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『異界樹物語』  作者: 大井翔
第三章

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第160話 煌月城に響く復讐の旋律と届かない一撃

煌月城の回廊を抜けた先の重厚な扉の前で俺は足を止めた。

扉の向こうから流れ込んでくる空気が違う。

わずかな振動と気配の密度が肌を押し、その先にあるものの異様さだけを無言で突きつけてくる。

背後にはルージェとコンスタンティヌがいる。

そして意識の奥から静かに響く声が重なった。


(エピメスの魔力はこの大広間の中で感じますわ……そして、兄も)


その一言で迷いは消えた。

考える余地はもうない。

俺は躊躇なく扉を押し開ける。

開いた瞬間、音が一気に流れ込んできた。

弦と管と打楽が重なり合うオーケストラの旋律は、ただ響いているだけではない。

大広間の奥へと意識を引きずるような重さを帯び、その場の空気が音に支配されていた。

視線が中心へ吸い寄せられた瞬間、足が止まった。


その中心にあったのは場違いなほど大きな十字架だった。

そこに吊るされているのは、エピメス。


「よう、エピメス。探したぜ……」


だが、その姿はかつてのエピメスとはまるで違っていた。

肌は乾き、髪は色を失い、輪郭すら変質し、時間だけが異常な速度で進んだかのように身体は老いていた。

喉の奥で言葉が形にならなかった。


(エピメス……そんな……)


意識の奥でパンドラが動揺しているのが分かる。

言葉になりきらない感情がそのまま流れ込んでくる。

その直後、かすかにエピメスの視線が動いた。


(……生きている)


その反応だけで十分だった。


「エピメス……しまった、間に合わなかったか」


背後でルージェが低く呟くが、俺は首を振る。


「いや、生きている。なら、まだ取り返せる」


短く言い切り、そのまま中央へ向かって歩き出す。

足音は音楽に溶けて消えていくが、近づくほどに嫌な空気がまとわりつき、呼吸の間隔がわずかに狂う。

その先、玉座のように据えられた位置に二つの影があった。

一人は見慣れた執事、ジェラントス。

そしてもう一人、黒い長髪の男。

そいつがゆっくりと振り向いた瞬間、息がわずかに詰まる。


その顔に見覚えがあった。

パンドラと入った兄の部屋、その壁に掛けられていた肖像画。

そこに描かれていた人物と寸分違わない姿が今、目の前に立っている。


「……ネクロス」


視線を外さないまま問いかける。


「パンドラの体をどうした?」


ネクロスの口元がわずかに歪む。


「見れば分かるであろう。この身体は既に私のもの。煌月の血は我が魔力に適応し、必然としてこの姿へと変じたのだ」


その言葉と同時に演奏が止まる。

余韻を断ち切るような静寂の中で、かすかな声が落ちた。


「……天空さん……」


それは、エピメスの声だった。

途切れそうな呼吸の中で、それでも言葉を繋ごうとしている。


「……私の勝手な行動で……あなたを……」


その声に重なるように意識の奥でパンドラの感情が激しく揺れる。


(エピメス……わたくしのために、そこまでして……)


(落ち着け、パンドラ。あいつが命を懸けて残した想いを、今度は俺たちが繋ぐ番だ)


(……ええ)


だが、胸の奥に引っかかる感覚が残る。

それを振り切るように一歩前へ出た。

エピメスの言葉を遮る。


「ネクロスは俺が必ず倒す。だから、もう少しだけ休んでいてくれ」


視線を逸らさず言い切ると、わずかにエピメスの呼吸が緩むのが分かった。

その変化を確認した瞬間、ネクロスの視線がこちらへ向く。


「では、貴様の中にいるパンドラを返してもらおう」


空気が一瞬だけ止まる。

背後でルージェとコンスタンティヌの気配が揺れたが、俺は短く息を吐いた。


「訳は後で話す。今はエピメスを助けてやってくれ」


「……分かった」


二人が動き出す。

ネクロスとジェラントスを警戒しながら慎重に距離を詰めていくが、それでもネクロスは一切動かず、ただこちらを見ている。

沈黙が一拍だけ伸びる。

そのあとで、ネクロスが口を開いた。


「聞こえているか、パンドラ。私のもとへ戻れ。煌月の血を継ぐ者として、この国を共に治めるのだ」


その声は、俺ではなく体の内側へ直接届いてくる。


一瞬の沈黙のあと、思考より先に言葉が出た。


「……はぁ?」


自然と声が低くなる。


「何言ってやがるんだ、お前。パンドラの体を奪って、勝手に作り替えて、それで戻って来いだと?ふざけんなよ」


ネクロスはわずかに目を細める。


「貴様に語っているのではない。私はパンドラにのみ語りかけているのだ」


その言葉に、意識の奥から即座に返答が返ってきた。


(天空、わたくしは兄と同じ体を共有して生きていくなんて嫌ですわ)


「……ああ、あいつとずっと一緒にいるのは……確かに嫌だな」


思わず同意すると、さらに続く。


(それならこのまま天空の体の中にいた方がずっとマシですわよ)


「いや、いや、俺が大迷惑だっての!」


思わず突っ込んだ瞬間、張り詰めていた空気がわずかに緩んだ。

だが、その緩みは一瞬で消えた。

ネクロスの声が再び静かに落ちる。


「パンドラ。すべてを許そうではないか。我がもとへ戻るのであれば、あのエピメスという男も元へ戻してやろう」


その一言で空気が変わる。


「お前にとっても、あの男は大切なのだろう?」


俺はネクロスを真っ直ぐ見据えたまま、わずかに肩の力を抜く。


「パンドラは言ってるぞ。お前みたいな執着まみれの変態シスコン亡霊野郎と一緒にいるなんて、死んでも嫌だってな。いいから体を返して、とっとと消えろ」


言い切った瞬間、パンドラの声が即座に返ってきた。


(天空、わたくしはそんな酷い事一言も言っていませんわよ)


「いいんだよ、だって一緒にいたくないんだろ?」


(ええ、死んでも嫌ですわ)


そのやり取りにネクロスの表情が変わる。

怒りを露わにするわけでもなく、しかし確実に空気が沈んだ。


「そうか。ならば貴様を殺し、パンドラを取り戻すまでだ」


その言葉と同時にネクロスはマントを脱いでジェラントスに渡す。

あらわになった真っ白な肌は、光を吸い込むような漆黒のハイネックに喉元から胸元まで覆われている。

布地は滑らかでありながら硬質で、胸元や肩口には細やかな金具が配置され、鎖のように連なる装飾が抑え込まれた輝きを帯びていた。

強く光を返すことはないが、鈍く沈んだ金色が静かに存在を主張していた。


そしてネクロスが静かに手をかざす。

ジェラントスは無言で一歩退き、その場を譲る。

だが、動きはそこで止まっていた。

沈黙が落ちる。

ネクロスはゆっくりと振り返り、周囲を見渡した。


「音楽はどうした。何故止めている」


「え、あ……は、はい……!」


オーケストラの者たちが一斉に震え、慌てて楽器を構え直す。

逆らうという選択肢は最初から存在しないのだろう。

恐怖に縛られたまま、それでも演奏を再開する。

弦が低く引き伸ばされ、管が鈍く重なり、打楽が間を刻む。

その一音一音が、空間を押し潰すように積み重なっていく。

哀しみとも怒りともつかない感情が、ゆっくりと形を持って広がっていく旋律だった。


ネクロスはその音を背に、わずかに目を細める。


「この曲は、私が処刑された日の記憶をもとにしている」


ゆっくりと振り返り、その黒い瞳がこちらを捉える。


「名を――復讐の処刑台と呼ぶ」


その言葉に音楽が一層重みを増したように感じられる。

だが、俺はわずかに口元を歪めた。


「はっ……だっせぇ名前だな。せっかくこの世に戻ってきてやることがそれか。復讐だの処刑だの、いちいち名前までつけて満足してんのかよ」


一歩、踏み出す。

音楽の圧が肌にまとわりつくが、それでも構わず続ける。


「どこからどこまで悪趣味なんだよ、てめぇは」


言い切った瞬間、空気がわずかに軋んだ。

ネクロスの視線が細くなる。

音楽は止まらない。

むしろ、さらに深く沈んでいく。

その中心で俺は立っていた。

視線は逸らさない。

ただ一点、ネクロスだけを捉え続ける。


空気が重い。

音楽の低い振動が床から伝わる。

そのリズムに引きずられるように、胸の奥で鼓動が一度、大きく沈んだ。


息を吸う。

両手を握り、体の奥に沈んでいる精霊力を引きずり上げる。

そのまま、両腕を前へ突き出した。

拳に白い光が滲む。


「第二ラウンド――いくぜ」


言葉と同時に踏み込む。

距離が一瞬で消える。

遅れて空気が弾け、白光が尾を引く。

一直線にネクロスの懐へ、確実に届くはずの軌道。


だが、当たらない。

視界の中で、その姿がわずかにずれる。

ほんの数センチ。わずかな一瞬。

それだけで最短は意味を失っていた。


(外した……?いや、違う――)


避けられている。

しかも反応ではなく、最初からそこにいない位置を取られている。

次の瞬間、反撃が来る。


(――蹴り)


視界の端に現れた軌道を思考が追いつく前に身体が動く。

重心を落とし、軸を半歩だけずらす。

その一手で、蹴りの軌道を外す。

間は作らない。

そのまま回転を殺さず拳を叩き込む。


だが、それもまた届かない。

ネクロスの身体が、ほんのわずかに位置を変えるだけですべてが空を切る。

読まれている、という表現では足りない。

始まりから終わりまで、動きが生まれる前に潰されている。


(全部、先にかわされてる……あの時と同じだ)


ネクロスの拳が伸びる。

だが、こちらも同じ領域に踏み込んでいる。

空間の歪み。

呼吸の揺れ。

筋肉が動く直前に生まれるほんのわずかな緊張。

そして、思考が形になる直前に生まれる空白。


(――右から打ち抜いて来る)


その一点に動きを合わせる。

軌道、殺意の向き、熱の集まり方。

紙一重で外す。

風が頬をかすめる。


「かわすのが得意なのは、てめぇだけじゃねぇ!」


間合いの内側で吐き捨てる。

ネクロスの目がわずかに細まった。


「ほう……」


低い声がわずかな興味を帯びる。


「やはり似ているな……貴様もまた、私と同じ力を持っているようだ」


攻防は一瞬も途切れない。

踏み込みと同時に拳が走り、外れた軌道がそのまま回避へと繋がる。

だが、どれだけ詰めても届く直前で外れる。

一連の動きは途切れず、むしろ噛み合ってすらいる。

それなのに結果だけが数センチずつずれていく。

拳も蹴りも互いの身体をかすめることすらない。

確実に捉えたはずの間合いだけが最後の瞬間で崩れていく。

打撃が空を裂き、遅れて衝撃だけが空間に残った。

ただ、当たらない戦いだけが続いていく。


オーケストラの旋律は止まらない。

その音に引かれるように互いの動きは途切れず続いていく。

だが、踏み込み続けているにもかかわらず、決定打だけが寸前で外れ続ける。

音と動きが重なるほどに、どの一撃も当たらないまま終わる。

その中でネクロスの動きがわずかに緩む。

その瞬間、空気の質が変わった。


「貴様の動きは、すでに掌握した」


その言葉が落ちた瞬間、背筋に冷たいものが走る。


「では――返してもらおう」


拳から黒い光がにじみ上がる。


「……なっ」


呼吸が、一瞬だけ切れる。


(……動きが変わった)


反射で回避するが、わずかに遅れる。

視界の外から鋭利な回し蹴りが叩き込まれる。

黒い光を纏った軌道が空間ごと抉るように迫る。


「ぐっ……!」


辛うじて外し、強引に距離を切る。

遅れて、空間そのものが引き裂かれるように歪む。

ネクロスは追ってこない。

ただ静かに構え直し、こちらを見ている。


「言ったはずだ。パンドラは返してもらうと」


(……まじかよ)


呼吸がわずかに乱れる。


(こいつ、魔法だけじゃねぇ、格闘技も出来るのかよ。しかも、あの黒い光……まさか)


思考がそこに辿り着いた瞬間、答えが浮かぶ。


(――俺の精霊力を真似してやがる。なんて野郎だ)


ネクロスの口元がわずかに歪む。


「貴様に出来ることが、この私にも出来ないわけが無かろう」


次の瞬間、距離が消える。

予兆が、ない。


(速――っ)


思考が追いつく前に拳が振り下ろされる。

その拳に纏った闇が一気に膨れ上がる。


「我が元へ還れ――常闇とこやみ 蹂躙じゅうりん


漆黒の拳が迫ってくる。

逃げ場は、ない。


(当たったらパンドラを奪われる――!)


なら、やることは一つ。


「……うおおおおぉぉ!!インフィニット デストラクション パンチ!!」


踏み込みと同時に拳を叩き込む。

床を蹴った衝撃が全身を駆け抜け、そのまま拳へ流れ込んだ。

白い光が一点に収束する。


真正面でネクロスの拳と激突した。

白と黒がぶつかった瞬間、音が消える。

遅れて、空間そのものが歪むような衝撃が押し返してきた。


(……弾かれる)


だが、その反動すら止めない。

弾かれた右腕を戻すより早く、身体を捻り、左を差し込む。


「おらぁ!インフィニット デストラクション レフト パンチ!」


間合いは潰れている。


(今度こそ届く――)


そう確信した軌道だった。


「無駄だ」


短く落ちた声と同時に、その一撃は止められていた。

ネクロスの右手が俺の拳を握る。

その一手だけで俺の左拳は完全に止まる。


(また、片手だけで……!)


それでも止まらない。

左を抑えられたまま、右拳を叩き込む。

体勢も重心も崩れたまま、それでも最短で叩き込む。


だが、それすら受け止められる。

今度はもう片方の手。

ネクロスの左手が寸分の狂いもなく俺の右拳を掴み取っていた。

両腕が完全に封じられる。


「どうした。その程度か」


その言葉と同時に掴まれた両手から黒い闇が滲み出した。

触れた場所から力そのものが奪われていく。

腕の内側に闇が侵食していく感覚が、じわじわと這い上がる。


(……やばい)


力で振りほどけない。

なら――


「くそっ……!」


頭を引き、勢いのまま額を叩きつける。

――ゴン!

重い衝撃が額から抜ける。

ネクロスの表情がわずかに崩れた。


「ぐっ……」


掴む力が一瞬だけ緩む。

その隙を逃さない。

腕を強引に引き抜き、踏み込みと同時に腰を回す。

顎を狙った蹴り。


「ハリケーン スイング キック!」


だが、空を切る。

ネクロスはすでに後方へ飛び退いていた。

わずか一歩、それだけでさっきまでの間合いが崩れる。


「……美しさの欠片もない、なんと下品な戦い方だ」


息一つ乱さず、ネクロスが言う。


「てめぇだけには言われたくねぇぜ!」


吐き捨てながら、こちらも一歩引く。

距離を取り直す。


腕の奥に、さっき触れた黒い闇の違和感が残っている。

それを無視するように呼吸を一つ整え、意識を頭の奥へ沈める。


(パンドラ、大丈夫か。ちゃんといるか)


すぐに返ってくる声。


(ええ……ですが、あなたの攻撃がここまで通らないとは……兄はやはり強いですわ)


事実をそのまま告げる声。


(天空……このままでは厳しいですわよ。どうなさるのですの?)


視線は逸らさない。

ネクロスの立ち位置、重心、間合いの取り方。

さっきの一連の動きが、頭の中で組み直されていく。


「大丈夫だ。ちゃんと策は考えてる」


そう言って、さらに距離を開ける。

呼吸が、さっきよりも落ち着いているのが分かる。

ネクロスは微動だにしない。

ただ、こちらを見ている。

その視線の中に、わずかな余裕がある。


だが、さっきまでとは違う感覚が残っていた。

完全に止められてはいない。

そう確信した瞬間、次の一手は決まっていた。

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