2.
ココネと心音。一先ずこの状況、いかにすべきかと。蒼太は帰路につきながら思う。
――と。講義が一通り終わり、電車で通う心音を駅前で見送り、寮へと向け歩く現在。彼は、実に頭の痛い問題に頭を悩ませていた。
当たり前だが、購入したLSRに“ココネ”と名付けたことがバレることは非常に避けたい。ドン引き間違い無し。初恋の相手に、そんな形で軽蔑されるのは精神的に耐えがたい。
蒼太自身、中々に気持ち悪い事をしている自覚はある。かと言って今更ココネを返品するのも何だか可哀想で、それも正直避けたいと思っている次第。
現状、解決策無し。自らの犯した業で自らを焼いている青年が、こちらである。
「ただいま……」
思索に耽っていると、時間も歩数もいつの間にか重ねているもので。蒼太は寮の自室の前まで戻ってきていた。
築何年だと聞きたくなるような、所々青い塗装のはげた古い扉。それを開け、帰宅した旨を声に出す。今までは虚しく響くだけだったそれも、現在となっては意味のある行為になったのが、やはり何だか感慨深い。
「お帰りなさい、あなた」
「う、うおお……っ」
まるで本物の奥さんのように、ココネは向かえてくれる。その姿に、悩んでいた気持ちを脇に置き、蒼太は感動する。
「かばんを持って行こうかしら?」
「ありがとう。じゃあお願いしようかな」
蒼太がそうお願いすると、ココネは蒼太の通学バッグを持って奥へ戻っていく。……本当に、心音の変わりようには驚いたと、ココネの後ろ姿を見て思う。
とはいえ。ヒトの趣味にとやかく言う程エラくもなく、悪い事をしているわけでもない。
離れて10年以上。好きなものが変化したり、増えたりするのは当然だろう。
「ん……」
心音の今についてぼんやり思っていると、腕のホログラフリング――略してホログが振動し、何らかの通知を知らせてくる。蒼太がベッドに腰掛けながらそれを確認すると、その振動は、コミュニケーションアプリ“LINK”のものだった。
友人と言えるものは少なく、登録している人物もココネや心音(昼時に連絡先を交換した)、家族程度に限られる自分のアプリ。状況からして、心音からの何らかの連絡だろう。
そう思いながら蒼太は、初めて家族からのもの以外であるかもしれないその内容に、蒼太は僅かなドキドキと共に確認する――……。
「えっ、ちょっ、まっ――……」
表示された相手を見て、蒼太はすぐにココネに呼びかける。
「ココネ! 隠れて!」
「――? どうしたの、突然」
訝しげな顔で、夕食の準備をしていた手をココネは止め、ゆっくり蒼太を振り返る。そんな彼女ののんきな様子に、彼は慌ててその手を取ろうとする。
ドンドンドンドン!
――けたたましい衝撃音の連打。それは、玄関の扉を叩く音だった。
「借金取りでも来たのかしら?」
「この歳でそんなもの無いよ! とにかくココネは隠れて!」
ドンドン、ドンドンと激しく扉を叩く音が何度も続く。ココネではないが、確かに借金取りが来たみたいだと蒼太は思った。だがあるいは、それよりも恐ろしいものかもしれない。
「こ、こっち、早くこっちに!」
ココネの腕を引き、蒼太は居間へ。彼女をどこへ隠すか。そう思いながら周囲を見回す。
「え、っと、お、押し入れ! 押し入れ! うわぁ!?」
押し入れを開けると、なだれてくる布団と衣類。一人暮らしする際、心配した家族が沢山持たせてくれたそれが仇となった。
仕舞い場所に困った結果、どこぞの主婦のように押し込んだのは記憶に新しい。しかし、この緊急状況では、そんな押し入れの状態を思い出す事もできず埋まってしまう。
「ぷはっ! ココネ、大丈夫!?」
「もがっ、一度、収納場所の状況を見直した方が良さそうね」
焦る蒼太とは対照的に、冷静な分析をするココネ。そんな彼女を隠すにはここしかないと、蒼太は布団や衣類をベッドに放り投げ、彼女を押し入れに押し込もうとする。
――突如、玄関扉を叩く音が止んだ。
「――あれ?」
ココネを押し込もうとしていた蒼太の動作が止まる。
「え……?」
先ほどまでの騒がしさなど嘘のように静まりかえる室内。しかし、そうして訪れた静寂は、一転して不気味さを助長する気味の悪い空白と化した。
それは、在るはずのものが無い気持ち悪さに似ていた。延々と続くものかと思われていた扉を叩く音。ところがそれは突如として止み、そこに生まれた静寂に、気味悪さを落とす。
――蒼太の顎を、冷たい汗が一滴つたう。
刹那。
ぴたっ
音。窓ガラスに、平たい何かが張り付く音。動かない身体の中で、蒼太の心臓が跳ね上がる。
その音は、決して大きくは無かった。だが、静まりかえった室内では、他の何かに紛れようもない程に明確に聞き取れる音だった。
身体が、動かない。否、動かしたくはない。音の正体。それを、確かめねばならないのに確かめたくはない。相反する衝動が擦れ合い生まれるフラストレーション。それが、蒼太の胃と心臓をきりきりと痛めつける。
膠着状況。だが僅かながら勝る、確認の気持ち。それが、蒼太の身体を何とか動かした。
か細い意志。それが、彼の首を窓側へと、音のした方へと向けさせる。
まるで古式戦車の錆び付いた砲塔のようなぎこちない動作。見てはいけない。そんな本能の叫びに頭が痛む。しかし一度始めた動作を、止めるには至らない――……、
窓の向こうに、逆さまの女子高生が張り付いていた。
夕方であるにも関わらず。先ほどの扉を叩く音とは比べものにならない程の叫び声が、大学の学生寮に響き渡った。




