AIは少女とスラムに行く
カフェを出たあと、ノアとセレスは街の中心から外れるように歩き出した。
石造りの建物が連なる通りは、昼の光を受けて白く輝いていた。
壁には蔦が絡み、窓辺には色とりどりの花が飾られている。
細い路地の奥には、小さな広場があり、カフェや屋台が軒を連ねていた。
陽気な音楽と人々の笑い声が、石壁に反響して柔らかく広がっている。
まるで古く美しい街並みだった。
地球で言うと南欧の街並みに似ていた。
だが、そのまま進み続けると……
通りの雰囲気が、唐突に変わった。
石畳の色が鈍く変わり、人の気配が薄れる。
店は消え、代わりに閉ざされた扉と、割れた窓だけが並ぶ。
空気が、少しだけ重くなった
さらに進むにつれて、石畳は次第にひび割れ、ところどころ崩れているのが目立ち始めた。
建物の白い壁は、壁煤けたように黒ずみ、びっしりと落書きが描かれていた。
誰も歩いていなかった。
ひどく静かだった。
だが、代わりに――無数の視線があった。
窓の奥、路地の影、積まれた木箱の隙間。
誰かが、こちらを見ている。
「……ちょっと待って、ここから先は女子二人では不安なんで」
ノアが足を止め、そのまま路地の奥へ向かって、声をかけた。
「シリウスさん、いますか?」
返事はない。
だが――路地の空気が少しだけ変わった。
微かな足音がノアたちに近づいてくる。
建物の陰から、男が姿を現した。
二十代後半ほどに見える男だった。無駄のない体つきに、無造作に羽織った外套。何か威嚇しているわけでもないのに、彼の周りだけ周囲からの視線が消えているように見えた。
「……本当にきたのかノア」
迫力のある低い声だった。ここで引き返しなという圧が感じられた。
「案内お願いしたいんですけど」
ノアが気軽に言う。
シリウスはセレスを一瞥した。
その視線は一瞬だったが、鋭く、全てを見通すかのような。
「観光か? お貴族様の」
「そう見える?」
シリウスは短く息を吐く。
「まあ、物見遊山というには真剣すぎる顔だな……」
検分されるようにじっと見られて、セレスは緊張したのか動きが止まっている。
「まあ良い。何が目的でも良い。ノアには前に世話になったからな。なら、あんたも客人だ」
それだけ言うと、シリウスは背を向けた。
「来い」
セレスは、ほんの少し遅れて歩き出す。
ノアもそれに続いた。
ほんのちょっと進んだだけなのに、明らかに空気が変わった。
ちょっとだけ暗く、湿っただけなのに、僕の分析は、この場を表するのに「危険」という言葉を選択した。
状況の分析から、最適化された結論だった。
セレスは、ノアも少し、警戒した顔つきになった。
「心配するな。俺がいたら、ここで手を出してくるやつはいない」
通りの奥へ進むにつれて、さらに物騒な雰囲気となっていった。
崩れかけた壁。布を張っただけの住居。
濁った水の入った桶。鼻をつく匂い。
セレスは思わず立ち止まる。
「……ひどい……」
セレスが言った。
路地の暗闇に座り込み、項垂れるボロボロの服の老婆の姿が彼女の目の前にあった。
罵倒する声が聞こえた。
ものが割れる音がした。
赤ん坊の悲鳴のような泣き声がした。
意味不明の言葉で怒る男の声が聞こえた。
シリウスも立ち止まり、振り返りもせずに言った。
「ひどい場所かもしれないがな……」
低く、淡々とした声だった。
責める調子ではない。ただ事実をそのままに、
「俺たちはな、ここで生きてる」
それは説明でも反論でもなく、ただ覆しようのない前提条件なのだった。
三人はまた歩き出した。
少し先で、騒ぎが起きていた。
二人の少年が取っ組み合いになっている。
手には――潰れかけた菓子だった。
「やめて!」
セレスが駆け寄り、二人を引き離した。
「どうしてこんな――お菓子くらいわたしが」
「なあ」
少年の一人が、セレスを見上げる。
「お姉さん、貴族だろ? わかるよ、そのいけすかない雰囲気」
セレスの動きが止まる。
「だったらさ」
少年は笑った。
「全部くれるよな?」
「……え?」
「家も金も」
もう一人の少年も続ける。
「だって可哀想なんだろ? 俺たち。施してくれるんだろ、だったら……」
少年は一度言葉を切って、
「あんたと同じ生活ができるまで俺たちは満足しないよ」
セレス派言葉が出ないようだった。
胸の奥が詰まったような、苦しそうな顔をした。
何か言うべきなのに――何も出てこないようだった。
「……ふざけるなよ。調子に乗ってると、お前らがもってるちっぽけな――なけなしも……全て失うぞ」
シリウスの声があたりに強く響いた。
その目には、怒りも悲しみもなく――ひどく冷たかった。
「冗談だって!」
少年たちは笑いながら後ずさる。
「そんな本気にすんなよ!」
そのまま、逃げるように走り去っていった。
地面には、潰れた菓子の欠片が残る。
セレスはそれを見つめたまま、動けなかった。
「……私は……」
小さく、震える声。
「何も分かっていなかったのですね……」
シリウスが横目でそれを見る。
「貴族のことは知らねえ」
短く言って、
「でもな」
ほんのわずか、口元が動いた。
「あんた、逃げなかったな」
セレスが顔を上げる。
「それは悪くない」
それだけ言って、前を向く。
「戻るぞ」
シリウスは無言でセレスの隣に立った。
三人は暗い通りを引き返した。
しばらくすると、突然、街の雰囲気が変わり、通行人の数も増えていた。
いつのまにか「戻って」いたらしい。
僕らの目の前には広い道路があり、一台の馬車がゆっくりと通り過ぎていた。
中から聞こえた、柔らかな声。
「この先にはパンも食べれずににゴミを漁っている者たちが住むそうですな」
「パンが無いなら……あの菓子――クイニーアマンでも買えばよろしいのに」
上品な笑い声が続く。
セレスは、何も言わなかった。
ただ、その馬車をじっと見つめていた。
*
ところで――
この光景を、セレスの侍女――コレーは近くの建物の壁に引っ付いてじっと監視していた。
気づいているのは僕だけのようなのだが……
実はスラムにいる間もつかず離れず、屋根を伝ったり、壁を駆け上がったりして彼女はこっそりつけてきていた。
コレーって何者?
忍者?




