第六話
「私、その日は長谷川さんと長い時間話し込んでしまったの。とっても安らかな時間だった」
それが昨日戻ってこなかった理由か。
「長谷川さんの顔を見ていると、安らかなはずなのに、時折不思議とトクンって心臓が強く跳ねる時があるの」
何がトクンだ。少女漫画かよ。じゃなきゃ不整脈だ。
「次に長谷川さんの声を聞いてると胸の奥がきゅんってなるの」
きゅんじゃねーわ、バカか。これ以上こいつの与太話を聞いていたら耳が腐りそうだ。そろそろ終わりにして欲しい。
「で、結局どうなったの」
「連絡先を交換して、今日も放課後会う約束をしてる。私、長谷川さんに会って世界が違って見える。なんて不毛で非建設的なことをしてたんだろうって気がついた。だからごめんなさい、道山さん。もう一度謝らせて」
ぺこりと頭を下げる村瀬。
「もういいよ」
そう、こいつがあーしに対して不毛な嫌がらせをしたり非建設的なちょっかいを出して来ないのなら、どこぞのイケメンに惚れようが、お化けに祟られようがなんだっていいのだ。どうぞお好きにして下さい、てなもんだ。
こうして降って湧いたように願っていた平和な日々が訪れた。
最初はいつものクセで背中側をずっと気にしていた。
けれど待てど暮らせど、鉛筆によるグリグリ攻撃も、千切った消しゴム爆撃もやって来ることはなかった。
授業も真面目に聞いていたみたいで、あーしに対抗して回答を張り合うようなこともしなくなった。
そうして放課後になると、村瀬は軽やかな足取りで教室をさっさと出て行ってしまった。さっそく長谷川某のもとへ向かったのだろう。
なんだか拍子抜けした。
あーしはあの話を聞かされても、まだどこかで村瀬を疑っていたのだ。長谷川という男子の話は、あいつが一方的に言っているだけで、裏を取ったわけじゃない。こっちの油断を誘うための作り話なんじゃないか、嘘なんじゃないか、そう思っていたのだ。
「ま、あのアホがあんなに細かい所まで嘘の話を作り込むわきゃないか」
主のいなくなった後ろの席を見る。少し前は死亡除籍のことまで考えていたというのに、この変わりよう。それを思うとなんだか……。
「なーにスズ~、村瀬が構ってくれなくなったんで、寂しいの~」
不意に横から声を掛けられた。見ると真矢だった。
「バカ、んなわけないって。清々してるよ」
「ふーん」
ニヤニヤと笑みを貼り付ける真矢の顔が腹立つ。
「変なこと言ってないで帰るよ」
鞄を掴んで立ち上がる。
「はいはい。ムキになんなくたっていいのに」
「どこが!」
――翌日。
村瀬は休み時間もせっせと机に向かい、鉛筆を動かしていた。どうせ長谷川に「頭が良い子が好き」とでも言われたんだろう。で、単純な村瀬は「長谷川さんに相応しい女の子になる!」とかなんとかで必死に勉強している、と。まぁそんなとこだろう。
そんな風に思っているとお昼休み、背中をチョイチョイとつつかれた。ついに化けの皮が剥がれたかと身構えたが、いつもの痛みがやって来ない。
「道山さん」
恐る恐る後ろを振り返ると満面の笑みの村瀬と目が合う。
「……なに?」
「ちょっと見て欲しい物があるの」
そう言って村瀬がペラリと一枚の紙を差し出してきた。
「なにこれ」
そこにはお世辞にもど下手クソとしか言いようのない人の顔が描かれていた。幼稚舎の子でももうちょっとまともな似顔絵を描くだろと言いたくなる代物。紙は何度も描いては消しを繰り返したのか、まっ黒になっている。ついでに村瀬の右手も。
「これってもしかして……」
右目の上に流した前髪、口元のホクロ、詰め襟を着ているところから、ここに描かれているのが件の麗しの人物のようだ。やはり実在していたか。
っていうか、ずっとこんなもんを描いてたのかよ。
「そう、長谷川さん」
「あぁ、なるほどね。こんな顔なんだ」
「うん。まぁまぁ特徴捉えられてると思うんだけど、どうかな」
どうかなと言われてもあーしはその長谷川某には一度も会ったことはないわけで。
「いいんじゃないの」
面倒臭くなって紙を突っ返そうとするが、
「ああ、今までのお詫びのしるしにそれは取っておいて。幸せのお裾分けだよ」
こんなもん貰ってどうしろってのよ。幸せのお裾分けどころか不幸せの押しつけだよ。
仕方なく折りたたんで制服の袂に入れる。
「ねぇ、道山さん。長谷川さんにお菓子作って持っていくのはどうかなって考えてるんだけど、どう思う?」
「さぁね、私に聞かれてもね。そもそもあんたお菓子なんて手作り出来んの」
「うん、無理」
即答かよ。ちょっとくらい努力してみようとかしろよ。
「だからね、とりあえずみかん買って来た」
「み、みかん?! 有田?」
って、動揺してなに産地聞いてんだあーしは。有田ならアリだな、なんつって。
「ううん。温州」
「あ、そう」
そもそもとりあえずってなんだよ。つーかなんでみかん?
色々ツッコミたいが面倒なので黙っておく。
村瀬がゴソゴソと鞄の中を探ると、赤い網に入れられた雲州みかんが出て来た。それにしたってお菓子作れないからみかんってどんな発想だ。
「あー、まぁ、もしかしたらお菓子とか甘い物苦手かも知んないからね。あとアレルギーとか。みかん嫌いってあんまり聞かないし、いいんじゃないの」
投げやりに答えたのに村瀬は目をキラキラさせる。
「だよね! さっすが道山さん、頼りになる! これ、お礼ね」
網の中からひとつ、温州みかんを取り出してあーしの掌に乗せると、またまた跳ねるような足取りで村瀬は教室を出て行った。
「......頼りになる要素あったか?」
呆然とその背中を見送る私のそばに、やりとりを見守っていた真矢がつつつと寄ってくる。
「村瀬の奴、今日もご機嫌じゃん」
「こっちの疲労度は前より増してる気がするよ」
「そんな疲れたあんたにちょうどいいのがあんじゃん」
イラッと来て、ちょうどいいそれを真矢の顔目がけて投げる。
素早く動いた左手が危なげなく掴む。私は席を立った。
「ちょっとどこ行くの。このみかんは?」
「やるよ」
あーしは教室を出て手洗いへと向かった。




