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真夜中の迷い猫ラジオ  作者: ゆもニャ
第二章 居場所のないもの

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第32話:最後の一件

サボリが「何かが動いている」と告げた翌日から、明らかに様子がおかしくなった。


 夜中にラジオのツマミをどれだけ慎重に回しても、異界へと繋がらない夜が虚しく続いた。


 一日目。ただ冷たい砂嵐がザザザーと鳴り響くだけで、サボリの声は掠りもしなかった。


 二日目。耳をすますとかすかに声のようなものが聞こえた気がしたが、すぐにプツリと切れた。


 三日目。やはり、ただの砂嵐しか聞こえなかった。


 不安に駆られた花は、すぐに蓮にメッセージを送った。


『ラジオが繋がらないです』


 すぐにスマートフォンの画面に返信が届く。


『こっちもさっき試してみたけど、俺は元々繋がりにくい体質だから、電波が悪いだけなのか判別がつかなくて。みやびさんは何かおっしゃってますか』


 花はロフトを見上げて、みやびに現在の状況を訊ねた。


 みやびは小さな膝を抱えたまま少しの間考え、「現世と異界の……境界が、ひどく厚くなっている気がします」と静かに言った。


「意図的に、向こう側の誰かが壁を分厚くして、こちらを遮断しているような……」


「邪魔をしようとしている気配がある、とサボリが言っていましたね」花は思い出す。


「はい」


 みやびは悲しげに目を伏せた。


「あと一件でお悩みの件数が溜まり、契約が満たされてしまうと分かって、それを何としてでも阻もうとしているのだと思います」


 四日目の夜。花は重苦しい空気のなかラジオの前に座り、ツマミをミリ単位でゆっくりと回した。


 砂嵐。砂嵐。冷たいノイズが部屋を満たす。

 半ば諦め、ツマミから手を離そうとしたそのとき、スピーカーの奥から掠れた声が滑り込んできた。


「……フニャ……」


 ひどく遠かった。地の底から響くようで、激しい砂嵐に埋もれて消えてしまいそうなほど微かな音だった。でも、間違いなくサボリの声だった。


「サボリ!」


 花はラジオにすがりつくように叫んだ。


「……花……聞こえます……か」


「聞こえる、聞こえるよ!」


「……向こうが、執拗に妨害をして……います。ラジオへと繋がる……霊的な経路を、完全に塞いでいる」


「誰がそんなことをしているの?」


「……異界の……『管理者』、です。私が……これ以上お悩みを解決して、契約を満たしそうに……なったので。私をあちら側のシステムとして、手放したくない……らしい」


 サボリの声は、一言ごとに激しいノイズで途切れ途切れになった。


「最後の一件は、何なの? どんなメールが来ているの?」


 花は必死に訊ねた。


「……それが……まだ、こちらのポストにすら、来ていない。妨害のせいで……新しいお悩みメールが……一切届かない状態です。向こうの奴らが……入り口を完全に封鎖している」


「どうすれば届くようになる? 何か方法はないの?」


「……ラジオを……私が元いた場所に……少しでも近づければ、現世からの引力で、経路が……一瞬開くかもしれない。依代が……その土地の記憶に近いほど……境界の壁が薄くなる……」


「神社の裏手、だね」


「……そこなら……」


 そこでサボリの声は完全に途切れ、あとにはただ、冷酷な砂嵐の音だけが残された。


 花はラジオをそっと膝の上に置いた。いつの間にか、みやびが花のすぐ隣に座っていた。


「聞こえていましたか」


「聞こえていました」


 みやびは頷いた。


「神社の裏手に行けば、経路が開く。でも、向こうの管理者が本気で妨害している以上、ただラジオを持って行くだけでは、押し負けてしまうかもしれないです」


「足りない、というのは……?」


「こちらが境界を開こうとすれば、向こうも全力で抵抗して閉じようとしてくる」


 みやびの小さな手に、ぎゅっと力がこもる。


「管理者が本気で妨害してくるとなると、私一人だけの力では、境界を支えきれないかもしれない。蓮さんの……『記録する力』『認識する力』も必要です」


 花はすぐに蓮に電話をかけ、スピーカーモードにして事情を伝えた。


「全部聞いてました、スマホ越しに」


 蓮の声には、一切の迷いがなかった。


「行きますよ、その神社へ。いつ決行しますか」


「明日の夜」


 花は言った。


「一般の参拝客がだれもいなくなって、社務所も閉まった後の方がいいと思う。静かな方が、きっと繋がりやすいから」


「分かりました。……ところで花さん、一つだけ聞いていいですか」


「何ですか」


「もし、これで最後の一件がうまくいったら……サボリは、いなくなりますよね。このラジオの深夜営業も、本当に閉店になる」


 少しの間、携帯の向こう側で静かな沈黙が流れた。


「……そうだと思います」


 花は胸の奥を締め付けられながら答えた。


「……寂しいですね」


 蓮がぽつりと言った。


「うん、寂しい。……でも、大好きな場所に、帰してあげたいから」


「そうですね」


 蓮の声に、覚悟が宿る。


「行きましょう」


 翌日、花は仕事を終えてから、あのおばあちゃんに連絡を取ろうとした。


 けれど、重大なことに気づいた。何度も境内で話し込んできたというのに、お互いの電話番号も名前すらも、まだ交換していなかったのだ。


 花は焦りながらも、あの神社の社務所の番号を調べてすぐに電話をかけた。


 出た神職の男性に、必死に事情を説明する。


「以前、猫の供養祭に来ていらっしゃった小さなおばあちゃんに、どうしても連絡を取りたいんです。コテツというサバトラを飼っていらっしゃった方で……」


「少々お待ちください」


 保留音の後、戻ってきた神職の男性は困ったように言った。


「個人情報ですので、こちらから直接連絡先をお教えすることは規約上できないのですが……ただ、その方なら私どももよく存じ上げておりますので、こちらから緊急の伝言としてお伝えすることなら可能です」


 花は、藁にもすがる思いで伝言を託した。

『今夜、神社の裏手の木陰に来てほしいです。コテツくんのことで、とても大事な話があります』


 突然の不審な夜の呼び出しだ。伝わるかどうかも、来てくれるかどうかも分からなかった。けれど、今の自分にやれることはすべてやった。


 夜、深い闇が降りる頃、花と蓮、そしてみやびの三人は車を走らせて神社へと向かった。


 蓮が境内の端に車を止め、静まり返った鳥居をくぐった。月明かりだけが頼りの暗い参道を歩き、拝殿のさらに奥、うっそうとした社叢しゃそうの裏手へと回る。


 そこには、大きな古木が何本もそびえ立ち、夜の冷たい秋風が梢をさらさらと揺らしていた。


 花は、この場所に強い見覚えがあった。


 まだ子供だった頃、夏祭りの賑やかさから取り残されて、泣きながら一人で迷い込んだ場所。そして、どこか面倒くさそうな、けれど優しい野良猫の声が聞こえてきた、あの始まりの場所だ。


 今夜は秋の月が、三人の影を静かに地面へ落としていた。


「ここですね」


 蓮が周囲を見渡す。


「うん、ここ。サボリがいた場所」


 花が頷く。


 みやびが歩み寄り、一番大きな木の根元にそっと小さな手のひらを当てた。そっと目を閉じ、大地の気配を読み取るように息を潜める。


「ここは、確かに境界が薄くなっています」


 みやびが目を開けた。


「サボリの気配が濃く残っている。彼が長くこの世に留まり、誰かを待っていた場所だからです」


「ここに、ラジオを置きます」


 花はカバンから古い防災ラジオを取り出し、大木の根元の窪みにそっと設置した。そして、祈るようにツマミをゆっくりと回す。


 ザザ……ザザザ……。


 ノイズが響き渡る。けれど、いつもの部屋での砂嵐とは明らかに違っていた。重苦しい圧迫感があり、スピーカーの向こう側から、目に見えない巨大な壁がこちらを押し返してくるような、激しい抵抗の気配を感じる。


「みやび!」


 花が声をかける。


「はい。……始めます」


 みやびは木の根元に端座し、着物の袖を整えて静かに目を閉じた。みやびの身体の周りで、微かに神聖な空気が揺らぎ始める。


 蓮が、花のすぐ隣に一歩踏み出して並んだ。


「花さん、俺は何をすればいい?」


「サボリへの経路を開くために、私たちの声を重ねるの。以前、お地蔵さんたちの時や、強い怪異のときにやったみたいに。私たちの『認識』を一つにして、向こうに届ける手伝いをしてほしい」


「了解です。やります」


 蓮が強く頷いた。


 花はラジオのツマミをさらに回し、スピーカーに向かって叫んだ。


 しかし、それに応じるようにザザーッという砂嵐がさらに狂暴に膨れ上がる。向こう側の管理者が、本気で境界の裂け目を押し潰そうと抵抗しているのだ。


「サボリ! 聞こえますか! 私たちはここにいます! あなたが昔いた、神社の裏手の木陰にラジオを持ってきました! みやびが境界を支えてる! 蓮さんも一緒にいるよ!」


 花の必死の叫びに、激しい砂嵐が一瞬、ぐにゃりと歪んだ。


 そのとき――パキ、と境内の奥から小さな小枝を踏む音が聞こえた。


 花と蓮がハッとして振り返ると、暗い参道の向こうから、ひとつの小さな光が揺れながら近づいてくるのが見えた。


 懐中電灯を手に、足元を確かめながらゆっくりと歩いてくる、小柄な人影。


 おばあちゃんだった。

 神社の伝言が、ちゃんと届いていたのだ。

 おばあちゃんは花のすぐ隣まで来ると足を止め、息を切らせながら、不思議そうに周りの光景を見渡した。


 暗闇で必死にラジオにすがりつく花と蓮、そして大木の根元で目を閉じている不思議な少女みやびの姿を。


「……来ましたよ」


 おばあちゃんは、夜の静寂に溶けるような、穏やかな声で言った。


「コテツのことで、どうしても大事な話があるって聞いたから」


「おばあちゃん、来てくれて本当にありがとうございます!」


 花は涙をこらえながら言った。


「少しだけ、そのまま待っていてください。今、あの子と繋ごうとしているんです!」


 おばあちゃんは事情が掴めないはずなのに、花の必死な目を見て、黙って深く頷いてくれた。


 花は再びラジオへと向き直り、全身の力を込めてツマミを微調整した。ノイズが耳をろうするほど激しく渦巻く。


「サボリ!」


 花は声を張り上げた。


「聞こえてる!? ここに、もう一人、来てくれているの!」


 花は両手でラジオを持ち上げ、そのスピーカーをおばあちゃんの方へと真っ直ぐに向けた。


「サボリ! あなたを、三年もの間、ずっとずっと待ち続けていた人が、今ここにいるよ!」


 その瞬間、ラジオの向こうの暴風のような砂嵐が、ピタッと動きを止めた気がした。


 おばあちゃんは、花の持つラジオの前にゆっくりと腰を落とした。懐中電灯の光が地面を照らすなか、その古びた防災ラジオをじっと見つめる。


 おばあちゃんには、そこにサボリの魂がいるなんて見えないはずだった。けれど、その瞳には確信が満ちていた。


 おばあちゃんは、優しく、愛おしそうにスピーカーへ向かって語りかけた。


「……コテツ。おいで」


 その声は微かに震えていたけれど、どこまでも、どこまでも温かかった。


 それは三年前、この神社の裏手の木陰で、毎日のように二人の間で交わされていた、世界で一番優しくて切ない、秘密の約束の言葉だった。


 ――ザザバキィィィンッ!!!


 次の瞬間、ラジオのスピーカーから、まるでガラスが派手に粉砕されたかのような、凄まじい衝撃音が爆ぜた。


 異界の「管理者」が張っていた強固な封鎖の壁を、そのたった一言の「名前」という絆が、力任せに粉々にぶち破ったのだ。


 さっきまで境内を狂ったように揺るがしていた激しい砂嵐が、嘘のように一瞬で消え去り――あたりは、しんと静まり返った。

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