1.
日曜の朝。ベッドの上に腰掛けている蒼太は、左腕のホログのスクリーンを開いたまま、それをぼーっと眺めていた。
画面に映っているのは、LINK上の心音の連絡先。その理由は――敢えて述べるまでも無いだろう。どう謝罪すればいいのか、分からないでいるのだ。
「あなた。朝食ができたわ」
ココネが、できたての目玉焼きと焼きたての食パンを皿にのせて、テーブルに運んでくる。昨日、『事故に遭遇したわ』とメッセージを送ってきた彼女は、なんの異常もなく、ピンピンとしていた。
実際の所、彼女は事故にあったわけではない。正確には事故に“遭遇した”のであった。
LSRには、緊急時の通報システムが搭載されている。時にそれは、目前で事件・事故に遭遇した時に発動され、緊急度の度合いによってそちらが優先される事もある。
早い話が、昨日の夕方にココネが買い物に出た際、目の前で交通事故が発生したのだ。しかも他に目撃者がおらず、彼女が目撃した状況を警察に説明する以外無かった。そこで、帰宅が本来蒼太の帰ってくる予定の時間に遅れるかもしれないという連絡を入れたのだ。
それを、蒼太が“事故”というワードだけを見て、慌ててデートを切り上げるという行動に繋がった。
だが、今はもはや、それは問題ではないのだ。
「あなた」
蒼太の反応が無かったためだろう。ココネが、もう一度呼びかけてくる。
「え、あ、うん。ごめん」
蒼太は、重たい気分を抱えたまま食卓につく。
心音への罪悪もそうだが、あの時の光景そのものが忘れられない。
縋り付いてくる女性。それを、蒼太は忘れようと思っていた。かつてあったその光景は、数年の時を経た今、少しずつ過去の出来事にそれはなりつつあった。
でも駄目だった。あの時の心音の姿を見たら、二つが重なって見えた。悍ましさと、罪の意識の混ざり合った記憶。それが、再び蒼太の心にフラッシュバックで戻って来たのだ。
“お前は許されない”。そういう事なのだろうか。
――その概念が、蒼太の中で何度もスクロールする。堂々巡りの無限思考。終わらない過去の光景。いつまでも、いつまでもそれがグルグルと頭の中で巡る。まるで、延々と続いていく螺旋階段を見下ろしているかのようだった。
……その時だった。
「心音……?」
ホログに、一件の通知が届く音が鳴った。
それは、心音からのもの。一瞬ココネが名前に反応したのを視界の端で感じ取りながら、蒼太は文面を確認する。
「『駅に来て』……?」
簡素な文章。感情の読めない、まるで闇の中に佇んでいる相手から発せられたような文面。
自分から、どう切り出そうか迷っていたときに送信されてきたメッセージ。その意図は何か。何故目的の読めない一言のみを送ってきたのか。
しかし。例え、若干の恐れを感じようとも。今の蒼太に、それを無視する択はない。
「――ココネ。ちょっとだけ出てくる」
「ええ、分かったわ」
ココネからの返答を聞いた蒼太は、最低限の外に出る準備だけを急いで行い、家を出る。
蒼太の部屋は、寮の3階。足早に階段を降り、一瞬転げ落ちそうになりながらもなんとか1階に辿り着き、駅へと急ぐ。
蒼太の部屋のある棟の1階出入り口はホールになっている。しかしそこから出た位置からでは、丁度他の棟が間にあるため、駅の入り口を確認する事はできない。
意図は読めない。しかし、理由は間違い無く、昨日の事に深く関係している事だろう。――自分から先に切り出せなかったことに、蒼太はまた自分を責めた。
罪悪感を胸に抱きつつ。一歩、また一歩。踏みしめるごとに、心臓が痛くなっていく。庭となっている寮の敷地。それを抜け、歩道へと出る。
――歩道からは、駅の入り口が見える。
「(……まだ来てないのかな)」
人影は見えない。大学前の駅といっても、市の中央からは若干の距離があるこの場所では、あまりヒトの往来は激しくはない。1コマ目の講義前か、夕方ごろが最も多いが、それも講義のある平日が主。日曜日に至っては、その出入りはまばらになる。
そんな中で、誰かがヒトを待っているとなれば、とても分かりやすい。だがここから見える、最近は毎回待ち合わせ場所をしていた地点に、心音はいない。
それでも、もしかしたら別の場所かもと、蒼太は急ぐ足を緩めず駅の入り口まで辿り着く。肩で息をしつつ、周囲を見回してみる。
――しかし、それでも心音が待っている様子はなかった。
「(コンビニかも……一応、電話かけてみようかな)」
もしかしたらと思い、駅構内改札口前のコンビニまで足を進める。棚と、それから店名のロゴによって覆われたガラスの向こう。ぱっと見は店員しか見当たらないが――……、
「おや、お兄様?」
蒼太の背中に、かけられる声。振り向くと、そこには予想もしていなかった人物がいた。
「え、あれ? 愛香? どうして……?」
「明日が創立記念日で休みなので、お兄様の様子を拝見させていただこうと思いまして」
彼女は、駅の改札から出てきて、蒼太の元へ早足でやってきてそう言った。
「言ってくれたらよかったのに。――え、言ってないよね、今回は……」
「ええ、サプライズというものですから! まあ、思いつきとで、お兄様の顔を見たかったというのもありますから」
愛香のことなので、また日常のメッセージのやり取りの中でそういった事があったのかと、蒼太は思ったが、そういう様子でなかったようでなによりである。
それはそうと、と、愛香は首を傾げる。
「お兄様の方はここで何を?」
「え? ああ、ええと――」
「よもや! わたくしが来るという直感に従い、足を運んでくださったのですか!? 嗚呼、なんという事でしょうか! 例え離れていようとも、お兄様とわたくしは以心伝心! 心と気持ちが繋がっているのでしょうっ!」
「あはは……いや、そういうわけじゃ、ないんだけどね」
自分より大きな妹が、あまりにも幸せそうに笑って手を握ってくるので、申し訳なさを覚えつつも、蒼太は正直に告げる。誤魔化したところで、いいことなど一つもない。
「実はここね……ええと、幼馴染みの方の心音と待ち合わせしてたんだ」
「待ち合わせ、ですか?」
「うん。まあ色々あって……。それでさっき、『駅に来て』ってメッセージが来て、こうしてね」
愛香と話しながら、蒼太は周囲を見回す。未だ、心音が来ている様子はない。今妹が改札口から来たということは、電車が停車した後だろうが、もしかしたら別の車両なのだろうか。
彼女の住まい近くの駅とは、方向は同じ筈なのだが……。
「――お兄様」
改札口の向こうを覗き込む蒼太。すると、愛香は神妙な口調で兄を呼ぶ。
「それは、何かおかしくありませんか……?」
「え……?」
指摘されるも、蒼太はいまいち分からない。そんな彼に、さらに愛香は言葉を続ける。
「察するに、とても大事なお話なのでしょう。そのために待ち合わせをする事はなんらおかしな事ではありませんが……『駅に来て』と仰られたのですよね?」
「――そう、だけど……?」
「でしたら、この時点で見つからないのはおかしくはありませんか?」
確かに、と蒼太は思う。しかし、流石に変な勘ぐりをしすぎではないかとも思った。
「いや、そうかもしれないけど、どこかにいるのかもしれないし。別に広い駅ではないけど、コンビニとか、ちょっとした飲食店もある駅だし……」
「ですが、大事なお話があるのに、すぐには分からない場所で待って、会う時間までにラグを作るものでしょうか……? どこで待っているのかも告げずに」
「それは……」
現実的に考えて、相手が来るまでの間、どこかで時間を潰す、ということはあり得る。大事な話であってもだ。
しかし、“とても”と接頭語のつく大事な話なら話は別だろう。加えて言うなら、愛香の言うとおり、どこで待っているのかも告げずに待ち合わせするというのは確かに変である。
しかも、この駅は寮とは目と鼻の先にある。そんな相手を呼んで、すぐ到着するのが分かっているにもかかわらず、時間つぶしなどするだろうか。
何か、不気味だと、蒼太は思った。
「――お兄様」
正体の分からない薄ら寒さに困惑している蒼太に、愛香は言葉を続ける。
「差し支えなければ、何があったのか、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
蒼太の表情から何かを悟った愛香が問う。正直、あまりにも情けなくて話したくない気持ちはあったが、今はこの、正体の分からない気味の悪さを明らかにする方が先だった。
蒼太の胸を、何かが騒がせていた。




