第十二話 カイル、王都へ行く
村の周囲で起き始めた異変を調べるため、少年カイルは故郷を旅立つ。
長老が「終末の兆し」と呼んだその現象を追う途中、彼は村の近くに露出した古代遺跡で、遺跡に異様な情熱を注ぐ旅人の少女ローラと出会う。
不用意に遺跡を刺激して危機に陥ったカイルを救った彼女は、どう見ても変わり者。けれど遺跡の知識だけは本物だった。
終末を調べる旅のはずが、なぜか遺跡オタクの少女と遺跡巡りが始まる。
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ベルノアへ戻った頃には、秋の終わりみたいな疲れが全身に溜まっていた。
実際にはそこまで季節が進んだわけでもない。ただ、一週間以上かけて遺跡へ向かい、命の危うい目に遭って、また同じだけの距離を戻ってくれば、そういう重さにもなる。門が見えた時、誰も声を上げなかったのは、安心する余裕より先に、ようやく終わるという気持ちの方が強かったからだろう。
調査隊はそのまま外壁近くの詰所へ入り、荷と記録を下ろした。簡単な手当てだけは済ませてきたが、改めて治療担当が一人ずつ傷を見て回る。深手はいない。重傷者もいない。だが、軽傷と言って済ませるには数が多かった。裂けた腕、打撲した肩、火傷の跡、結界を張り続けた反動で指先の震えが止まらない術者もいる。
ローラはその中で、相変わらず何でもない顔をしていた。脚の火傷も、腕の打ち身も、まだ残ってはいるが、帰路の途中で見た時よりずっと薄くなっている。カイルは二度ほどその傷を見て、やはりおかしいと思ったが、本人は聞かれても「平気」としか言わないので、それ以上は口にしなかった。
荷の整理が一段落した頃、ガレスがこちらへ来た。
「シリル様。侯爵様が、戻り次第すぐに報告をとのことです」
「今から?」
「はい。……お二人も同席を、と」
その一言で、カイルは少しだけ背筋を伸ばした。遺跡へ向かう前の面談とは違う。今回は、実際に見て、止めて、戻ってきた後の話だ。
ベルノア侯の館へ向かう道は、一度通っているせいか前ほど圧に飲まれなかった。とはいえ平気というわけでもない。石造りの門をくぐると、やはり空気が少し違う。整えられた静けさというものは、村ではまず感じない種類のものだ。
応接に通されると、前と同じ部屋だった。けれど今回は、座ったまま待つ時間が短い。扉が開くと、アルベルトはすぐに入ってきた。前回と変わらず落ち着いた顔だが、視線の置き方だけは少し鋭い。
「戻ったか」
「はい、父上」
シリルが答える。そのまま立ち上がりかけたカイルたちに、アルベルトは手で制した。
「座ったままでいい。まずは聞かせろ」
それで報告が始まった。
ガレスと測定担当が先に呼ばれていたらしく、机の上にはすでに記録が広げられている。けれどアルベルトは紙ばかりを見ず、言葉でも確かめていった。出発日、到達日、遺跡の位置、様式、内部構造、測定値の推移。広間で起きた異常、出力上昇、そして大規模破壊に至る可能性があったこと。
「その判断は、誰が最初に口にした」
アルベルトが問うと、測定担当が一歩前へ出た。
「最初に異常を示したのは測定具ですが、危険の規模を先に強く警告したのはローラです」
アルベルトの視線がローラへ移る。
「君は、あの遺跡が攻撃性を持つ遺跡と同系統だと見抜いたそうだな」
「見たことがあったので」
「どこで」
「あちこちで」
「あちこちで、か……」
「カイルがいた遺跡も、小規模だったけど、迎撃機構があった」
「なるほど」
短い返事だったが、その後の沈黙が妙に長く感じた。問いただす類の沈黙ではない。言葉をそのまま置いて、次を考える時間のようなものだった。
「内部の暴走は、流れを断って止めたとある」
今度はシリルへ向く。
「お前たち三人で」
「はい」
「判断の主導は?」
シリルは一瞬だけこちらを見た。
「最初に様式の危険性を警告したのはローラです。構造の流れを見て、切る場所を示したのも。カイルはそこを壊す時に動きました。俺はその補助と、隊の動きの繋ぎです」
言い方が妙に素直だった。自分の功績を大きく見せない。その点は少しだけ意外でもあった。
アルベルトは小さく頷き、今度はカイルを見た。
「君はどう見た」
村の人間に侯爵がそんなことを聞くのか、と一瞬遅れて思ったが、口は動いた。
「見たままを言うなら、あれは……壊れるっていうより、広がる感じでした。遺跡の中だけで終わる動きじゃなかった」
「広がる、か」
「はい。俺は仕組みは分からないです。でも、そのままだと外まで行くっていうのは感じました」
アルベルトはそこで初めて、はっきりと息を吐いた。
「大規模破壊」
その単語を、独り言ではなく確認として口にする。
「記録の中にあるだけの話では、なくなったわけだ」
部屋の空気が、そこで少し変わった。
今までの話は、現場報告だった。だがアルベルトがその一言を置いたことで、それはベルノア侯領全体の話に変わる。遺跡の暴走。大規模破壊の可能性。それが現実に起こりうると、領主が認めた形になるからだ。
「リシュカでは、異変の後に大規模破壊が起き、昔の文明の終末に繋がったと一般には言われていると聞きました」
アルベルトは否定しない。
「そういう話は古くからある。異変があり、その後に大きく壊れ、文明が失われた、と」
「父上は、それをどう考えていますか」
その問いには少し間があった。
アルベルトは窓の方へちらりと目をやってから、机の上の記録へ視線を戻す。
「私は学者ではない」
前置きのように言う。
「だが、領主として言うなら、今の段階で断定はできん。異変と大規模破壊が関係している可能性は高い。だが、それが本当に文明を終わらせた原因かどうかは別だ」
その言い方は、リシュカで聞いた“言われているらしい”よりずっと重い。軽々しく肯定せず、かといって切り捨てもせず、危険だけは現実として置く。
「ただし」
アルベルトは続けた。
「今回の件で一つだけはっきりした。古代遺跡は、都市や領地に対する脅威になり得る。理解しきれていないままでも、暴走すれば十分な被害が出る」
そこまでは、今の報告の延長だ。
次にアルベルトが口にしたのは、別の話だった。
「ガルディア帝国の噂は聞いたな」
カイルとローラは顔を見合わせた。酒場で聞いた話だ。
「兵器開発と、遺跡研究のこと?」
ローラが答える。
「それだ」
アルベルトの声は静かなままだったが、わずかに硬くなった。
「商人の口は軽い。旅人の耳は曖昧だ。だが、それでも同じ話がいくつも重なる時は、ただの風聞で終わらん」
机の端に置かれていた別の紙束へ手を伸ばす。そこには交易品目らしい数字や、地名が並んでいた。
「北方では鉄の流れが変わり、南では魔石の相場が妙に動いている。遺跡から出たと思しき品を、ガルディア側が買い集めているという報せもある」
「本当に、兵器にするつもりなのでしょうか」
シリルが低く言う。
「分からん」
アルベルトはそこで首を横に振った。
「だが、するつもりがあるかどうかは半分どうでもいい。お前たちが感じた、理解していない力を、国家が集めている。その時点で脅威だ」
言葉が重かった。ガルディア帝国がどこまで掴んでいるのかは分からない。だが、兵器として扱えると思って手を伸ばしているなら、それだけで危険だという論理だ。
「遺跡は宝ではない。便利な古道具でもない。今の我々にとっては、扱いを誤れば土地ごと持っていかれる危険物だ」
カイルはその言葉を聞きながら、崩れ落ちた遺跡の入口を思い出していた。測定具の光。ローラの叫び。広がると感じたあの気配。あれが誰かの手で向けられるものになったら、確かに冗談では済まない。
しばらく沈黙が落ちる。
それを破ったのはシリルだった。
「父上」
「何だ」
「調べたい」
真正面から言った。余計な飾りがない。
「今回の件だけじゃ終わらない。エルサ村の異変も、ベルノア領の遺跡も、ガルディアの動きも、全部始まりは”遺跡”だ」
「遺跡、か」
「今はまだそれしか言えない」
アルベルトは息子を見た。侯爵としてでも父としてでもなく、言葉の重さを見ている顔だった。
「最初は、正式な調査隊を増やすつもりだった」
やがて言う。
「領内の遺跡の洗い直しをする。それだけでも意味はある」
そこまで口にしてから、視線がカイルとローラへ移る。
「だが、お前は違う考えらしいな」
「はい」
シリルは頷いた。
「領内だけ見ても足りない。この二人が持ってるのは、外の異変と現場の感覚です。資料の中だけじゃない」
「ローラ殿の遺跡への目も、今回証明された」
「はい。俺たちに見えないものを、ローラは見抜く」
「カイル殿については」
そこでシリルが少しだけ笑う。
「勘がいい。あと、現場で迷わない」
「雑だなあ」
思わず口を挟むと、シリルは肩をすくめた。
「でも間違ってないだろ」
そこは否定しづらい。
アルベルトはしばらく考えた後、ゆっくり頷いた。
「分かった。お前の望み通りにしよう」
その一言で、空気がわずかに動く。
「ただし、条件はある。遊びに出すのではない。報せは必ず返すこと。外で見聞きしたことを、勝手に抱え込まないこと。そして――」
そこで一度区切る。
「二人とも」
「はい」
カイルとローラが同時に返した。
「息子を頼む」
その言葉には、少し意表を突かれた。同行を許すではなく、頼む。まっすぐそう言われると、軽く返せない。
「……はい」
カイルはそれだけ答えた。ローラも、いつもの調子を少し抑えて頷いた。
話はそこで一度終わったように見えたが、アルベルトが机の引き出しを開けた。封蝋の置かれた便箋が二通、すでに用意されている。
「父上、もしかして俺が言いだすの、読んでましたね?」
「何年お前の父親をしてると思っている」
アルベルトの口角が僅かに上がると、シリルが苦笑いを浮かべた。
「詳しい資料はベルノアでは足りん」
そう言って、一通を指先で軽く叩く。
「これは王立図書館宛だ。過去の大規模破壊の記録と、文明ごとの差異に関する資料の閲覧を求める」
次にもう一通へ触れる。
「こちらはレオニス宛。妻の縁もある。偏屈だが、王都でこの手の話をするなら外せん相手だ」
シリルの目が少しだけ見開かれる。
「先生に?」
「ああ」
「会わせてくれるんですか?」
「会うだけで済めばいいがな」
それがどういう意味の冗談なのか、カイルには分からなかったが、シリルは半分笑っていた。
「……分かった」
「王都へ行け」
アルベルトは二通の紹介状を机の上に置いた。
「ベルノアで見えるのはここまでだ。先へ進むなら、王都の知を借りるしかない」
カイルはその封書を見た。リシュカからベルノアへ。次はベルノアから王都へ。村を出た時には、こんな順で外へ広がっていくとは思っていなかった。
ローラは封蝋の印をじっと見てから、静かに言った。
「王都に行けば、もっと分かる?」
「分かることもあれば、余計に分からなくなることもあるだろう」
アルベルトはそう返した。
「だが、進まねば何も変わらん」
その言葉には、妙に余計な飾りがなかった。励ましでも脅しでもなく、ただそういうものだという言い方だ。
紹介状を受け取り、部屋を出る頃には、外の光がだいぶ傾いていた。前にこの館を出た時とは違う。あの時は遺跡探査へ向かうだけだった。今は、その先の王都行きが決まっている。
廊下を歩きながら、シリルが低く言う。
「本当に通ったな」
「お前が言い出したんだろ」
「いや、王都まで行けるとは思ってたけど、先生の紹介状まで出るとは思わなかった」
「先生って?」
「レオニス。母上の元家庭教師」
「そんなにすごい相手なのか」
カイルが訊くと、シリルは少しだけ顔をしかめた。
「すごいし、面倒くさい」
「どっちだよ」
「両方」
ローラが横で小さく息を吐く。
「偏屈な学者、楽しみね」
「お前、それ絶対面白がってるだろ」
「少しだけ」
館の外へ出ると、ベルノアの空は薄く赤かった。遺跡から帰ってきたばかりだというのに、もう次の行き先が決まっている。疲れていないわけではない。けれど、足が止まる感じもしない。
宿へ戻る道すがら、通りの向こうでまた酒場の喧騒が聞こえた。荷車が行き交い、魔力灯に火が入り始める。ベルノアはベルノアで、今日も変わらず動いている。
「出るのはいつ?」
ローラが訊く。
「準備次第だが、長く留まる意味はない」
シリルが答える。
「明後日には出たい。明日は荷と通行の手配をする」
「結構早いな」
「王都は近くないから」
「それもそうか」
カイルは頷いた。村を出てから、いつもそうだ。ようやく一つの場所に辿り着いたと思ったら、もう次がある。
ただ、今はそれが嫌ではない。エルサ村で起きた異変が何なのか。大規模破壊と、終末と、遺跡と、敵国の動きがどう繋がるのか。ベルノアまで来ても、まだ全部は見えない。なら先へ行くしかない。
宿の前で足を止めると、ローラが空を見上げた。
「王都か」
「何だよ、その言い方」
「別に」
「楽しそうだな」
「資料が多そうだから」
「やっぱりそこか」
シリルが肩を揺らして笑う。
「じゃあ決まりだ。次は王都」
その言葉で、ようやく実感が出た。
ベルノアはもう終わる。
次の話は、王都で始まる。
三人はそうして、王都への旅支度を始めることになった。




