AIは少女と友を心配する
月曜日の夜。最後の授業の実習が終わった後、すぐに下宿に戻ったノアであったが……
今日はいつもよりも長めに酒場の手伝いをしていた。
珍しく宿題がない日だったからというのもあるが、酒場が月曜から飲みに来る飲兵衛が多く、ハレーおばさんから手伝いを頼まれたからというのもある。
そして何より、
「嬢ちゃんの焼くステーキまた食いたくて来ちゃったよ」
と言って現れたエンケたち4人の魔術班がいたからだった。
前回の料理でいきなりファンを獲得したノアだった。
そう言われると嬉しくて、気合がはいって真剣な顔で肉を焼いている。
じゅう、と脂の弾ける音がする。
鉄板の上で、厚めに切られた肉の表面がゆっくりと色を変えていく。
「まだ触らないか……」
僕が言う前に、ノアは自分でそう呟いた。
手を伸ばしかけて、止める。
火加減を見る。
肉の端から出る脂の量を見る。
香りが変わる瞬間を待つ。
そして――返す。
「よし!」
綺麗な焼き色だった。
初めて教えた時より、確実に良い。
ノアは、僕が提示した手順をそのままなぞっているわけではない。
少しだけ火を強くしている。
焼き始めの待ちを長くしている。
最後の休ませ方も、肉の厚みに応じて変えている。
ノアは、僕の手順をそのままなぞるのではなく……
独自の調整を加えていて、
「……なんか、今日は前よりうまくいったかも」
その通りだった。
彼女は物覚えが良い――本質を無意識に掴む能力があるようだった。
もちろん、それは、料理だけではなかった。
魔法も同じだ。
毎日の宿題で僕が提示する手順や考え方を、ノアは確実に吸収していた。
術式の組み立て方。
魔力の流し方。
無駄な処理を削る感覚。
彼女自身は気づいていないかもしれないが、少しずつ、確実に式が綺麗になっている。
今日の水の生成もそうだ。
あの低い雲を利用したやり方は、まあ、かなりズルに近かった。
そのせいで本来学ぶべき魔素の連続発動の練習ができなかったわけだが……
罪滅ぼしというわけでもないが、授業の後、僕はノアに通常の連続発動のコツも教えた。
するとノアは、アリアほどではもちろんないにせよ、何度か続けて水を生成できるようになった。
それは校庭を歩いて、校門に着くまでの間の出来事だ。
面白い。
とても、面白い。
彼女は、多分、ほかの生徒とは違う。
この世界のエリート教育を受けた秀才ではないが、それゆえに型とらわれない。
森のお爺さんに魔法を教わったので、基礎的なことしかわかっていないというが、そのせいでかえってこだわりがない。
面白い。
彼女はなぜこんな資質を持っているのか。
どうもその理由はアリアは知っているのではないか?
雲から水をつくるという変則手を使ったのは、アリアの反応を確かめるためでもあった。
そして、あの反応はやはり――
いや。
これについては、まだ後にしよう。
「ノア、肉まだかい」
「あ、はい!」
ハレーおばさんの声に、ノアは慌てて皿へ肉を移す。
仕上げの塩。
ソース。
付け合わせ。
「できた!」
ノアは皿を持って、厨房から客席へ向かった。
「おまたせしました。ステーキです」
「おう、嬢ちゃん。待ってたぜ」
席にいたのは、エンケたちだった。
エンケ、フォンテーヌ、パーカー、タットル。
王都防衛魔術局第三班の四人である。
今日は四人とも比較的くつろいだ顔をしていた。外套は脱ぎ、武装も最低限。どうやら本当に酒を飲みに来ただけらしい。
「おお、来た来た」
タットルが目を輝かせる。
「今日は肉の気分だったんだ」
「あなたはいつも肉の気分でしょう」
フォンテーヌが淡々と言う。
「いや、ここの煮込みも捨てがたいですよ」
パーカーが皿を覗き込む。
「それも肉じゃないか。それより、魚も悪くないぞ」
エンケがジョッキのエールを飲み干しながら言った。
「まあ、ともかく今日は飲むぞ。平和な1日に乾杯だ」
四人は頷くと、それぞれ杯を重ねた。
「平和だったら飲むんですか?」
ノアが言った。
「祝杯だ」
「大変だった日も飲んでますよね」
「憂さ晴らしだ」
「結局飲むんですね……」
ノアはちょっと呆れ顔だ。
でも本当に呆れているわけではなく、こういう軽口が叩ける空気を楽しんでいるようだった。
しかし、四人とも今日は本当に機嫌が良さそうだった。
「こんな何も事件がない日は珍しいよな」
エンケの言葉に他の三人も頷いた。
「日勤でこれは運が良い。ただな……」
エンケが肉を切りながら、ふと思い出したように言った。
「ちょっと妙な噂を聞いたな」
「妙な噂ですか?」
ノアが首を傾げる。
「ああ。昨日、五番街にシングラが出たって話だ」
五番街。
王都の者なら、それがどこを指すのか分かるのだろう。
いわゆる、貧民街。
ノアがセレスと一緒に休日に行った場所だ。
「でも、そんな話、局には来ていないんだけどね」
パーカーが眉をひそめる。
「正式な観測記録にもありません。出現予測もなし。局の出動もなし」
フォンテーヌが言う。
「なら、ただの噂じゃないんですか?」
ノアが聞く。
「そうだけどな……信用できる奴の証言もあって……」
エンケは肉を口に運ぶ。
噛む。
それ以上は話すまいと思ったのか、片方の眉を上げ、
「……うまいな、これ」
「……」
ノアも空気を読んで言葉を飲み込む。
「嬢ちゃん」
エンケが、打って変わった明るい声で言った。
「この肉、もう一枚」
「え、まだ食べるんですか」
「平和な日だからな」
「だから結局飲んで食べるんですね……」
「そう、平和な日は、平和を謳歌しないと後悔するんだよ。俺らみたいな仕事はな……」
「はい、ステーキ追加ですね」
ノアは、それ以上は何も言わずに厨房へ戻っていった。
*
その夜。
ノアは宿題がなくても、深夜まで起きてしまっていた。
酒場の仕事は9時頃までには終えていたのだが、
「……セレス、大丈夫かな」
友人のことが心配でしょうがなかったのだった。
今日一日、セレスは元気がなかった。
授業中も、昼休みも。
放課後には、ジュノーにも声をかけられていたようだったが、今日は体調が優れないと言って断っていた。
ジュノーは珍しく、少し心配そうな顔をしていた。
みんな不思議そうにしていたが、ノアはその理由を知っている。
セレスは初めて、王都の奥を見た。
貧しさ。
不平等。
そこで暮らす子どもたち。
真面目で善良すぎるセレスにとって、それを受け止め切るにはまだ時間が足りないのだろう。
「でも……セレスなら大丈夫だよね」
ノアは自分に言い聞かせるように言った。
「強い子だし……そうだよねアイビー」
それは信頼だった。
だが、少しだけ、祈りにも似ていた。
「そうですね」
僕はそう答えた。
この時点では、そう答えるしかなかったのだった。
*
その頃、深夜の学校では、ノアが心配するセレスに異変が起きていた。
ああ――このことを僕が知るのは、後のことだ。
後に接続した記録の断片を繋ぎ合わせたとき、
この夜の出来事がようやく形になった。
深夜の学園奥。
数日前と同じように、森の中にある小さな噴水池の周囲に、少女たちが集まっていた。
前回と同じように、誰も声を出さない。
誰も互いを見ない。
ただ中心を見ている。
そこにアムアが立っていた。
月明かりの下、昼間と同じ穏やかな顔で。
少女たちの呼吸が揃う。
心拍が揃う。
まるで、全員が同じひとつの生き物になっていくようだった。
「もう少しですね」
アムアが呟く。
「もう少しです……そう……来ました」
アムアが言うとその背後の空間が歪んだ。
黒い染みのようなものが空中にゆらめく。
シングラだった。
だが、昨日と同じように防衛魔術局の魔術師もやってこない。
このままでは……
この場は危険だ。
だが、少女たちは誰も逃げない。
ただ、微笑んで見ている。
「シングラが安定しています」
アムアは少女たちの真ん中で満足そうに笑いながら言う。
「いい。とてもいい……あとは最後の少女があれば」
その時だった。
木々の間から、もう一人の少女が歩いて現れた。
セレスだった。
寝間着のまま。
半ば夢の中にいるような足取りで、ふらふらと歩いている。
どこへ向かっているのかも分からないまま、セレスは歩いているようだった。
目は開いている。
けれど、何も見てはいない。
しかし、一直線に彼女が向かう先には、
「来ましたか」
アムアが、にやりと笑った。
その顔は、もう教師のものではなかった。
飢えた獣か変質者か、ギラギラとした欲望に塗れ……
「神聖なる贄よ。よく来ました」
セレスは答えない。
ただ、ゆっくりと近づいていく。
「君で、我が悲願は完成する」
アムアが両腕を広げた。
セレスの足が止まらない。
あと数歩。
あと一歩。
その身体が、アムアの腕の中に収まりかけた――その瞬間。
アムアが顔を上げた。
「……邪魔が入りましたね」
風が吹いた。
森の外から、鋭い魔力の気配が迫っている。
「ですが、もう問題はありません」
アムアは微笑む。
背後のシングラが、生き物のように脈打った。
「制御は完成しました。明日は、我が悲願の達成の日となるでしょう」
次の瞬間、少女たちの足元から闇が広がった。
それは影ではない。
空間そのものが沈むような黒。
アムアと少女たちを包み込み、音もなく飲み込んでいく。
ただ一人。
セレスだけが、その場に残された。
糸が切れたように、地面へ倒れる。
闇が消える。
森に静寂が戻る。
遅れて、その場に現れたのはアリアだった。
杖を構えたまま、周囲を見渡す。
ただ、地面に横たわるセレスだけがいた。
「……なにが起きたんだ」
アリアは低く呟く。
その声には、怒りがあった。
そして、それ以上に。
焦りがあった。




