第九話
あーしは由美花と別れたその足で、真っ直ぐに倶楽部棟にやって来ていた。中等部進級時に説明は受けていたが、足を踏み入れるのは初めてだった。
あーしは現在どこの倶楽部にも所属していない。この体格を見た色々な運動部から勧誘は受けたが、今のところどこかに入部する気は無かった。
校舎と同じような二階建ての建物の一階には運動系の部が、二階には文化系の部が入っている。目当ての倶楽部は運動系になるか、はたまた文化系になるのか。
放課後なので内部は大勢の剣徒たちが行き交っている。あーしは目当ての部室を探して、扉の横に掲げられた看板を見て歩く。柔術部、居合い部、弓術部。恐らく二階には華道部、茶道部、書道部などがあるのだろう。サッカーやテニスなど南蛮由来の運動はこの士峰館では極めて人気がない。極一部の人間がコソコソと同好会を作ったりしているらしいが、すぐにどこからか横槍が入り、いつも空中分解するという話だ。
文化系もそれは同じで、吹奏楽などよりも雅楽の方が圧倒的に人気がある。
「ちょっとごめんよ」
いったい何部なのか、ひと抱えもある大きな銀色の鉄柱を二人がかりで担いでどこかへ消えていった。
前から運動着姿の人が小走りにやって来る。当てもなく歩いていても時間を無駄にするだけなので、あーしは思いきってその人に声を掛けてみることにした。
「あの」
「はい?」
「忍部の部室ってどこですか」
そう、それがあーしの目指す目的の場所だった。
「あぁ、忍部。それならこの廊下の突き当たり。一番端っこ……だったと思う、多分」
「思う? 多分?」
「あの部はすぐに場所が変わるの。今の部長の方針とかでね。忍たる者、その所在を明らかにすることをよしとせずとか言ってね。分からないでもないけど、付き合わされる部員からしたら堪ったもんじゃないよね。場所、変わってたらごめんね、他の人に聞くか自分で探して。じゃ、急ぐから」
礼を言って別れ、あーしは歩を進めた。
目当ての部室へは割とすぐに辿り着いた。場所が変わっていなかったことにホッとする。じゃないと探す手間が増えるところだった。
扉の横には大きな木製の板が掲げられ、そこには毛筆で忍部の文字。なかなか達筆だ。ていうか、全然忍んでねーし。
「こんなデカデカと看板掲げてたら、部室の場所を転々とさせたって意味ないじゃん」
面倒そうな部長を想像しつつ、あーしは扉の取っ手に手を伸ばした。
**カタンッ。**
何かが倒れるような音が微かにした。
一瞬で胸の内に嫌な予感が膨れ上がり、反射的にその場を跳んで離れる。
真上から風を切る音がした。天井付近から飛来したそれは、さっきまであーしが立っていた所に突き立った。
「手裏剣?!」
ぎょっとする。けれど、この手段は知っている。最初の手裏剣は脅かして注意を引きつけるための囮だ。
本命は!
身体を左に反転させてやって来た廊下の方へと向き直る。
煌めく白刃が見えた。
瞬時にあーしも抜刀、目の前に迫る刀を受け止め、弾き返した。真っ黒い影の両足が床を後ろへ滑らせ、低く構えて反撃の体勢を取る。
「この士峰館学園において不意討ちですか」
刀を身体に近い位置に引き寄せ、そう目の前の相手に声を掛けた。
「んふふ、これはやって来た人間の実力を計る入部試験として仕掛けられてんの。卑怯な手は嫌いでも、相手が卑怯な手を使わないなんて高を括ってる奴で強い剣徒はひとりもいないからね」
「例えそうでも、入部試験でやるにはやり過ぎと思います」
そもそもあーしみたいに入部以外の用事で訪ねてくる人間だっているだろうに。
「大丈夫、ちゃんと手加減はしてるって。今の手裏剣も当たるか当たらないかギリギリを計算して仕掛けているし」
「もし当たったら?」
「そんな手裏剣に当たる間抜けなら、もうそれはそいつが悪いってことで」
一本括りにした長い髪を背中で揺らめかせ、黒装束に身を包んだ女子が笑顔で答えた。
「そんなもんですか……」
「んふふ、納得出来ない? さすがに新一年はまだまだ初々しいね。学園の闇に生きる私たち忍部員には正々堂々ほど似合わない言葉はないよ。ま、卑怯な手を使ったかどうかすらの証拠も残さないのが私たちだけど。あ、実際に使うって宣言じゃないよ。今のは言葉の綾ってことにしておいて」
ひと回り小振りな忍刀を納刀したのを見て、あーしも刀を収めた。
「入部試験は最初の手裏剣を見切れるかどうかだけ。二撃目はあんただからだよ。鈍っていないかね」
あーしはその言い分に呆れた。誰もが日々研鑽し、剣の頂を目指すこの学園に在籍していながら、その身を敢えて陰や闇に落とし、場合によっては卑怯者と誹られるような真似を平気で出来るその神経が分からない。
「相変わらずですね、遼子さん。お久しぶりです」
箕島遼子、それが目の前の女子の名前だった。昔からの知り合いでもある。村瀬の件がなければ、こんな所へ来る気も、自ら会う気もなかった。
「しばらく会わない間にずい分変わっちゃったね、スズ」
「私が? どこがです?」
また身長の話か。
「その喋り方。何をかしこまっちゃってんの。以前みたいに遼子姉って呼びなよ。自分のことも『あーし』って言ってたじゃない」
心の中で舌打ちをした。これだから古い知り合いは嫌なんだ。人は成長し変わっていくというのに、いつまでもこっちを昔のままだと思い込んでいる。
身長なんかもう遼子さんより私の方が高いってのに。
……不意にそんな風に考えてしまった自分にすぐに嫌気が差した。相手との背の高さに優位を感じた自分が確かにいた。普段高い身長をうざったく思っているくせに相手が変わればこれだ。
もしかしたら村瀬の奴、こんなあーしの性格を見透かしていたのかも知れない。
「どした、なんか訳あり?」
黙った私を見て、遼子さんが表情を緩める。
「私でよければ話聞くよ。そのためにわざわざ訪ねて来たんでしょ。とりあえず部室入る?」
「いえ、時間がないのでここで。私のことは置いといて、実はある人物の情報を教えて貰いたいんです。忍部員の遼子さんなら分かるんじゃないかと思って」
「スズの姉上には世話んなったからね。それくらいならお安い御用」
「……姉の話はしないで下さい」
「ごめん、口が滑った。今のは私が悪かったね」
遼子さんが言ったのは、士峰館学園における姉妹制度の義理の姉上様のことじゃない。血を分けた正真正銘あーしの姉のことだ。
「誰のことが知りたいの。学園の剣徒及び教職員の情報なら、ほとんどここに入ってるよ」
遼子さんは得意そうに自分の側頭部辺りを、人差し指でトントンと突く。
「男子部に所属する長谷川って男です。知ってることがあったらなんでもいいんで教えて貰えませんか」
「長谷川、ね。中等部? それとも高等部?」
「あ、えっと……高等部、だったかな」
だった、よな。
「じゃあ下の名前は?」
そういえば、村瀬の奴は長谷川の下の名前を言っていただろうか? 必死で記憶の中を探ってみる。
……ダメだ。全く出てこない。
「さすがに苗字だけじゃね。中等部と高等部で長谷川って苗字の奴は私の記憶しているだけでも三人はいるよ」
勢い込んでやって来たはいいが、村瀬の話をろくに聞いていなかった自分自身に愕然とした。同時に遼子さんを訪ねれば何か分かるだろうと甘く考えていたことに対しても。
胸焼けのする惚気話だの怪電波だのと決めつけて、まともに耳を傾けなかったのがまさかこんなことになるなんて。こうしている間にも村瀬に危険が迫っているかも知れないってのに。
「んー、なら見た目は?」
そうだ、見た目。その話なら確かに聞いた覚えがある。由美花も見た目について話していた。なんと言っていたんだったか。
思い出せ。思い出せ。
しかし、焦れば焦るほど、思い出そうとすればするほど、頭の中の長谷川像はぼやけ、霞んでゆく。
そうだ、電話で由美花に説明して貰えば。
スマホを取り出そうと制服の袂に手を突っ込んだ。
「あ……」
「どした」
時間がないからと、自分の連絡先を一方的に渡したはいいが、あーしの方は由美花の連絡先を聞かなかったのだ。つまり、こっちからは由美花に連絡のつけようがない。
なんて間抜けなんだ。
自分が嫌になる。まったく村瀬をどうこう言えた義理じゃない。
――打つ手なし。
その時だった。カサリと袂の中で、何かが指先に触れた。
何だ、と思ったのも束の間。それが何かをすぐさま思い出し、引っ張り出す。
クシャクシャになったそれを広げ、遼子さんの目の前に突き出した。
「これ! これです、こいつが長谷川!」
翳されたそれを受け取り、遼子さんがまじまじと見つめる。
ぶほっ。
そして盛大に吹き出した。
「あっはっはっは! え、なにこれ、スズが描いたの? あんた絵心なかったんだねぇ!」
遼子さんが手にするそれ。村瀬が描いた長谷川某の似顔絵の紙だった。
「え、違っ。私が描いたんじゃなくって……」
「ひっひっひ。あー、おかしい。くっく」
「だから違うんですって」
「涙出て来た。腹いてー。マジな顔してこれ描いてるあんた想像したら……」
バシバシと部室の壁を叩く。
「あははははっ!」
盛大に遼子さんの笑い声が廊下にこだまし、廊下にいた他の部の剣徒たちが何事かとあーしらに注目する。
「いや、だから」
「ひーひー! 机に向かって、あんたが、これを! 背中丸めて! スズ画伯! ふっふー!」
ぶちっ。
「いい加減うっせぇ、あーしじゃねぇっつってんだろ! いつまで笑ってんだ! 時間ねぇんだよ、ぶっ殺すぞ!」
ピタリと遼子さんの笑い声が止まる。しまった、いくら旧知の仲とは言え上級生に暴言が過ぎた。
しかし、こちらに向き直った遼子さんの顔は不敵に笑っていた。
「以前のスズらしくなったじゃない。あんたはその方がいいよ。姉上のことがあってからのあんた、ずっとつまんなそうにしてたよ」
遼子さんが目元の涙を拭いながら言う。
「そんなことは……。っていうか、見てたんですか、私のこと」
「忍部の情報網を舐めるんじゃないよ。で、お探しの長谷川だけど」
パシッと紙を掌で叩く。
「出来はともかくとして、特徴はよく捉えてる。髪型とか口元のホクロとかね。この男は恐らく高等部三年の長谷川勝。ろくな男じゃないよ」
「って言うと?」
あーしの問いかけに遼子さんは声の調子を少し落とした。
「去年中等部二年だったひとりの剣徒が自主退学した。どうもその件に長谷川とその仲間たちが関わっていたって噂があってね」
「長谷川たちがその剣徒を退学に追いやったってことですか」
「そう聞いてるけど、あくまで噂の域を出ていない。実際長谷川たちが処分されたって話も聞かないしね。実は私たち忍部でも長谷川たちの裏を洗ってみようって話は出てるんだ。噂の真偽を確かめようってね。だけど、今別件でみんな手一杯でさ」
「でも遼子さんたちは噂を事実だと確信してる」
「そういうこと」
「長谷川たちの溜まり場とかって分かりますか」
「分かるよ。一応準備は進めていたし」
「その場所、教えて貰えますか」
「なに、スズ、あんたやる気なの? 手伝おうか?」
「いえ。手を出さないで下さい」
「んふふ。いいよ、分かった。とりあえずここを出て男子部の方へ向かって全力で走れ。あんたのスマホに情報送るから」
遼子さんが言い終わる前に、あーしは背を向けると駆け出していた。
「一気に士峰館剣徒の顔になっちゃってまぁ。剣徒、三日会わざればってか」
もはや聞いている余裕はあーしにはなかった。




