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真夜中の迷い猫ラジオ  作者: ゆも
第一章 砂嵐の向こう側

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7/11

第7話:柿の木のある家

 十月十五日の朝は、よく晴れていた。


 花は早めに家を出た。


 供養祭が何時から始まるのか、掲示板には書いていなかった。でも朝のうちに行けば、何かが分かる気がした。何かが、というのが何なのか、自分でもよく分からないまま、上着を着て鍵を持って、外に出た。


 住宅街の木々が、昨日より少し色づいていた。


 神社の参道に近づくと、人の気配があった。


 供養祭、といっても大げさなものではなかった。社務所の前に折り畳みのテーブルがひとつ出ていて、地域の人が数人、思い思いに集まっている。線香の煙が細く立ち上がって、秋の空気に溶けていた。


 テーブルの上に、一枚の写真が置いてあった。


 サバトラの猫だった。


 少し太めで、毛並みがよくて、どこか眠たそうな目をしている。


 花は足が止まった。


 写真の猫が、サボリに似ていた。いや、似ているというより。


 「来てくれたの、ありがとうねえ」


 近くで声がして、花は顔を上げた。


 小柄な女性が立っていた。


 白髪を丁寧にまとめた、背の小さな人。深く刻まれた皺と、穏やかな目。花はその顔を見た瞬間、息が止まりそうになった。


 ビジョンの中で見た、縁側に座っていた人だった。


 女性は花を、地域の顔見知りだと思っているらしかった。柔らかく微笑んで、写真の前に置かれた小皿に目を落とした。小皿には、ペースト状のおやつが絞り出されていた。


「この子、ペーストが大好きでねえ。まぐろ味しか食べなかったの。わがままな子だったから」


 女性が、懐かしそうに言った。


 花は何も言えなかった。


 喉の奥に、言葉が詰まっていた。あなたの猫を知っています、と言いたかった。でも、どう説明すればいいのか分からなかった。深夜のラジオで、だるそうな声を聴いていました。あの猫は今も、砂嵐の向こうにいます。そんなことを、この人に言えるはずがなかった。


 「よく食べてよく寝て、気ままに生きた子だったわ。いい子だったわよ、本当に」


 女性が、また微笑んだ。


 そのとき、近所の人らしき男性が「寒くないですか、中で休みましょう」と声をかけてきた。女性は「ありがとうねえ」と言って、ゆっくりと社務所の方へ歩いていった。


 花はその背中を、黙って見送った。


 話しかけられなかった。


 ただ、あの人がどんな顔をしてサボリを待っていたか、花にはもう分かっていた。   


 ──よく食べてよく寝て、気ままに生きた子。


 サボリは今も、あの異界の片隅で、全然変わらないまま「ダルい」と文句を言っているのだろう。


 そして文句を言いながら、迷子の背中をそっと押している。


 花は写真の猫に心の中で「ちゃんと届けたよ」と告げて、境内を後にした。


-----


 それから、どれくらい歩いただろう。


 サボリの気配を探すように、花は住宅街の路地をあてもなく歩き続けていた。


 気づけば、斜めから差し込んでいた光は平らになり、影が長く伸び始めていた。

 

 路地の向こうに、何かが見えた気がしたのは、その時だった。


 見えた、というより、透けていた。


 陽炎のように、空気が揺れている場所があった。その向こうに、縁側のある古い木造の家が、薄く重なって見えた。柿の木が一本、庭に立っている。


 花は路地に入った。


 一歩、また一歩。


 近づくほどに、輪郭が薄れていく。


 角を曲がると、ただの住宅街が続いていた。


 駐車場と、新しいマンションと、コンビニの駐輪場。縁側のある家なんて、どこにもなかった。


 花はその場に立って、もう一度、さっきまで景色が揺れていた方向を見た。


 何もない。


 風が吹いて、乾いた葉が一枚、アスファルトの上を滑っていった。


 見つからなかった。


 でも、確かに見えた。


 柿の木も、縁側も、あの午後の光の角度も。夢でも記憶でもなく、今日の秋の空気の中に、一瞬だけ重なっていた。


  花はカバンの中のラジオに、そっと手を当てた。

 冷たい金属の感触が、手のひらに伝わってくる。


「……見つからなかった」


 小さく言った。


 返事はない。


 でも、花はなぜか、それでいいと思った。


 まだ、見つかる時じゃないだけだ。いつか、このラジオがまた、あの懐かしい声を拾う日が来る。


 花はアパートへ向かって歩き始めた。


 住宅街の空に、あの縁側の柿の木と同じ色の夕焼けが、静かに、どこまでも広がり始めていた。

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