7.
大分、奥に来てしまったなと、蒼太は思った。
がさがさという、何かが立てる物音に肩をびくつかせながら。これが普段であれば、真っ先に逃げ出していただろう。しかし、もはや場所は後戻りできない所まで来ている。
もうどれくらい歩いただろうと、蒼太は頭上を見上げる。この暗さは、木々が日差しを遮っているからだけではないのだろう。
道が悪いので、きっと歩いているつもりでも、実際の距離はそこまででもないのかもしれない。しかしながら、ひっそりと死ぬには充分な場所なのではないかと蒼太は思った。
「ロープは無かったけど……」
蒼太は、検査入院に当たりココネが持ってきたのであろう、持ち出したバッグを開ける。
その中に入っているのは、病院のベッドから引っぺがしたシーツと、そしてハサミ。これだけあれば、即興で吊り用の紐を作る事ができるのだろうと、急いで用意したのだ。
「(まずはこれを……)」
蒼太は、近くの手頃な岩に腰掛け、シーツにハサミを入れていく――……。
「…………」
その顔に、表情は無い。淡々と、作業を行う。
そんな無表情の裏で、記憶が蘇る。布に刃を入れる時。布を刃で切り裂く時。ちょきり。ちょきり。想起するそのどれもが、自分が仕出かした罪の数々の、その瞬間だった。
無邪気で無知な子供の、空気を読まない発言。それによって壊れた家族。
責任を感じて世話をしているつもりが、その他の機会を奪ってしまった妹。
些細な不注意から発狂を加速し、自死をした母。
そして――自らの迂闊な行いによって傷つけてしまった幼馴染み。
特に四つ目は、実に救いようがない事態だと言えた。自分はこれまでの人生で、何を学んできたというのか。己の迂闊な行動が、大切なヒト達の人生を狂わせてきた事を忘れたのか。
あの状況は、対策できた筈である。しかし己の怠慢さと油断が、今回の事態を招いた。
自分という存在が、ヒトを不幸にする。過去、幾度繰り返しても学ばず、しかも母を壊した父と同じ事を仕出かしている。
だから蒼太は、自らは消えるべきだと考えた。そんな白痴の疫病神は、ひっそりと消えるべきなのだから。
――思い詰めながら、黙々と蒼太は作業を続ける。きっと、悲しむ者はいるだろう。しかし、これ以上は増やさずに済むに違いない。こういった事も、背に腹は代えられないというのだろうか。
そんな事を思いながら。蒼太はシーツを切り、それを細く丸めたものを数本用意する。そしてそれをより合わせて編んでいき、手作りロープを作成していく。
「できた……」
そうして作り上げた、首つり用の縄。何度か引っ張り、強度を確認する。感覚でしかないが、人一人の重量を支えるには充分な強さがあるように思えた。
早速蒼太は、できあがったそれを木に引っかけた。さらにほどけてしまわぬように垂れ下がった先端を結び、輪っかを作る。
――そうして、どこかで見たような吊り縄が完成した。輪の高さは自分の身長より高い位置。足場となる石を置いて首をかければ。後はそれを蹴飛ばすだけで地獄へ行けるだろう。
「…………。ごめん、母さん。愛香。心音」
昇り、輪に首を通すため両端を持ち、誰の耳にも入る筈のない謝罪を、蒼太は口にする。
絞首台の前に居る気持ちとはこういうものだろうかと、蒼太は思う。そんな事を考えながら彼は縄を首にかけきり、後は足下の石を蹴飛ばすだけになった。
そして――最期にもう一人。謝罪するべき相手の名前を口にする。
『ごめん、ココネ』、と――。
「呼んだかしら」
――蒼太は、目を見開いて振り向いた。
そこに居たのは、ココネ――蒼太の名義で購入した、生活支援アンドロイド。イノヴェーションワールド社製のライフサポートロイド。略称LSR。ロヴン・1220。
死に際の気の迷いが見せる、幻かと思った。だが、都合のいい幻にしては、随分と彼女は酷い姿のように思えた。
足を引きずり、力なく垂れ下がる右腕。その姿はあまりにも痛ましく、しかしどこか健気さを感じさせる。
「ココ、ネ……?」
「ええ」
放心のままに呼ぶ声に、彼女は返事した。エメラルドのような瞳がじっと蒼太を見つめる。
「――ごめん、ちょっと一人にして、くれないかな」
混乱を頭に残しながらも、蒼太は指示を出す。どうしてここにいるのか。どうやってここまで来たのか。まるで分からないが、今はそこに居て欲しくない。
「悪いけど、それはできないわ」
しかし、ココネはその指示を拒否した。
「ライフサポートロイドは、人命が危険にさらされている場合、対象を保護するようプログラムされているわ。今の状況から、アナタが自己破壊しようとしている事は明白。よって、アナタを一人にする事はできないわね」
「そ、っかぁ……」
アンドロイドには自らを害するという概念がないだろうから、もしかしたらごまかせるかもとも思った蒼太。しかし、それはできなさそうで乾いた笑いを漏らす。
「プログラム、という事は――俺が何を言っても、助けようとするって事、だよね?」
ココネは。LSRは、自らに定められた無数の命令の下に動く。人間やその他動物が本能を持つように、人のために作られたアンドロイドも、生まれる際に持たされた行動を持つ。
だから、蒼太はそれを責める気にはなれなかった。彼女は、自分に定められた使命に従っているだけ。それでも、助けると言ってくれることは嬉しかったが、だからと言ってそれで自殺をやめる理由にはならない。
そんなココネが、蒼太へと問う。
「――あなた。アナタは、死にたいの?」
まっすぐに見つめられながらされる問いかけに、蒼太は一瞬言葉が出なくなった。その緑眼の視覚センサーに映す所有者の姿に、彼女は何を思っているのだろうか。
「俺は――生きてちゃいけないんだ」
ココネの問いかけに、蒼太はそう答える。
「俺がいると、必ず大切な誰かを不幸にしてしまう。そもそも、君を買ったのだって、それでも寂しかったから、というのが理由なんだ。けれど、そんな行為がまた、ヒトを傷つけちゃった。だから、何度も繰り返すくらいなら、死んだ方がいいって思ってね」
「ワタシが消えるのではいけなかったのかしら?」
「それは――ちょっと違う、かなぁ。人間ではない誰かとして、確かに最初は君を購入したけど。やっぱり、君もやっぱり一人の一個人だって、思えるようになっちゃったから……」
四度ならず、五度目。自分は誰かを不幸にするのが本当に得意だと、蒼太は自嘲する。
ココネもまた、大切な一人になった。彼女自身が蒼太自身のことをどう思っているか分からない。プログラムで動く彼女に、そんな事を思う思考自体があるのかどうかもわからない。
しかし、彼女から仕えるべき持ち主を奪うという事は、ココネに対してもたらす不幸に他ならないだろう。彼女が、自らの幸せを誰かに仕えることと定義した故に、蒼太はそう思った。
にも関わらず、ココネからそれを奪う。何をしても、誰かを不幸にしてしまう。いい加減、終止符を打ちたかった。
「そう……」
ココネは一度視線を俯かせてから、足を引きずり蒼太の元へと歩く。その様は、プログラムの遂行第一なアンドロイドらしくもあり――やはり、健気な女の子のようにも、蒼太には思えた。
「――きっとここで、勢いに任せて吊っても、すぐに助けられるんだろうね」
彼女自身の発言から、ココネは蒼太の自殺を止めるためにここまでやってきたのだと分かった。となれば、窒息する前に救助されることだろう。
――あるいは、このまま勢いを付けて首をくくれば、首の骨が外れて死ねるだろうか。彼女が助ける前に、終わらせられるだろうか。
「そうね。ワタシは、アナタをすぐに助けようとするでしょうね。だから――」
ココネが、足を止めた。
「……?」
足を止めた。自殺を止める、という行動をしようとしているにしては、その意味が分からない。説得のために? しかしそれでは、わざわざ距離を縮めた意味が分からない。
ココネの、謎の行動。蒼太が疑問を覚えていると――彼女は、遂にアクションを始める。
「性欲発散機能を使うというのはどうかしら?」
蒼太は、聞き間違いかと思った。
「…………え、」
「――右腕が動かないせいで脱ぐのに時間がかかるわ。待ってて」
「いやいやいやいや!?」
今の状況が頭から吹っ飛び、蒼太は待ったをかけた。そんな間にも、彼女は胸元のワンピースのボタンを外し始めている。
「どうしたの?」
「こっちがどうしたのって聞きたいわ!? どうしてそうなるの!?」
「人間の精神的状態がマイナス状況にある場合、三大欲求のいずれかを満たし幸福度が上がれば、その状態を解消できる事があるわ」
大真面目に。大真面目に、ココネは悪戦苦闘しながら服を脱ごうと試みている。樹海で青ピーするつもりなのかと蒼太は思った。
「いや、この流れでそうなるのおかしくない!? もっとさぁ!」
「もっと?」
「こう、自殺をやめなさいとか、悲しむヒトがいるとかあるでしょ!?」
「それでやめるなら、あなたはこんなことをしていないと思うのだけど?」
「そうかもだけどぉ!」
文句が出ているのに、まだ服を脱ごうとしているココネ。
「とりあえず! とりあえず服を脱ごうとするのはやめよう! うん!」
「やめる気になったかしら?」
「どちらにせよやめる気にはならないから! ナシ! それはナシ!」
「そう……」
どこか不満そうな顔を見せながらも、ココネはほとんどのボタンを外しきったところでその手を止めた。右腕が動かないらしいが、もし動いていたのならとっくに全て脱ぎきっていたかもしれないと、蒼太はほっと胸をなで下ろす。




