2.
その後、蒼太は特にココネのことを話題にする事も無く、昼食後も講義を受け、そして帰路にて心音と別れた。
自宅に戻ると、ココネがいつもの通り出迎えてくれる。
「ただいま」
「おかえりなさい、あなた」
「お昼、ありがとうね」
蒼太は手を差し出しているココネに荷物を預けながら礼を言う。複雑な気分と共に。
忘れた弁当を届ける際にややこしい事態も発生してしまったが、そのこと自体は彼女の気遣いと関係無いし、なんなら失態を犯した自分が悪いのは言うまでも無い。
それに、そればかりか心音の当時の心境も聞けた。恥ずかしい想いをしたのも確かだが、総合的に見れば、“一つを除いて”良かったとも言える。
「ねえ」
そんな蒼太の心境を知ってか知らずか、ココネが口を開く。部屋に荷物を置きながら。
「ワタシに搭載されている燃料電池は、1度、2時間の充電で1週間持つわ」
それは、心音に対して使った誤魔化し。それを、心音が居ないこの場でココネは言及し始める。実際に、充電は昨日行ったばかりだ。
それに対する、蒼太の返答は――……、
「ココネは、どう思う。君の名前のこと」
というものだった。
一聴、それはココネの指摘とはまるで関係の無い話だった。一瞬関連性が見いだせなかったためだろう。一拍遅れて、彼女は返答する。
「由来が存在した事を、今日初めて知ったわね」
抑揚の無い、ドライな口調。そういう風に努めていると思いたいほどに、平坦な声だ。
「それについても、アナタは情報を誤認しているわ。別に、ワタシに設定された個体識別名称を再設定するのに、手続きは必要無い。だから、当然時間もかからないわよ」
無論、それは蒼太の願望に過ぎない。淡々と、彼女は彼の間違った発言――嘘を指摘する。
そんな彼女の姿に、蒼太はくぐもった気持ちを覚える。
「――仮に名前を変える事になっても、何も思わない、と?」
そう言われたココネは、今まで蒼太に合わせていた視線を右下へ伏せる。そして、2,3秒の間沈黙した。
「――ごめんなさい。質問の正確な意図が分からないわ」
そして、そう答えた。それを聞いた蒼太は、何故だか凄く悲しい気持ちになった。
「あなたの幼馴染みとワタシの名前が同じであるという所には関連性を見いだせてはいるのよ。だからワタシの名前を変えるか否かの話になっている。合ってる?」
「うん……」
「合理性を思えば、ワタシの名前を変更する事は正解と言えるわ。仮に同じ空間にワタシと彼女が存在した場合、呼びかけたとして双方が反応する事になるもの」
それは、人工知能であるココネらしい考え方と言えた。そして、どこまで正確に人間を模した姿をしていたとしても、彼女は人間ではない。
「LSRは、人間の快適な生活をサポートする事が存在意義よ。なら、呼称する名称に不都合が生じた場合、変更するというのは当然だわ」
必要な物事のために、必要な行動をする。合理性の極み。それが、アンドロイドという存在。彼女は人間の味方ではあるが、同時に、完全な理解者とはなり得ない。
「そ、っか……」
それを理解してしまうと、蒼太は身体の芯が冷えていくような気持ちを感じた。自分だけ熱くなっているのが、凄く馬鹿らしく思えてきてしまったのだ。
「――わかった」
どこか、投げやりな気持ちで蒼太はそう言った。あるいは諦念の気持ちか。
非常にもやもやとした、この気持ち。しかし、それをどれだけ説明したとしても、目の前のココネ――LSRが理解してくれるとは思えなかった。
だって、彼女は人間ではなく、アンドロイドなのだから。
「でも、今すぐ代わりの名前を思いつくことはできないからさ。少し、待っててくれる?」
「――分かったわ」
LSRは何か言いたげな様子を残しながらも返事をし、台所へ戻って行く。そんな彼女の背中を見送りながら、蒼太は脱力するようにベッドへと腰を下ろした。
酷く。酷く――蒼太は、疲れた気分になった。
◆
愛香は普段から、兄である蒼太とはよく連絡を取り合っている。
と言うのも、彼は一時期、精神的に不安定な時期があったためだ。今では大分と回復し、実家より離れた大学に通っているものの、本当は反対なくらいには、彼女は心配していた。
愛香が他者の心の機微に敏感になったのは、そんな経緯があったためだった。特に兄のそれに対しては特に鋭く、それは先日の訪問理由の通りである。
――さて。それは愛香が、日常のやり取りを兄に対して行おうとしている時だった。彼に気を遣っている事が悟られないような文章を、ベッドの上に腰掛け、ホログから出力されたホログラフスクリーンの前で考えている。その最中だった。
『今、時間はあるかしら?』
それは、兄の傍にいるLSR、ココネからのチャットメッセージだった。お互いの連絡先を、先のお宅訪問の際に交換しており、それはLINKを介して送られてきていた。
ちなみに、これがココネからの初めてのメッセージだった。自らの合理性に基づいて行動する彼女は、お喋りという目的で自ら話しかけてくる事は無い。
「すぅー……はぁー……」
何か、あったのだろうか。愛香は、心を落ち着けて冷静に努める。
『お兄様に何かあったのですか?』
可能性としては、一番それが高いだろうと愛香は思う。当の兄から何も来ていないのは、心配かけまいと渋っているのか、それとも他の誰かに話す必要は無いと考えているためか。
『不要な心労をかけたくないから始めに言っておくけれど、事故にあったとか、事件に巻き込まれたとかではないから安心して』
自分をなんとか落ち着かせている焦りをそのまま見抜かれている気がして、愛香は少し冷静になった。そして同時に安心もする。緊急を要する事態で無いのであれば、いささか心を落ち着けることはできる。
『今日、実は彼にお弁当を届けに行ったんだけど』
という文章から始まり、続けてココネが、その日あった事を文章にして送ってくる。
兄に、仲の良かった幼馴染みが居た事は知っていた。名前までは聞いたことがなかったが、とても親密で、当時自分は会話の中に嫉妬を覚えた記憶がある。
しかしその相手の名前が、ココネの名前の由来だとは、流石の愛香も思いもしなかった。同時に、再び嫉妬じみたものを覚えるが、今はそれは横に置いておいてよいだろう。
――愛香は、現状のただならぬ様子に姿勢を正す。
『名前を変えることになっても、何も思わないのか、と言われたわ』
愛香は、その文章を見て胸が締め付けられる想いになった。そう彼女へと口にしたとき、兄はどのような顔をしていたのだろうか。
そんな思いを抱きながらも、愛香は彼女の話をそのまま聞き続ける。
『それから、彼は怒っているとも、悲しんでいるともつかない様子だった。でも、ワタシにはそれが何故か分からない。だから、こうして彼を一番よく知っているであろうアナタに相談させてもらったのよ』
ココネの打ち込んだ文章を見ながら、愛香は眉間に皺を寄せる。それは、彼女に対する怒りも少々含まれていた。兄を悲しませた事に対する苛立ちだ。
しかし、同時にどうしようもない事柄ではあったと、冷静な部分で思う。
人工知能は今や人間と遜色ないレベルのコミュニケーションを可能としている。その能力たるや、普通に話していただけでは、AIだとは気がつけない程だ。
しかしそれでも、行動原理や判断基準は大きく異なる。認識のズレはどうしたって起こる。思考の根幹が決定的に違うので、物事に対する考え方も違って当たり前だった。
『そうですね。では一緒に考えてみましょうか』
だが、愛香が冷静になれたのは、何も人間と機械との常識の差異を分析できたから、というわけではない。
もしこれでココネが、現状の理解を解析不可だと投げ出していたならば、頭に血が上っていたかもしれない。しかし、彼女は他の誰かに相談する、と言う行動を選択した。
それはひとえに、彼女がこのままではいけないと判断したから。付き添う人間のために、何かしたいと判断してくれたからだ。
『まず、あなたは自身の名前を変えることには、何ら抵抗があるわけではない。これは合っていますか?』
『肯定するわ』
『それは何故ですか?』
『彼にも言ったけれど、何故、と聞かれる意味からワタシには分からないわ。先ほども述べたけど、呼びかけによる対象の混乱の回避を考えるならば、それが適切な筈よ』
『逆に、もう一方が名前を変えると言う選択肢は浮かばなかったのでしょうか?』
『人間が名前を変更するには、数多くの困難が予想されるわ。その工程数を考えれば、よりその数が少なく済むワタシが変更を行った方が手早くできるでしょう?』
ココネの返信を読みながら、愛香は考える。
彼女にとって“名前”というものは、一人一人を識別するのに必要な“記号”でしかないのだろう。極論、自身の呼び名が番号であったとしても気にしない。何なら、人間一人一人の呼び名が、番号ではない事に疑問さえを持っているかもしれない。
そこが、人間と機械である彼女との、今回問題となっている価値観の違いだろう。
『ではココネさんは、どうして人間が“名前”というものを用いるのだと思いますか?』
『藪から棒ね。でも、彼がワタシに名前の事で聞いたのと関連性のある話でもありそうだわ』
そこから、少しの間文章の打ち込みを示すエフェクトが現れる。それは本来、人間が同様の行為を行う際に見られるものだが、彼女とのやり取りでは今、初めて見られる状態だった。
そうして少ししてから、そのエフェクト表示の長さとは相反する、決して長くは無い文章がチャット画面に表示される。
『ワタシには皆目見当がつかなかったから、ネットワーク上で今、情報収集をしていたわ。だから、これから述べる内容は、それらを総合したものに過ぎない事を念頭に置いて頂戴』
もしかすると、先ほどのエフェクト表示は、彼女の思考の表れだったのかもしれない。彼女なりに、どう返答すべきか悩みながら文字を送っているのだろうか。
『人間の名付けにおいて、その理由で最も有力なのは、対象となる人物への将来への期待を“名前”と言う形に表している、というものよ。これは国のよって用いるものの傾向は異なるけれど、基本的にはどこでも共通しているわね』
『わたくしもその見方で間違っていないと思います。そしてきっと、これは人間相手に限った話ではありません。例えば、創作上の話においては、登場人物の名前にも、意味を持たせたりします。名は体を表す、という言葉と若干近いですが、その登場人物がそのような活躍をして欲しいと考えて付けているわけです』
『なるほど。もしかしてそれは、道具にも適用される事はあるかしら?』
『と言うと?』
『ワタシを初めとする生活支援アンドロイドは“ライフサポートロイド”と呼ばれているわ。直訳すれば、生活の助けをする人型機械。これはワタシ達に、人々の手助けを願われているという解釈が可能になるわ』
愛香はなるほど、と感心する。これは何も、今更通称の説明に納得が行ったからというわけではない。
愛香が感心したのは、ココネの思考の中枢であるAIについてだ。無論、侮っていたとまでは言わないが、もっと融通が利かないのだと思っていた。彼女の思考力は、しっかりと情報さえあれば、柔軟にその場の状況に対応できるものが搭載されている。
――そう思って、愛香は己を少なからず恥じる。それは随分と傲慢な物の見方である、と。彼女は機械ではあるが、その実、人間と変わらない確固たる意思を持った存在なのだ。ただの道具のような意識で考えるのは、いささか失礼に違いない。
『では、お兄様はあなたにどういった理由でその名前を付けたのだと思いますか?』
『その文化に倣って言えば、ワタシの“ココネ”と言う名称にも、何らかの意味があると推察されるわ。そして、由来を考えれば、一つの可能性を導くことができるわね』
『その可能性、とは?』
『あのヒトはワタシに、“ここね”の代役を期待していた、という可能性ね』
彼女のその推察は、少なくともそう大きく外れているわけではないのだろうと、愛香は思う。あまり多くの人付き合いをしてこなかった彼だが、高校生までの間は、家に帰れば誰か居た。祖父母であれ、自分であれ。最低限の人付き合いはあった筈だ。
が、大学生となり一人暮らしを始め、寮に帰れば基本一人。大学でもきっと、友人を作っては居なかったのだろう。その寂しさを埋めるため、LSRを購入した。きっと、その幼馴染みの当時の印象に似た彼女を発見したのだろう。そして、彼女のその名前を与えた。
――その対象が自分の名前でない事に一抹の寂しさを覚えながらも、さらに文章が表示されたため、愛香はそれに目を通す。
『でも、だったら今の状況はそれとは矛盾する筈だわ』
『矛盾、ですか?』
『その幼馴染みとは再会できたわけでしょう? 代役を求めてワタシにその名前を付けたのなら、当人が目の前に現れた以上、今のワタシにそれを期待する意味は無い筈だわ』
『偽物は本物に劣る、と?』
『少なくとも、一般的な見地からすればその考え方に間違いは無いと思うわ。だって、偽物は本物ではないもの。本物がいれば、偽物は必要ないわ』
ココネの言い分は、決して間違いではなかった。似せられて用意されたものは、いつ如何なる時も本物の代用として生まれる。つまり、どこまで行っても本物にはなり得ない。
だが、確かに本物にはなり得ないとしても。その価値までもが劣るとは言い難い例も世の中には存在する。
『ココネさんは、カニカマをご存じですか?』
『知っているわ』
『カニカマは、一見蟹の身のような外見をしています。しかし、実際のその正体はかまぼこです。原材料は主にスケトウダラ。それを創意工夫し、風味も付与していかにも蟹のような食べ物として作られているのです』
かつては、インチキだと苦情が寄せられた事もあるという。カニカマ誕生にはあらゆる説が存在しているが、何れにせよそれは蟹ではない。しかし、今では“カニカマ”、それそのものとして、かの食材は一般家庭に広く親しまれている。安価であるというのもあるが、料理のレシピには敢えて“カニカマ”と記載される事もある程に。
『つまりワタシは、所謂カニカマであると?』
そして、それを話題に出したことで、直前の文脈の流れを読んだココネは、愛香が何を言いたいかを理解したようだった。
『そうです。お兄様も、最初はあなたに“蟹”の代役を望んだのでしょう。しかしいつしか、あなたその者という“カニカマ”を見るようになったのです。わたくしの想像ではありますが、でなければお兄様の様子の変化は説明がつかないはずです』
『それが何故、名前の話に繋がってくるのかしら?』
名前など、好きに変えて構わない。名前など、個体判別のための記号でしかない。そう考えていた彼女の思考に、愛香は切り込んでいく。
『お兄様はきっと、あなたを心音さんではなく、ココネさんそのものとして見るようになったからです。今のあなたの名前は、他ならぬあなた自身のもの。経緯はどうあれ、ここねという名は、あなたの存在証明そのものなのでは無いでしょうか?』
文章を打ち込み、送信した愛香。すると、ココネの反応に今までとは違う反応が見られた。
最低でも、これまでは書き込み中のエフェクトが表示されていた。しかし、今度は既読こそついたものの、チャット画面には沈黙が現れている。
それを見て、愛香は待った。ココネからの返信を。そうして3分ほど経ってから、書き込みエフェクトが表示される。
『ワタシは、ワタシ自身を否定していた事になるのね』
表示された文章は短かった。しかし、時間をかけて出てきたその言葉には、文章量以上の重みがあった。
『あのひとが悲しんでいる理由に合点がいったと思うわ。今のワタシにその概念はまだ理解が難しいところではあるけれど、その理屈を把握することはできたと思う』
ココネの、正直な考えの吐露。それが文章という形で、表示される。
『どうすれば、あのヒトの悲しみを濯ぐ事ができるかしら?』
その物言いと在り方が、どこまでも他者に向けられたもので、愛香は思わず笑みを零してしまう。根源こそ違えど、それは自分に対する兄の姿を思い起こさせた。
尚更、愛香は彼女の手助けをしてやりたくなった。
『大丈夫です。あなたは、今のままで問題ありません』
惑うココネへと、愛香は自分の素直な意見を述べる。このLSRが、彼女自身の良さを自ら殺してしまわぬように。
『勿論、自分の中の常識にただ従え、と言うわけではありません。わたくしが思うに、あなたは、あなたの考えの基に、お兄様を想ってくれています。それを忘れない限り、きっと大丈夫であるはずです』
きっと、彼女は戸惑っているだろうと、愛香は思った。それでもさらに、文章は続ける。
『その上で、ご自分の考えや気持ちを、お兄様に伝えてあげてください。対話をしてみてください。分からなければ根気よく話してみてください。きっと、分かってくださいます』
兄は自身を、『愛香には到底及ばない』と考えている節がある。当人がそう口にしたわけではないが、態度の端々から愛香はそう感じていた。
きっと、今の自身がうまくいっているのと、過去の事に対する引け目もあってそう思っているのだろうと愛香は考える。しかし、自分と兄は、何も変わらない。自分に分かることが、兄に分からない筈がない。だから、
『だから、安心してくださいココネさん。あなたの今の在り方そのものを変える必要は、決してありません』
そう、愛香はっきりと告げる。自分が彼女をあたたかな者だと感じたのだ。ならば、兄がそれを感じ取れない筈がない。兄は、自分の何倍も優しいのだから。




