4.
蓮川 心音は、借りている自分の部屋のベッドに引きこもっていた。
夜の帳は降り始め。室内は闇が濃くなり始め。しかしカーテンは締めず、明かりは付けず。そんな、全てを投げ出したかのような空間で。一人、孤独に佇んでいた。
――しかし、彼女の意識は覚醒したままだった。それでもその瞳は虚ろで、投げやりで。全てがどうでもよいと言わんばかりのその様子は、さながら捨てられた人形のごとく、生気を感じられないものだった。
「…………」
ただ。ただひたすらに、虚しかった。
鮮明に、頭に残っている蒼太の声。ニセモノを壊そうとしている自分を見て、彼の発した言葉。『通報して』という紛い物への指示。それは、本物の心音よりも作り物を優先した発言に他ならなかった。
勿論、少し考えれば分かる。あの状況において、誰が問題行動を働いているか、などというのは。
いかに心音でも、その状況を客観視すれば、それくらい分かった。しかしその上で、警察が来れば自分は拘束されるであろう事は火を見るより明らか。物損諸々で、拘留されるであろう事を予想するのは容易い。それが何を意味するか。
にもかかわらず、彼はそうLSRに指示をした。その事実は心音に、あってはならない現実を突きつけ、深いショックをもたらした。
――自分は、何者なのだろうと、心音は考える。
少なくとも、彼にとっては“心音”ではないのかもしれない。彼は、自分を否定した。昔の自分を連想させるようなセクサロイドを優先した。それはきっと、彼の中の“心音”は完全に、あのアンドロイドになってしまった事に相違無いのだろう。
対し、今の自分は何だろうと、部屋の姿見に、彼女はちらりと視線を向ける。そこに映るのは、赤と青のメッシュの入った黒髪。ふわふわとした可愛らしい服装ではなく、攻撃的なパンクファッションに身を包む女の姿。
自己を偽り。周囲から己を隔絶、拒絶し。別の者になろうとした自分。“蓮川 心音”という存在に煩わしさを覚え、否定してきた。その最中に、再会した幼馴染み。
これは、ともすると逃げ続けて来た自分への罰なのかもしれないと、心音は思った。
そもそも、捨ててきたのはただ自分の容姿だけではない。家族もだ。
――蒼太が家の事情によって、心音の傍を離れた後には、続きがある。
当時から、母方の父母の血筋で親類縁者との確執に悩まされて来た心音だったが、時が経つに連れ、それはさらなる弊害を生み出していった。
激化する嫌がらせ。それに対し不満を募らせていく父母。押し固められた鬱憤は、時に相手や場所を選ばず無差別に爆発する。
そのあおりを最も受けたのが、心音だった。負の感情をぶつけ合い、次第に悪化していく両親の仲。怒鳴り合いは日常茶飯事になり、物が飛び交う事さえあるほど、悪くなっていく。
そして彼らは、場合によっては心音にまで当たる事もあった。頭ごなしに声を荒げたり、髪を引っ張ったりなどという事も度々あった。
その上で、彼らはその後決まって心音に謝罪をした。本当は愛してるだの、傷つけるつもりはなかっただの。先ほどまでの事はなんだったのかというような猫撫で声を喉から出し、直前の自分の行動を、まるで他人がした、させたかのように語った。
――だから心音は、とうとう両親すら信用できなくなってしまった。そして家族も捨てた。離れた場所に住まいを借り、こうして暮らす事にしたのもそのためだった。
家を出ようとした時の両親の顔を、彼女は今でも覚えている。怒りが沸いたものだ。どの面下げて、そのように縋り付けるというのか。
捨てた。全ての繋がりを、捨ててきた。いい気味だった。自分が傷ついただけ傷つけばいいのだと、両親の悲しい顔に唾を吐く気持ちで、嘲笑った。
しかしその一方で、心音の中にはしこりが残った。それは、そうなる前の家族の姿。マシだった頃の、身の回りの状況が後ろ髪を引いた。縋る父や母の姿に、心が締め付けられるような思いを覚えた。
だがそれでも、心音は戻らなかった。そして――だからこそ。繋がり全てを捨てたからこそ、再会した“蒼太”が王子様に見えた。
僅かばかりに残った、他者との繋がり。それが、きっと手放してはならない宝物に見えた。取られると思ったら、自分を抑える事ができなかった。
なんと、浅はかな考えだったのだろうと今、蒼太に拒絶された心音は思った。
今までの自分に別れを告げておいて。今更、その縁に縋ろうとする。少しばかり冷静になった今、心音はその虫の良すぎる行為を酷く自己嫌悪した。
しかしそれだけに非ず。ついにはそれで、蒼太自身にも怪我を負わせてしまった。
自分は、何がしたかったのだろう。それを理解して生まれるのは、虚無から絞り出された乾いた笑いと卑しい涙。
確かに。あのアンドロイドの言うように、自分のこれは“愛している”と断言できるものではないのかもしれない。恋とは呼べるかもしれないが、愛であるかはまた別の何かかもしれなかった。
全てに疲れてしまい。心音は、動かない。あるいはこのまま完全に無になるのもいいかもしれないと思った。そうすれば、苦しむ事も無くなるに違いない。
そうして心音は。虚無のまま、日暮れの闇にその身を沈めていく――……、
――彼女の左腕に、光が灯った。
「……!」
それはホログだった。同時に、無音の中に着信音が鳴る。特定の相手にのみ設定したその音。それを聞いただけで、誰からの着信なのかすぐに分かった。
「蒼太君……」
分かったが、すぐには出られなかった・
今更、何の用事なのだろう。罵倒? 損害賠償? 分からない。分からないが――如何なる内容であろうとも、自分が彼と縁を持つ資格があるのだろうかと、心音は戸惑う。
それが、彼女に着信を取らせる事を躊躇させた。何を言われるか分からない。しかし、それでも音は鳴り続ける。
それは、静寂の中で響く騒音のようで。無視しようと。鳴り終わるまで我慢しようとしていた心音の忍耐を、勢いよく削り立てていく。
――我慢しきれなくなった心音は。最終的に、恐る恐る……蒼太からの着信を取った。
『心音……?』
戸惑いを含んだ、その声。しかし、それにも心音は応えない。応えられない。何を言っていいかも分からず、何が返ってくるのかが、わからなくて。
――それでも、蒼太は言葉を紡いでくる。
『――怒ってる、よね』
「…………」
『ごめん。謝っても、許してはくれないだろうけど、謝らせてほしい』
「…………」
謝るのはこちらなのだと、心音は言いたかった。しかしそれでも、まだ口は動かない。相手から返ってくる言葉が。怖くて、何も言えない。
――そんな、すくんで何もできずにいた彼女の事を。知ってか知らずか、電話越しの蒼太は言葉を続ける。
『本当は、こんなことになる前に、距離を置くべきだったんだ』
それはまるで、こうなることが分かっていたかのような口ぶりだった。恐怖が――何を言おうとしているのか分からないという疑問に変わり始めた瞬間だった。
『俺はさ。いっつも、誰かを不幸にしてばっかりなんだ。家族が壊れたのも俺のせい。妹がなかなか友達ができなかったのも俺のせい。母さんが死んだのも俺のせい。いつも、いつも誰かを苦しめてる』
「…………」
『でも、君に再会できて、浮かれてたのかな。すっかり忘れて、お喋りしてた。実家から出て寮から大学に通ってたのも、皆から離れるべきだって思ったからなのに。――結局寂しくて、ココネ……LSRを購入するに至っちゃったんだけどね』
彼は、何を言おうとしているのか。謝罪の電話ではなかったのか。単なる言い訳とは異なる、経緯の告白。心音は、妙な違和感をそこに覚え始める。
『駄目なヤツだよね、俺って。結局、自分の父さんが母さんにした事を、君にしているみたいになっちゃってるんだから。――うん。心音を悲しませているこの状況は、父さんが母さんを裏切ったのとよく似ているよ。血は争えない、ってヤツなのかな』
「――ねえ、蒼太君……あなた、何の話を――」
心のざわめきが限界を迎える。そして思わず抱いて居た蒼太やアンドロイドへの気持ち、自分の愚かさを憂う感情さえも脇に置き。黙って聞いていられずに、心音は声を発する、と、
『心音』
妙に優しい声がそれを遮り――彼は、こう続けた。
“今までありがとう。さよなら”
心音の心臓が、またもやびくりと、その声に跳ねた。
「蒼太、君……?」
胸騒ぎを覚え、心音は蒼太を呼ぶ。しかし、既に通話は切られていた。ツー、ツー、という音だけがホログから発せられている。
「……――っ!」
心音はすぐに蒼太へかけ直す。
1コール。2コール。3コール。一つ一つの呼び出し音が、やたらと長く感じられる。音の切れ目で、出たかもしれないと思うもそれは錯覚で、無慈悲に次のコール音が鳴り始める。
そうして、何度目かのコール音。心音は祈るように待っていると――まるで希望の光のように、コール音が通信の繋がった事を示す中途半端なタイミングで途切れた。
「蒼太君!」
だが、対応したのは彼ではなかった。
『おかけになった番号は、現在受信機の電源が切られているか、電波の届かない所に――』
蒼太が電話を取ったと思った。違った。接続が断たれてしまった。無機質な音声メッセージが、心音にそれを伝えてくる。
どくどくと、先ほど電話がかかってきたときとは別の理由で拍動する心臓。音声メッセージと共に表示される、“接続不可”の文字。
不安に、押し潰されそうだった。彼が今、何を考えているのか。彼の身に何が起こっているのか。心音はどうしたらいいか分からず、思考停止したまま画面を凝視する。――と、
『この電話番号には、ライフサポートロイドが登録されています。接続を行いますか?』
心音は迷わなかった。
「繋いで!」
『承りました。本電話番号に登録されているライフサポートロイドと接続を行います。しばらくお待ちください』
自分のニセモノだとか、自分から蒼太を奪った相手だとか、そんな憎悪を心音は一にも二にもなくその場に捨て去っていた。彼女が今思うのは、早く繋がれと言う思いのみだった。
『はい。こちら、菰田 蒼太所有のアンドロイド――』
「あんた今どこに居るの!?」
接続されたと分かるや否や、心音はそう叫ぶ。
『蓮川 心音さんですね。申し訳ありませんが、アナタにワタシの居場所はおしえられ――』
「蒼太君がおかしい!」
異様なまでに平静なアンドロイドの声に苛立ちを覚えながらも、心音は訴える。
そこには、ともするとそれまで抱いて居たものとは別種の怒りも混じっているのかもしれない。自分から奪ったにもかかわらず、彼の事を見ていなかったであろう、そのことに。
『――落ち着いて。何があったか説明して』
そんな彼女の、平静とはほど遠い声を聞いても。LSRは慌てる事なく、冷静に心音へとそう問い返した。
心音は、何があったかを彼女に伝えた。だんだんと、そこに嗚咽を混じらせながら。




