第二話
中等部校舎の廊下を歩いていたあーしの右腰に、何かが軽くぶつかった。
窓の外に見える麗らかな春の景色に気を取られていたあーしが完全に悪い。慌ててそっちを振り返り謝った。
「ごめ……」
言葉が途中で止まる。おかしい。誰もいない。一瞬そう思った。
いや、違う。ちゃんといた。大分視線を下げた場所に。
ふわっとした長い髪を二本、左右に垂らしたひと際小柄な体格の女子が、あーしを睨み上げていた。
前合わせの和服を模したセーラー服、袴のような裾の長いスカート。成長を見越して大きめを買ったのだろうが、かなりぶかぶかで完全に服に着られている。
「なに、ぶつかっといてろくに謝れもしないの」
「あ、いや、ごめん」
謝ったが、あーしを睨みつける視線は一向に柔らかくならない。
「あんたさぁ、さっき一瞬私のこと見失ってたよね。ずい分ちっこいなって思ってんでしょ」
なんだこいつは。被害妄想がひどい。でも、いると思っていた場所の、予想よりかなり下に頭があって戸惑ったのは本当だった。
「そんなこと思ってないよ」
敢えて波風を立てる必要はない。あーしは当たり障りなく否定することにした。が、目の前の女子は聞いていなかった。
「あんたらデカい奴らはみーんなそう。私みたいなチビを見下してんだ!」
デカい。それは私が少しだけ気にしている単語のひとつだった。去年辺りから身長が一気に伸び出し、あーしは学級の他の皆より頭ひとつ分は背が高かった。女子の平均身長よりも大分高い。
逆に目の前の女子は他の皆より頭ひとつは低い。身長差は歴然だった。
「私は村瀬結宇子。あんた、確か道山って言ったよね。私の前の席の」
げっ、よりによって同じ学級の後ろの席の人間だったとは。
道山の『み』と村瀬の『む』で出席番号は前後。中等部に上がって間がなく、同級生の顔と名前すらまだまだ全員一致していない時期とはいえ、迂闊としか言いようがなかった。しかもそれがこんな厄介そうな奴だとは。
「なに、なんか面倒そうな顔してない?」
「してないよ。普段からこんなもん」
「ふーん、まぁいいや。ところであんたの下の名前、なんて読むの」
「自己紹介の時言ったと思うけど」
「聞いてなかった。なに、気軽に教えられないようなそんな恥ずかしい読みなの」
こいつ、なんでこんないちいちケンカ腰なんだ。
もういい、さっさとこんな不毛な会話は切り上げるに限る。
「道山す……」
名前を口にしようとした時、ふと周りがしんとしていることに気がついた。
廊下の右から左へ視線を動かすと、あーしら二人を遠巻きにして様子を窺っている人間が何人もいるのに気がついた。
あーしと村瀬の不穏な様子から、斬り合いに発展するかもと警戒しているのだ。
自然に両足を肩幅に開く。この学園では何時でも何処でも斬り合いが起こることを想定しておかなければいけない。
初等部までは許されていなかった帯刀が、中等部からついに解禁された。みんながみんなピカピカの得物を腰に差し、そいつで腕試しをしたくてウズウズしているのだ。
真っ正面から「一手ご指南賜りたい」などと手合わせを申し込んだり申し込まれたりが通常の作法だが、難癖にかこつけてわざと斬り合いに発展させるような輩もいると聞く。
まさかそれが自分の身に起こるなんて。
「……ずらん」
ほんの一瞬の物思いの後、あーしは名乗りを続けた。
「ぶふっ!」
それを聞いて村瀬は何故だか吹き出した。続けてけらけらと笑い声を上げ、腹を抱える。
あーしは訳が分からず、こっちの様子を窺っていた周りも奇妙な表情を浮かべている。
「おい」
いつまでも笑うのをやめないので、私は村瀬に声を掛けた。しかし笑い声は止まらない。
「おい!」
今度は強めに声を掛けた。
「はー、おっかしい。なに?」
「なにじゃないよ。そっちこそなにを急に笑い転げてんだよ」
「だってさぁ、ねぇ?」
村瀬は周りを振り返り、同意を求めるように周りの女子を眺め回す。しかし返ってくるのは「はぁ」としか言いようがない曖昧な反応のみ。
「あんたの下の名前、ずらん? ズーランっていうんだね。おかしな名前だなって思ったら、笑えて来ちゃってさ」
こいつ、あーしが周りの様子に気を取られ、一瞬変な所で言葉を切ったのを逆手にとって、笑いの種にしやがったのか。
完全にケンカを売っている。気にしている背のことを言われたのもあって、久々に頭に血が上った。
「あんたねぇ! 私は鈴蘭だよ、道山鈴蘭!」
怒鳴るのと同時に腰の鞘に自然と左手が掛かった。その仕草に周りの空気がざわりと揺れた。
「おっ、なになに。やんの? デカい奴はいっつも小さい方にやられるって漫画のお約束知んないの」
「漫画と現実の区別も付かないお花畑頭に斬り込み入れて上げようか。そうすれば熱も冷めてちょっとは冷静になるでしょうよ」
お互い刀の柄に同時に手を掛けると、すり足で間合いを計る。
「ちょっと!」
「やめなよー」
その時別々の方向から二つの声が上がった。
見ると、髪を男の子のように短くした女子が私へ向かって走ってくるところだった。同級生の藤田真矢だ。
村瀬の方へも別の女子が駆け寄って行く。その子も村瀬に負けず劣らず小柄だったが、奴と圧倒的に違うのはその女の子然とした雰囲気だった。長くふんわりした髪を緩く束ね、丸い大きな眼鏡を掛けている。
「なにやってんの、スズ。あんたらしくないじゃん」
真矢に言われて瞬時に熱が冷めた。重心を戻して柄から手を離す。熱くなっていたのはあーしの方だ。恥ずかしい。
「ゆっこちゃん。だめだよ。手合わせでも剣闘でもちゃんと手順があるでしょ。ほら、もうすぐ授業始まっちゃうよ」
「向こうがわざとぶつかって因縁付けてきたんだよ。私は被害者」
このガキ、言うに事欠いてあーしを悪者にする気かよ。
「ふん、こっちはあんたなんか眼中にないよ。好きに言ってろ」
くるりと踵を返して、教室へ向かうべく村瀬に背を向ける。
「あんたになくてもこっちは嫌でも視界に入るんだよ!」
村瀬が叫んだ。
あ、席。前と後ろだった。




