元の石へ目を落とす。
カイルはその横顔を見て、何となく思った。
この人は、喋りたいことがないのではなく、今はまだ喋らない方を選んでいるのだろうと。
風が少し強くなった。通路の奥から砂が流れてきて、焼けた石の上を薄く撫でる。
カイルはもう一度、来た方を振り返った。
壊れた広場。裂けた地面。折れた柱。焼けた石。
訳は分からない。けれど、ただ古いだけの遺跡ではないことだけは、嫌でも分かる。
ここに来るまでに見てきた、後の時代の遺跡とは少し違う。
あちらは、空っぽだった。
ここは、空っぽというより、壊れて剥き出しになっている感じがする。
「……なあ」
気づけば声が出ていた。
シリルが振り向く。
「いや」
上手く言えず、カイルは一度口を閉じる。
ローラが少しだけ首を傾げた。
「何」
「前の遺跡より……」
そこでまた止まる。
前の遺跡。ベルノアへ行く前に寄ったもの。王都へ来る途中で寄り道したもの。ああいうのは、人がいた感じはあるのに、妙に薄かった。けれど、ここは逆だ。人がいたかどうかより先に、壊れたものの方が目につく。
「……いや、何でもない」
「言いかけてやめられると気になる」
シリルが言う。
「言えないんだよ」
「珍しいね」
「自分でも分かってないから」
それで会話は切れた。ローラは少しだけカイルを見ていたが、何も言わずにまた前を向いた。
レオニスはそのやり取りを聞いていたのかいないのか、広場へ戻りながら一言だけ言った。
「十分だ」
短すぎて、誰に向けたものかも分からない。
フィオナは深く息を吐いた。
「先生にしては、ちゃんと段取りを踏んでいますね」
「私を何だと思っている」
「説明が足りない人です」
「必要な事は言っている」
シリルが笑う。
ローラは広場の中央をもう一度見回してから、小さく言った。
「覚えた」
「何を」
カイルが訊く。
「これが、第一遺跡。大破壊の跡」
それだけだった。だが彼女の言い方だと、それで十分なのだろう。
風が広場を抜けていく。砕けた石の隙間で砂が鳴った。
五人はしばらくその場に立ち、王都近郊に残る大破壊の跡を、それぞれの目で見ていた。




