6.
そこは、同県内で国の天然記念物にも指定されている樹海だった。
面積はおよそ30平方キロメートル。ツガやヒノキを中心とした針葉樹、ミズナラ等の広葉樹が混合する原生林で、火山の麓に位置するため溶岩洞も多く点在する。
無論、野生動物も多く生息する。キャンプ場や公園を内包する当地であるが迷いやすく、そしてツキノワグマも生息している。そのため、一定の注意が必要な観光地として度々注意喚起されている場所である。
さらに――ここは自殺スポットとして知られている所でもあった。
奥深く迷いやすい場所。世間から離れ、社会から消息を絶てられ。ひっそりと消えられる。誰も探しに来ない。それ故に“望む者”がこの薄暗い樹海を、最期の地として選ぶ。
土壇場の思いつきとしては、満点に近いのではないだろうかと――蒼太は思った。まさか、大学から見える樹海に、こんな形で足を運ぶ事になろうとは。
「(……!?)」
青い光。傾きつつある太陽。薄暗い樹海の奥に、そんなものが見え、て蒼太は背筋をゾクリとさせる。前述の経緯から、心霊スポットとしてもこの場所は名高いらしい。しかしよく目を凝らすと、人魂かと思ったそれはドローンだった。
「(確か、監視のオートドローンが巡回してるんだっけ……)」
真正面から行けば、間違い無く周辺を監視している人間かドローンに見つかる。彼ら曰く、自殺しようとしているヒトは、見た目で分かると言う。例えば、いかにもハイキングには向かない服装をしているとか。今の自分の普段着姿は――まさにその代表例だろうと蒼太は思う。
「(そういえばこの服、ココネと一緒に買いに行った服だなぁ)」
駅へ向かった服装そのままであるため意図したわけではないのだが、それを思うと蒼太は、後ろ髪を引かれる想いも僅かにあった。
なお、ココネのその後については、愛香に所有者の名義を変更してもらうよう、簡易的な遺書を既にメールで打ち込んでいた。1日経過後に時間差で送信されるようになっている。
「(――確か、このルートを取れば……)」
蒼太はネットのアンダーグラウンドなページで入手した情報を元に、樹海へと足を踏み入れてゆく。
それは、監視の目をかいくぐれる “散策ルート”。誰が如何なる目的でそんなものを公表しているかは当然知るよしもないが、蒼太はこれを活用して、草木の合間へ――……、
「――っ!? ……っ」
耳元を虫の羽音がぶぉんと撫でて、蒼太はびくりとする。正直虫の類いは苦手であった。鬱蒼と生い茂った木々。周囲に満ちる、湿った植物のいかにも自然とした匂い。そういった場所には当然虫が多く生息しているのが常であり、文句の言いようもない状況だと言える。
しかし、今更そんな事を気にしながらも、それでやめるならば、わざわざこんな所に足を運んでなど居なかった。なるべく足音を立てないようにしながら、蒼太は薄暗い樹海の奥へと進んでゆく。
奥に進むにつれて暗くなってゆく樹海の景色。それはさながら、冷たい地獄への一本道を連想させる。だが自分のこれまでの行いを鑑みれば、これほど合致する道も無いだろうと蒼太は思う。
自分のような人でなしには、ぴったりの死に場所じゃないか、と。
◆
蒼太の到着より遅れて30分。ココネが、タクシーで樹海前のバス停に到着した。
今、先ほどまで居た病院は大騒ぎだった。患者が抜け出し、自殺を図っているかもしれないという事で、誰もがその対処に追われている状況にある。
しかし一方で、捜索隊が結成される事はなかった。理由は、情報があまりにも不確定であり、蒼太が該当の樹海へと足を踏み入れた確証が存在しないためである。
そのため現在は、可能性を確定するための裏取りで全体が動いている状況にあった。しかし、何かあってからでは遅いと、ココネはそうしてここまでやってきた次第である。
なお、当然ながら心音や愛香も捜索に向かおうとした。しかし、この時間帯の樹海はかなり危険である。――無論それでもと彼女らは言ったが、入れ替わりで遭難したらどうするのか、そもそも周囲がそれを全力で許さないのではと説得すると、二人は苦い顔で引き下がった。
蒼太を救いたい気持ちは本物だが、人間の身ではしがらみが非常に多い。
『樹海前のバス停まで到着したわ』
『――ココネさん。よろしくお願いします』
一方、自分はLSRだ。人間よりも融通が利く。どこまで行っても道具であるため、仮に遭難してしまったとしても、器物の紛失で方がつくというのがココネの判断だ。
ネットワークで情報を集め、ココネはここに監視員や監視用の自動ドローンがいると言う事を認識している。そして、それらの目を抜けるルートがある、と言う事も。
もし蒼太が見つからず奥まで行けるとしたら、それらをかいくぐるルートを通る可能性が高い。故に、それを辿れば見つかる可能性は高い筈だ。一方、仮に見つからずとも、それはそれで、蒼太が監視の目に留まる確率が高いので、何れにせよ彼を連れ戻せると言う算段である。
だが一方で、蒼太を連れ戻す前に、自分が人間と勘違いされて連れ戻されては敵わないため慎重に行かねばならないとココネは思う。この時ばかりは、人間に酷似した今の外見は足枷になる。思ったところでどうにもならないが。
『――無理はしないで』
アスファルトから、土と草の上へ足を踏み入れると、心音がそんな事を言った。
『あんた自身に何かあった時、きっと、蒼太君は悲しむと思うから……』
身を挺して、アンドロイドを守ろうとする蒼太。そんな姿を、ココネは一瞬だけ足を止めてから思い、そして再び樹海へと足を進める。
中は時間帯の問題もあって薄暗かった。しかしながらココネ、と言うよりLSRには暗視機能が標準搭載されている。彼女の目には、地形の状況が昼間と変わらず映っている。
ココネは監視員やドローンに気がつかれぬよう、なるべく立てる音を最小限にしながら進む。無論、動物の存在もあるため一概に音が駄目かと問われればそんな事は無いが、注意を引く可能性は低ければ低いほど良いと言えた。
道なき道を進むココネ。聴覚センサーを鋭敏にし、音を探りながら歩く。――少し離れた位置に、監視ドローンのモーター音を感知。気を配りながらもココネはさらに足を進める。
生い茂る木々が日光を遮っているため、明度は低い。その上、現在は夕方。だんだんと夜にさしかかろうとしている。人間の蒼太は、こんな状況でちゃんと歩けているのだろうかと、ココネは思った。
――しばらくして、右側が崖になっている場所にさしかかった頃だった。ココネは、通信障害を感じ取る。確認のために、通話が繋がっている筈の二人へと声を投げかける。
『通信電波の状態が良くないわ。感度はどうかしら?』
『コ――!? よ――――、――――――い!』
『――ぃ、ど――――の!?』
深い自然と、電波の中継地点の問題だろう。ココネは原因をそう特定する。
歩いてきたルートは記録しているため、戻る分には問題無い。しかし、これで状況を即座に伝える事はできなくなってしまったとココネは分析した。
状態が不透明、という状況は、人間に不安を与える。現状が長引くのは得策とは言えなかった。早く蒼太を連れ戻し、安心させなければならないだろう。
そう思い、ココネは少しだけ足を早めるという選択を取る。――そうした状況整理と、同時並行で行動を早めたのが不味かったのだろう。
ココネは、草で隠れていた崖端を踏み外してしまった。
体勢の立て直しが間に合わない。ココネは苔と草葉の敷かれた冷たい溶岩石の崖を転落する。
転落時。最初に右膝を出っ張った岩に強打。勢いを殺すために右腕を途中の木に引っかようとするも失敗。そして崖下まで転がりきってしまう。
「…………」
あっと言う間の出来事だった。うつ伏せに倒れた状態のまま、ココネは状況を整理する。
転落時間から考えて、それほどの高所からの転落というわけではないのは推測できた。周囲の音からしても、奇跡的に監視に見つかった様子は無い。
しかし――機体にダメージを負ってしまった事は言い繕いようのない事実だった。
最初に打ち付けた右膝。その部位は横からぶつけた衝撃で、元々受けていたダメージもあり、関節部を修繕不可なレベルまで破損してしまった事をセンサーが知らせてくる。
そして右腕。元々、心音の金属バットを受けた腕だ。やはり痛んでいたのは確かだったようで、木に引っかけた拍子に、肩が人間で言う脱臼に近い状態に陥っていた。
同時にモーターの破損、配線や人工筋繊維の断線までもが発生し、ほとんど動かせない。肘はピクリとも動かず、指先でさえ異物の挟まった歯車のように痙攣するばかりだ。
「…………」
自己診断を終え、ココネは機能する左腕と左足を中心に起き上がる。人間ならば痛覚により動けない状態だっただろう。だがアンドロイドには損傷を知覚するセンサーしかない。
立ち上がったココネは、機能不全の右足を引きずりながら、滑落によって生じたルートの修正を計算しながら歩き出す。
落ち葉と泥で汚れたその顔に、苦悶の表情はない。負担を最小限に抑えているとはいえ、重量をかければ破損が悪化するであろう右足も使い、彼女は急ぎ樹海の奥へと進む。
アンドロイドである彼女は、目的の遂行のためならば、自らの安否など気にも留めないのである。




