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真夜中の迷い猫ラジオ  作者: ゆも
第二章 居場所のないもの

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9/16

第9話:フォロワーが増えない河童

 その夜、サボリの声はいつもより少しだけ、心底あきれ返ったような響きを孕んでいた。


「……フニャ。ハイどうも。時刻は午前一時二十二分。『真夜中の迷い猫ラジオ』、サボリです。今夜は……あー、なんか、無駄に現代文明に毒されたメールが届いてます。はい、読みます」


 カサリ、と紙をめくる雑な音。


「ラジオネーム『皿が乾く』。……河童、ですね。年齢不詳。拝読します」


「『サボリさん、はじめてメールします。私は河童なのですが、半年前からSNSのアカウントを開設しました。河童文化の普及と、河童に対する誤解を解くことが目的です。毎日欠かさず投稿しているのですが、フォロワーが現在十二人で、そのうち八人は知り合いの妖怪(天狗や泥田坊など)です。人間のフォロワーがなかなか増えません。バズるというものを一度経験してみたいのですが、どうしたらいいでしょうか。ちなみにアカウント名は「河童・次郎・公式」です』……以上です」


 深い、深いため息がスピーカーを震わせた。


「……知らんがな」


 花は毛布の中で、思わず声を殺して笑った。


「だいたい、アカウント名に『公式』とかつけるから、何の公式か分からなくて詐欺アカウントみたいに怪しまれるんですよ。あと河童文化の普及って何ですか。キュウリへの異常な情熱なのか、相撲の決まり手なのか、それとも川の水質保全への取り組みなのか、中身がボヤけてるんですよ」


 爪が机をカチカチと叩く、不機嫌な音が響く。


「おい、眠れない会社員。お前のことだ。明日の昼休みにでも、お前のその板切れ(スマホ)で、そいつの泥臭いアカウント見てやりなさい。フォローくらいしてやれ。……あと、SNSだか何だか知りませんけど、大事なのは中身よりも『継続』らしいですからね。半年間、誰も見てないのに毎日投稿してるなら、それだけで大した変態ですよ。じゃ、閉店」


 プツッ。


 電波が切れた。


 翌日の昼休み、オフィスビルの非常階段の踊り場で、花はコンビニのサンドイッチを齧りながらスマホを開いた。


「河童・次郎・公式」と検索してみる。


 ──一発で見つかった。


 アイコンは、お世辞にも上手とは言えない緑色の自撮りシルエット。プロフィール文には『河童文化の普及と正しい河童理解を目指して発信中。誤解されがちですが、現代の河童はキュウリだけでなくトマトもよく食べます』とあった。


 スクロールして、過去の投稿を遡っていく。


 最初の数ヶ月は「河童とは何か」という、ウィキペディアを書き写したような硬い長文ばかりが並んでいた。


 画像もなく、文字だけ。当然、フォロワーは三人。


 けれど、二ヶ月目を過ぎたあたりから、少し様子が変わっていた。


『今日の河童飯』という短いキャプションとともに、少し歪な形をしたキュウリの糠漬けの写真が上がっている。


『河童もたまには自炊します。人間の皆さんの糠床、隠し味に何を入れてますか』。


 これにはフォロワーが九人。


 さらに三ヶ月目。


『川の水質を調べてみた』という投稿。フィルターもかかっていない、素朴な地元の川の写真と、パックテストの数値が並んでいた。


『この川、私が子供の頃よりずっと綺麗になってます。人間の皆さんがゴミを拾ってくれているおかげです。ありがとうございます』


 そこで投稿は止まっていた。フォロワーは十二人。


 花はスマホの画面を見つめたまま、最後の一枚の、夕暮れの川の写真を見つめた。


 ……いいな、と思った。


 お世辞にも洗練されたアカウントじゃない。


 映えてもいない。


 でも、誰も見ていない暗闇に向かって、この河童は半年間、ずっと自分の言葉を発信し続けていたのだ。


 誰も気づいてくれないのに、毎日、ため息を噛み締めながら。


 それは、少し前の、この部屋で一人で泣いていた自分の姿に、あまりにも似すぎていた。


 花はメモアプリを開いてアドバイスを整理しようとしたが、すぐにそれを止めた。コンサルタントみたいな理屈はいらない。


 サボリではなく、その緑色のアイコンのDM画面を直接タップした。


 打ち込んだのは、ほんの短い、拙い言葉だった。


『はじめまして。深夜のラジオを聴いて、飛んできました。

私は、次郎さんが載せていた「川の水質」の投稿がすごく好きです。誰も見ていなくても、人間のことを「ありがとう」と言ってくれる次郎さんの優しさに、胸がじんとしました。また川の写真、見たいです。応援しています』


 送信ボタンを押す。


 それから、そっとフォローボタンをタップした。画面の隅で、フォロワーの数字が「13」に変わるのを、花は静かに見届けてスマホをポケットに仕舞った。


 数日後の深夜、いつもの砂嵐の向こうから、サボリの声が繋がった。


「……あー。あの、皿が乾きかけてた河童から、なんか鼻血が出そうなほど興奮した続報が届きました。お前が送ったDMに感激して、あいつ、川の過去投稿にハッシュタグとかいう蜘蛛の糸みたいなのを必死にくっつけて再投稿したらしいですよ。それがどっかの環境系の大手アカウントに拾われて、フォロワーが二百人になったとのことです」


 花は布団の中で、ガバッと目を丸くした。


「……本人は『大バズりしました!川の神様ありがとう!』と大騒ぎしていますが、二百人をバズと呼ぶかどうかは、まあ、本人が泣いて喜んでるならいいでしょう。……お前が最初に、石を投げ込んだらしいですね」


 少し間があった。マイクの向こうで、サボリがふっと鼻を鳴らす気配がした。


「まあ……最初の一人、というのは大事なもんですよ。何事もね。お前がうちのラジオのツマミを最初に回した夜みたいに。……じゃ、今夜は本当に閉店」


 プツン。


 電波が切れ、いつもの静寂が部屋に戻ってきた。


 花は急いでスマホを開き、「河童・次郎・公式」の画面を開いた。


 フォロワーは「217」に増えていた。


 最新の投稿には、夕暮れのオレンジ色の光が、細かく波立つ水面にきらきらと反射している美しい写真が上がっていた。


『今日も川は綺麗でした。見ていてくれる人が、この世界に一人でもいると分かったので。私は、もう少しだけ、ここで発信を続けようと思います』


 花は、その健気な緑色のアイコンに向けて、そっと「いいね」のハートをタップした。


 最初の一人。


 サボリの言ったその言葉が、胸の奥で、あたたかい波紋のように広がっていく。


 それは河童だけでなく、サボリにとっても、そして、私にとっても。


 スマホを枕元に置き、花は毛布を頭まですっぽりと被った。


 目を閉じると、瞼の裏に、あの夕暮れの美しい川の水面が優しく広がった。


 明日もまた、がんばろう。そう思いながら、花は静かに、深いあたたかな闇へと沈んでいった。

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