5.
「――で、蒼太クンはボウリング、初めてなんだっけ?」
別の日の、デートの日。レーンの前で、ボールを胸の前に構える蒼太は、アシストするように傍に立つ心音に、そう聞かれる。
前方、離れた位置には白を基調とし、上部に赤のラインの入った特徴的な形のピンが10本。ずらりと並ぶ様は、まるで歓迎しているかのように規則正しい。
次週の土曜日。二人はデートのやり直しとして、アミューズメント施設を訪れていた。必死に謝り倒す蒼太を心音が『仕方ないなぁ』と許し、取り付けられたデートである。
初めてボウリングをプレイする蒼太と、そんな彼よりは多少経験のある心音。周囲はボウリング場独特の音圧が支配しており、かなり距離が近くなければ、互いの声が聞こえない。
「まず最初はおなかの前で構える。そうしてから、穴に指を嵌めている右の手を引いて、それと同時に右足を――」
心音が、一つ一つ丁寧に。動きの基本を、手を添えながら投げ方を教授する。そんな、密着距離。初めてのボウリングという緊張に勝る緊張に、蒼太は問いかける。
「――心音、近くない?」
「こうしないと教えられないでしょーが?」
そうだろうか。いや、そんな事は。と思いながらも、蒼太はそのままレクチャーを受ける。
ヒトにはヒトのやり方がある。教え方だってヒトそれぞれだろう。――しかし、それはそれとして、密着。柔らかい。甘い香り。……正直、少々集中するには難しい状況だ。
「――蒼太クン、ナニか考え事?」
「えっ、あっ、ご、ごめん!」
考え事といえば考え事だが。それには多分に助平な内容が含まれる。当然それをおっぴろげにするわけにもいかないので、蒼太は反射的に謝罪をした。
「ンフフ、もしかしてぇ――えっちな事考えてたり、とか?」
「!? してないしてない、全然してない!!」
焦って行う否定ほど、肯定以外のナニモノでもない、というのは世の常である。しかし、客観的に見ればすぐに理解できるようなそれも、主観となればそうはいかないもので。蒼太は全力で“肯定”をしてしまう。
――そんな彼の反応に、心音は。
「フフフ、そっかぁ……!」
まるで、全て分かっていますよ、とでも言うように“理解”を示した。
「ぜ、絶対信じてないよね!?」
「いやいや、そんな事ありませんよぉ? ホント。蒼太クンの仰る事はわたくし、全面的に信じておりますので」
信じていたら、そんな風ににやけてはいないだろうと、蒼太は吐息が当たる程間近な心音の顔を見て思う。――このままではいけない!
「――っ、と?」
「じゃ、じゃあ投げるから、見てて!」
よからぬ雰囲気を、この場に即した行動で上書きして。やんわりとこのどうにかなってしまいそうな空気と共に、蒼太は心音を押しのける。
そうして人生初のボウリング、その第一投。結果は――……大分左寄りのガーターだった。
「アッハハ、まっすぐミゾに向かってったねぇ!」
「こ、これでも頑張った方なんだって! いや、ホントに!」
「シッテルシッテル。初めてって、こういうもんだよ。どれだけ教えられても、感覚をある程度掴まないとムズカシイからネ。キニシナイキニシナイ」
ニヤニヤとしながら、スローテンポの拍手と共に、心音は投擲後の蒼太ににじり寄る。
レーン奥では、まったく無傷の10本のピンがアームで上に上げられ、その何も無い下をバーが虚しく掃除している。
「まあ――蒼太クンになら、どんな風に転がされても、いいんだけどね」
耳元のあたたかな吐息に、蒼太はびくりとなった。
「アッハハハハハ! じゃあ、続けて二投目、いってみよっか!」
蒼太が振り向いた頃には、心音はスキップするようにバックで下がっていた。
――二投目も、ピンを倒せる気はしなかった。
そのままボウリングをして。さらに同施設の中で、その流れでカラオケをして。あっという間に時間は過ぎていく。
そうしてその日はお開きにと、二人は一緒に、店の外へと出た。日が落ち、街灯が灯り、看板には明かりが灯る。空気は日中よりも、僅かに寒さを感じる程に冷えている。
「なーんかカラオケ、最後は蒼太クンの以外な一面を見ちゃった気分……」
「そ、そう……?」
「いや、キミがあんなシャウトするなんて思わないじゃんさ……」
最近の曲で、特に耳に残っていたものを選んで、事前に軽く練習してきただけなのだがと、蒼太は少し照れくさくなる。無論、近所迷惑になるので、声量は抑えての予行演習だったが。
「なんていうか蒼太クンって。そもそもおとなしめの、ちょっと古い曲選ぶと思ってた」
「なんでそんなイメージなの……」
「――もしかして、溜まってる? イロイロ抱え込んでたりする? 話聞こっか?」
「そんな事ないって……いや、神妙になられても困るから……」
まあ、別の意味でそう、と言われればそうかもしれないとは、蒼太自身思う。
「(というか、なんか今日の心音、ちょっと変? な気がするし……)」
ただの気のせいである気もしないでもない。しかし、どことなく今日は、心音から妙にスキンシップがあるように、蒼太は思った。全てを吹き飛ばすようなシャウトする曲を選んだのも、それに対する煩悩を吹き飛ばす意図も、若干含んでいた。
ただ、それが明確にいつもと違う、と言ってしまえる程の自信は、蒼太には無かった。ボウリングを教えるのには、体勢をレクチャーするにあたりどうあっても身体に触れねばならないだろうし、それ以外の彼女の雰囲気もいつもと変わらない気がするのだ。
心音とは、幼少期によく一緒に遊んだ幼馴染みだ。そういった近しい触れ合いは頻繁だったし、今のこれらも、その延長線上にあると言われれば、そんな気がしてくる。
――心音は今、何を考えているんだろう。蒼太は、ちらりと隣で歩く心音を見る。
「――蒼太君、って、さ」
そんな、丁度のタイミングで。心音が、口を開いた。
「……? 何?」
ぴったりな瞬間に僅かに驚きつつも、蒼太は問い返す。――心音が、足を止めた。
「明日とか、用事あったりは、する……?」
蒼太は『え』と、小さく声をもらした。
同じく、足を止める。
「な、どう、したの、急に?」
「どう……? ありそ?」
心音から声をかけてきたというのに、当の彼女は顔を俯かせている。青と赤のメッシュの入った前髪が、彼女の目線を隠し、どのような表情をしているかを蒼太からは伺いしれない。
僅かな混乱を滲ませつつも、蒼太は答える。
「え、ええっと、多分ない、と思う、けど……」
蒼太は顔を熱くさせながら、動揺する。年頃の男子なのだ。意識している女の子からそんな事を聞かれれば、心臓を跳ね上げるに決まっている。
想像できなかったのだ。漫画や小説では度々あるような、そんな文言が自分に投げかけられる日が来るだなどと。自分のような、決してどこか、誰かより秀でた何があるわけでも無い人間に、そんな瞬間が訪れるなどと。
だが現実は、
「ねえ、蒼太君」
「う、ん……」
「今夜――……一緒に居られたりしない、かな……?」
自分の中の“ありえない”を、あっさりと越えてくる。
「…………」
蒼太は、即座に返事をすることはできない。一方目の前の心音は、目線こそ隠れているものの、その顔が朱に染まっている事が分かる。
今の状況が――言ってしまえば、決して自分の中で思っている事が“勘違い”ではないことを証明しているような場面で。それでもなお、蒼太は予防線を引いてしまう。
「え、っと、それは……夜通し遊ぼう、とか、そういう、事――」
「――遊びのつもりじゃ、ない、よ……?」
だが心音は、そんな予防線をも容易く跨ぐ。
「あたしは、真剣に――蒼太君と、一緒にいたいって思ってる。あはは……まだ正式に付き合ってるわけじゃないのにこんな風に誘うのって、ちょっと変だけど――」
ラインを越えられ。それの意味している事をより正確に理解して。立眩むほどに、蒼太は顔が熱くなる。現実なのに現実ではない。熱に浮かされるという事の意味を、身体で理解しながら。
蒼太は、心音の言葉の続きを聞く――……、
「蒼太君、あたしと――」
“ピロン”
「えっ」
その声は、どちらのものだったのか、それは分からない。だが一つ確かなのは、二人の視線は同時に、蒼太の左腕のホログ向かった事だった。
二人ともが、二人の間に、周囲の雑踏の環境音を遠ざけて集中していたがために、その音はとても両者の意識を引いた。
だからだろう。こんな状況にもかかわらず、蒼太の身体が勝手に、その通知の確認をさせたのは。
「じ、事故……!?」
「え……?」
そこに記されたメッセージに。半ば思考停止に陥りながら、蒼太は説明をする。
してしまう。
「“ココネ”が事故にあったって……」
口にして、蒼太ははっとなった。もう遅い。
思わず“心音”の顔を見る。彼女の顔は、まるで時が止まったかのように、呆けた表情で固まっていた。
その顔は――ただ蒼太が、LSRの名前を未だに変更していない事に対する、決して単純ではない感情を察してしまうに、充分に余りあった。
「ここ、ね――あ、えっと、心音、ごめん、すぐに帰らなきゃいけなくなっ、って……!」
そんな心音に対し、動転しながら、蒼太は言葉を紡ぐ。どうしていいかわからなかった。分からなかったが、ココネの身に何かが起こったと思ったら、じっとしていられなかった。
「だから――」
「あの“セクサロイド”の事がそんなに大事なの……?」
それは。蒼太にとって、この世界そのものを、地面に叩き付けたかのような衝撃だった。
「……――え。え、え、え、なん、なんで……」
何で、彼女がそのことを知っている?
「少し調べれば分かるよ、そんなの」
低い声だった。決して大きな声ではないのに。蒼太は、びくりと身体を震わせる。
「私、調べたよ。生体スキンを使ってるLSRって、特殊な注文でもしない限り“そういうやつ”なんだってね」
「それは……」
全て言い当てられ、蒼太は何も言えない。言葉が、見つからない。
――心音は、蒼太の腕を掴む。
「私の方が、あんな売れ残りの偽物なんかよりも気持ちよくできるよ?」
その手の力は、とても強い。顔を覗き込んでくる、赤いカラーコンタクトの嵌った瞳。
まるで虚のような底の見えない眼差しに――、
蒼太は、強い“トラウマ”を刺激された。
「っ、やめてッ!?」
そうして振り払う力は、心音の手の力を凌駕した。勢い強く、そして余り、大切なはずの幼馴染みを、突き飛ばすという形で、後ろに転ばせる。
「蒼太、君……?」
「あ、こ、ここ、ね……」
目の前の事態に、蒼太は我に返る。眼に映るのは、絶望に染まった眼差しを向ける幼馴染みの姿。縋るような、心音の眼だった。
「……――っ、ごめん……ッ!」
――蒼太は、耐えきれなかった。耐えきれず、逃げるようにその場を走り去った。
尻餅をついたまま放心する心音を、その場に残して。




