AIは少女とまたお菓子を作る
学校から解放されたのは随分と遅くなった。ノアが下宿先――酒場オールトに着いたのは、もう夕焼けが街を照らす頃のことであった。
もう酒場の営業は始まっているだろう。シングラという不可抗力があったとはいえ、ハレーおばさんの料理の仕込みに間に合わなかったので、ノアは、この後しばらく営業後の店を手伝うことになる。
ハレーおばさんの人柄に惹かれて気の良い客が集まるし、態度悪い客はおばさんがすぐ追い出すので、酒場に来るのは良い人が多いけれど、やはり大人たちの相手はさすがにノアは緊張するらしい。なので、基本的に、ノアは酒場では調理担当をするとのことだが、森に住んでいた時にはお爺さんの料理を作っていたようなので、酔客が文句言わないくらいの料理の腕はあるとのことだった。
「……さあ、やるか」
帰り道、いろいろあった今日の出来事を振り返って無口になっていたノアだったが、店を前に、自分に気合を入れるように言い、顔をあげるが……
ノアは思わず立ち止まった。
「うわ……」
すごい人だかりだった。
店の前には簡易の台が出され、布をかけただけの即席売り場ができていた。
その上には、きれいに包まれたクイニーアマンが山のように並んでいる。
「いらっしゃいませー! クイニーアマンまだありますよー! 並んでくださーい! 押さないでくださーい!」
ラーラが声を張り上げていた。昨日、発注間違いで死にそうなくらいに落ち込んでいた雰囲気はどこへやら、今は生き生きとお客さんの注文を捌いていた。箱を抱え、走り回り、釣り銭を渡し、また店の中へ駆け込んでいきかけたが、
「あ、ノアさん!」
こっちに気づくと、ラーラはぱっと顔を明るくした。
「聞いてください、バター、さらに追加発注です! 今度はちゃんと注文通りです! 私、もう聞き間違えません!」
「う、うん……それはよかったです……ね」
「私のシティライフ、継続です!」
高らかに宣言して、また客の対応に戻っていく。
テンションが高いラーラと、客の多さに圧倒されながら、ノアは列をすり抜けて酒場の中に入った。
「あれ……」
外はまるで戦場のようだったが、店内に入ってみると意外なことにそれほど混んではいなかった。
クイニーアマン目当ての客は外で捌いているので、中は常連たちが、いつもの席で酒を飲んでいるだけのようだった。
「おう、嬢ちゃん」
声をかけてきたのは、昨夜にシングラ出現ごの排除を行った王都防衛魔術局第三班の魔術師たちだった。
エンケ、フォンテーヌ、タットル、パーカー。
僕は、この時点では彼らとは初見ではあるが、実はこの後にいろいろと深い関わりを4人……
まあ、その話はいつかまたということで、
「なんか疲れてるな」
この店の常連である4人とは、当然ノアとは顔見知りであるようだ。
「えっ……あ、いろいろ……」
「ああ、聞いてるよ。危うく、俺らももう一度出動させられるところだったのだから。出たんだろ?」
首肯するノア。
「学校にシングラなんてな……予測が直前までできなかったって。まあ、昨日も、確かに連絡が遅かったので、ギリギリだったんだけどな……」
「エンケ隊長」
フォンテーヌが注意するようにエンケの名前を呼ぶ。
「……ああ、あんまり喋っちゃいけなんだったな」
エンケが苦笑する。
「喋るより飲みましょうや」
すでにだいぶ飲んでいるらしいタットルは赤い顔で笑って言った。
「事情聴取だの報告書だのでな! 昨夜から一睡もしてねえ! 飲まずにはいあられるもんかってわけでなあ。おばさんに、もういっぱいエールって言ってきてくれ!」
「いや、飲むより寝たほうが良いでしょとは言ってるんですけどね」
パーカーが呆れたように言う。
「奢るならついてくるとお前も言っただろ」
「そりゃ……」
「飲んでストレス解消しないと寝つきも悪いですからね……あ、わたしもエール」
フォンテーヌはそう言いながらグラス半分残っていた酒を飲み干すのであった。
周囲にはオールトの常連たちもすでに飲みにきていた。
大工、荷運び、仕立て屋、顔に傷のある謎の中年、どう見ても昼から飲んでいる以外の生活が想像できない老人。賑やかだが、妙に暖かい。うるさいのに、居心地が悪くない。
みんな親しげに声をかけてくれる中、ノアはあちこちに礼をしながら厨房に入って行った。
「おお、ノア……大丈夫だったかい」
調理中のハレーおばさんが、ノアに気づいて言った。
どうやら、学校でのシングラ出現のことはすでに聞いていたらしい。
「なんとか……」
「無事でよかったよ。生徒で怪我したものもいないって聞いてたけど、あんたに何かあったら森の爺さんに申し訳たたないからね」
ハレーおばさんとノアの祖父とは顔見知りであるとのこと。
そのつてもあって、格安食事付きで下宿させてもらっているのだった。
ただ、
「ごめんなさい、今日遅くなりました」
親しき中にも礼儀あり。
ノアは仕込みの時間に間に合わなかったことを詫びた。
下宿の好条件には酒場を手伝うことも入っているのだ。
「いや、良いよ……それより今日は疲れただろうから、別に手伝わなくても……」
「いえ、今から手伝います。着替えて、すぐ戻ってきます……」
好意に甘えて、サボって後ろめたさを感じるよりも、疲れてしまっても心残りなくスッキリとしたい。
そんなふうにいつも考えている少女――ノアであった。
いつも一生懸命で裏がない。
やはり、地球の乃愛とベクトルの一致を、僕はあらためて確認する。
それに、もう一つ付け加えるのならば、エンケとフォンティーヌの酒の注文を伝え忘れるおっちょこちょいなところもだが……
*
着替えて戻ってきたノアは、そのまま厨房に入った。
オールトの厨房は、広くはないが、導線が料理人目線で整えられていて、随分と使いやすそうであった。
まな板、コンロ、食材がここが最適だろうという位置にピッタリと配置されていた。
シンプルであるが、機能的で美しい調理場であった。
大鍋が一つ、常に火にかかっていた。
煮込み用だろう。別の炉では鉄板が熱されていて、その横には切り分けられた肉と野菜が並んでいた。
壁には香草が束になって吊るされ、塩壺、粉袋、乾燥豆の入った樽が端に積まれていた。
この酒場の料理は、基本的に煮るか、焼くかのようだ。複雑な調理は行わずに、火と鍋と包丁で成立するものがメニューになっているようだ。
だが、都市文化が成熟すれば、料理も自然複雑になってくるものだ。すでに出来上がっている料理を見ると、食材の良さだけに頼るのではなく、火の入れ方、ソースの作り方、香草やバターの調合なども試行錯誤されているようだった。
ハレーおばさんは、間違いなく腕の良い料理人だ。
鍋も鉄板も、ちゃんと手入れされて使い込まれていた。
これだけでも、料理に真剣に取り組んでいるのがわかる。
すでに出来上がっている、どの料理も美味しそうだ。
この酒場が、もし現代の東京にあっても大流行りだろうと太鼓判を押せた。
ただ、基本的にはヨーロッパ中世時代の調理方法で作られているこれらの料理には……
改善の余地があった。
「私、煮込み作ります」
ノアが、肉の煮込みを作るようだ。
「ああ、そうしておくれ」
ハレーおばさんは信頼した様子で返事をした。
ノアは、手慣れた感じで、野菜や肉を切り分けて並べていく。
そして、それを一気に鍋に入れようとするが、
「ノア……ちょっと待ってください」
僕は小声で静止する。
「ん、アイビーどうしたの?」
「肉を先に煮てください。野菜は後です」
「いつも一緒に入れてるけど?」
「今回は分けます」
ノアは少しだけ首を傾げたが、素直に従った。
大ぶりに切った肉を先に鍋へ。
しばらく煮る。
「今、取り出してください」
「え、ここで?」
「はい」
旨味を出しきって硬くなる前に一度逃がす。
次にビーツのような根菜を入れる。
香草はまだ早い。
塩も最後だ。
ハレーおばさんがノアの料理を横目でちらりと見る。
「変わった作り方するね……何か考えがあるのかい?」
「う、うん。ちょっと」
「ふうん」
ノアの調理法にびっくりしつつも、料理人のカンで、それが理にかなっていることに気づいていそうな感じだった。
本来、煮込みとは単純な料理に見えて、その実、工程ごとの意味が大きく異なる。肉は長時間煮れば柔らかくなるが、同時に旨味も流出し、繊維は崩れていく。
逆に、野菜は火を入れることで甘みを引き出すが、入れるタイミングを誤れば形も香りも失われる。
すべてを同時に鍋へ入れるのは効率的ではあるが、それは「平均的な出来」に収束する方法に過ぎない。
だから、工程を分ける。
肉は旨味を抽出するために先行させ……
野菜は食感と香りを残すために後から加える。
その結果、同じ材料でも、層のある味になる。
――単純な順序の変更だが、影響は大きい。
よし。あとは煮込み味が整うのをとろ火にして待つだけだ。
ノアは、鍋から手を離すとハレーおばさんからの指示を待つ。
「……手が空いているなら、ステーキ2枚お願いだよ」
煮込んでいる途中に手が空いたノアは、ステーキを焼くように言われる。
すでに塊から切り分けられていた肉を2枚、鉄板の上にノアは乗せようとする。
「ちょっと待ってください」
「え、アイビー。肉はもう下処理終わっているから焼くだけだよ」
「表面の水分をまず拭いてください」
「……? 焼いちゃえば水分なんて残らないよ」
「まあ、騙されたと思って」
「まあ、良いけど」
ノアは布で肉の表面を押さえる。
そして、すぐに鉄板に肉を移そうとするが、
「まだ置かないでください。鉄板の温度を少し上げてください」
「え? 焦げちゃうよ」
「大丈夫です」
「ほんとかな?」
ノアは鉄板の下の火の魔法へ、もう少し火力を強めるような詠唱を行う。
じりじりと熱される鉄板。
よし、今だ。
「置いてください」
じゅっと肉の焼ける音がする。
ノアは、慌ててひっくり返そうとするが、
「まだ触らないでください」
「でも焦げるんじゃ」
「まだです」
肉はそのまま動かさない。
表面に焼き色がつくまで、ただ待つ。
香りが立つ。
肉のアミノ酸と糖が結びつき、食欲をそそる焦げ目がつく。メイラード反応だ。
ハレーおばさんがびっくりした顔でノアを見た。
「……今の火入れ、いつの間にそんな腕あげたんだい?
「え、えっと……なんとなく?」
「なんとなくで出来るなら苦労しないよ……肉の中に火が通り過ぎないようにしなよ」
もちろんだ。
杖に備わった魔石で温度の走査ができるものがある。
内部の温度が70℃になり、断面がピンク色になったあたりで、
「ノア、今です。ひっくり返して」
「はい。あ、美味しそうな焼き色」
思わず、彼女自身が声を漏らした。
この後は背面はサッと焼くだけで、
「最後に塩です」
「最後? あ、そういやまだふってなかった」
「肉を取り出して……」
焼き上がり、鉄板から取り出して、少しだけ休ませてから塩を振る。
「なんだね、その肉は随分うまそうだねえ」
ハレーおばさんもびっくりした様子だ。
「そのまま、店の方に持っていって。エンケの注文だよ」
ノアは、ステーキをさらに移してソースをかけて、そろそろぐでんぐでんになっている魔術局第三班の連中に肉を出すが、
「おおっ!」
店内から歓声が上がった。
「なんだ今日の肉!」
「やたらうまいぞ!」
「外カリッとしてんのに中やわらけえ!」
タットルの大声が一番響いていた。
パーカーが、
「ちょっと静かに」
と言うが、実は1番感動している声であった。
*
その後に、ノアの作った煮込みも酒場の客に大好評だった。
ハレーおばさんは、いったいいつの間にノアがこんなに料理が上手くなったのかとびっくりするが、
「こりゃ、私も負けられないね……」
と笑いながら言う。
「そろそろ、部屋に戻りな。宿題とかあるんだろ」
「はい」
ノアはかるく会釈をして、歩き出そうとするが、
「おい、嬢ちゃん! 来てくれ」
酒場からエンケの声がする。
何かと思って、ノアが酒場に行ってみれば、そこにいたのは、
「ノア……家庭訪問だ」
フォンテーヌとジョッキを乾杯しながら――
獲物を狙う猛禽類のごとく、ノアを鋭い目つきで見るアリアなのであった。




