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真夜中の迷い猫ラジオ  作者: ゆもニャ
第二章 居場所のないもの

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第28話:雨の河原

 その夜は、ひどい雨が降っていた。


 冬の終わりを告げる冷たい雨が、容赦なく窓ガラスを叩く音が、静かな部屋を満たしていた。


 花がラジオのツマミを回すと、今夜はいつもより早く電波が繋がった。


 ザザ……。

 

「……フニャ。ハイどうも。時刻は午前一時三分。『真夜中の迷い猫ラジオ』、サボリです。今夜は……」


 スピーカーの向こうで、奇妙ながあった。


「……珍しいハガキ(メール)が届いています。読みますよ」


 紙をパサリとめくる音。それから、いつもならすぐに始まる毒舌が、今夜は長い沈黙に遮られた。


「ラジオネーム……名前はありません。……猫の霊、ですね。拝読します。

『お願いがあります。私は先日、車にはねられて死にました。子供が六匹います。茶白が二匹、黒猫が二匹、茶トラが一匹、三毛が一匹。今夜、元の飼い主が、雨の中、河原に捨てに行っています。外は激しい雨で、子猫たちはまだ乳も離れていません。今夜中に誰かに助けてもらわないと、朝までもたない。お願いします。できれば、あなたのラジオに関わっている人間に、あの子たちを育ててほしい。あの人たちなら、信用できるから。難しければ、誰か信用できる人につないでください』……以上です」


 深い、深い沈黙がラジオから溢れ出す。


 サボリの声は、いつもと少し違っていた。


 だるさは消え失せ、押し殺したように平坦で、冷え切っていた。


 花は、冷たいプラスチックのラジオを強く握りしめた。


「……知らんがな、とは言えませんね。流石の私も」


 サボリの声が、低く震えた。


「猫の霊が、人間に頭を下げてくるなんて。よっぽどのことですよ。……おい、花。今夜、動けますか」


「動けます」


 花は受話器に向かうように即答した。


「河原というのは、龍水川りゅうすいがわのことですか」


「あの下流の河川敷が一番可能性が高い。飼い主の車を一時的に止められて、この雨なら人通りも皆無だ。今夜中に見つけないと、子猫たちの体温は朝まで残らない」


「すぐに準備します」


 花は上着を掴んだ。


「でも、六匹全部を私の部屋だけで育てるのは難しいかもしれない。……それでも、何匹かだけでも、必ず引き取ります」


「……」


 サボリは少し言葉を詰まらせ、それから、電波のノイズに紛れ込ませるようにポツリと言った。


「その連れが猫好きかどうかは知りませんが。……まあ、頼めるなら巻き込みなさい。急いで。……あと」


「なにか?」


「……その母猫の執着を、無駄にしないでやってください」


 プツン。


 砂嵐の音だけが残された。


 花はすぐにロフトから下りてきたみやびに事情を話した。


 みやびは小さな膝を抱え、静かに花の話に耳を傾けていた。


「子猫を、六匹ですか」


「うん。今夜中に保護しないと危ないみたい。もしかしたらこの部屋で猫を飼うことになるかもしれないけれど、みやびは大丈夫?」


 みやびは少しだけ首を傾げ、それからふわりと微笑んだ。


「昔、長く住んでいた古いお屋敷にも、たくさん出入りしていましたから。猫は好きです。それに……賑やかになるのは、良いことです」


「よかった。じゃあ、今夜も一緒に来てもらえる?」


「もちろんです、花さん」


 蓮への電話は、わずか二回のコールの後に繋がった。


「花さん、俺も今、ラジオを聴いていました」


 蓮の声には、すでにコートを羽織ったような緊張感があった。


「繋がってたんですか、今夜」


「たまたまツマミを回したら、サボリの声が聞こえて。……だから、もう準備はできてます。車に小さな毛布と、低温カイロと、折りたたみのキャリーケースを積みました。今から五分で迎えに行きます」


「……猫、引き取れますか」


 花は恐る恐る訊ねた。ペット不可の物件に住んでいるはずの蓮に、それは酷な質問かもしれないと思った。


「引き取りますよ。絶対に」


 蓮の返答は、一瞬の迷いもない即座のものだった。


「今はペット不可のマンションだけど、猫のためにすぐ引っ越します。審査が通って部屋が決まるまでの間、花さんのところで一緒に預かってもらえますか。……半分、三匹は俺が責任を持って一生面倒を見ます」


「私も、残りの三匹をここで育てます」


 花は胸が熱くなるのを感じた。


「決まりですね」


 蓮の声が少しだけ和らいだ。


「すぐ行きます」


 激しい雨の中、車は龍水川の下流へと突き進んだ。


 容赦ない雨粒がフロントガラスを打ち据え、ワイパーが激しく往復する。


「河川敷の、車を寄せられる場所……」


 蓮がハンドルを握り締めながら目を凝らす。


「一箇所、心当たりがあります。あの辺りは街灯も途切れるし、夜中に不法投棄が絶えない場所だから」


「……嫌な意味で、そういう場所に詳しくなっちゃいましたね」


 と花が言うと、蓮は少しだけ苦笑した。


 そのとき、後部座席からみやびが、窓ガラスに小さな額をくっつけたまま、じっと闇の先を指差した。


「……気配がします」


「猫たちの?」


「はい。とても小さくて、壊れそうな命の灯火が、あそこに集まっています」


 みやびが指し示した暗闇の先へ、蓮はヘッドライトを消して、ゆっくりと車を滑り込ませた。


 河川敷へと続く泥だらけの細い道。古い街灯が一本だけ、雨の中で滲んだ光を落としていた。


 その街灯の真下に、見慣れない軽自動車が停まっている。


 蓮が手前でエンジンを切ると、車内は一瞬で激しい雨の音だけに支配された。


 街灯の下、一本の傘が動いた。


 レインコートを着た男だった。その手には、泥に塗れた大きめの段ボール箱。


 男は早足で草むらの奥へと踏み込み、地面にしゃがみ込んで箱を置いた。


 そして、罪悪感から逃れるように一度だけ周囲をせわしなく見回すと、走って車に飛び乗り、ライトを点けて去っていった。


 赤色灯の消えた闇に、また雨の音だけが戻る。


「……行きましょう」


 花たちは一斉に車を飛び出した。冷たい雨が容赦なく体温を奪っていく。


 草むらの端、ずぶ濡れになりかけている段ボール箱を見つけ、花がしゃがみ込んで蓋を開けた。


「……っ」


 息が止まった。いた。


 押し潰されそうなほど、六匹の小さな塊が身を寄せ合っていた。


 茶白が二匹、黒猫が二匹、茶トラが一匹、三毛が一匹。まだ開いたばかりの頼りない目で、激しい雨の音に怯えながら、ブルブルと激しく震えている。


 けれど、花がそっと冷えた手を差し入れると、一番近くにいた茶白の子猫が、小さな鼻先を花の指にピトッとくっつけてきた。生きようとする、微かな熱だった。


「……いた。みんな、生きてる」


 花の声が、涙混じりに震えた。


 蓮が手際よくキャリーケースを広げ、みやびがその底に小さな毛布と、優しく温まった低温カイロを敷き詰めていく。


「一匹ずつ、移しますね」


 花は壊れ物を扱うように、丁寧に、丁寧に、六匹の小さな命をケースへと移し替えていった。どの身体も驚くほど小さく、綿毛のように軽かった。


 最後の一匹を納め、蓮がしっかりと蓋を閉める。雨足はさらに強まっていた。


「早く車へ!」


 暖房を効かせた車内。足元のケースから、か細い鳴き声が漏れ聞こえてきた。


「みあーん……みゃあーん……」


 それは小さく、けれど紛れもない「生」の主張だった。


「生きてますね」


 花が隣を見ると、蓮も前を見つめたまま「はい、生きてます」と深く頷いた。


 みやびは後部座席で、ケースの蓋にそっと小さな手のひらを当てていた。


 魔法を使うわけではない。


 ただ、その温もりを子猫たちに分け与えるように。


 花はカバンから古い防災ラジオを取り出した。


 ツマミを回す。


「サボリ。六匹、全員無事に保護しました」


 ザー……という微かな砂嵐の奥から、すぐに声が返ってきた。


「……そうですか」


 いつもより、ずっと、ずっと低い声だった。


「全員、ちゃんと生きています」


「……そうですか」


 同じ言葉だった。


 けれど、その「そうですか」に含まれた重さは、いつもの意地悪なトーンとは全く違っていた。


「母猫に、伝わりますか。みんな無事だよって」花が訊ねた。


 少しの間のあと、サボリは静かに告げた。


「……伝わりますよ。もう、その気配はここにはありません。安心して、現世の未練を切って逝けたようです」


 そのとき、スピーカーの奥から、微かに「クルル……」と喉を鳴らすようなノイズが聞こえた気がした。


 それはあの優しいおばあちゃんに見送られた記憶を懐かしむような、ひどく穏やかで、優しい音だった。


 花はラジオをそっと膝の上に置いた。


 足元のケースから、また小さな声が響く。みあーん。


 蓮がハンドルを強く握り直しながら、ポツリと言った。


「……本当によかった」


「ええ、本当によかった」


 バックミラーの中のみやびも、静かに、優しく微笑んでいた。


 朝を迎え、蓮は午前中の時間を使って子猫たちを動物病院へと連れていってくれた。


 花は仕事を休めなかったため、夕方まで病院に預かってもらう手配を蓮に任せ、退勤後に大急ぎでペットショップへと走った。


 子猫用の粉ミルク、哺乳瓶、離乳食、専用のトイレに猫砂、小さなベッド。両手いっぱいに大きな袋を下げて動物病院へ向かうと、カウンターの奥から優しそうな獣医師が出てきた。


「六匹とも、発見時は軽い脱水と低体温症を起こしていましたが、初期処置が早かったおかげで全員持ち直しましたよ。本当にファインプレーです」


 先生は笑顔でそう言ってくれた。


「ただ、まだ離乳前ですから、しばらくは数時間おきの授乳が必要になります。大変ですが、頑張ってくださいね」


「はい、頑張ります」


 花はしっかりとケースを受け取った。


 会計を済ませる最中、スマホに蓮からメッセージが届く。


『病院代、僕のカードで一括で払っておきました。初期投資ってことで! それに、あの母猫が僕たちを指名して助けを求めてくれたんだから、全力で応えるしかないですよね』


 花は思わず口元を綻ばせ、画面をタップした。


『ありがとうございます。私も全く同じ気持ちです。バディですから』


「おかえりなさい、花さん」


 マンションの部屋に戻ると、みやびが玄関まで迎えに出てきてくれた。


 リビングの床にキャリーケースを置き、そっと扉を開放する。


 すると、中からよちよちとした足取りで、六匹の小さな塊が転がり出てきた。


 みやびはその場にしゃがみ込み、一匹ずつの顔を慈しむように見つめている。


「この子たちに、お名前はありますか」


「これから決めるの。蓮さんと相談して、三匹ずつ分けるつもり」


 みやびがそっと指先を差し出すと、一匹の茶白がその指に小さな鼻をくっつけてクンクンと匂いを嗅いだ。


「この子は、とてもおっとりしていますね」


「あっちの黒猫は、さっきからずっと元気に歩き回ってる」


 花も微笑みながら、リビングを這う小さな命たちを見つめた。茶トラが一番のやんちゃで、三毛猫が一番の引っ込み思案のようだった。


 その夜、仕事を終えた蓮が、大きなキャットタワーの箱を抱えて部屋にやってきた。


 床に座り込み、六匹に囲まれながら、蓮は一匹ずつ顔を覗き込んだ。


「どの子を引き取るか、決めましたか? 蓮さん」


「うーん、迷うけど……」


 蓮は目尻を下げて、一匹の茶白、茶トラ、そして活発な方の黒猫を抱き上げた。


「この子たちにします。僕の新しい部屋が決まったら、一緒に引っ越します」


 必然的に、花の家には残った茶白、もう一匹の黒猫、そしておとなしい三毛猫が残ることになった。


「名前、もう考えてきたんでしょう?」


「はい」


蓮は照れくさそうに笑った。


「僕の方は、茶白が『ラテ』、茶トラが『モカ』、黒猫が『ルウ』にします」


「可愛い。私の方はね、茶白が『そら』、黒猫が『のあ』、三毛が『うに』にするって決めてたの」


 みやびは二人の傍らで、それぞれの名前を反芻するように、子猫たちの顔を順番に見つめていた。


「どの子も、とても良いお名前ですね」


 六匹のよちよち歩きが、二人の足元を忙しく巡る。ルウが蓮のジーンズをよじ登って膝の上で丸くなり、ラテが花の足首に身体を擦りつける。


 そして、おとなしい三毛の「うに」が、トコトコとみやびの着物の裾へと近づき、その匂いを不思議そうに嗅ぎ始めた。


 みやびは目を細め、そっと「うに」の頭を撫でた。手のひらは通り抜けない。確かに、その小さな柔らかい毛並みを捉えていた。


「……この子は、私の姿がはっきりと見えているみたいです」


「猫って、そういう不思議な力があるって言いますもんね」


「ふふ、そうかもしれませんね」


 みやびの顔に、いつになく幼い、本物の子供のような笑みが浮かんだ。



 夜が更け、蓮が名残惜しそうに帰路についた後。


 花はこたつの上に置いた防災ラジオのツマミを静かに回した。


毛布の上では、そら、のあ、うにの三匹が、まるでひとつの大きな毛玉のようになって眠っている。


 ロフトの上からは、みやびがその様子を優しく見守っていた。


 ザザ……。


「……フニャ。ハイどうも。サボリです。今夜は……随分と賑やかな電波ですね、お前の部屋。猫の鳴き声のようなノイズが混ざりまくっていますよ」


「増えましたよ」


 花はこたつに顎を乗せて笑った。


「ここに三匹。蓮さんのところにも三匹です」


「あの男、本当に引き取ったわけですか。ペット不可の物件のくせに」


「これから猫のために引っ越すんです。それまでは、私が六匹全員をここで預かります」


「一時的に六匹飼い、ですか」


 サボリはふんと鼻を鳴らした。


「……まあ、退屈しなくていいんじゃないですか。お前のような寂しい独り身の部屋には、それくらいが丁度いい」


 相変わらずの減らず口。けれど、その後に続いた声は、驚くほど静かだった。


「……昨夜の母猫、お前たちにハガキを送って正解でしたね。『信用できる人間に』と言い残していったそうですが。……見る目はあったようだ」


「サボリのラジオに関わっている人間だから、信用できるって言ってたんですよ」


 花が言うと、サボリはフイと顔を背けるように素っ気なく続けた。


「猫というのはね、そういう目に見えない徳のようなものを、敏感に感じ取る生き物なんですよ。……まあ、お前たちなら、あの子たちを飢えさせるような真似はしないでしょう。……じゃ、今夜は閉店」


 プツン。


 電波が切れ、いつもの静かな夜に戻る。


 花がラジオを棚の上に置こうとした、その時だった。


 おっとりした茶白の「そら」が、眠そうにこたつから這い出てきて、棚の上のラジオのすぐ横にトコトコと歩み寄った。そして、愛おしそうにプラスチックの筐体に小さな身体をピトッと寄り添わせ、そのまま丸くなって寝息を立て始めたのだ。


「あ、そら。そこは触っちゃだめだよ」


 花が慌てて手を伸ばしかけた、その瞬間。


『……チッ。おいお前、早くその小うるさい毛玉をどけなさい。静かに寝かせてくださいよ、まったく……』


 すでに閉店したはずのスピーカーから、砂嵐のノイズに混ざって、そんな幻聴のような、けれど呆れるほど愛おしいサボリの文句が、かすかに、本当に微かに聞こえた気がした。


 花は伸ばした手を止め、そっと胸の前に戻して、小さく吹き出した。


「サボリ、よろしくね」


 ラジオのすぐ横で、小さな猫が体温を分け合うように眠っている。


 私の部屋は、いつの間にか、そういう優しい場所になっていた。


 目を閉じる。


 子猫たちの柔らかな寝息と、サボリの気配に守られながら、花は今夜も、最高に温かい眠りへと落ちていった。

後書きというか言い訳(笑)


いつも読んでくださりありがとうございます。

実は作者、離乳食以降の子猫しか育てた経験がありません…

なので、もし今後お話の中で「実際のリアル猫とちょっと違うぞ?」という描写が出てきても、「これはフィクション…これはフィクション…」と唱えながら、ゆるい気持ちで読み飛ばしてください(笑)。

ファンタジーパワーで大目に見ていただけると助かります

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