3.
水族館デートで蒼太と別れた日。蓮川 心音は、LSRというものを調べてみた。
――それは、一種の敵対心のようなものだった。自分の邪魔をする相手がどういうものか、情報収集をしようと試みる。それは、一種の人間の本能のようなもの。それに従い、彼女は“敵”の情報をネットを用いて探った。
無論、蒼太が水族館デートを中断する事になった理由――緊急事態が起こったのであれば、彼がそれを優先するのも特別変ではない。飼っているペットに異変があったのと同じ事だ。それとこれを同じに語るべきかはさておき、少なくとも心音はそう考えようとした。
ただ、蒼太がそのLSRに、どこかただの道具やペット以上に感情移入しているきらいがある事を、彼女は少なからず気付いていた。ただの勘だが、最初のデートの時から、ときどきその機械を思考によぎらせた節を、心音は見抜いていた。
そんな相手に、デートを中断された。だから、相手がどんな“素晴らしいモノ”なのか、知っておきたくなったのが、そもそもの経緯だった。
――相手が如何なる商品であるかを調べた、心音は我が目を疑った。
その正体は、セクサロイド。人間と性的な行為が行える事を売りにした、精巧な人型アンドロイドであった。
一般的に言えば、それはただ、性的欲求を発散させる機能のついたLSRというだけだ。人間である以上、三大欲求から逃れる事はできない。道具を使って解消する事に、不思議な事は何一つ無い。
無論、LSR全てがそうではない。しかし生体細胞の皮膚を纏ったものは現状それ以外に存在せず、そして、彼の所有するアンドロイドはそれに該当する。
人型で。言葉を話し、会話ができ。自ら考えて行動でき、その所作はほとんど人間と変わりない。ただの道具と呼ぶには、余りにも一個の存在。それは、自分ではない別の誰か。少なくともその外観は、人間そのものだった。
本能的にも、人と誤解しかねない人工物。故に、それに対して犬や猫以上に対抗心が生まれるのは、人が人である以上避けられない。ましてやそれが、その人間の、それこそ“本能的欲求”に応えられるとなれば、危機感を煽られるのは尚更だった。
――だが、である。
だが。ここまでなら心音は、ギリギリ冷静さを保つ事ができた。――実際できたかどうかは定かではないが、少なくともここまで焦燥感を覚えることは無かったであろう。
酷い嫉妬心に駆られていたであろう事は間違い無いが、それでもまだ、自分の行動に非があったかもしれない。時が既に遅かったかもしれないと、そう思う事もできただろう。
ところが、そうはならなかった。なぜなら――、
――そのアンドロイドが、“自分と同じ名前”をしていたからである。
「あんたが、居るから……! あんたのせいで!」
心音は、ドアが開くなり、相手の頭部へと金属バットを振り下ろす。
自分から、名前を奪い、立場を奪った偽物に向けて。見ようによっては、昔の自分の外見にも似た、その紛い物に。怒りを込めて。
「……!」
だがその偽物は、生意気にも両腕で頭部を守った。心音の両手に、バキっという音と共に、硬いものに衝撃を与えた感触が伝わってくる。
人間であれば、例え防いだとしても、その腕に大けがを負い、痛みに顔を歪めただろう。しかし、偽物は所詮偽物。金属バットが当たってもその表情を一切変える様子はない。
こんな人間の紛い物に、最愛の王子様が奪われようとしている。そう思ったら心音は、さらに目の前の存在が憎く感じた。
そんな激しく燃える憎悪が、心音に再び金属バットを振り上げさせる。
「…………」
LSRは次の振り下ろしもそのまま腕で防ぐ。それは頭部にある中枢を守るため。人間の頭に脳ミソがあるのとそっくりな、実に紛い物らしい仕様だと心音は思う。
しかし、思いのほか機体は頑丈に作られているらしい。メイド服の袖には血のような赤が滲んでいるが、完全に腕が使い物にならなくなるには、もう少し時間がかかるかもしれない。
「ならさァ……!」
心音はバットを一度引き、その先端でもって心音の胴体を突く。
LSRは反応が間に合わなかったらしい。あるいは、もう一度振り下ろすと思ったのか。その突きを胸部にまともに受ける。
体重をかけた突きだった。愚かなLSRは、バランスを崩し後方に転倒する。反撃する様子はない。当然だろう。所詮は奉仕用ヒューマノイド。基本的に、人間に対し危害を加える事はできないようになっている。
「――これで逃げたりできない、よね……ッ」
心音が、転倒したLSR目掛けてバットを振り下ろす。
転倒してもまだ頭部のガードは堅い。だから心音は、違う箇所から切り崩す事にした。
まずは右足。仰向けになり、曲げている膝頭に向かってバットを一撃。バキンという、骨だかプラスチックだか分からない、破断した音。心音はその手に手応えを感じる。
続けてもう一撃。左膝に対しても同じように振り下ろす。――手元が狂い、フローリングの床に穴が空いた。それに舌打ちしつつ、心音は袈裟懸けのように斜めに振る。
膝頭は外したが、少し下の付け根の部分に当たった。こちらは一撃で壊れるとまではいかなかったが、まあいいやとさらに振り上げる。
次に狙ったのは腹部だ。バットを叩き付けると、手足とは異なる、多分に柔らかい感触を含んだ手応えがあった。
なんとなく、人間を金属バットで殴ったらこんな感触かもしれないと、心音は頭の片隅で思う。だが、どれだけ人間を真似ても、“これ”はただの道具に過ぎない。
もう一度腹部に叩き付ける。すると、LSRの口から血のような赤が漏れてきた。――その顔は相変わらず無表情で、緑の瞳は変わらず心音の姿をじっと映している。
――気色悪いと、心音は思った。
次に振り下ろした先は胸部。こちらは腹部とは異なり、硬い物体を叩く感触が感じられた。
LSRの動力は、鳩尾より少し上の部分に格納されているらしい。あるいは、ここを叩き潰せば、この偽物の息の根を止められるだろうかと、心音は思う。
そうして、心音は再びLSRの胸部に一撃。狙いを理解したのだろう。遅れて、偽物が身体を丸めるようにして頭部、胸部を守るようそれぞれを腕でガードしはじめる。
しかし、今まで二つの腕で一箇所を守っていた頃よりも、明らかに防御は薄いだろう。心音は、構わずバットを振り下ろす。
頭と、胸を重点的に狙い、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も。
そのたびにバキッ、だとかグシャ、だとか、絶妙に人間らしからぬ破壊音がする。それはまるで、紛い物はどこまでいっても紛い物だと証明しているようで、心音は気分がよかった。
代用品が自分に成り代わって、王子様を奪おうとするから悪いと。憎悪に快楽を乗せて、心音は振り下ろし続ける。
次第に、相手の腕の防御が弱まっている様子がある。動かなくなってきているのだろうか。ならばこのまま、頭なり胸なりをかち割れば、こいつは終わりだ。
そのとき自分は、王子様を取り戻す事ができるのだと、心音はバットを振り上げる。
そんな時だった。
――LSRが、振り下ろされた金属バットを掴んで止めた。
「……ッ!?」
「ねえ」
LSRの抵抗に、心音は虚を突かれる。そんな彼女に、マガイモノは音声を発する。
その音声には、一切の感情も感じられない。恐怖も、怒りも、悲しみも。おおよそ、この場において人間ならば覚える筈のそれが、全く込められている様子はない。
そんな“声”で、LSRは人間に問いかける。
「アナタは、あのひとの友人でしょう? 何故こんなことをしているの?」
「――……ッ!」
自らの状況が理解できていないのかと。そんな思いを覚えながら、心音はバットをもう一度振り下ろすべく、相手の腕を振り払おうとする。
しかし、存外LSRの腕力が強い。バットは握られたまま、禄に動かすこともできない。
「何で、そんな事を聞くの……ッ」
「疑問に思ったからよ」
あっけらかんと、LSRはそう述べる。
そこに、人間的な恐怖は無いのだろう。ただただ本人の言うとおり、純粋にそう思ったからそう尋ねたのに違いない。
だったら分からせてやろうと、心音は思った。この、心無き人間モドキに対して。
「お前が、私から蒼太君を奪おうとしたからだよ」
「アナタから、あのひとを……?」
LSRは、バットを掴んだまま、そう口にする。そして、首を傾げた。
「ワタシは誰からもあのひとを奪おうとした覚えは無いわ。あのひとの行動の決定権は、あのひと自身にあるもの。行動そのものの強制を、ワタシにはする事はできないわ」
「蒼太君は、ことあるごとに私より、あんたの事を優先してんの! 私が、どれだけ蒼太君に愛してもらおうとしても、それをいつもあんたが邪魔をする……!」
「――? ワタシの記録に、そんなデータは無いけど」
「してんだよッッ!!」
心音は叫ぶ。
「私が目の前にいるのに、蒼太君はいつもあんたの事を思い出す! 私とデートしてんのに、あんたに何かが起こった途端中断する! いつもいつも、あんたが邪魔をしてくるッ!」
心音は叫びながら、なんとか手を振りほどこうとする。
「あんたは何なの!? 何度も何度も! 作り物のクセして! 私と同じ名前なんかつけられて! 本物である筈の私より優先されて!」
「…………」
「好きも愛も感情も無い人工物のクセして! 何で――何で何で何で、私から蒼太君奪おうとすんの!? 私の王子様を! 唯一無二の、私の大切なヒトを! 何でだよ、何でなんだよ!? 私の方が愛してるのに! あんたなんかよりずっとずっと愛してるのにッ!」
そこまで言って、心音は肩で息をする。しかし、金属バットを握る手は緩めない。
機械に恨み言を吐くことなど、意味が無いとは分かりつつも、言わずには居られなかった。
――そんな、怒りに身を任せる心音を。ココネは、静かに見返していた。
「ワタシは、ライフサポートロイドよ。人間で謂うところの“愛情”と呼ばれる概念を持っているかは、わからないわ」
そして、静かに。しかし、断固とした口調で言葉を紡ぐ。
「愛という概念は、明確な定義の存在しない概念よ。それでも、その上で一つの共通した行動が存在するわ」
「共通した、行動……?」
――心音は、
「……――ッ!」
聞いてはいけないと思った。
「――ッ、その手をッ、離せ……!」
だから、無理にでも手を振りほどこうともがく。しかしどれだけ引き剥がそうとしても、有事の際には成人男性の倍以上の出力を発揮できるLSRの手は離れない。
「それは――……、」
「っ、この……ッ! この……ッ!」
聞いては、いけない。なぜなら、
「それは、対象にとって有意義かつ、見返りを求めない行動よ」
それは、これまでの心音が振り向かせようとしてきた行動を。根本から、否定しうる発言であるから。
「今私が聞いた限りだと、アナタはあのひとに、何らかの見返りを求めているように思うわ。勿論、定義が困難である以上、アナタのそれを一概に否定する事はできないけれど、自分がこのようにしているのだから、こうして欲しいと求めているように聞こえるわ」
やめろ、と。心音は思った。
「アナタの今の行動は、“愛”から来るものなの?」
それではまるで、自分が蒼太の事を愛していないように、聞こえてしまうから。
「“ここね”ッッ!!」
その声は、どちらを呼んだものなのか。心音ははっとなり、バットを振り下ろした態勢のまま振り返った。
そこには、是が非でも手放したくない幼馴染みの男の子の姿があった。
「っ、心音、やめて……ッ!」
心音が固まっている間に、蒼太が駆け寄り彼女を羽交い締めにする。
「離して蒼太君ッ! 離せッッ!!」
「っ、ココネ! 通報して!」
今、何と言った。と、心音は思った。
「いいの……?」
「いいから早く! 警察呼んでッ!」
理解した。この幼馴染みは、自分を止めるでなく、目の前のLSRを助けに来たのだと。
「やめろッ! 離せッ!! 離せェッ!!」
何もかもが、憎くなった。憎悪が灼熱する。その熱源を力に変え、心音は蒼太の拘束を振りほどこうとする。
すると彼は――、
「――――ッッ!!」
自らの危険も顧みず、心音を羽交い締めにしたまま――力の限り、後ろへ倒れ込んだ。
流石の心音も、全身を使った身を顧みない引き剥がしには、抗いきれなかった。
バランスを崩した心音は、蒼太と共に後方に転倒。バットは弾みで彼女の手を離れ、床を転がってベランダから落下していく。
――階下にて、カーン、カラカラカラ、と言う。甲高い音が、響いた。
「あ、ぐ……」
「――っ、う、蒼太、君……! 何で!? 何、で……――ッ!」
泡立つほどに煮えた黒い憎しみ。心音はそれをぶつけるべく、起き上がり蒼太を睨む。
もはや、自分が何をしたいのか。したかったのかさえわからない。我を忘れ、情動のままに暴れ、暴言を吐く事しかできない存在。
そんな者へと、彼女は変わりつつあった。
心音は、眼に映った光景によって冷や水を浴びせられた。
「蒼太、君……?」
ぐったりとした幼馴染み。今の彼は、苦悶を顔に浮かべ、まるで踏まれた直後の虫のごとく僅かに身じろぎするのみ。
その様子は、どう考えても無事では無い。大好きなはずの男の子は、今――……、
「蒼太君ッ!?」
心音の叫ぶような声も虚しく。程なくして菰田 蒼太は、動かなくなった。




