1.
以前まで蒼太は、大学での昼食は、学食か購買を利用していた。寮での一人暮らし。普段から自炊も滅多にしない彼にとって、それは自然の成り行きであった。
ところがぎっちょん。その状況が、この頃一変した。理由は、LSR・ココネの来訪。彼女はその生活支援のための能力をフルに活用し、蒼太の食生活を一変させてしまった。
故に、彼の昼食も変わった。蒼太の最近の昼食は、ココネが用意してくれるお弁当。朝、通学する前にそれを持っていき、お昼に頂くというのが、最近の彼の習慣になりつつあった。
そう。ポイントは、“なりつつあった”である。
この日の朝。蒼太は今日提出する予定の課題を、バッグにしまい忘れていた事を思いだした。週に二度のその講義。ギリギリで思い出し、それに安堵していた。
しかし。それに気を取られていたのがよくなかった。
半端な習慣というのは、ふとした出来事ですっ飛びうるもの。出発ギリギリで課題のことを思い出し、軽くどこへ置いたっけ、等と探し。見つけた! よかった! 行ってきます! ――と、そこで出かける前の全てに安堵し、彼は大学へと向かう事となった。
ここまで述べれば、概ね察する事は出来るかもしれない。“なりつつあった”、完全には習慣化していない、朝持って行くお弁当。意識の隅に追いやられ、以前までならまず出発時の考慮にすら入らないその日の昼食。
「(あれ、お弁当が無い……)」
リュックの中を漁り、そう言えば、そもそも持ったっけと顔を青くし。確かに、考えてみれば今朝通学用のリュックの中へ入れた覚えが無いと思い至る。
バランス良く、あたたかみがあって、優しい気持ちになれる、そんな手作り弁当。ココネが来てから、平日毎日作ってくれる、元気の源。
だが、そんな彼女が折角作ってくれたお弁当を。なんとこの愚者は、完全に忘れてきてしまっていた。
「蒼太クゥン、ドシタノ?」
「あー、いや、あはははは……」
いつも通り、昼食を一緒にしている心音。今日は二人がけの席。対面の彼女に、蒼太は笑って自分の間抜けさを誤魔化した。
「(どうしよう……取りに戻ろうかな……)」
大学と距離が近いのが、学生寮のメリット。行って戻って来るくらいならば、そのまま昼食をとって次の講義に間に合わせるのは容易だろう。
「ところでさ――」
既に自宅へ向かっていた思考を――その声が、一気に現実へと引き戻す。
「蒼太クンって、もしかしてカノジョいたりする……?」
蒼太は思わず、口が半開きになった。
「え、何、どう言う――ナンデ?」
「ほら一昨日。ショッピングモールで、女の子と一緒に歩いてたよね?」
笑顔――どこか引きつったような顔の心音の顔に困惑しながらも、蒼太は思い出す。一体どこでそれを見ていたのか。というか、見られていたのか。
そのショッピングモールで一緒に歩いていた女の子とは、ココネで間違い無いだろう。
「え、っと、それは、ね」
家庭用のサポートアンドロイド。蒼太自身がそれを所持している事を、彼女は知っている。だから本来ならば、言いよどむ必要など無かっただろう。LSRを連れて歩いているヒトなど、さして珍しくも無い。やましいことなど一切無いのだ。
しかしそれでも渋ってしまうのは、それが“ココネ”である事と、目の前の心音という初恋の女の子の名前が同じである事が理由だろう。
交わらせてはならぬ、二つの線を前にしてしまえば――こうなるのは当然だった。
「え、っとぉ、あー、あー……」
「蒼太君……?」
壊れた機械のごとく、うわごとのように意味を成さない声を漏らす蒼太。それはただのLSRと言えばいいものを、中々それが口をついで出てこない。と――、
「あなた、お弁当忘れてたわよ」
聞き覚えのある、ここで聞きたくはなかった声。蒼太はぎょっとして振り向いた。
――そこには、蒼太のLSR、個体名称ココネがいつものメイド姿で立っていた。
「あ、え、え……?」
一方の心音も混乱していた。当然だろう。自分が蒼太と歩いているのを見た女が、突如目の前に現れたのだ。目を見開き、完全に固まり、開いた口が塞がらない。
――当人が現れたので、なし崩し的にそうなったのだろう。蒼太は、慌てて説明を始める。
「こっ、心音、紹介するよ! 俺の家で家事をしてくれているLSR!」
「え、あ、え、LSR……」
蒼太は“心音”の名を口にしたつもりだった。が、 “ココネ”も反応して顔を向ける。
思えば、彼はここで構えるべきだっただろう。しかし、それに気がつかなかった時点で、次の失態は決まっていたも同然だった。
「初めまして。ワタシは菰田 蒼太の所有するLSR、“ココネ”です」
空気が凍り付く、というのは。この瞬間の事を言うのかもしれない。
「あっ」
「え。…………――――――え?」
うっかりしていた蒼太。一方の心音は、LSRの口から、自分のそれと全く同じ名前を聞き口が半開きになっている。
そして、対するココネは、そんな空気の中いつも通り平然としていた。堂々と。自己紹介を果たしましたと言わんばかりの、クールなすまし顔である。
「え、っと、あたしも“ここね”って言うんだけど……」
「そうですか」
「…………」
「…………」
「あの……」
「おそろいですね」
心音が振り向く様は、錆び付いた機械のごとくだった。
その顔は助けを求める顔か。説明を求める顔か。あるいは両方か。一つ確かなのは、現実を受け止めきれていない、疑問符を一杯に浮かべた顔をしているという事だった。
――だが程なくし。逸早く混乱から脱した心音が、ようやく当然の疑問を口にする。
「っ、どう言うことか説明して!」
「ど、どう言うこと、って――?」
「あたしとこの娘が、どうして同じ名前をしてるかに決まってるじゃん!?」
「あ、え、えっとぉ、」
説明を求められ、蒼太はそもそもの道筋を頭の中に思い浮かべる。
――当然そんなもの、言えるわけが無かった。
「もっ、黙秘権を行使します!」
「黙秘権!? いや、赤ッ!? 顔真っ赤! 何考えたの!?」
そのLSRがセクサロイドとは気がつかないまでも、自分と同じ名前がついている事から、何らかの煩悩は薄々感じ取ったのだろう。心音もつられて赤くなり始める。
生き地獄とは、このような事を言うのかもしれない。
――結局、蒼太は心音に対して“ココネ”の名前についての説明を避ける事はできなかった。尤も、なんとか彼女がセクサロイド機能持ちである事を隠す事はできたのだが。
結果。食堂で、耳まで赤くしてテーブルに突っ伏す男女が一組誕生した。そして傍に控える、首を傾げているLSR。誰も動かぬその光景は、さながら一枚の写真のようだった。
――しばらく後。ようやく、と言った様子で蒼太が声を上げる。
「死にたい……」
「ワタシは、人間が命の危機に陥った場合、その人命を守るようプログラムされているわ」
「そういう意味で言ったんじゃ無いよ……」
「そう。なら良かったわ」
全然良くは無いと思いながら、少しだけ顔を動かして、蒼太はココネを見る。その声色もさることながら、案の定、何が問題なのかまるで理解していない様子だ。
「――マア、キミの想いは、その……よく分かったよ」
心音は、頭を突っ伏したままではあるものの、ゆっくりと顔を動かして蒼太を見る。まるで、腕という物陰から隠れて、様子をうかがうように。
「なんか、その、ごめん……」
「謝んなくっていいって……まあ、その、気持ちは分かるし、さ」
そんな彼に、呼びかけるように、心音は言う。
「幼稚園の時、これから小学校に上がる、同じ学校に通う。これから一緒、って時にさ。キミが急に引っ越すことになってさ。ナンカ、ワケわかんない内にどっか行っちゃってさ」
「…………」
「――あたしだってさ。キミの事、好きだったんだよ。ねえ、覚えてる? あたしが親戚から嫌がらせを受けてた時の事」
蒼太は伏せたまま、『うん』、と答えた。
「元々あたしの家系って、古くから続く歴史の長い家でさ。けど祖父母世代での結婚で、家からおじいちゃんは勘当されててさ。でも、完全に縁切りとはなんなくて、親戚で集まらざるを得ない事も、結構あったんだ」
「…………」
「――あたしの元々の髪色、知ってるよね。アレが、気に障ってたんだろうね。そのことで、両親共々結構嫌がらせされててさ。同世代の又従兄弟とかからもケッコーな事されたし、その親連中からもマア、クッソみたいな事されてた」
「それは――中々、ハードだったんだね」
当時のことは蒼太も覚えている。しかし、知っていたのは、彼女が嫌がらせをされていたという事まで。そもそも、小学生に満たない子供に、そんな事情など分かるわけも無い。
だから初めて、蒼太は“理由”を耳にする。
「そ。でも、そんなハードな状況に、飛び込んできてくれた男の子がいた」
「――なんか、無性に腹が立っただけだよ。そんな風に覚えてる」
蒼太がそう言うと、心音は吹き出した。そして今度ははっきりと顔を上げる。
「だからって塀の上から泥団子投げつける??」
「――だって、俺は子供だよ? 同年代の悪ガキだって怖いのに、分厚い化粧の香水クサい連中なんてもっとだよ。だけど、こんな綺麗な女の子がいじめられてるって思ったらさ。助けなきゃ、っていう気持ちが勝っちゃった」
「――それで顔面に泥ぶつけられてあいつらがパニックになってる隙に、あたしの手を引いて逃げてくれた。……あの時のあたしには、キミが王子様に見えたって言ったら、笑う?」
「流石にガラじゃァないよ……」
蒼太が、ゆっくりと顔を上げながら苦笑いを返す。陰キャで、LSRに初恋の女の子の名前を付ける王子など、聞いたことが無い。
「――それから、一緒によく遊んだよね。あたしがまた何かされても、すぐに助けてくれて。それから、あたしが難癖付けられる原因だった髪の色も、綺麗だって褒めてくれた」
当然蒼太は、よく覚えている。でなければ、同じ髪色のLSRを選んで、それに“ここね”なんて名前を付けていない。
「ほら、子供って単純だからさ? そんなんでも、スグ好きになっちゃうんだよね。うん。今更だけど告白する。あたし、キミの事があの頃から好きだった。でも――程なくして、キミは引っ越して行っちゃった」
罪悪感。蒼太は思わず、『ごめん……』と口にする。
「やだなぁ、謝んなくていいんだって。大変だったって事しか聞いてないけど、どうにもならない状況だったんでしょ? そんなの、コドモに抗えるわけ無いじゃん」
心音はそう言って笑うが、蒼太の申し訳ない気持ちは拭えない。あの時の別れは本当に突然で、そして自分は彼女の心の拠り所になっていた筈なのに、離れて行くことになってしまった。
「――あたしね。すっぱり諦めたつもりだったんだよ」
心音は、自嘲するように笑う。
「幼少期に離ればなれになった男の子なんて、もう二度と会えない。一度ほどけた糸が、もう一度交わる事なんて無い。そう思ってさ」
「再会した時、がらっと変わってて驚いたよ」
「まあ、なんというか――それまでに別れを告げて、自分でやっていこう、みたいな? キミだけが、この髪色を褒めてくれたけど。そう思うと、もう誰にも髪色について言わせたくないって思ってさ」
やや歯切れ悪く、心音は前髪を弄りながらそう言った。それはそれとして指摘されると、ちょっと恥ずかしい――のかもしれないと蒼太は思った。
「――まあ、そんなわけで結構覚悟決めてやってきてたわけよ。これからもそのつもりだったよ? そうしたらさぁ……」
「俺と再会しちゃった、と」
「スゴいよね? 笑っちゃうよね? 世の中、何が起こるかわかんないわぁ、ってカンジ」
「俺も、また会えるなんて思ってなかったなぁ……。ああ、でもどうしよ。――だから彼女に、“ここね”って、付けちゃったんだよなぁ」
そう言って、蒼太はちらりとココネを見る。すると、彼女は蚊帳の外な話であったためか、二人からは視線を外し、周囲を見回していた。
――見ようによっては、邪魔が入らないように周囲を監視しているようでもあった。彼女が今の話をどう聞いていたかは分からないが、ココネなりに気を回しているのかもしれない。
「アー、まあ、何と言うか。そう言う想いで名前を付けたんだって思うと、こういう事正直、言いにくいんだけどさ」
心音は、肩をすくめて苦笑いする。
「フツーに、名前の変更をする、とか……?」
彼女のその発言に。蒼太は――ドキリと。心臓を密かに跳ね上げた。
「あ――……え、っと、それは……」
「ほら、まあ、アレだよ。どっちを呼んでるかややこしくなるだろうしさ」
「それは、まあ――うん」
蒼太は、歯切れ悪く返事する。LSRの、名前の変更。ただ、それだけの筈だ。
だのに何故か、蒼太は動揺していた。そしてその動揺は――一つの “嘘”を口にさせる。
「で、でも、さ――一度名前を付けると、変更に手続きと時間がかかるみたいでさ」
「? そうなんだ……?」
「――あなた、」
ココネが何か言いかけたのを、蒼太はすぐに立ち上がって口を塞ぐ事で止めた。それは、先ほど彼女が口を滑らせて名前を言ったという経験が生きた、素早い動作だった。
「あーあー、何だかココネ、充電が少なくなってきてるみたい」
「充電? でも、最近のLSRって確か、かなり持つ電池積んでるんじゃ……」
「ココ――こ、この娘は型落ちだからさ。えっと、お弁当ありがとね。家に戻ってていいよ」
蒼太はココネに対して指示をし、口を塞いでいた手を離した。すると、彼女は1秒間、何か言いたげに彼を見つめるも、『わかったわ』と返事をし、恭しく心音に対しても礼をしてその場を後にした。
「さ、心音。お昼食べよう。次も俺たち講義だしさ」
「…………。うん、ソダネ」
適当に誤魔化しつつ、蒼太はココネの持ってきてくれたお弁当を開いた。そのお弁当は、栄養バランスと量が適切な、彼の事を真剣に考えたものだった。




