4.
二度目のデート。水族館のイルカショー。蒼太は、来なければよかったと心底思った。
「心音ぇ!? 危なァい!」
そう叫び、蒼太は彼女の前に踊り出す。そしてその直後迸る、叩き付けるかのように弾かれた多量の水。
そう。これはプールを泳ぐイルカが、最前列にいた心音にひっかぶせようとした水である。
「そ、蒼太クン、大丈夫……?」
「大丈夫じゃないです……」
イルカショー、それも一番前の席なのだから、こうして水が被せられることくらいはよくある事だと、本来なら言うところだろう。
ところが、である。このイルカ、他の席には一滴も水を飛ばさないくせに、心音の前に来たときだけ露骨にその尾ひれを使って水をかけてくるのである。
しかも三度も。大事な事なのでもう一度。三度も、心音に向かって水をかけてきている。
「あのイルカ、一体なんのつもりなんだ……」
「アノオトコ、サンカイトモオレノミズカケヲフセグトハ……」
「イルカの声!?」
「ううん、あたしの代弁」
「君が狙われてるんだけど!? ――また来た!?」
飼育員の指示で上から吊り下げられたボールを打ったあと、他のイルカが後に続いている最中、再び件のイルカがやってくる。
蒼太は再び、心音をイルカから守るべく、彼女に少しでも水がかからないよう両手を広げた。そして――、
「アッハハハハハハハハ!! 蒼太クン、水も滴るいい男じゃん!」
会場から退出する頃には、一人夕立に降られたかのような男のできあがりである。
――ショーのあと、流石に飼育員から謝られた。どうやらあのイルカは、以前から気に入った女の子に水をかける事で知られているオスのイルカらしい。とんだエロイルカがいたものである。
「いやぁ、熱い戦いでしたね」
「なんでイルカと戦わなきゃいけないんだよ……」
「あついライバル同士のような戦いでしたネェ。菰田蒼太選手、コメントをドウゾ!」
「刺身にしてやりたい」
「イルカは魚類じゃないヨォ」
「じゃあハムだ……」
そんな会話をしつつ、蒼太は水族館側から渡されたタオルで、廊下の隅で身体を拭く。
心音から借りたハンカチは既に使い物にならなくなっている。元々拭き取れる量自体それほど多くはないのに2回、3回と続けばそうなるのも致し方ないだろう。
「――でも、守ってくれる蒼太君は、カッコよかったよ?」
「へ……?」
思いがけない言葉に、蒼太は思わず聞き返す。
「昔の事を思いだしたよ。まるで物語の王子様みたいに、身を挺して守ってくれるんだもん」
「王子様だなんて、大げさだよ……」
最初にイルカが近づいてきたとき。その眼が心音を見ている気がして嫌な予感がした。だから反射的に前に出ただけなのだが、ここまで何度もとは、蒼太は思っていなかった。
「――本当に、あの時みたいだった。キミはやっぱり変わってないんだって、思っちゃった」
「そ、そう、かな……」
うまく返答できるほど陽の者でもない蒼太は、口下手な様子でそう応える。実際、そこまで意識したつもりはない。身体が自然に動いたという事は、そういう事だ。
そして、それは幼少期、心音が親族からいじめられていたときも同じだった。あの時もまた、自分がなんとかしないといけないと思ったら、勝手に行動していたのだ。
二人は顔を赤くしながら、言葉数が少なくなってしまう。そんな状況を誤魔化すように、心音がうわずった声を上げる。
「あ、あたしは飲み物もってくるね。蒼太クンはコーヒーでいいカナ?」
「あ、うん、ありがと……」
「冷たい奴にするネ!」
「――寒いのであったかいのでお願いします……」
直前の空気感から、いつものような言葉の交わし合いに。冗談めかす心音に真面目にそう返すと、彼女は『はいな~』と行って席を立った。その間、蒼太は湿気を多分に含んだ頭髪を丹念に拭いていく。
「ん……?」
その時、蒼太のホログに通知が届く。
「ココネからだ……えっ、緊急事態発生……!?」
画面には、彼女らしく無機質にそう記されていた。蒼太は即座に何が起こったのかをチャット画面で問う。
『何があったの?』
『私が愛人として迎えられた後、本妻と思われる役柄が現れ、口論に巻き込まれているわ』
「何、何……!? 愛人!? 本妻!? 役柄!? 口論って、どう言う事……!?」
LSRは基本的に自分で状況解決に努めるようになっている。だが説明書曰く、自分一人でそれが難しいと判断した場合、所有者に判断を仰ぐ場合があるとの事。
無論、状況如何によっては警察、あるいは救急に連絡する選択も選ぶ事はできるが、そういった選択肢を取り上げられた場合、勝手な個人判断をせず、最も判断を仰ぎやすい所有者にそれを委ねるようになっているのだ。
蒼太は少しだけ悩み、メッセージを返す。
『わかった、すぐに戻るよ。と言っても、1時間くらいかかっちゃうと思うけど……』
『分かったわ。事故には気をつけて』
その返答を確認してスクリーンを閉じ、心音を待つ。するとそれほどかかる事無く、彼女はコーヒーを二つもって戻って来る。
「オマタセ~。――どうしたの?」
蒼太のただならぬ様子を感じたのだろう。少し神妙な顔で、彼女は聞いてくる。
「コ――いや、えっと、ウチのLSRから連絡が来たんだけど、緊急事態みたいで……」
「緊急事態……?」
心音は、僅かばかり不安な様子を入交じらせ、聞き返す。蒼太はそれに申し訳なく思いながらも、その先を続ける。
「そういうわけだから申し訳ないけど、すぐ帰らなくちゃいけなくって……」
心音は表情を曇らせる。楽しいデートを、突如中断させられるのだから当たり前で。そして蒼太はそれを心苦しく思う。
だがそれでも、帰らない、という選択肢は無かった。
「ごめん、本当にごめん……!」
「――ま、まあ、緊急事態なら、仕方ない、よ。うん……」
心音は、力なく笑いかける。蒼太は、その顔に後ろ髪を引かれるような思いを受けながらも、急いでその場を後にした。
「…………」
例え振り返らずとも。彼女が今、この賑わう水族館の中、孤独に立って自分の背中を見送っているというのがわかって。蒼太は、心が痛んだ。
◆
急ぎ電車に乗りおよそ1時間。ようやくといった様子で、蒼太はココネの元へと辿り着く。
ココネの位置は、GPSを通じて探知できる。その場所は、学生寮より少し離れた場所にある公園。尋ねた事は無いが、それなりの広さと遊具の、よくある住宅街のそれである。
そしてココネは――その砂場にいた。
「ナオキくんひどい! アイしてるのはわたしだけっていったのに!」
「ちがうわ! あたしだけっていったのよ!」
男一人、女二人の、小学生にすら満たない子供達合計三人と共に。
「ココネ!」
「あなた」
蒼太は、どういう状況なのだと思った。聞いた話では、愛人として迎えられた後、本妻と思われる人物が現れ、口論に巻き込まれている、とのことだったが……。
「アナタァ!? ココネ! おまえダンナがいたのか!?」
ナオキくん、と思われる少年が驚いた様子を見せる。――蒼太は『旦那』と呼ばれ少し照れくさくなる。……ではなくって、
「あの、ココネ。これって、どう言う状況……?」
「伝えたと思うわよ……?」
「もう少し、順を追って説明してくれる……?」
蒼太はてっきり、もっとよくない事態に巻き込まれていると思い、よく確認もせず飛んで来た。しかし来てみれば、喧嘩しているのは子供達。覚えた違和感に、冷静さを取り戻す。
「食材の買い足しに出かけようとしたのよ」
ココネは、子供達とはあまりにも温度差を感じる淡々とした様子で話し始める。
曰く、彼女は買い物に出かけた。しかしその途中、そこのナオキくんに一緒に遊ぼうと声をかけられたのだという。
無論ココネは、自分は仕事があるからと断ろうとした。しかしナオキくんは中々引かず、そして、LSRであるココネは人間の、しかも子供である彼を強引に引き剥がすこともできず。無論警察に通報する事もできるわけもなく今に至るらしい。
そして始まったのが、さらに女の子二人を交えたごっこ遊び。所謂、おままごと、というもので。しかもどうやら奥さん、愛人という、愛憎入交じるドラマにでも影響されたかのような内容だったらしい。
そこまでならばきっと、ごっこ遊び(ココネ自身もそう把握している)の延長線上で済んでいたのだろう。しかし、そこにナオキくんが新たに知らない女のヒトを連れてきてしまったのだからさあ大変。遊びなのか、そうでないのか境界の曖昧な事態に発展してしまった。
――と、いうのが。先の連絡の実態である。
「……確かに説明の難しい状況かもしれないけどぉ」
言い合いをしている子供達を見ながら、蒼太は頭を抱える。
ここまでなら、まだある程度言葉で説明できる事態ではあったかもしれない。これだけなら、説明が難しいとはならない。問題はここからである。
「(これナオキくん、本気でココネに一目惚れしちゃったんじゃないの……?)」
世迷い言の類いではなく。以前、心音という女の子に惹かれた蒼太だからこそ、彼の気持ちがわかった。わかってしまった。しっかりとココネの手を握って離さないナオキくんの姿は、以前の自分に嫌と言うほど重なってしまった。
しかもそれだけではない。この女の子二人。どちらも、ナオキくんの事が好きであるという様子を蒼太は感じ取った。
ナオキくん自体が、二人の事をどう思っているかは自分には分からないのだが。それを置いておいても、女の子達二人にとっては、この状況は面白くなかろうと蒼太は思う。好きになった相手が、いきなり別の女の子を連れて来てしまったのだから。
「ナオキくん! そのヒト、もうダンナさんいるんだよ!? あきらめようよ!」
「おれはココネがすきになっちまったんだ! ココネ、おまえもそうだよな!?」
「いいえ。ワタシは彼の所有物なのですが」
一瞬蒼太は脳が破壊されるかとドキリとしたが、ココネはいつも通りである。
「オンナをものあつかいしてるオトコのいいなりかよ!?」
「ワタシはライフサポートロイドです。そもそも人間ではありません」
ココネが事実を淡々と説明する。しかし、それがナオキくんには気に入らなかったようで、彼は余計に声を荒げる。
「そんなオッサンのどこがいいんだよっ!」
「おっさ――……!?」
まだ20にすらなっていないのに酷い言いようだと蒼太は思った。――小学生、あるいはそれ未満からすれば、ある程度成熟した男はそう見えるものらしい。
僅かばかりショックを受ける蒼太。ココネはそんな様子の彼を見ると、一瞬だけ視線を考えるように伏せ、口を開く。
「『おっさん』、『おじさん』、と呼ばれる年齢の平均は43・24歳だから、彼の定義は世間一般のそれと大きくズレているわ。大丈夫よ」
「実際がどうかというよりも、そう見られたという事実を突きつけられているという事が効いてるんだよ……」
「とにかく! こいつのほうがそんなにいいっていうなら、しょーめいしてみせろよ!」
「証明?」
ココネは可愛らしく首を傾げる。それは、大衆から見れば小動物的な愛らしさを思わせる仕草であっただろう。――だが蒼太には、何故だかとても嫌な予感がした。
「あなた」
「――ちょっと待、ココ、」
指示は、間に合わない。
気がつけば、ココネは蒼太の腕を引き、勢いそのままに接吻をしていた。
しかも、ただの接吻ではない。
蒼太の口内に侵入してくる、ぬめりとした何か。というか、言うまでもなく舌。彼女のオプションに準じた、限りなく人間に近い、というかほぼ人間同様の生体組織で構成された筋肉の塊が、同じ名称の彼のそれをねぶり、歯列をなめ回す。
しかしそれに留まらず。ココネはさらに唾液と舌を啜り、逆に送り出し、繋がった口内で攪拌させて行く。やや強引に腕を引っ張られた蒼太は、バランスを崩しているため体勢を立て直せず、されるがままになるほかない。
「(待って待って待って!? 駄目でしょコレ!?)」
それを、小学生未満の子供達が見ている。女の子達が顔を真っ赤にしている。ナオキくんも呆然としている。しかも、彼の手をココネは振りほどいておらず、片方はそのまま、もう片方の腕は蒼太を引き寄せたまま、音を立てながら接吻を十数秒行っていた。
「ちゅぱっ」
むさぼるような口づけの後に、そのねちっこさを示したかのような唾液のアーチが一瞬かかり、双方の口元を汚した。
「ワタシは、イノヴェーションワールド-ロヴン1220-タイプS-モデルティーン-オートフェイス、個体名称ココネ。この通り、一般的なライフサポートロイドの機能に加え、持ち主の性的欲求に応えられるオプションが搭載されたモデルです」
あれだけ熱烈な接吻を行ったというのに、ココネはいつも通りのクールフェイスだった。――蒼太には、その冷静な表情が、まるでしたり顔のように見えた。
「だけど、そういった行為は所有者として登録した相手にしか行わないようになっています。これで証明になりましたでしょうか?」
「……――っっっ、ココネェ! アウトだよォ!?」
ちなみに、どうして彼女がこのような方法での証明を選んだのかというと。相手が文書や契約書を理解できる年齢ではないと判断したからなのだそうだ。
子供にそれが伝わらないであろう事は、蒼太にも分かる。だが、今の行いも褒められた事ではないのは明白。……理解しているのかは定かではないが、他に択は無かったのだろうか。
警官が近くに居なくてよかったと、まるで脳機能が停止したかのようなナオキくんの呆けた表情を見て、蒼太は思った。




