第四話
「おはよう」
翌朝、教室へ足を踏み入れたあーしは、すでに着席している村瀬を見つけて立ち止まった。警戒レベルをひとつ引き上げる。
いつもはあーしの後ろにいる時間を少しでも短くしたいのか、始業時間ギリギリにやって来るくせに、今日はやけに早い登校だった。
……何もなきゃいいけど、きっとその線は薄い。
気を引き締め直していると、村瀬が不意に顔を上げてこっちを見た。あーしの姿を認めて席から立ち上がると、にっこりと見たことのないような満面の笑顔を向ける。
思わず背後を振り返る。村瀬の視線上にはあーしの他に誰もいない。
ということは、今の笑顔は間違いなくあーしに対して向けられたもの。
それは今まで村瀬の表情の中に本当に存在していたのかと言いたくなるような、なんの屈託もない天使の笑みだった。この子、笑うとこんなにも可愛かったのか、などと変に感心してしまう。
はっと我に返る。
いかんいかん。絶対に何か裏があるはずだ。警戒を怠らずに歩を進め、自分の席の前まで辿り着く。
村瀬の姿を横目で視界の隅に捉えつつ、机の上に鞄を置く。すると不意に声が掛かった。
「ごきげんよう、道山さん」
ご、ごきげん……?! 道山さん?!
「どうしたのあんた。悪いもんでも食べた? それとも頭でもぶつけた?」
「なぁに、藪から棒に。おかしな人。さぁ、お座りになって」
笑顔で給仕のように私の席を引いてくれる。あーしはじっと自分の席を見つめる。座面部分に目をこらし、表面を指先で撫でる。次にしゃがんで裏側を確認し、最後に四本の足をひとつひとつ拳で叩く。
「何をなさってるの?」
「確認。座った瞬間足が折れたり、お尻に画鋲が刺さったりしやしないかのね。接着剤ってのも有り得る」
「嫌ね、私がそんなことをすると思っていて?」
「思わないわけないでしょ。だいたい何、その変な喋り方」
ジロリと見上げるが、村瀬の笑顔が崩れることはなかった。よし、椅子には何も問題はなさそうだ。
警戒を解かず恐る恐る確認を終えた椅子に座る。そんな村瀬が次に取った行動は、あーしを驚愕させた。
「道山さん、今まで本当にごめんなさい」
なんと深々と腰を折ってペコリと頭を下げたのだ。
「へぁ?!」
予想外の展開に思わず変な声を上げてしまった。
しかし驚いたのはあーしだけではなかったようで、遠巻きに村瀬とのやり取りを見守っていた同級生たちもざわつき出した。離れた席からこっちを観察していた真矢も、思わず目をまん丸くしている。
「ど、ど、どういうつもり?」
「どういうつもりもなにも、今まで子供じみた嫌がらせをして申し訳なかったと思って。どうか許してくれたら嬉しい」
「いや、まぁ、うん。こっちからしたら今後幼稚なちょっかいかけないって約束してくれるなら、それでいいけどさ」
「ほんと? ありがとう!」
なんと村瀬は身を乗り出して私の両手を取った。それも花が咲いたような満面の笑顔で。少なくとも、あーしが謝罪を受け入れたことを心底喜んでいるように見えた。
しかしいったいこれは何だ。何かの作戦か。気味の悪さにぞぞぞっと背筋が粟立つ。
あーしは自分の性格がそこまで良くないことを自覚している。こいつが反省してすっかり心を入れ替えたなど死んでも思わない。
形ばかりの謝罪と、奇矯なキャラでこっちを油断させてから何かを仕掛けてくる気なのでは。そう思えて仕方ない。
もしもそうだとしたら、この程度であーしが警戒を緩めると思ったら大間違いだ。
「手、離してくれない?」
「あ、ごめんなさい」
「聞いてもいいか?」
「なぁに、なんでも聞いて」
「昨日あれだけ啖呵切ってたのに、たった一日で心変わりした理由だよ」
今ならまともに村瀬と会話が出来る。ならばこっちにもやりようがあるってものだ。下らない言い訳や誤魔化しで油断を誘う気なら徹底的に追及して、その化けの皮を引っ剥がす。そんで私を甘く見たことを大いに後悔させてやる。
さぁ何をどう語る? 聞かせてみなよ。
「私ね、……愛に気付いたの」
「あ、愛ぃ?!」
予想の斜め上どころか遙か上空を突き抜けていくような返答に、思わず大きな声が出た。さすがのあーしの警戒装置も一瞬停止する。
「そう、愛」
うっとりとしか言い様のない恍惚とした表情を浮かべる。いったいなんなんだこの女は。薄気味悪いったらない。
「あ、あのぉ村瀬さん、ここ士峰館学園だよ。士峰館の本分って知ってるかい。剣の腕を磨き上げ、その力と技と強さによって真の士の頂きを目指すって場所だよ?」
「当然知ってる。力と技と強さ、でもそこに愛が並び立たないという風に道山さんは考えていて?」
考えていて? じゃねーわ。
「さぁ、どうかな」
「私が断言する。それらはちゃんと並び立つの。私、そのことに昨日初めて気がついたの。そうしたら自分のしていたことがとても恥ずかしくなってしまって……」
「だから、どういうこと。全然説明になってないんだけど」
村瀬は微笑みながら、ゆっくりと自分の席に腰を下ろした。どうやら話は長くなるらしい。




